池上線

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旗の台から池上線で、蒲田方向に向かいました。電車に乗るなり、♪古い電車のドアのそば 二人は黙って立っていた~~♪と鼻歌が出てくるのは、致し方ありませんね。西島三重子、1976年の名曲、言わずと知れた「池上線」です。♪池上線が走る街に~~、今日の撮影ポイントを探そうではありませんか(笑)

城南は目黒の住民となってすでに四半世紀が過ぎようとする自分ですが、池上線の沿線に来る機会は少なく、車窓から目当てをつけて降りた雪が谷大塚も、おそらく初めての下車駅です。線路沿いの道をポイント探してたどっているだけで、まだ東京に不慣れだった70年代の大学生、「池上線」が流行った時代にタイムスリップしたような気分になるから不思議ですね。

今や地下鉄との直通路線となった昔の目蒲線と違って、ここ池上線は車両はステンレスに変われど、短編成の電車が商店街を縫って走っていて、どこかしら、70年代の私鉄沿線の香りがします。そういえば20代半ばの頃、金曜の夜にしこたま飲んで、石川台の先輩の家に転がり込んだことがあったなあ。あのときも、翌朝、二日酔いで♪池上線が~~と歌いながら、緑の電車に乗りました。

いい感じのアウトカーブが引いて撮れるポイントに、すでに多くの鉄が待機していました。地元の通行車に気を遣いながらの数十分が過ぎて、東急最後の現役アルミ試作車が、ドン曇りの空の下を走り去っていきました。



2/26東急マラソン?!

2012.2.26 二子玉川~上野毛 デヤ
日曜日(2/26)の東京マラソン、盛り上がりましたね。我が地元の居酒屋からも、幸運にも抽選を通過した2名が出場、みごと完走!! 夜、いつもの店は喜びと達成感に包まれて、楽しかったなあ。座敷での宴会はいつまでも、話が尽きることがありませんでした。

で、市民ランナーたちの力走と同じ時間に、東急沿線は軌道検測車デヤのさよなら運転で、時ならぬ鉄ラッシュとなっていました。しかし、我が通勤路線、東急もたいしたものですね。検測車の代替わりで、田都・大井町・東横池上の各線を行ったり来たりする、「ありがとう」イベントをやってしまう……数年前の8039Fさよならイベントのときより圧倒的多数の鉄が、各駅先端や沿線を埋め尽くしました。

上野毛から旗の台、雪が谷大塚、奥沢、自由が丘、そして等々力と、各線を往復するデヤを追ってポイント巡りながら、まさに東急マラソンです(笑)一日乗車券買って、渋谷駅で提示すれば記念ポストカードをゲット、と昔の東急からは信じられないほど、鉄心をくすぐる内容です。まずは、上野毛手前の切通しのオーバークロスから、東急マラソンがスタートしました。

平成20年代の東京

2011.2.24 有楽町 300系
平成24年の東京に戻ると、「ありがとう」シールの300系の力走が、今週末も続いています。有楽町某スポットのカフェも、時ならぬ鉄な方々で大賑わい。ランチおしゃれに食べてるOLの皆さんの、見て見ぬふりが逆にドギつく胸に突き刺さったりして(笑)

昭和40年代、50年代から今日までと同じように時間が経って、やがて平成20年代の東京は……なんて語られる時代が来たら、東海道のブルトレがなくなって、新幹線がカモノハシみたいなのだけになってしまったとか、モノの本に書かれるのでしょうか。その頃は電子の割合が想像以上に増えているのかもしれませんが、やっぱりあったらいいなあ、ずっと宝物にしたい鉄な本、鉄な写真集。そのためには、頑張れ、今の自分、でもあります。

ひばり、ロカビリー、グループサウンズ……有楽町の街は、スターや音楽、芝居とともに、いつも時代を映しています。昔から宝くじ、有楽町で買えばよく当たるのかな? そごうがビックカメラになっても、よみうりホールが残っているのは、この街がその昔、新聞社の街だった証しですね。平成0年代、10年代から20年代の東京、そして日本を駆け抜けたランナーが、今日もゆっくりと、有楽町の街を踏みしめていきます。

