森の守り神 「鉄道(27071)」

秋田市内からクルマで1時間ほど、山間部に行くほどに細くなる県道を走って、仁別森林博物館に到達しました。早朝の北上線では日も差していたのに、道中は霧雨が降っていて、深山幽谷の趣き、このあたりを林鉄が走っていたのかと想像するだけで、いい気分になります。

博物館の入り口のところに、きれいに整備されたボールドウィンが鎮座していました。まさに、森の守り神という雰囲気です。日本の林鉄蒸機は、やはりボールドウィンか雨宮が基本ですなあ、、、いやはや、このスタイル、森林鉄道そのものですね。

このカマ、地元の仁別森林のものではなく、北見営林署管内の温根湯で働いていたものだとか。なぜ、ここへやってきたかの来歴は不明ですが、丸瀬布の雨宮の近くにいたカマだと考えるだけで、何だか楽しくなってきます。

館内には、こちらは秋田県内、能代営林署管内で活躍していたDLも保存されており、ちょうど東北の森林鉄道の歴史展も開催されていました。その展示の中に、東北各地の林鉄の古い写真がたくさんあり、林鉄華やかなりし頃へのタイムトリップを、しばし楽しんだのでした。

架線下のDE重連

次は、「あけぼの」迂回に盆休みの鉄が集中した8/13の朝に戻ります。北上線を走破したDE10重連はそのまま横手から奥羽線に入り、EF81の待つ秋田まで、架線下の山間部を激走します。大曲からは秋田新幹線の線路が並行し、アングルにはかなり恵まれている区間のようです。

というのも、私は北上線のD51運転時に一度この近辺に来たことがあるだけで、まったく未知のエリアでした。後三年なんていう駅名を聞くと、昔、RF誌別冊SL撮影ガイドで、杉並木をバックにしたD51の写真があって、さすが後三年の役の古戦場、何やら神々しい感じがするなあと思ったのを、ぼんやりと思い出しました。

あ、そうそう、今回は横手やきそばをゆっくり食べることはできなかったのですが、ウチの近所には秋田出身のご夫妻がビールと家庭料理を出してくれるお店があって、やきそばやいぶりがっこはよく頂戴しているので、どうも初めてとは思えない(笑)

それにしても、東北にはまだまだ未知の場所がたくさんあり、東京のほうが長くなっても、関西人にはやっぱり東北は遠いのだなあ、とあらためて思ったのでした。さて、帰りの飛行機までにはだいぶ時間があるので、次はさらに山間部に分け入ってみることにします。

夏祭りの夜 「鉄道(27071)」

石狩沼田から200km、旭川紋別道の延長で、丸瀬布には日の暮れる前に楽々到着しました。雨宮21号は昼間の運転を終えて、ちょうどクラにいったん入ったところで、こちらも夜の花火が上がる前に、温泉でひとっ風呂浴びることにしました。

しかし、いこいの森向かいの駐車場がすべて満車寸前、やっとの思いでスペースを確保するなんて、、、丸瀬布の夏祭りの夜は、露店に群がる老若男女の笑い声で、聞きしに優る賑わいです。とにかく、この公園にこんなにたくさん人がいるシーン、いつもの静かな雰囲気を考えると、もう別世界としかいいようがありませんなあ。。。

雨宮21号のナイトトレインがエンドレスレールの周回を始めて小一時間、さきほどまでの雨がやみ、いよいよ花火が夜空に上がりました。乾いた爆発音に一呼吸遅れて起こる、大きな歓声。低い空に残る湿気が霧や煙となって、しばしば花火の焔光を遮るなか、10数人の鉄が三脚を連ねる一角だけが、奇妙な静寂と緊張に包まれています。

バガス花火のインドネシアから帰ってきて4日後の夜でした。やっぱり、ニッポンの夏祭りは花火だなあ。何枚かの成功カットをモニタで確認すると、おいおいここで渋滞の心配かよ~と自嘲しながら、そっと三脚の列を離脱しました。

クラウス15号 「鉄道(27071)」

インドネシアから帰った週末は、久しぶりの千歳へ向かいました。金曜日の会社帰りにそのまま羽田へ。2年前に「はまなす」撮影でよく繰り返したパターン、美味しい寿司屋さんが、夏のカニやイカとともに、到着を待っていてくれました(笑)

