有楽町愛しや

2012.1.31 有楽町 300系
300系お名残り乗車から帰ってきた翌日、やはり始まりました。得意の、アマノジャクお名残り鉄! あ~興味ないなあと言っておきながら、ヒトと違うパターンである日突然始まる、ダイヤ改正までの猛スパート(笑)JR-Cの特設サイト見ると、おいおい、13時過ぎの東京折り返しは間もなく終了(~2/1)じゃないか!

そうだ、500系なくなるときに、みんな有楽町の新しいビルのオープンカフェ?から撮っていたなあ。あの時は何度誘われても行かなかったのに、今になって急にふらふらと足が向くのだから、アマノジャクこのうえありません。勤めがずっと銀座で、30数年勝手知ったる有楽町。交通会館前で新しいビルを見上げて、カフェらしき場所を確認しますが、人影がない……そうか、冬場は寒いからやってないのか(爆)

次善の策で、ランチ食べながらアングルにありつける場所を何とか確保しました。ランチセットをオーダーして、行き交うTECを眺めていると、品川駅のなかった時代のことが、さまざまに思い出されます。「のぞみ」運転開始当初はまだ品川はありませんでした。画面の右端に入れるかどうか、最後まで迷った紅虎が建ったのは、新幹線の長い歴史の中では最近ですが、すっかり有楽町の風景に馴染んでいます。

残念ながら編成の一部がビル影に入ってしまいましたが、この光線でここで300系を撮れるのは、あと1日。何とか滑り込みでワンカット、という感じです。私は今日で撮り納めとなりましたが、残る夕方と夜のスジを、あと40数日、ちょっと楽しんでみたいと思っています。

環状線50年

2012.1.28 桃谷 201系
京都から大阪へ新快速で戻って、梅田の食道街をさんざんブラついた揚句に、昼飯は、うどんを振り切ってカレーに決定(笑)、それでも夕方のNH便までは時間があったので、50周年のヘッドマークが付いているという、大阪環状線の201、103系を安易な駅撮りで狙うことにしました。

西九条~天王寺がつながって環状線となったのが50年前ですから、東京オリンピックのちょっと前ですね。意外と新しい話だなあ、というのが実感です。それもそのはず、大阪の場合、大動脈は何といっても地下鉄御堂筋線で、東京の山手線のように環状運転する必要性がそれほど強くなかったのかもしれません。

環状線の各駅には、古い上屋や鉄の梁が今もたくさん残っていて、一昔前の鶴見線にでも来たような、大都市内ローカルの不思議な雰囲気が残っています。こうしてオレンジパーミリオンの電車がひっきりなしに往来しているうちに、中央線で最後に撮りためたような「雰囲気カット」に、次回からは挑戦いたしましょう。

帰りの伊丹1600発NH32便は、東阪間に就航まもないB787の初乗りとなりました。鉄の風上にもおけませんが、おいおい、国内線エコノミーで個人用テレビかい!、おいおい、窓のシェードがボタン一つで濃淡調整できるのか!など、これがなかなか素晴らしく(笑)、周りのフツーの人々が何となくそわそわ、ワクワクしながら乗っていて、こっちまでいい気分になりました。

のぞみで行くからね♪

2012.1.28 京都 300系
3月のダイヤ改正での引退がすでにアナウンスされている新幹線300系ですが、今日(1/28)、ちょっと早めのお名残り乗り鉄してきました。東京6時26分発、ひかり501号。いつもの品川からではなく、こういうときはやっぱり東京駅から。で、京都で降りそうになるのをこらえて、こういうときはやっぱり新大阪まで。。。

300系のデビューは92年ですから、もう20年前になります。当時、のぞみで行くからね♪~~というCMがありましたが、のぞみといえば300系です。最初の頃は、ひかりより少し早いだけで、何もわざわざ新しい列車愛称を……と思いましたが、この300系、今どきの嘴尖ったばかりの新幹線と違って、妙に人間臭い表情をしていて、毎回趣向を凝らしたJRCのCMも相まって、親しみを感じるようになるのに、ほとんど時間がかかりませんでした。

そうそう、皆さんお好きな500系よりも、私はこっちのほうがずっと好きなんです(笑)なぜ?と自分に問いかけてみると、やっぱり、東海道新幹線らしい、ということに行き着きます。0系、100系と受け継がれたデザインやカラーリングが、この300系までは、きちんと系譜がつながってるように思うのです。そして、この300系だけが、短編成化されることなく、16輌編成のままで引退するというのも、東海道の、「初代のぞみ」らしい話ではありませんか。