昭和40年代の大阪へ

2012.2.18 阪堺  綾ノ町 161号
今度は堺市内のセンターリザベーションの北端、綾ノ町に移動して、昭和40年代復元電車、161号を待ち構えました。専用軌道から出てきたところにいい感じで停留所があり、筆書き体の商店の看板やパチンコ店のネオンをバックに、どこか大阪の下町の雰囲気で画面をまとめることができました。

昭和40年代の大阪というと、なぜか父や祖父に連れられて行った洋食屋のことを思い出します。父も祖父も、京都から大阪の会社に通勤していて、休日(土曜?)出勤の時についていって、会社の近所で食べたハンバーグの味は、洋食屋の狭い階段とともに、今もはっきりと覚えています。

幸運にも、またまた通過時に日が差して、お昼過ぎに満足のうちに撮影会終了。あの店、たしか白百合、とか言ったよなあ。。。スマホで検索かけてみましたが、見つかりませんでした。それでも、今日は洋食ランチしないと、おさまりません(笑)天王寺に戻って、ビルの一角にグリルの看板を見つけると、デミグラスソースの匂いに誘われて、思わず吸い込まれてしまいました。

幸せの雲電車

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我孫子道車庫での撮影会が終わって、緑雲166号と復刻161号が続けて出庫、我々参加者は堺市内の路面区間に先行して、古豪たちの通過を待ち構えることになります。この日は、この区間での光線を重視した絶妙のダイヤとなっており、あとは曇天の空から時おり舞い降りる、光の僥倖を祈るばかりです。

1976年から広告電車の塗装として始まった「雲電車」ですが、爽やかなデザインは緑、青、橙の3色があり、沿線の女子学生の間で話題となり、彼女たちがいつも、自分の好みの色の電車を待っていた話は、今も語り草となっているといいます。ま、「幸せの黄色い新幹線」の70s阪堺版ですね。古豪モ161形には近年、青と緑の雲塗装が復活、もしかしたら今もまた「幸せの雲電車」を待つJKがいるのかもしれません。

浜寺への専用軌道に入る直前の御陵前。そう、堺といえば仁徳天皇陵です。電車専用信号なのでクルマにカブられる心配もほとんどない好条件の下、なんとなんと、信号が青に変わった瞬間から日が差し始め、急いで露出を修正するのがやっとのタイミングで、緑雲電車が順光のファインダーに入ってきました。

古豪佇む朝

2012.2.18 我孫子道車庫 161,166
先週末の土曜日(2/18)は、電鉄倶楽部さんからお誘いをいただいて、阪堺電軌の古豪、モ161の撮影会に参加してきました。昭和8年(1928)製、車齢80年を越えて、まさに今なお現役で活躍する同形式10両の中から、昭和40年代復刻電車の161号と、比較的運用に入ることの少ない「緑雲電車」こと166号が、この日の主役でした。

しかし、電鉄倶楽部主宰のKさんとのご縁も長くなりました。ロクイチやパックの運用を徹底的に追っていた国鉄末期、曜日にかかわらず(爆)、いつも登場するスーツと一脚の関西弁のサラリーマンは当時東京在勤で、関西へ戻られてちょっとご縁が遠くなりましたが、今度は当方が撮るものなくなって(笑)地方私鉄や路面電車に手を染めるようになって、思わず再会となりました。

朝イチ便で伊丹に降りたときは、ドン曇りの空でしたが、我孫子道の車庫で撮影会が始まると、何と青空に、日まで差してきました。早速、先週の木更津を取り返せる!これだから、鉄はやめられませんなあ。架線の影もまったくかからない、パーフェクトな位置に佇む2両の古豪。日が差すと撮って、曇れば休憩……それを何度か繰り返すうちに、ほぼ満足のカットをひと通り押さえることができました。