翌日、残念ながら「はまなす」通過の早朝は厚い雲に覆われましたが、保存車両を巡りながら、旭川方面にクルマを走らせます。室蘭本線最後のメッカ、追分の駅近く、大切に保存されているD51を見てから、次は留萌本線沿いの沼田町を目指しました。

明治炭鉱のクラウス。17号は70年当時から横浜行ったり、大阪万博行ったり、ファンの目に触れるチャンスもたくさんありましたが、もう1両の15号は、地元を離れることなく、大事に保存されてきたといいます。たしか、現役当時の姿は、広田さんの古い写真で見たなあ。RJ誌の私鉄・専用線の連載記事でも、小さな写真を見かけた記憶があります。

恵比島から小一時間のドライブ。山間の温泉施設の駐車場の端に、瀟洒な車庫から姿をみせたという理想的なシチュエーションで、明治のクラウスがたたずんでいました。撮影後、このカマにちなんだイカスミカレーを、隣接するレストランでオーダーしましたが、なかなかのボリューム、若い頃に食べたかったなあ(爆)、、、

さて、花火まであと200km、北東にクルマを走らせることにしましょうか。

また来よう、ガンビア 「鉄道(27071)」

ソロから国内線の飛行機で、ジャカルタに戻って来ました。成田行きのJL726へは2時間半の接続ですから、ラウンジで一杯飲って、お土産買ったらもう搭乗時刻です。1週間の記憶を反芻する間もなく、今年の夏のインドネシアともお別れです。

前回は夜行列車でジャカルタ市内のガンビア駅に帰ってきました。東急やメトロ、国鉄103系などの日本の電車も行きかうこの駅から、今回も旅がスタートしたのですが、行き止まりのジャカルタコタほどの風格も旅情もないこの駅に、なぜか愛着を感じるようになりました。

たとえて言えば、新宿駅か品川駅あたりをコンパクトにした感じでしょうか。通勤電車がたえず発着する隣のホームで、重い荷物を抱えたツーリストと、案内のお姉さんの笑顔が、ゆっくりと交錯するうちに、長距離列車の発車時刻が近づいてきます。

天気と光線、製糖工場の皆さんやガイド氏の協力でさまざまな僥倖に恵まれた今回のツアー。今までにない満足感とともに、ああ、もう末期だから、ここまでいろいろ撮れるのだなあ、と一抹の寂しさを感じたりもします。来年の夏、いくつのP.Gにカマたちの元気な姿が残っているのでしょうか。また来よう、ガンビア駅からシュガートレインの待つ街々へ。そう切に願いながら、酷暑の東京に戻り、次からは日本の夏の報告に移りたいと思います。



96To the Setting Sun 「鉄道(27071)」

TADAさんにコメントいただいた名著「夕陽に映える鉄道」、昨日帰ったら届いていました。1971年の刊行といえば、日本はSLブーム真っ盛り、よくぞこの時代に、世界各地の狭軌専用線の写真集が出ていたものです。あらためて、欧米の鉄の深い歴史と造詣の深さをまのあたりにする思いです。

そうか、夕陽というのは、消えゆくナローの蒸気機関車、というのと掛詞になっているんですね。夕陽フェチだけではなかったのか、深いなあ、、、でもやっぱり、写真撮るときになったら、夕陽フェチだったんじゃないかなあ、チャールズ.S.スモール氏も(笑)

閑話休題。インドネシアツアー・ラストの訪問地、タシクマドゥ(Tasikmadu)の通称「キューロクもどき」も、素晴らしいSetting Sunに照らされて、鈍い光を放っていました。前回は日暮れまで動くことのなかったこのカマが、今回はヤードの入換に、日のあるうちから忙しく動き回っていたのです。

あとから考えると、ちょうど日没10分前ぐらいだったのでしょうか。見る見るうちに影の世界が広がっていく中で、夢中でシャッターを押し続けました。これ撮れたから、もう夜景はいいよね、とGontaさんに声をかけると、頷きながらもどこか不満顔で(笑)……2週間後に現地を訪れた友人たちが夜景をものすることになろうとは、よもや思いませんでしたが(爆)

インドネシア馬下?! 「鉄道(27071)」

17時を過ぎ、この日も夕陽とのデッドヒートが始まりました。発車時刻を迎え、フィールドに太陽が沈むにはまだ少しの時間があったのですが、残念ながら、薄い雲がかかってしまい、せっかくの積車編成・順光写真を撮ることはできなかったのですが、、、