新大阪到着後、鳥飼への回送をスナップしたら、上りのこだま運用に入っている300系を捉えるために、京都へ移動しました。東山をバックに京都駅を発車して東京へ向かう新幹線を後追いで、、、中学生の時にコダックインスタマチックでで0系撮って以来のアングルを急に思い出して、下りホームの東京方にK-5を構えました。

マッコウクジラの旅路

2012.1.24 屋代 3500系O6編成
先週末は、バリな撮り鉄をお休みして、フォークヲタざんまい(笑)、土曜は横浜へ山本潤子さんライブ、日曜は信州須坂へ正やん風ひとり旅コンサートと、お二人の素晴らしいステージ、音楽、語り、そのすべてから、今年の厳しいもろもろを乗り切るための勇気と元気をいただいてまいりました!

とはいえ、せっかく須坂まで行くのですから、ミラーレス片手に、長電屋代線でゆる~い乗り鉄を楽しんできました。ここ最近、屋代線沿線ではよく撮影してますが、乗るのは初めて、いや大学の時の直通急行以来です。もちろん、その時の記憶はほとんどなく、そうか松代か、大本営移転先で有名なところだなあ、そうか川中島の古戦場が意外と近いんだなあとか、信州の歴史の世界に心地よく身をまかせました。

ちょうど、赤線と長電マークを消した旧営団3000系、今の長電3500系O6編成が運用に入っていて、3月の屋代線廃止時にはおそらくかなりの数を減じるであろう、マッコウクジラの乗り心地をしみじみと楽しみました。1970年代から80年代、日比谷線は東西線とともに、やや無骨なデザインの車両が長らく主力の座にあり、近未来な千代田線や有楽町線と好対照をなしていたように思います。当時は恵比寿や中目黒なんて、今ほどオシャレな街ではありませんでしたが、なんだ六本木を通る電車なのに、ダサいなあ、と思ったものでした。。。

屋代の古い木造上屋のホームでの折り返し時間は10数分、急いで駅名標や柱、待合室との絡みを撮って、そのまま須坂へ戻りました。夕陽を浴びながらの快適な40数分の旅路、ふと天井の送風機を見ると、営団マークが残っていて、急いで1枚、スナップしました。

ヤマの男たち

2011.12.31 Tipong-snap2
数日前、会社の近くで評判の良いインド料理店に入り、久しぶりに都内カレーランチしたのですが、これが美味しいんだけれど、食後に胃にもたれること、もたれること……う~ん、インドから帰国直後の前言撤回ですが、辛さはインドよりたいしたことないけど、どこか違う……やはり、食い物は空気と表裏一体なのだなあ、東京で食べるインド料理はやはりエスニックなんだなあ、と痛感しました。

閑話休題。ティポンでの1日半のチャーターが終わって、クラの前で形式写真を撮らせていただきながら、炭鉱鉄道の皆さんとの記念撮影となりました。ファインダーを覗いたときに、ン? 何かが違う? と思ったのは、彼らがご覧のようにスマートで知的な表情で、カメラに収まったことでした。中国の各地で、汗と油にまみれた炭鉱の鉄道員と、よく写真を撮らせていただきましたが、これ、イギリスの保存鉄道といっても不思議ではないかもしれません。

しかし、このヤマをめぐる現在の状況がどうやら厳しいことは、実際の採掘がほとんど行われていない様子からも知ることができました。昭和40年代の筑豊や夕張と同様に、現役蒸機が残るヤマには、最後の残り火を燃やしているような、独特の哀愁が漂っています。そんな中で、鉄な異邦人のリクエストに応対してくれた彼らのホスピタリティには感謝しかありません。そうだ、一度は一緒にカレー食いたかったなあ。この歳になっても相変わらずの、カタコト英語を駆使して(笑)

嗚呼、さくら新道

2005.11.13 王子 EF5861
インドの辺境報告をちょっとお休みして、東京都内、王子に戻ります。土曜日(1/21)早朝、通称「さくら新道」と呼ばれる、王子駅と飛鳥山公園の間にある古い飲み屋街で火事があり、5時間にわたって京浜東北、高崎、宇都宮、湘南新宿の各線がストップ、旧北局管内(古い!)は突然の交通マヒに襲われました。