銀色の遥かな道

2012.2.11 弘南大鰐 スナップ
さて、夜の津軽に一瞬戻って、弘南大鰐駅にたたずむ元・東急の銀色の電車を1枚、お目にかけることにしましょう。そういえば、来週末の日曜(2/26)、東急では鉄心をくすぐる、凄いイベントがありますね。地元通勤最寄り住民としては、参加しないわけにはまいりませんなあ。。。

大鰐温泉といえば、名物もやしラーメンです。今回のランチはちょっと比内鶏の親子丼に浮気してしまいましたが、津軽唯一の冬の生野菜、ここ大鰐だけで古くから栽培されている細いもやしには、独特のシャキシャキ感と歯応えがあって、一度食べたら忘れられません。結局、今回も帰りのJL便搭乗前の青森空港で、もやシラーメン、いただいてしまいました(笑)

閑話休題。全国の地方私鉄に散った東急の電車も、青ガエルはほとんどが引退し、初期のステンレスもここ弘南の6000系「ユタンポ」を始め、稼働車はすっかり少なくなりました。♪銀色の~はるかな道~~♪と、ガキの頃テレビで見たダークダックス?の曲が、白い息とともに、口をついて出てきました。





ありがとうの季節が始まった

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春3月のダイヤ改正を前に、早くも東海道新幹線300系を皮切りに、ありがとうの季節が始まりました。鉄な世界ですっかり定着した、引退する列車、車両に「ありがとう」ですが、今春は300系のほかにも、新幹線では100系、在来線では「日本海」や「きたぐに」など、大物が次々と控えています。

すでに定期運用を退いたJR東海のJ55編成が2/17から臨時の「のぞみ」運用に入って、フロントとサイドに「ありがとう」シールを付けて、走り始めました。このシール、すでにサイトでも発表されていましたが、なかなかのデザインですね。0系からの東海道新幹線伝統のデザインを引き継ぎながらも、20年前、新しい時代の到来を告げた300系の表情に、とてもよく似合っています。

ちょうど、木曜に仕事で名古屋出張がありました。すでに記念弁当も売店に並んでいて、20年前の幕の内というのを、帰りの700系「ひかり」の中で、しみじみと味わいました。3月16日のラストランまで、最後の「新幹線らしい新幹線」に、さりげなく別れを惜しみたいと思います。

津軽、冬の旅から

2011.2.11 津軽中里 アテンダント
先週末(2/11)、青森に所用があって、その合間にミラーレスでちょっとスナップしてきました。ほんとうは3月改正まで豪雪の中を力走を続ける「日本海」を撮りたかったところですが、「あけぼの」とともに、あえなくウヤ、津軽鉄道と弘南鉄道で、短い冬の旅を楽しんできました。

津軽中里で、まずはストーブ列車を待ち構えたのですが、DCメロス牽引とあって、狙いは最初から奥津軽トレインアテンダント(爆)この日、運用に入っていたのは、彼女たちのブログのニックネームによると、ヨコヅナさん! 何でも、ちゃんこをたくさん食べるから、だそうですが、ホントかなあ(笑)津軽弁での応対も自然な彼女に、折り返しを待つ間、ちょっとニコパチしていただきました。

今回は日帰りだったため、居酒屋で一杯とはいきませんでしたが、青森は酒の肴だけでなく、ほんとうに美味しいものが多いですね。偶然、弘前で食べた焼き菓子、「らぷる」の旨かったこと! せんべいの生地にリンゴの果肉を散りばめた、とでもいうのでしょうか。しかないせんべいさんに何の義理もありませんが、皆さん機会があれば、ぜひ。少なくとも私は、津軽みやげの定番になってしまいそうです。

木更津順光哀歌

2012.2.12 巌根~木更津 C6120
復路のC61牽引の9121レは、この天気だからと、順光優先で場所をセレクトしました。まず待ち構えたのが五井~姉ヶ崎の小築堤、ここは3年前のC57試運転時にまったくの煙スカに泣かされていましたが、今日は本運転、少しはサービス煙があるだろうという、きわめて楽観的なギャンブル……はい、見事に外しました。3年前と同じ、煙スカ(笑)

