往来、あと1日

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いよいよ今年の春のお名残り鉄も明日、フィナーレとなり、東北では十和田観光電鉄が、そして信州では長電屋代線が最終営業日を迎えます。明日の長野は雨模様の予報ですが、ついつい、トクだ値で新幹線チケット、買ってしまいました。まあ記念切符を買いに行くぐらいのつもりで、のんびり行ってこようと思います。

味わい深い木造駅舎で名を馳せた信濃川田の側線には、小布施から保存車両が移動してきて、定期列車のマッコウクジラや臨時列車のリンゴと並んで、思わぬ貴重なシーンが展開されています。すわ廃止後は鉄道公園か?!と思いきや、どうやら一部は一時的な留置という話もあり、喜んでばかりもいられないようです。

そして、当初の予定よりは1年ほど長く走った、リンゴこと2000系D編成も、明日夜の屋代線団体列車への充当を最後に、今度はほんとうの引退を迎えます。ロマンスカーもNEXも悪くないな、と思いますが、このリンゴカラーほど、信州の風景にしっくりくるカラーリングはありませんでした。

飯山線のついでにリンゴを撮って、すっかり魅せられて以来のこの数年、長野にはほんとうによく行きました。それも、明日でひとつの区切りを迎えます。最近お馴染みの日帰りコース、軽井沢で車を借りて、「リバ志賀」撮りながら、屋代線へ向かおうと思っています。

ヘッドマーク有終

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その翌日(3/25)は、長電主催のリンゴ編成さよならツアー列車が、前日と同じく湯田中から屋代へ向かいました。予報も良くなかったので、前日夕方の新幹線で帰京、休養を決め込むつもりでしたが、この日は屋代で「リバイバル志賀」に運用中の169系と最後の並び……結局、それ1枚が我慢できず(笑)、10時過ぎ、東京駅から大休05・新幹線自由席の客となりました。

しな鉄と屋代線の間の中線に留置された169系の横に、ツアー客を降ろしたリンゴ編成が転線して入ってきました。ツアー参加者はスタッフ誘導により線路内での撮影が可能になっていましたが、ホーム上から誰でも十分過ぎるほどのアングルで(焦らず、少し待てば、ですが…笑)、並びのカットが撮影できる状態になっていて、しな鉄、長電両社の配慮には感謝、感謝の小一時間でした。

169系には「志賀」に続いて「妙高」「とがくし」などのマークが掲出されましたが、信越急行もまた、ブルトレと同様に、ある時期からヘッドマークの装着をやめていて、昭和50年代に何度か実際に乗車したときも、ただの「急行」表示だけだったと記憶しています。かたや長電は、2000系への特急ヘッドマークの装着が、さまざまに続いたのでしょう。しかし今、リンゴ編成の引退により、長電からヘッドマーク付きの定期運用の電車は消えてしまうことになります。

リンゴには「のざわ」にヘッドマークが掲げられました。あ~そうだ、そうだ、大学3年のとき、屋代から河東線に入って、ゼミの合宿でどこ行ったのか思い出せなかったけど、今考えると野沢温泉だったのだなあ。朝飯のときに野沢菜が山盛りに出てきて、千枚漬やしば漬で育った京都の青年は、う~ん、これのどこがうまいのか?と疑問に思いながらも、ご飯と一緒に思いっきりかきこんだのでした。





河東線、春蕭々

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先週末の土曜日(3/24)、再び、「SBCろくちゃん号」が今度は湯田中始発で屋代まで運転され、またまた停車駅のホームには、Kさんの満面の笑顔がありました。列車に添乗してしまうと沿線撮影ができないので地団駄踏んでるのかなあ、と最初は思ったのですが、どうやらこれはこれで楽しくて仕方ないらしく、奥さんが遠目にやれやれ~と苦笑いしているのも、20数年前の伊豆多賀かどこかと変わらない光景でした。

列車が屋代線に入る頃、やっと天気が回復しました。旧名・河東線の名の通り、千曲川の東岸の小さな町を縫って走る、全長20km少しのこのローカル線は、上野からの直通急行で賑わったことはすでにご紹介したとおりですが、一時は、小諸から十日町、あるいは直江津に至る遠大な延長計画があったそうです。