戦後の闇市がそのまま昭和を経て平成の世に残ったようなこの飲み屋街、一度は飲みに行きたいと思いつつ、今日に至るまで、昼間しか行ったことがありませんでした。もう撮り鉄な皆さんなら、ああ、あそこか、とお気づきでしょうが、ちょうどこの長屋の裏あたりが、昼から午後の東北旅客線の上り列車を捉える撮影ポイントとなっていたのです。

春の桜だけでなく、初夏にはアジサイも沿道に咲いて、その華やかさが昼間の長屋の暗い感じと不釣り合いで、ロクイチやパックのイチゴー台(もはやこの言葉も古いなあ、、)を待つ間、息を殺すように狭い道に待機し、通過時刻が近づくと、金網にへばりついたものでした。国鉄時代やJR初期はカブリの心配は東北下りだけでしたが、湘南新宿ラインの本数が増えてからは、すんでのところで、カブられたり、助かったりもしました。

いま思えば、桜の頃、あるいはアジサイの頃に、飲みに行きたかったなあ。都内近郊で鉄していると、ああ、こんなところに古い飲み屋街が残っているのだなあ、と思うことがときどきあります。で、結局はまた昼間に鉄行くだけで、夜は行かないまんま、、、王子駅の反対側にも古い飲み屋街がまだ残っています。方角的にはT島さんか、途中下車のGontaさんあたり、あるいはたぬき常連のI門さんあたり誘って、これからはちゃんと夜も行くことにいたしましょう。嗚呼、さくら新道! さらば、15台の日々。

ダージリン併用軌道を行く

2011.12.31 Tipong 朝2
一度バックで炭鉱へ向かった後、クラのところまで戻ってきたダージリンは、積み出し場までのチャータートレインとなって、山と山の間から徐々に朝陽が差し始めた、2.5kmの併用軌道をゆっくりと進んでいきます。

この日は2011年の大晦日でしたが、ちょうどヤマへの通勤時間にかかっているためか、オート三輪やバイクがけっこうな確率で行き交っていて、実はこの前のカットは、並走するバイクにカブってしまいました。こんなところで。インドまで来て(爆)

沿線唯一の鉄橋や、俯瞰気味に撮れるポイントはまだ山影に入っていて、日が当たっていません。取り急ぎ見つけた順光側から日が当たっている場所で、ワンカット押さえることにしました。残念ながら、ナベトロ編成の後ろのほうが、少し影に入ってしまいましたが、まずは許容範囲でしょう(笑)写真は朝の一瞬が勝負、というのは、やはり万国共通のようです。

荘厳~ヤマの朝

2011.12.31 Tipong朝ダージリン
翌朝(12/31)、我々がティポンのコールマインエリアに入るのを、待ち構えていたように、ダージリンが動き出しました。チャーターですから当然なんですが(爆)、今まさに昇り始めたヤマの朝陽が、ちょうどナベトロを組成して出発線に待機した古いナローロコのサイドに当たっています。

まるでイギリスの田舎町の中世の古い教会の、ステンドグラスに朝の光が差し込んだかのような、荘厳な雰囲気です。一昨年夏に訪れたイギリスの保存鉄道で、残念ながらこの光線を経験することはありませんでしたが、かの国の友人Yoshiなら、きっと各地でいいのを撮っているんだろうなあ。。。

そういえば、ゲストハウスの朝食も、トーストにオートミールの英国風(?)でした。夕べのディナーでは、豆のカレー、カレー味野菜煮込み、さらにジャパニーズのために宿のグランドマザーが作ってくれたビーフカレーと、けっこう満腹になるまで過ごしてしまったのですが、朝に胃がもたてることもなく、快調です。さあ行こう、俺たちの美しいヤツ……古くからの鉄の格言で、キリッと身を引き締めて、1日のスタートです。

ジンジャーな紅茶

午前はデービッド、午後はダージリン(+DL!)と、夢のようなチャーター撮影が終わって、2両のカマが車庫に戻ると、後は周りが暗くなって、バルブタイムになるのを待つばかりとなりました。クラの前のオープンカフェ(笑)でティータイムといたしましょう。

このオープンカフェというか、。喫茶店というか、今回の滞在中、何度もお世話になったのですが、あるのは紅茶と、甘い砂糖菓子のスイーツのみ。中国ならラーメン、インドネシアでもナシゴレンかミーゴレンがありそうなところですが、カレーもナンもチャパティも一切ない。いったい商売が成り立っているのか、というより、さすが紅茶のアッサム、ひっきりなしに現れる地元の人々に、いかに紅茶が大事かがよくわかります。