続いて2か所目は、数百人が集まる袖ヶ浦を避けて、これまた順光優先で、木更津手前の引込線跡に移動、首尾よく場所も確保し、ウン、このアングルなら煙スカでも十分満足できるなあ、まあこれワンカットで大団円になればいいなあ、と、あとはC61の通過を待つばかりとなりました。

結果はご覧のとおり、カブられました(爆)煙はスカ寸前なれど、これ以上ない光線を浴びていることは、オハニに電車の顔が綺麗に映り込んでいることでもおわかりかと(泣)ま、2012年の内房線を走った、いい記録になったのではとか、これで煙を吐いていたらもっと悔しかっただろうとか、自分を納得させる理由を次々に考える、我が身の浅はかさ、幾つになっても変わりません。アクアラインを渡って川崎まで戻ったところで、今年前半の不運は今日1日で終わったのだ、あとは幸運あるのみ、と何とか自分に言い聞かせました(笑)

鉄晴れなのに…

2012.2.12 巌根~袖ヶ浦 C6120
とまあ、上々の首尾に終わった内房線C61試運転でしたが、2/12に出動した本運転は、これ以上ないと思われる晴天の下、一転、アンラッキー連続の展開となりました。ま、輪廻転生、行って来い、プラマイゼロ、こんなものですね。ここでメゲていたら、長く鉄やってられません(泣笑)

DE先頭の上り列車は、試運転の時に遠く巌根あたりでC61が煙を出していたのを思い出し、ロケハンの上で、煙を出していたあたりの後追い順光アングルを探し出し、DL側を捨てて、ここ一発に賭けることにしました。ま、後から考えると、煙が見えていたのは、もう少し木更津方だったような気も(泣笑)

蒸機列車本運転の常で、通過直前まで次々と現れる地元ギャラリーの動きに悩まされながらも、何とかアングルをキープしての本列車通過……ご覧のとおりの煙スカ、ぶら下がりだから仕方ないなあ、と納得するしかありませんでした。それでも、この天気での撮影は気分が弾むもので、まさかこの先にさらなるアンラッキーが待ってるとは露知らず、蒸機本列車を待ち構えるため、まだまだ上機嫌で、場所を移動しました。

鉄友たちの浮戸川

2012.2.4 袖ヶ浦~巌根 C6120
姉ヶ崎で長時間停車があるのも、3年前の「春さきどり号」と同じで、浮戸川手前の築堤へ先まわりするパターンも、これまた3年前と同じです。朝、DL撮影時に見たところ、先の小櫃川のほうは線路脇の「草ボウ」(笑)により撮影困難、今回は浮戸川に鉄の一点集中となりそうです。

通過まで1時間以上前に現地に到着しましたが、すでに堤防の細い道は鉄鈴なりとなっていました。袖ヶ浦方から歩いていくと、逆光に手を振る姿が浮かび上がる団長さんの嬉しそうな顔と、その隣りにはいつもおなじみ、群馬の鉄なおしどり夫婦、Mさん夫妻の笑顔が見えました。

挨拶を交して、三脚&脚立の林の中に入っていくと、すでにS屋さん、A井さんが真剣な面持ちで待機中でした。そのあとすぐ、現地到着を告げる電話をいただいたT島さんとともに、何度も何度も中国やインドネシアもご一緒している仲間、いや一家です(笑)

鉄の集中しない場所で、素晴らしい風景を独占するのもいいけれど、こうして鉄な雑踏の中で、久しぶりの鉄友たちと笑顔を交すのもいいですね。いつしか心がほぐれて、とてもいい気分です。やがて、おだやかな早春の斜光線を浴びたC61+旧客編成が、煙の形もほぼ崩さないまま、おそらく3ケタはいおるであろう鉄の前を美しく、力強く通り過ぎていきました。人が多くて大変だったけど、何だかすごく充実した一日だったなあ。。。クルマに戻ると、鼻歌交じりで、帰りのアクアラインへハンドルを切りました。

遥か宮崎、40年前

2012.2.4 五井~姉ヶ崎 C6120
千葉みなとで折り返してC61牽引となった下りの試運転列車は、光線がやや正面がちながら、バックがすっきりして編成も入る、五井の養老川手前で待つことにしました。蒸機目当てのベテランファンよりネタ狙いの若いファンが多く集まっているのも3年前と同じで、何だかほっとします(笑)またまた、ほぼ最年長かよ(爆)

そういえば、日豊本線末期のC61の旅客列車は、これぐらいの輌数をつないでいたのでしょうか? 40年前、青森から転属した6輌が全機健在だった時期に少し撮っていますが、編成をきちんと撮っておらず、、、また架線はまだ張られず、むき出しのポールが建植された直後でした。

そして、その2年後、宮崎電化直前、架線もほぼ張られた時期に再訪しましたが、そのとき唯一の稼働機C6118号機は宮崎の機関区に待機しているのをホームから撮っただけで、走行にはお目にかかれませんでした。きっと、大淀川へ駆け上がるシーンは、こんな感じだったのでしょう。40年後の2月、そんなことを想像しているのは、この数十人の鉄の中で、ほんの数人か、もしかしたら自分だけかもしれないなあ、と深いため息をついてしまったのでした。

3年ぶりの袖ヶ浦

2012.2.4 巌根~袖ヶ浦 DE10
土曜日(2/4)、ちょうど3年ぶりにアクアラインを渡って、袖ヶ浦に向かいました。前日から始まった「SL/DL内房100周年記念号」の試運転、3年前に門デフのシゴナナで運転された「春先取り号」と同じパターンで、今回はC61と旧客が登場するとあっては、好天の週末、行くしかありませんね。

まずはDE10先頭の上り列車を、3年前と同じ、袖ヶ浦の手前で撮ることにします。このあたりの踏切だったな、と目星を付けて国道から入っていくと、すでにカブリツキから鉄てんこ盛り、脚立に乗って何とかアングルを確保したのも、3年前とまったく同じでした(笑)

遠く彼方に見える富士山を画面に入れるのはあきらめて、きわめてオーソドックスに編成美を捉えることにしました。しかし、ふと考えると、DE10に客車7輌というのは、昭和50年代初めを想像するにしても、ちょっと編成が長すぎるかな? ま、電化区間の入換機が牽く臨時の回送と思えば、なかなか素晴らしいシーンですね。現役蒸機引退とともに休鉄に入った時代を、ほんの少し取り返すつもりで、態勢を直して連写に集中しました。





茅沼発車、鶴不在

2012.2.1 茅沼 湿原号重連
昭和の簡易軌道の興奮さめやらぬまま、急いで茅沼に戻って、返しの前向き重連を待ち構えることにしました。タンチョウの来る駅で有名なここ茅沼ですが、いるのは踏切至近の鉄ばかりで、鶴の姿は見えません。それなら、発車の煙狙いで、シチサンアングルの三脚の林の中に入ることにいたしましょう。

それにしても、タンチョウがらみを諦めるのは、もうこれで何度目になるでしょうか。いくら偶然のなせる業といっても、もうそろそろ、釧路湿原の神々が微笑んでくれてもいいのですが。。。今回も、列車がファインダーに入ってくる前に、わずかに飛来した2羽の鶴はふらりと飛び去ってしまい、結果、この煙だったからいいものの、発車シーンに集中せざるをえない事態となりました。

この後、追いついた細岡で軽くスナップして、この日の撮影は終了、16時過ぎには早くも釧路空港に戻ってレンタカーを返却。水曜日の平日鉄としては十分な成果&気分転換でしたが、来年は土日に来て、久しぶりに炉端焼きやザンギに舌鼓を打ちたいなあ、と釧路の街の灯にちょっぴり未練を残しながら、NH744便で帰路につきました。

鶴居村から

2012.2.1 鶴居村営軌道 保存車両
湿原号の終着・標茶からクルマで小一時間、鶴居村といえば、タンチョウの来るところとしてネイチャーヲタ(笑)の間では聖地のようなところで、有名お立ち台には鉄顔負けの置き三脚がズラリ並ぶと言います。はい、私も行ってきました、鶴を撮りに……というのは嘘で、鶴居村営軌道の保存車両を見てきました。