そうだよなあ、地方私鉄の線名、社名には、鉄道に社会の発展の夢を託した時代の残り香が、今も感じられることがあります。南部縦貫鉄道しかり、磐梯急行電鉄しかり。そういえば、つい最近「日本海」最後のルートで撮り鉄が集中した湖西線は、もと江若鉄道、近江と若狭を結ぶ夢を実現できなかった私鉄の発展形でもありました。

たまには、らしくない写真(笑)を最後に1枚ぐらいは撮ろうと、大室を出たところの山の中腹から、松代へ向かうリンゴ編成を後追いで狙うことにしました。千曲川を挟んで、川中島の古戦場もほど近いこのあたりの風景を遠望していると、妻女山を下って、鞭声粛粛、千曲川を渡る、と漢詩の一節が思い出されます。家並みの向こうの山あたりは、おそらく数週間後には、桜が咲き誇るのでしょう。そして、電車の来なくなった線路に、やがて花吹雪がはらはらと舞い落ちるのでしょうか。



駅裏、城址、夢の跡

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いよいよカウントダウン最終段階に入った長電屋代線には、同じく引退間近の2000系D編成を使った団臨が休日の度に運転されていますが、この日(3/20)は「ありがとう松代駅・SBCろくちゃん号」と題して、地元放送局が仕立てた列車でした。そう、長野の鉄ならご存知(笑)、いつもは白いジャパン・レガシィを駆って撮影に奔走する、我が旧友、Kさんの勤務先です。当然のことながら、松代駅には、乗客の案内に精を出すKさんの姿があり、やがてこちらを見つけると、いつものように手を振る、満面の笑顔が返ってきました。

松代には、20数年前に、大本営の塹壕見たさに、非鉄で訪れたことがあります。真田藩の城址や史跡が残る静かな城下町に、太平洋戦争の終戦直前に降ってわいたように進められた極秘の首都移転計画……井田正孝大佐が冨永恭次次官に上申か。この名前を聞くだけで、当時の陸軍官僚トップが本気で取り組んだこと、思惑と夢想がごちゃまぜになって、日本が国家として迷走したことがわかります。

城址のほうから、折り返しを待つリンゴ編成が桜田で撮れそうだなあと、クルマを駅の裏側へ回しました。屋代線、いや河東線の歴史を改めて繙くと、終戦前に一度はほぼ決定された路線廃止が、大本営建設で撤回され、急遽、留置線が建設されたそうです。今、リンゴ編成の手前の空地が、おそらくその跡なのでしょう。城址公園の低い石垣に上ると、昭和の佇まいを残す駅舎が、背後の山並みによく調和して、去りゆくリンゴ編成を見守っていました。大本営の時代から半世紀以上の時間を経て、今度は本当に、あと数日で、すべてが夢の跡になろうとしています。

急行電車で信州へ

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さて、春3月、今年のお名残り鉄の舞台は、春まだ浅い信濃路へ~♪(笑)移動します。信州へ行くなら、やはり湘南色の急行電車です。おりしも、しなの鉄道では、169系「リバイバル志賀」が運転中。JR線内の保安装置の関係で遠くない日の引退がアナウンスされている169系ですが、長電屋代線の終わりに、実際に同線に直通した伝統の愛称「志賀」を冠して走るとは、心憎いばかりの演出です。

ここのところ、休日の信州は曇りや雨の予報に反して、好天に恵まれています。春分の日(3/20)も、せいぜい午前中、と予報されていた晴れ間が夕方まで継続しました。軽井沢でレンタカーを借りて、まず最初は信濃追分へ。美しい浅間山がくっきりと姿を現わして、その前をけっこうな高速で通過する急行電車のカッコ良かったこと!

このあたりで浅間をバックに写真を撮るのも、EF62引退の97年以来ですから、およそ15年ぶりになります。この場所も、ほんとうは当時のように、もう少し離れて、高い位置から撮りたかったのですが、手前の道路が拡張され、線路際の木々も成長し、広角気味のアングルにならざるをえませんでした。

それでも、山が見えて、風がそよいで、久しぶりに味わう好天の信州、最高です。クルマは佐久インターから、あの頃はなかった上信越道に入り、一路、昔の急行「志賀」のルートをトレースし、長電屋代線へ向かいました。こちらもお別れ迫る2000系リンゴ編成に、折り返しの松代で間に合うはずです。そして、今日の列車を仕立てた、ロク二時代からの旧友・Kさんたちの笑顔に会えるはずです。

9001レ、青森へ

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大阪駅や京都駅で多くの人々の見送りを受けて、夜を走破した下り最終「日本海」は、払暁の日本海沿岸から、薄曇りの秋田に入りました。若い頃なら酒田か鶴岡のバルブからスタートしたかもしれませんが、今の年齢、体力では、唯一、高速が並走する羽後本荘から二ッ井の区間で、効率的に撮るのがベターな選択でしょう(笑)

羽後岩谷の直線、鯉川の陸橋とカットを重ねて、最後は二ツ井のオーバークロスに何とか間に合いました。もう数回、定期の時間でチャンスがあったなら、朝の桜田でぜひ撮りたかった場所の一つです。待ち構える鉄は10数人。この同じ時間、西の湖西線と人出を比べると、おそらく数分の一になるのでしょうね。私の「日本海」ギリギリ巡礼(?!)も、とりあえず、この場所で、最後のお見送りになりそうです。

思えば、秋田~青森の区間は、「日本海」運転当初はDD51重連が、峠路に挑んでいたんですね。なかなか開けたところのない、矢立峠旧線の写真を、RJの「列車追跡シリーズ」で見た記憶があります。あと、けっこう雄大な築堤を行くインカーブの写真、それは今考えたら、この二ツ井あたりだったのでしょうか。そして、たいていは蒸機の写真がカップリングされていて、C61の客レだったり、D51重連の貨物だったりしました。

短いトンネルの向こうに、ローピン81のヘッドライトが見えて、すぐに闇を抜けて、ゆっくりと僕らが見下ろすカーブにさしかかりました。シャッタースパンの中にある障害物を列車で隠そうと、ファインダーとボタンに集中したとき、波と星のブルートレインの時代に終わりを告げる、短笛一声が聞こえて、山間に軽くこだましました。



さらば関西ブルトレ

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定期「日本海」の終焉はまた、大阪駅や京都駅を発着する、いわゆる「関西ブルトレ」の終わりでもありました。ガキ鉄時代からの旧友、枯れ鉄さんは、青森行きの最終発車を京都駅はずれの陸橋で見送られたとか。もう、その話を聞いただけで、感涙です。ご一緒したかったなあ。僕らが中学生、高校生だった時代、京都駅を明るい時間に発着する唯一のブルトレが「日本海」でした。20系、カッコよかったなあ。もちろん、ロクゴPも、ゴハチも。

大阪発着の「トワイライト」は残りますが、これはもう、ブルトレではないですよね。「あかつき」「彗星」、そして「なは」転じて末期の「なはつき」(笑)まで。ひとつひとつのヘッドマークが今、懐かしく思い出されます。そういえば、あの頃、出町のマツモト模型って店が、模型に限らず鉄なグッズの扉を開いてくれていて、「あかつき」と「日本海」のヘッドマークのバッチ?を買いました。無理やりお願いして鉄研の会報を置いてもらったオヤジさんの齢を、おそらく自分は過ぎてしまったのだなあと、春の夜、小さな感傷に耽ってしまいます。

ダイヤ改正の夜、翌日の青森行き撮影のため、最終便で秋田入り。11輌編成、最終の大阪行き9002レ「日本海」を、初めて訪れた羽後本荘の駅で見送ることになりました。対向ホームが短く、カマが頭出しになりますが、今はデジタルで停車直前が撮れる時代です。ISO感度を上げて何とかローピン81を写し止めたあと、思い出したように、停車中の「FOR OSAKA」のサインにカメラを向けました。

日本海 Last days 2

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その数日後、再び大館に入りました。定期で上下列車が走る最後の週末、土曜(3/10)の予報「曇り/もしかしたら前日の晴れ間少し継続」に賭けての出動です。東大館の居酒屋もしっかり見つけて、すっかりいい気分。やがて時計はてっぺんを回り、やっとの思いでもう1杯の誘惑を振り切りました。

今回は大館の前後で白沢と並ぶ順光区間、鷹ノ巣から早口の間がターゲット。前夜に最後の一杯を我慢したのが功を奏したのか(笑)、夜明けの少し前から、予報以上の朝陽が低い山の端から姿を見せました。そして6時50分、定時での通過時刻には、すっかり奇跡の桜田状態となったのですが。。。

しかし、世の中、そう何度もうまくはいきません。こういうときに限って、車両トラブルによる30分遅れです。その間に薄い雲が登場し、津軽新城、白沢に続く完全順光制覇は夢と消え去りました。でもまあ、3月の朝7時に、これだけ光が当たってるのですから、よしとしましょう。それに、後からバリ鉄な友人に聞いたところ、夏から初秋、ここで何度挑戦しても霧に悩まされ、果たせなかったとか。そんな撮り鉄たちの悲喜こもごもを乗せて、ローピン日本海の力走が、春まだ浅い奥羽本線に続いていました。

日本海 Last days

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昨日(3/17)の朝、大阪と青森に最後の到着となった定期「日本海」ですが、今日の青森への客車回送、そして明日の敦賀へのカマ回送をもって、ラストラン関連の運用をすべて終了することになります。この数週間、結局、またまた間際になって、こらえきれずに(笑)出動を繰り返しました。あ~自分はいいよ、皆さんどうぞやってくださいと言いながら、直前にいきなり目の色変える……我ながら治りませんなあ、この特殊症状(爆)

津軽新城でのバリ順文句なしを撮った後ですから、光線的に納得のいかないカットはもう、撮れません。ところが、秋田以北で順光となる場所はきわめて限られます。手帳のスケジュールと天気、それも当日朝だけでなく、ヘッドマークの「1円玉」が怖いので、夜の新潟あたりの予報も見ながら、綱渡りの判断で大館能代へのNH便に搭乗しました。

大館は、今まで駅弁大会で買った「鶏めし」食べたことがあるだけで、キリタンポ発祥の地、はたまた忠犬ハチ公の生まれた土地ということも知りませんでした。もうひとつ、ついでに言えばJR駅前に居酒屋が1軒もなくて、街の中心は花輪線の東大館に近いことも。ま、これは2度目の時にホテルを東大館にして、しっかり前回のぶんまで飲みましたが(笑)

春3月、夜明けが少々早くなったとはいえ、走行写真が満足に撮れるのは、快晴で7時前からでしょうか。この日の4001レは7時23分に大館を定時発車、短いトンネルを抜けて白沢駅にさしかかるカーブには20分前からしっかり日が差して、間際の一夜漬け受験生にも、鉄の神様がちょっと微笑んでくれました。

Graduation Day

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すでにFacebookでは嬉しいことにたくさんのいいね!を頂戴しましたが、今日の昼、会社近くの居酒屋の昼定食待っていると、NHKのAMでしょうか、店のラジオから倉田まり子の「グラジュエーション」が流れてきて、あこう鯛やサバ塩食ってるオヤジたちの目が一斉に宙を泳いで、口をもぐもぐさせたまま、遠くを見ました。ふう、春ですなあ。

レッツゴーヤングでこの唄やってたの、調べてみると1979年なんですね。そうだったのか、自分の大学卒業の年だったのか。菊池桃子や斉藤由貴とごちゃまぜになって、もう少し後のヒット曲かと思っていました。数年後、いわゆる投資ジャーナル事件に巻き込まれて心ならずも芸能界を去った倉田さんが、現在まったく違う業界できちんと活躍されていることに、少し心が和みます。

毎年、自分の誕生日が過ぎて、桜便りには早く、コートもまだ手放せない季節に、ダイヤ改正で消える車両たちのカウントダウンが始まります。昨夜は家の近所の飲み屋で、300系やJR東海のCMの話に花が咲きました。そうだよなあ、シンデレラ・エクスプレス、ファイト・エクスプレス、ハックルベリー・エクスプレス。あの時代のCMは100系が主役で、次いで300系が新たに画面を疾走し始めました。

国鉄がJRになって、バブルへ向かう祭りの時代。素晴らしいCMに魅せられた時代でしたが、もうそろそろ、そこからも卒業する時期が来ているのかもしれませんね。♪Graduation,Graduation,Graduation Day・・・明日、東海道の300系はいよいよ最終運用に入ります。

夜の静寂のラストラン

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昨日(3/11)は日比谷から恵比寿に移動して、会食の約束があったのですが、先方の急用で8時前にお開きとなり、お~300系の最終夜運用に間に合う!と、山手内回りの電車に飛び乗りました。いきなり車内アナウンス、「お客様にお知らせします。無理なご乗車はおやめください」……我ながら、情けない(爆)

前日の「ありがとう」シール付き団臨のときは鈴なりの鉄で賑わっていた、この有名ポイントにも、夜風に吹かれて若い男性が一人、ケータイで誰かと何かを話しているだけでした。すわ先客か、と思いきや、電話を切ると彼はそのままどこかへ行ってしまい、自分一人が日曜夜の9時前に、ここにポツンと取り残されることになりました。鉄人騎士さんブログの言葉を借りれば「他に鉄は 誰も いませんでした」状態です(笑)

しかし、現役蒸機の昔から、ヘッドマークの付いたお別れ列車の華やかな人だかりの影で、人知れず定期運用の最終列車が走り去っていくのは、今も変わらないようですね。この300系最終のこだま807号も、東京駅のホームでは鉄の山に迎えられたのかもしれませんが、眼前に通過するときに車内を見てもガラガラで、とても話題の消えゆく車両の夜のラストランとは思えませんでした。

今日の月曜日(3/12)、午後の定期運用もラストを迎え、有楽町イトシアの例のカフェあたりは、スーツ姿の鉄な方々で賑わったことでしょうね。残念ながらそこに参加することは叶いませんでしたが、静かな静かな日曜日の春の宵、0系の流れを今に伝える、東海道ラスト・エクスプレスに別れを告げました。

3月11日。14時47分東京着、こだま650号。

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東海道新幹線300系の最後の力走も、いよいよ明日の定期1往復と、金曜の臨時ラストランを残すのみとなりました。そのいずれも私は仕事で撮影は不可能で、今日の日曜日(3/11)、天気が回復したから皆さん話題の小田原の公園か、あるいはせめて馬込あたりでも行ってみようかと思いましたが、ここはやはり、最後も都心でお別れをしてきました。

3月11日。もうここで何か言うのは野暮というものでしょう。それでも自分は自分なりに、お昼過ぎに、小池アミイゴさんの個展「東日本」に出かけて、いい感じの絵を眺めながら、いろいろ考えごとをしてきました。支援というほどのこともできませんが、気持ちを新たにしてきました。そして、懸案の300系と銀座・数寄屋橋がらみのカットを捉えようと、休日の日比谷へ向かいました。

300系最後の定期スジは、こだま650号で14時47分東京着、15時03分発の岡山行ひかり477号となって、東京駅を離れていきます。ちょうど、到着のこだまを後追いで撮ったのが、今考えてみれば、14時46分頃でした。朝からの報道を見ていると、甲子園の終戦記念日のようにサイレンでもなりそうな様相でしたが、街も新幹線も、まったくいつもどおりに動いていました。

いつもどおりに鉄をする、いつもどおりの日曜日でよかったのだと思います。この1年、一ノ関、北上、横手、鷹ノ巣と、知らない街に鉄しに行って、居酒屋も堪能しました。サラリーマンには異動転勤の春3月、バリ鉄S君の仙台赴任も決まりました。これからも、東北の知らない街へ鉄な写真撮りに行って、夜は酒と肴を楽しみたいと思います。







質屋のある街

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電車事業所前から短い区間の往復を繰り返した後、すすきのまでの半周を走破したM101号フォトランですが、すすきので貸切乗車の参加者を降ろして、最後は車庫へ帰る回送電車となります。ゲリラ雲がときおり出ているものの、まだまだちゃんと日が当たっていて、西7丁目のカーブで光線重視で待ち構えることにしました。

おっと、質屋の案内看板か。昔はあらゆるところにありましたが、最近はあまり見かけなくなりましたね。どうなんだろう、最近の質屋。いっときはブランド品のバックの新古品販売ルートとして話題になっていたようですが、すっかりこの業種と縁遠い日常生活になっているのでは、と思います。

でも、どこの町にも、古ぼけた蔵みたいな質屋とか、やけに時代に取り入ったフレーズが看板に踊る質屋とかあって、それはそれで、街の風景には欠かせないものでした。そして、それと同時に、電信柱の案内看板、もうこれは質屋か医者がしっくりきます(笑)

そんな質屋の看板も残る札幌の電車通り、沿道の建物はすっかり現代風なものばかりですが、こうして細かいところにお目をつければ、まだまだ楽しめそうです。北海道が最も過ごしやすくて美しい、新緑の季節にでも、のんびり撮り歩いてみたいものですなあ。

電車通り

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ササラ電車の撮影会が終わると、いよいよ「元・親子電車の親」M101号を貸し切ってのフォトランの始まりです。朝、着いたときは雪交じりだった札幌の街もいつしか桜田ポイントのオンパレード。大通とすすきのを両端にループする札幌市電の東側の半周を行く昭和の路面電車を、電車&徒歩追っかけで撮影、となりました。

路面電車の連接車といえば、まず思い出すのが我が故郷、京都市電の2000型です。たしか、自分が中学生の頃にあったのかなあ、、、他の形式よりいささかヨーロピアンなデザインの電車が2両連なって、烏丸通りの東本願寺前のカーブを行くシーンは、今でもけっこう鮮明に思い出すことができます。

看板に電車のイラストまで入った、電車通治療院というのを見つけて、それをアクセントに1枚、順光写真を頂戴いたしました。電車通り、っていうのがストレートでいい。まさに路面電車が息づく街って感じがします。そういえば川崎には今でも市電通りという名前が残っていますね。札幌の電車通り、名前だけでないところが素晴らしいではありませんか!

竹と雪のバラード

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翌日(3/4)は札幌に移動し、電鉄倶楽部さんの札幌市電チャーター撮影会に参加させていただきました。札幌市電にカメラを向けるのは何と40年ぶり、♪生まれ変わるサッポロの地に~♪オリンピックが開催された昭和47年春の、ガキ鉄唯一の北海道蒸機撮影ツアー以来です。

朝、皆で貸し切った元・「親子電車の親」(連接車の電動車)M101号に乗って、電車事業所の構内へ向かいます。車庫では雪道をかき分ける竹箒も凛々しいササラ電車が4輌、勢ぞろいしてお出迎え、朝の仕業から帰ったばかりのササラは雪を車体にまとわり付けていて、ご覧のような構内デモ走行で、竹と雪のバラード(笑)となりました。

しかし、この塗色はどこからどうみても、阪神タイガースですね(爆)いよいよキャンプも中盤に入り球春いよいよ近し。オープン戦前線の北上とともに、どこかにオレンジの除雪車はないのか、とあらぬことを考える、V9黄金時代から40年後の、誕生日の季節です。

ローピン日本海、有終の雪晴れ

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土曜日(3/3)の朝、青森はドン曇りでした。もう一度、「日本海」の力走に立ち会おうと、前夜にJL便で青森入り、曇り時々晴れの予報にかすかな期待をかけていたのですが、朝日の姿かたちはどこにもなく、もうホテルでゆっくり朝飯食べてから、撮影に向かうことにしました。もう桜田順光は期待できないけど、まあお手軽なアングルでいいよね、と青森駅から乗った普電が動き始めたそのときでした。車窓左手に、朝日が差し始めたのです。おおお!もしかして、もしかしたら、、、

1970年代初め、京都のガキ鉄にとって、憧れのブルトレのヘッドマークといえば、この波と星のマークでした。東海道ブルトレは通過が深夜でめったに見る機会がなく、関西ブルトレの「あかつき」も「彗星」もカッコよかったけれど、朝、京都駅に入ってくる「日本海」にはかないませんでした。

3月改正での季節臨時化を直前に控え、京阪間はもとより、敦賀口は関西の鉄な皆さんで異様な賑わいをみせているといいます。ほんとうは、京都駅入線か、タキイ前あたりで、枯れ鉄さんと一緒に昔を思い出しながら惜別の1枚といきたいところですが、いかんせん、光線が悪い(笑)順光シチサン主義者同盟としては、最後に雪晴れの順光をワンカット、と無理やり出かけたのが、今回の青森行きでした。

通過5分前に一度だけ日が陰りましたが、すぐに桜田状態に回復、これ以上ない光線を浴びて、有終のブルートレインが、それもローピン81の牽引でファインダーに入ってきました。「あけぼの」や北海道夜行はまだ残りますが、そうか、僕らの時代の憧れのブルートレインは、これでもう、記憶の彼方へ走り去ってしまうのだなあ、とモニタを確認しながら、好結果の画像とは裏腹に、ぽっかりと心に穴が開いたような気分になりました。
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Author:品川530
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