で、ここの紅茶、ブランド名は尋ねませんでしたが、かなりはっきりした、ジンジャー、すなわち生姜味でした。マイルドな紅茶に慣れきったジャパニーズには最初はちょっと口当たりがキツかったのですが、慣れるとこれがけっこう旨い。まるで映画のワンシーンのような、古い女優のポートレートを眺めながら、暗くなるまでの時間をしみじみと過ごすことができたのでした。2011.12.30 Tipong-snap1

DL続行運転

さて、年末のインド・ティポンに戻ります。2011.12.30 Tipong Darjirine and DL
その日(12/30)の午後はダージリンがチャーター運転に出動、こちらもまた牽引定数に問題があり、DLの補機を付けるという事前のアナウンスでしたが、実際には、ダージリン+ナベトロ編成にDLが単機で続行運転されるという形でのフォトランとなりました。

しかしこのDL、いいですなあ(笑)帰国後に写真をお見せした某友人の言葉を借りれば「デパートの倉庫の荷物運搬機か農機具のような」いでたちで、丸瀬布や木曽赤沢のナローDLで簡単に逝ってしまう当方は、興奮が収まりません。「あまりDLで喜ばないでください。これで十分と思われたら大変です」と、O谷連隊長から厳しいお達しをいただく始末(爆)

2.5kmのほぼ全線が併用軌道なのも、逆機のときは痛し痒しで、ほとんど引きのとれないところばかりで、数少ない大きなカーブに、後追いアングルで狙いを定めざるをえませんでした。ヤマの日暮れは早く、14時前ですでに編成全体に日の当たる場所を選ぶのは、けっこう大変でした。そのピンポイントに弧を描いて、ダージリンとDLの続行が逆光に浮かび上がりました。

鎌倉臨暮色

2011.1.14 恵比寿~渋谷 183系12連鎌倉臨
とりあえず、ブログの引っ越しを急ぎ足で終えました。楽天でそのまま継続する場合、どうやら画像のアップロード機能が復するには、半月のタイムラグがありそうで、ま、気分転換もいいな、とFC2に引っ越すことにしました。ブックマークの変更など、お手数ですが、よろしくお願いいたします。また、タイトルに楽天での分類コードが付記されていたり、2005年最初の数か月、エントリー順がランダムになっていたりしますが、ご容赦ください。

さて、昨日(1/14)は、ここ数年恒例になっている、OM183系12連の鎌倉臨が運転されました。この長編成が昼間に堂々、山貨や横須賀線を通過するさまは、いまや初詣臨の白眉といっていい存在ですね。古くはEF57の高尾臨から始まって、ゴハチの白樺、Pトップの12系、DDの八高線高尾臨など、関東の初詣臨を彩ったスターたちの後を継いだ、素晴らしき新春トレイン!

特急シンボルマークの残るOM101・102編成が、絵入り初詣マークで運転されるのも、嬉しいところです。復路の山貨通過は17時前後となり、ネオンサインもいくぶん少ない土曜日の都心に、初詣マークを光らせながら、ゆっくりと並木橋に向かうカーブを描いていきます。よし、山手も来てない! シャッターを連射し終わった瞬間、背後から湘南新宿ラインが……ラッキー! ここでカブられないとは、今年は開運、でいけますね(笑)

流れ流れて炭鉱へ 「鉄道(27071)」

わずか2輌のナベトロといえども、荷受場で機回しの上で正向き牽引となったデイビッドは、時代錯誤な雰囲気と、このうえない愛想を振りまきながら、走り慣れた併用軌道を戻っていきます。バックの家々、これのどこがインドらしいのか、アッサムらしいのか今一つわかりませんが(笑)、家々がファインダーに入る集落のところで、まずは待ち構えることにしました。

これまた名取さんのブログで知ったことですが、このデイビッドは20世紀末には、同じアッサム州レドの煉瓦工場で稼働が確認されていて、工場閉鎖により行方不明、、、その後、21世紀になって数年、ここティポングへの転籍が、ワールド・スチーム・フリークの間で大きなニュースとなって駆け巡ったといいます。

それからさらに5年以上が経過し、さすがにこの辺境でダージリンまがいの観光開発が行われるとは思いませんが、90年近く前に宗主国イギリスがアッサムに送り込んだこの文化遺産、ダージリンの登山鉄道に伍する、もうひとつの世界遺産にふさわしい、というのは、果たして鉄な異邦人の戯言に過ぎないのでしょうか。。。