ここスンバルハルジョ、もといインドネシアのフィールドには珍しい、開けた低い築堤が緩いカーブを描いていました。これは後追いが撮れるなあ、と待機中にGontaさんと話していたのですが、どうせ薄曇り写真だし、と思って後追いアングルにカメラを向けたそのときでした。

何と、雲の合間から、ほんの少し、夕陽が顔を出し、カマのサイドがギラリ始めたのです。お~、日本の鉄には言わずと知れた、マオロシ状態です(笑)まさか、インドネシアでギラリの走行写真が撮れるとはなあ。一瞬の僥倖に感謝しながら、茫然自失、3日にわたった夕陽狙いのフィナーレを迎えたのでした。

インドネシアやまぐち?! 「鉄道(27071)」

もうこうなったら、毎朝シャツ売りの勧誘に悩まされるぺカロンガンのホテルをベースに、スンバルハルジョの夕陽を毎日、狙うことにしました。実は、すでにお見せしたパンガの花火と両方、その日の状況を睨み合わせながらの行ったり来たりでした。ふう、疲れました(笑)

そして、いよいよ今夜はソロへ向かって移動という夕陽狙いの最終日、今日もまた信号所で最速発車のフィールドを聞いて、夕方4時になるのを待って、カマと積車編成の待つサトウキビ畑へ、チャーターしたバイクの後ろに跨りました。

今回、もうひとつ撮りたかったのが、爆煙とまではいかないにしても、ある程度、写真に写る煙を吐いたカマの姿です。気温が高い、燃料が薪かバガス、とさまざまな理由があるのでしょうが、しっかり煙を吐いたシュガートレインの写真は、ほとんど見たことがありません。。。

積車組成の途中で、手を休めていた乗務員氏に、ガイドのグナルトさんがタバコを差出して、煙をお願いしてみます。ダメもとでファインダーを覗いていた我々の前に、そのあとすぐ青空に向かって繰り広げられた光景は、まさか、ここはやまぐち?というぐらいの、素晴らしい爆煙でした!

夕陽とデッドヒート 「鉄道(27071)」

ジャワ島中部、スンバルハルジョのフィールドにひとっ飛びで戻りましょう。今回は何としても、カマが前向きで牽引する、サトウキビの積車編成をゲットしたい。前回までは、いつも牛が操車場まで引いてくりう積車編成に目を見張っているばかりで、列車の出発はいつも日没後となっていたのでした。

もう、牛牽引入換列車のカルチャーショックは十分に味わったので、最後のフィールドならではの正調写真が撮りたい。ガイドのグナルトさんの緻密な情報収集で、どのフィールドの列車が先に発車時刻を迎えそうか、がほぼ判明、牛がいるかどうかに関係なく、そのフィールドを目指しました。

やがて積車編成が徐々にできあがってきました。美しい夕陽が斜め後ろからシュガートレインを照らしていますが、日没が早いか、発車が早いか、もはや結果は神のみぞ知る、デッドヒートが展開され……間に合った! 、今まさに夕陽が草原のかなたに沈もうとするとき、重い積車を牽いた10号機が動き出しました。

★8/20 関西プチ・オフ会のお知らせ★
当ブログをご覧の関西在住の皆さん、昔のカマや電車の話で一献、盛り上がりませんか。
8/20(土)17時頃から、場所は京都駅または阪急河原町駅周辺を予定しています。
直アドのわかる方にはすでにご案内していますが、それ以外の方も歓迎です。
当画面左、「メッセージを送る」から直アドをメールでお知らせください。
ご参加の方は、8/17(水)夜までに、ご連絡よろしくお願いいたします。

夏の北上迂回

さあインドネシアのサトウキビ畑へ、というところで、夏休みの時計をいったん今日の北上線に進めることにいたしましょう。我々がインドネシアに行っている間の豪雨で上越線が不通となり、上越回りの夜行列車は運休が続いていましたが、夏休み本番を迎えて、「あけぼの」が東北・北上・奥羽線経由で今日までの3日間、迂回運転されたのです。