DLと自走客車と呼ばれる気動車が1輌ずつ、保存状態はまずまずのようで、これは行く価値あり!と気ばかりが急いでしまいます。ところが、事前にネットで検索すると、ヒットするのは雪のない季節の写真ばかりで、いざ行ってみたらシートを被っていた、なんてことになりかねません。えいままよ、無駄足になるのを承知で、駆け足訪問を決断しました。

鶴居小学校を目指せ、とのネット情報どおりに現地に到達すると、ちょうど小学校の下校時間、「古い電車が置いてあるのはどこかな?」という怪しいオジサンを警戒しながらも、「あの、そこ右曲がって、ちょっと行ったら見えます」と教えてくれた女の子ありがとう。目当ての2両がすぐに見つかり、オヤジたちの奇声が上がりました!

柵に囲まれたスペースにたたずむDLとDCですが、雪が周囲を覆い隠しているせいもあって、今にも動き出しそうな雰囲気です。屋根に乗る雪も、ちょうど一晩で積もったという感じで、いいアクセントになっています。文献を繙くと、釧路市内の新富士を起点に全長40kmを越える路線があったというこの簡易軌道、湿原の遊歩道には軌道敷がそのまま使われていると聞きます。いつの日か、この2両が湿原の軌道敷に戻る日を夢見て、雪に足をとられながら、シャッターを押し続けました。


凍てつく河

2012.2.1 釧路~東釧路 湿原号逆重連
西へ旅立つ300系ひかりを見送った後、羽田からJL1143便で釧路へ向かいました。冬の釧路と言えば「SL冬の湿原号」です。この日(2/1)は数少ない重連運転日、それも往路が逆向き重連というレアなパターンで、週の半ばにお休みをいただいて、JASの時代から慣れ親しんだ釧路行き朝イチ便の客となりました。

ここ数年、湿原号の重連運転は、なぜか平日に設定されています。重連の時は客車を1輌減車するのがならわしですが、乗車率の高い休日に減車するのはもったいないから??……う~ん、よくわかりません。まあ、海外からの団体客も多いというこの列車ですから、東京からのサラリーマン撮り鉄の都合とは無縁なのでしょうね(笑)

着陸前のアナウンスで「釧路の気温はマイナス13度」と聞いた瞬間、身も心もキリッと引き締まりました。レンタカーをピックアップして小一時間で釧路川の鉄橋に着くと、氷で覆われた川が、逆光にキラキラと光っています。湿原号の通過は11時過ぎ、さすがに川面の氷も少し溶け始めました。ところどころで顔を出した水面に2つの影を落として、C11重連が釧路湿原へ、氷点下の道をたどっていきます。

忘れていた朝

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昨夜のNHK「SONGS」は山本潤子さんでした。しみじみ見ていて、ふと思ったのですが、潤子さんというとハイファイ・セット時代の曲が多くて、赤い鳥時代の曲は、教科書ソングとなった「翼をください」を除いて、今ひとつ、光が当たっていないような気がします。

「忘れていた朝」、名曲です。「河」も「赤い花白い花」も「言葉にならない言葉」もあるのに、自分自身、何となく忘れてしまっています。そして「竹田の子守唄」です。この唄の背景は当時まったく知りませんでしたが、その後、「イムジン河」と同じように政治的理由から封印されたことが、オフコースとチューリップをポプコンで破って優勝したスーパーグループ・赤い鳥をあの時代に閉じ込めてしまった、大きな理由になったのでしょう。

昨日(2/1)は、お休みをいただいて久しぶりに平日鉄してきました。北へ向かう、つかの間の日帰り旅。羽田からの搭乗前に、まだ明けやらぬ時間に西へ旅立つ、最後の301系ひかり501号を見送ってきました。若い頃、よく徹夜明けに見上げたビル街に反射する柔らかい朝の光、このけだるさと緊張感の同居する奇妙な空気を、歳とともに、すっかり忘れていました。
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品川530

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