デイビッド出動す! 「鉄道(27071)」

ダージリン&牛のスナップに興じているうちに、デイビッドは炭鉱のほうに行ってしまいましたが、その後、ナベトロ2輌を牽いたチャーター列車が組成されて、ゲートに近い荷受場へ向かうことになりました。

しかし、1924年のイギリス製と伝えられるこのサドルタンク、よくぞこんなカマが今も走っているなあ、と思います。キャブの英文表記に「MADE 1851」とあるのは、ボイラ?工場?……この文字は、2005年に訪問されたRM名取さんのブログの写真にはなく、いったいどういう意味なのか、謎は深まるばかりです。

その当時、ダージリンとともに石炭列車の牽引に活躍していたこの古典機、今はダージリン&DLの予備として待機しているものの、長い編成の牽引は最早難しいそうで、半分、楽隠居って風情です。しかしまあ、わずか2輌のナベトロが、フレームしかないキャブに似合うこと、似合うこと! チャーターならでは、と言えばそれまでですが(笑)

また、6年前には片側にしかないと報告されていた「DAVID」の銘板も両サイドにギラリと光っていて、もしかしたら保存への前向きな何かがあるのかもしれません。いずれにせよ、2011年の暮れ、こんなカマの写真が撮れる幸運に、感謝の気持で胸が熱くなりました。

牛でウォーミングアップ 「鉄道(27071)」

現地ティポングにも小さなゲストハウスがあるのですが、我々のツアーチーム(ジャパニーズ6+ガイド・ドライバー)は定員オーバー、クルマで1時間の距離のディグボーイの大きめのゲストハウスに宿をとることになりました。

何しろ初の渡印です。実は胃腸をこわすのでは?激辛な料理ばかりでは?と心配していたのですが、瀟洒なゲストハウスのダイニングは心配無用、グランドマザー心づくしの料理は激辛ではなく、ビールと一緒に毎日、楽しむことができました。ま、若い頃にエスニック研究会と称した合コンもどき(?!)で胃腸を鍛えた甲斐が今こそあったのかもしれませんが(笑)

翌朝、パンと紅茶、オートミールの簡単な朝食をとって出発。ティポング炭鉱の入場ゲートから自動小銃を持ったガードマンがクルマに同乗し、緊張が走ったのも束の間、クラの前に着くと、すでにダージリンが煙を上げていて、思わず歓声奇声を上げざるをえませんでした。

もう年内に掘る石炭がない、とか事前情報は悲観的なものばかりでしたが、チャーターの交渉が上手く進行しているようで、デイビッドはすでに出区、どうやらカマは2輌とも今日は動くようです。動物が道路を普通に通行するのは中国でもよく撮りましたが、カマが違う、場所が違う、空気が違う(爆)……6時過ぎの気温は4度ぐらいでしょうか。東京の朝と同じか、少し寒い感じです。牛が行きかう朝の風景を気軽にスナップすることから、ウォーミングアップを始めました。

ティポング到着の夜 「鉄道(27071)」

昼前に成田を発ったJL749便は夕刻にデリーに到着、市内で1泊した翌朝、国内線でアッサム州北東端のディブルバーへ向かいました。1時間遅れの14時半過ぎ、ローカル空港のタラップを降りて小さなターミナルへ。荷物をピックアップしたら、クルマで3時間弱で、目指すティポング、というスケジューリングです。

と書くと、まあ辺境への物見遊山って感じですが、紅茶の産地で有名なここアッサム州は、実は10年ほど前まで民族間紛争が時おり勃発していたところで、空港に自動小銃を持ったガードマンが立っているのを見るだけで、天下泰平に慣れきったジャパニーズには、けっこうなかなかの緊張感です。さすがに以前と違って入境許可は不要になりましたが、現地警察への撮影申請が必須で、許可を受けた我々のツアーチームにもガードマンが付くという、未体験ゾーンでの撮影となりました。

ティポング炭鉱エリアのゲート前のゲストハウスで、O谷連隊長以下の先発隊が待っていてくれました。あたりはすでに暗くてこのときにはわからなかったのですが、3km弱の専用線と並行、ときには併用の道路を辿って、炭鉱手前のクラに到着すると、いきなり照明灯に鈍く照らされた2輌のカマの姿が、視界に飛び込んできました。

おお、生きてたか!デイビッド!……写真右のB型サドルタンク「DAVID」は1924年製と言われていて、サイドの表記では何と1851年製?! 製造年の真偽はともかく、現役蒸機としては世界最古?の部類の超貴重品です。そして、左のダージリン型と称されるBタンクも、観光用でない現役機としては、おそらくこれが唯一の存在とか。成田を出てから2日目の夜、インド辺境に現役蒸機が息づくナイトセッションに、いきなりノックアウトを食らったのでした。

御召装備~京都・鉄な初詣 「鉄道(27071)」

夕方、東京の自宅に帰ってきました。京都の実家でお正月の数日を過ごした後、帰りの新幹線に乗る前に、仕事でお世話になってる方にご挨拶するのと前後して、鉄の産湯を使った我が懐かしの梅小路へ初詣に行くのが、ここ数年の通例となっています。

開館当初から行われてきた、正月の日の丸の旗掲げての全機前出しが、福知山線事故による自粛で中断していましたが、たしか去年から復活、今年も京都の寒空の下、ズラリ並んだ御召装備(?!)という、正月らしい緊張感溢れる場面を見せてくれました。

C51239号機の御召装備も、梅小路に欠かせないワンシーンとして、すっかり定着しましたね。東鉄栄光の御召専用機、その雄姿が再現されるだけで、今もって感動モノではありませんか。そして、梅小路に保存の装備品を纏うのは、なぜかC581号機、こちらも変だよなあ、と思ってる間に、すっかり定着しました。

今日、この並びを撮影しながらふと思ったのですが、これはもしかしたら、C571の予備機としていったん山口入りし、横浜や大分のイベント列車にも登板して長く本線上での活躍をみせると思いきや、予期せぬボイラ故障で静態保存機となってしまったC58への、どなたかのせめてもの心遣いではなかったのか。。。今年で梅小路40年、その間にはまた、幾多の歴史が重ねられてきたことに、思わず身震いして、懐かしいクラを後に、京都駅へ向かいました。

住吉さん~大阪・鉄な初詣 「鉄道(27071)」

新春2日、恒例のひくまさんとの関西撮り初めで、住吉大社に行ってきました。押すな押すなと太鼓橋を渡る善男善女の人ごみの向こうを、ここぞとばかりに総動員された阪堺電軌の旧型車が行き交う。。。これほど、カメラ片手に鉄な初詣!にふさわしい場所は、他にはないのかもしれません。

臨時の乗降場が方面別に設けられ、参道の両側には、色とりどりの露店がいい匂いを競っていて、さっき昼食をすませてきたことをちょっと後悔します。押し寄せる人々は2012年の関西人ですが、まるで昭和レトロ(笑)のテーマパークに来たような、不思議な気分になります。

そして、老若男女に混じって、少なからぬ鉄があちこちで蠢いています。次々とやってくる路面電車を、三脚立てずに手持ちでスナップするのがここでの暗黙のルール、なぜか無言で一定の秩序が保たれているところも、どこか昭和チックですね。

ほんとうは太鼓橋の上から人ごみ越しの旧型車を1枚、といきたかったのですが、ガードマンの「立ち止まらないでくださ~い」の声がひっきりなしでとても無理、代わりに横断歩道を行き交う人々越しのアングルを選んで待機しました。もう間もなく路面全体に影が伸びる14時半、初詣客を降ろして浜寺へ向かう163号の後ろ姿が、2012年、鉄な初詣の画面にいい感じで収まりました。

朝の光~インド・アッサムから 「鉄道(27071)」

1日遅れになりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。鉄な皆さまには、出撃時の好天、桜田順光、朝夕のギラリなど、今年も数々の僥倖が訪れますように、また仕事や非鉄な世界でいつもお世話になっている皆さまには、今年が良い年になりますよう、お祈りいたします。

今朝、インドから帰ってきました。心配した飯の辛さもそれほどではなく、お腹をこわすこともなく、アッサム州の辺境の炭鉱に息づく現役の蒸気機関車を、2日と少しの短い間でしたが、堪能してきました。今回の写真は、2012年初の朝の光を浴びる、というのは嘘で(笑)大晦日の撮影ですが、朝日が山の間から差し始めた午前6時過ぎ、短いトロッコ編成を牽いて発車するダージリン型の蒸機です。

デリーからインド北東のアッサム州・ディブルバーまで、国内線を乗り継いで4時間のフライト。そこからクルマで3時間で、こんな光景に到達できるとは。。。海外蒸機撮影に名だたるO谷連隊長をもってしても、幾多の艱難辛苦を乗り越え今回の手配や撮影許可が実現したといいます。これから、京都の実家に行ってきますので、とてもとても個人では到達しえなかった、辺境の情景の数々は、またあらためてご報告したいと思います。
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