古くはD60牽引の「はくつる」や「八甲田」以来、旧名・横黒線の時代から、優等列車の迂回運転では陸羽東線とともに幾多の歴史を刻んできた北上線。JR東管内では、すでに高崎以外に旅客用DD51の配置のない現在、いささか役不足のDE10牽引となるのはいたしかたないところですが、重連と聞いて、思わず陸空の秋田行きにキャンセル待ちを入れました。

ようやく乗れた前日のNH最終便で横手にたどり着き、朝4時にホテルを出発、数十人の鉄が待機する相野々のカーブに、列車通過20分前、いかにも夏の朝らしい、淡い黄色を帯びた日が差し始めました。そうだなあ、ガキの頃の夏休みの朝も、いつもこういう色の光で始まっていたなあ……ずっとあとになって、国鉄最後の頃、沼津へ入ったEF55が転向のため二俣線を走ったときも、朝5時には、こういう光が田圃や鉄橋を照らしていたなあ、、、

明日からは所定の上越回りに戻る、迂回最後の朝。もしかしたら、後になって考えると、これは日本のブルトレ最終時代に繰り広げられた、最もドラマチックな場面のひとつになるのでしょうか。朝霧の残る緑濃い山々をバックに、こんなにあたりを睥睨するごとく、威風堂々と走るDEを、私は今までに見たことがありませんでした。

いざフィールドへ

テガールから東へクルマで2時間、イスラム教徒の町、ぺカロンガンのホテルに入りました。宗教色の強い土地柄で、ましてや年に一度のラマダン(断食)の時期。夕食時のビールの入手は困難を極め、やっとの思いで、ぬるい泡にありつきました。

この町からさらに1時間、スンバルハルジョ(Sunberharjo)は、いまや構内やヤードの入換がほとんどとなった、インドネシアの製糖工場のカマが、サトウキビ畑のフィールドへ毎日元気に出かけていく、まさに最後の楽園、といった雰囲気に満ちています。

3年前と同じように、ヤードの信号所で今日の運用を尋ねます。カメラを持った異邦人が現れると、すぐに近所の子どもたちが集まってくるのも、以前と同じです。こいつら、同じヤツらなのかな、それとも、少し大きくなったからこちらにはわからないのかな(笑)

やがて、午後になると、空車のローリーを逆向きに引いたカマたちが、四方のフィールドへ出発していきます。終点では、牛たちがサトウキビを運ぶため、待機していることでしょう。ローリーに満載しての出発は、夕日が沈む頃。さあ、そろそろ我々もフィールドへ出かけましょう。

花火のあとの 寂しさは 「鉄道(27071)」

Pangkaと同じく、テガールの街からほど近い、もうひとつの製糖工場、Jatibarang(ジャティバラン)。どうやらカマがもう動いていないらしいという伝聞情報はあったのですが、4年前の夏、ここで初めて見たバガス花火の夢の跡だけでも、と翌朝、クルマを走らせました。

中世ヨーロッパのシンフォニーホールを思わせる、荘厳な雰囲気の扇形庫には、青いカマが無造作に頭を突っ込んでいました。バガス花火を上げて撮影するためにカマを動かしてもらったターンテーブルはまだ使われているようですが、その周囲の群線はすっかり草むして、赤錆びたレールを夏の強い光に晒していました。

青い6号機は一応稼働可能とのことでしたが、観光用に走らせる計画はどうやらあまり具体的にはなっていないようです。これからの数年間、ジャワ島の各地で、朽ち果てるカマ、生き残るカマと、明暗が分かれるのでしょう。ここは日本でいうと豊後森みたいなものですね、とgontaさんから声がかかり、異国で思わず体験する廃墟鉄に、しばし茫然と立ち尽くしたのでした。

花火散り行く 「鉄道(27071)」

玉屋~~と声を上げる間もなく、デジカメのモニターで何とか花火並びがゲットできたのを確認して、ガイドのグナルトさんにバルブ終了を告げました。すぐに、片方のカマが後方のサトウキビ積車編成のほうに去っていき、すでに編成が組成されていたほうのカマが、すぐに出発するようです。

工場のゲートの手前、最も照明の明るい踏切のところで、ISO感度を最大に振り切って、発車を待ち構えます。前回のインドネシア訪問から3年、日本のカメラの発達は、花火散り行く、夜の発車シーンの撮影さえ、可能にしてくれました。

ゆっくりと、花火を不規則に上げながら、夜のシュガートレインがファインダーに入ってきました。開放はしんどいので、半絞りだけアンダーにして、えいままよ、と1/20秒で乱写します。粒子がすっかり荒れてしまったのも、昔の暗室増感現像みたいでいいじゃないかと、無理やり自分を納得させながら、2夜にわたった花火撮影を満足感とともに終えたのでした。

fireworks in summer 「鉄道(27071)」

18時半が過ぎ、とっぷりと日が暮れた後も、Pangka製糖工場の赤い機関車たちは、サトウキビの集積所と工場との短い距離を往復しながら、忙しそうに働いていました。聞くところによると、ときには2本ある線路での並走さえあるそうです。

この日(7/29)は残念ながら並走は見られませんでしたが、すれ違ってばかりいた2両のカマが、21時前になって集積所の出発線に並びました。さあ、いよいよ、この夏のバガス花火が始まります。サトウキビの搾りかすを燃料に使用するのは、今回訪問するP.G.ではここだけで、ガイド氏を通じて、花火師ならぬ乗務員の皆さんに、花火をリクエストします。

右のカマからはすぐに勢いよく赤い花火が上がり始めましたが、左のカマは調子が悪い(いや、逆に調子がいいってこと?)のか、なかなか色が出ず、「花火の並び」になりません。ある一定の時間が経てば諦めざるをえないのかなあ、と同行のGontaさんと話していたちょうどそのとき、やや弱い花火がやっと左のカマからも上がり始めました。

P.G.パンガ到着 「鉄道(27071)」

翌日(7/28)の朝、ジャカルタから列車で4時間、ジャワ島西部の町・テガールに到着。ガイドのグナルトさんの出迎えを受けて、まず最初の製糖工場、パンガ(Pangka)に向かいました。ガイド氏の名前、ちょっと覚えにくそうですが、ラーメンの具がナルト、と覚えましょう(笑)

撮影の前に、工場のそばのワランと呼ばれる屋台のほんのワンランク上の地元食堂で昼飯にしました。ナシゴレンはこれから嫌ほど食べるだろうから、ミー・クアといわれるインドネシア風汁そばを。いやしかし、これが下品で旨かった。昔のサッポロ一番か明星チャルメラみたいな即席乾麺に、あんかけ風の五目野菜……ハエが飛んでるのが気になりますが、あっという間に平らげてしまいました。

この工場は、4年ぶりでしょうか。あ~この門、くぐったなあ、あ~ここが併用軌道ね、あ~たしか右に曲がったらクラがあって、、、いました、いました! 古いドイツ製やオランダ製の、カラフルな装いを煤まみれにしたカマたちが。

そうだったなあ、多くのクラは朝が撮影に適した光線だったなあ、とほぼ逆光の3台並びを恨めしくスナップしているうちに、1台のカマが動き出しました。今日は夕方から夜、彼らが運ぶべき、たくさんのサトウキビがありそうです。

夏、営団5000系。 「鉄道(27071)」

昨日の朝、インドネシアから帰ってきました。いやしかし、ジャカルタは最高32度前後で、日陰に入れば涼しい風が通り抜け……そういえば、祇園祭の京都も今までほど暑いと感じませんでしたし、いちばん暑いのは東京ですね~

旅の初日(7/27)、JL725便で到着したジャカルタで一泊してから、シュガートレインの待つジャワ中部のテガールに向かう日程でした。夜、時間があるのなら、日本からの移住電車(笑)を撮らないのはもったいない、と、チェックインの時間ももどかしく、コタステーションへ向かいました。

古風な造りの行き止まり駅に入ると、早速、メトロ5000系が通勤客を乗せて、折り返しを待っているところでした。30数年前の大学時代、吉祥寺や阿佐ヶ谷から、この電車や国鉄301系で通学した私には、けっこう思い出深いものがあります。あ、そうそう、当時の地下鉄はまだ冷房が入っていなくて、暑かったなあ。。。

前期試験が終わって、帰省やバイトに友人たちが散っていってからの数日、定期であてもなく東西線に乗って高田馬場へ行くの、嫌いではありませんでした。電車に乗った瞬間の、モワーとした、けだるい空気を思い出します。そうか、あの頃はまだ、東京の夏に慣れていなかったのだなあ、、、そんな我が青春時代へのちっぽけな感傷を振り払うかのように、5000系はすでにジャカルタの夏に溶け込んでいました。
プロフィール

品川530

Author:品川530
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR