上野尻暮色 2 「鉄道(27071)」

いつもの「十文字」とは別の店で喜多方ラーメンにしたのですが、実は喜多方の味噌ラーメン、初めてでした。縮れ麺と味噌スープの相性はどうか、かなり心配だったのですが、実はこれがなかなか。たまには飛び道具にも、当たりがあるものですなあ(笑)

しかし、ヘッドマークなしの試運転、そのほとんどが平日に行なわれるため、磐西にしろ只見、陸東にしろ、ほとんど出動がかないませんでした。それが今回は週末に施行、499スタイルの非電化走行を思わず堪能させていただくことになりました。

残念ながら、曇り基本の空模様となってしまいましたが、最初の舞台田から、DDタキ臨貨のときの斜光線よもう一度と、追っかけの流れに乗って、上野尻の陸橋をめざします。多くの鉄車がさらに先の日出谷や鹿瀬をめざして通過するなか、陸橋の先で車を停めました。

ああ、そういえば、加太の大築堤の手前のあたりは、こんな感じじゃなかったのかなあ……遠くの雪山を鈴鹿山地にたとえるのはさすがに無理がありすぎますが(笑)、おだやかな斜光線を微妙に受けながら、すっかり重装備が板についたヨンキュッパが、西会津の山河に溶け込んでいました。

桜花春霞 「鉄道(27071)」

頭の中では今日も「微笑がえし」のリフレインがとまりませんが、再び、磐西をめざして、上越新幹線の客となりましょう。時は日曜(4/24)、数週間遅れの「D51ばんえつ物語」、GWの本運転を前に、珍しくも週末に試運転が行なわれました。

沿線の桜も、今年は開花が遅いようです。例年の桜前線なら、20日過ぎたら日出谷や上野尻でも咲き始めているところ、今年はまだ、ここ咲花で三分から五分といったところです。先客の皆さんの間に、例年どおりの踏切脇のスペースを何とか確保させていただき、ひと安心。天変地異の影響もあるのだろうなあ、それでも美しく桜は咲くのだなあ。春の風物詩を、この春、やっと初めてゆっくりと眺められました。

咲花発車の通例で、発車前に立ち昇った煙が、あたりを靄でつつんでしまい、重装備のD51は、桜をバックに、煙のベールの中を抜けてくることになってしまいました。499もどきのスタイルがことのほか長く継続されて、思いもよらなかった「磐西で499」の実現となりました。たしか、加太に桜があったよなあ、、、遠い日の記憶は、この日の煙霞のようにおぼろげで、何だかロスト・キャンディーズ症候群のままの虚ろな気持で、次の撮影地へ、レンタカーを急がせました。

春を待っていたかのように

雪が溶けて川になって流れていって、春一番が掃除したてのサッシの窓にほこりの渦を踊らせて、、、キャンディーズの歌は、私には何だかいちばん春のイメージがします。そうか、もう30年も自分は、今年も春一番が…というニュースを聞くと、鼻唄で「微笑がえし」を歌っているのか、と思うと、時の流れの速さにあらためて驚きます。

すでに皆さんの鉄ブログでも、78年4月、何をしていたかが綴られていますが、私は大学4年になったばかり、休鉄中でEF58の「銀河」の運用や大窓人気も知らず、お寺や仏像見学のサークルも引退して、秋から始まる就職活動を前に、のほほんとした大学生活を過ごしていました。

吉祥寺から阿佐ヶ谷に引っ越して間もなくだったでしょうか。一人暮らしをしなかったら、ほこりの渦ってのはわからなかったなあ、なんてキャンディーズの解散コンサートの映像をテレビで見て、横の同級生のM君がチケットがとれなかったことを何度も何度も悔やんでいたのが、リアルタイムだったのかどうかも、今は、まるで青春の思い出そのものです。

その後、再結成の噂もほとんど流れなかったキャンディーズ。それでも、いつか3人が揃ってテレビ番組に出演して、実際に踊ったり歌ったりはないけれど、昔の映像をモニターで見つめている、そんな日が来るのではと心ひそかに期待していました。

先ほど、ニュースで今日の葬儀で流された田中好子さんのメッセージを聞いて、きっと彼女は今年も春を待っていたのだなあ、被災地に咲く遅い桜さえも、待っていたかのように旅立ったように、私には思えました。合掌。さらば、僕らのアイドルの時代。

雲間からの光~郡山口 「鉄道(27071)」

磐西迂回タキ最終日となった土曜日(4/16)は、新潟~会津の雨予報に出動を断念、数々の名シーンを思い出しながら、のんびり過ごすつもりでした。それが昼前になって、夕方の郡山口が晴れ予報に変わったのを確認し、急遽出動を決定、今だけの「福島行き・やまびこ」の客となりました。

郡山でレンタカーを借りて、安子ヶ島へ向かいます。郡山市内は、復旧工事を待つ建物などが随所に散見されるなど、やはり地震の爪跡があちこちに残っていて、強い風が吹きすさぶ中の運転も、慎重にならざるをえませんでした。また、あちこちの「がんばろう」ボードや横断幕が、新潟や会津とは明らかに違った町の表情を醸し出しています。

厚い雲の間から、時おり日差しが鋭く差し込んできて、夕暮れ迫る平野部を萌黄色に染めていきます。DD重連最終の根岸行き返空となる9295レの通過は17時10分過ぎ、直前まで晴れと曇りが行ったり来たりの緊張が続きましたが、列車がファインダーに入るほんの数秒前に出現した雲間の光が勢いをキープ、意外や意外、最後に郡山口で、馬下の代わりに夕暮れの光に恵まれることになりました。

山影へ吸い込まれるように走っていく重連を、これ以上、追うのはやめにしました。あまりにも多くの2011年春のさまざまな思いを牽引して、磐西の山野を往復し続けた8輌のDD51に、お別れをするときがやってきました。彼らの力闘に限りない拍手を送りながら、今回の迂回臨貨のレポートも、このあたりで、そろそろ終わりにしたいと思います。

約束の場所~2011春 「鉄道(27071)」

そして、この日(4/14)も、最後はこの場所にやってきました。馬下から新潟寄り、2つ目の踏切は、毎年春、GWの前後になるとシゴナナの「ばん物」のギラリでも賑わうポイントで、数年前、夕陽に輝く門デフを狙って通ったのも、まだ記憶に新しいところです。

馬下通過が17時43分。この前の週には、何度か凄い西日がDD重連の正面に当たって、忘れられないシーンに思わず鉄の間から奇声が上がったそうです。ところが、我々の出動日はいつも日が翳ってしまい……今日も数十人の鉄が、その輝きを狙って集まったのですが、まあ、こればかりは仕方ありません。

今までで最も強い日差しの残ったこの日も、通過時はイエローのフィルターがほんのり淡くなってしまいました。それでも、この列車の残像をさらに深く我々の脳裏に刻み込むように、黒煙を上げたDD重連が、いつか来る復興の日をめざして、力強く走り去っていきます。

20日間に渡った彼らの重大な任務も、あと2日を残すのみでした。

憧憬の沼尻鉄道

たしかこのあたりに、沼尻鉄道の保存車があったはず……迂回臨貨9293レを猪苗代で待つ間に少し時間があったときに、Gontaさんから素晴らしい発案がありました。そうそう、一度、行きたかったんですよ、はい、ケータイで検索して探しましょう。

猪苗代の撮影ポイントから7kmのところに、DL+PCの編成がけっこう整備された状態で保存されていました。ああ、こういうの、走ってるのを撮りたかったなあ。中学生のときに、キネ旬「蒸気機関車」誌のグラフで見た、磐梯山バックの軽便列車の写真が、今もはっきりと脳裏に浮かびます。

たしか日本硫黄沼尻鉄道が、磐梯急行電鉄になってすぐ、何だかミステリアスな廃止の日を迎えたんでしたっけ。硫黄を運ぶのでは持たなくなって、磐梯山の観光開発に生きようとしての社名変更だったのに、あっという間の倒産と廃線、、、40年以上の時間が過ぎてから、その保存車両にこうして遭遇する日があろうとは、、、

あの時代、雑誌の写真でしか見たことないうちに消えてしまった幾多の軽便鉄道。井笠も、頸城も、別世界のような存在でしたが、京都からは遠い存在だった磐梯山麓のナローは、いまも謎のヴェールに包まれながら、最大の憧れの対象だったりします。

上野尻暮色 「鉄道(27071)」

どうやら15日過ぎで東北線が復旧し、磐西迂回タキも終了するらしい……先週に入って、鉄の間でそう囁かれ始めると、何とかもう一度、好天のシーンを狙いたいと、木曜日(4/14)に休みを取って3度目の新潟~猪苗代往復の撮影行に挑みました。

晴れ予報です。行きの上野尻では、飯豊山がくっきりと姿を見せてくれました。川桁の磐梯山もまずまず。ところが、そうどこでも上手くはいかないもので、返しの猪苗代や喜多方では、山々はすっかり春の靄に霞んでしまいました。

同行のGontaさんの影武者(笑)にお願いして、山都の先をやり過ごして、上野尻のオーバークロスを目指します。「ばん物」より少し早いダイヤ設定、きっとDDの凹凸を強調する、綺麗な斜光線になるはず、と狙いをつけながらも、この日まで果たせなかったアングルです。

クルマを停めるとすぐに、ガングロにヘッドライトを煌々と輝かせて、重連がカーブを回ってきました。イメージどおりのファインダーに、思わず手が震えます。手前の障害物がDDにかからないように慎重に連写をスタートさせました。



時代はめぐる 「鉄道(27071)」

その磐越西線の震災救援石油輸送ですが、一昨日(4/16)をもって終了、今後は本来の東北線経由で継続されるようです。すでに、多くのブログやサイトで言及されていますが、時間が経ってみると、おそらくこれは長く鉄の世界で語り継がれる出来事になりそうです。

59.2改正直後のEF58の下関運転所集結にたとえる方がおられれば、さらに歴史を紐解いて、蒸機現役時代の「津軽」陸羽東線迂回のC58重連を思い起こされた方もいらっしゃいました。「津軽」は近年にもDE10重連での迂回がありましたが、DD51でいえば、「おが」の北上線迂回もありましたね。

いずれにせよ、吹田、愛知、門司、鷲別から余命短いDD51が震災救援のため短期間、東新潟に集結した今回のアクシデントは、鉄の世界の最高のドラマツルギーを表現して止まない、稀に見るシチュエーションだったと思います。

今日は、磐西でも個人的にはここ、姥堂~会津豊川でのサイドライトのワンショットをお目にかけることにいたしましょう。鉄の歴史も、まさに時代はめぐる、ですね。この歴史的な瞬間に立ち会えた幸運を糧に、明日からまた、前向きに行こうではありませんか。

会津磐梯山 「鉄道(27071)」

この日(4/10)は、毎度おなじみ堂島の十文字ラーメンはパスして、川桁の磐梯山バックのアングルを目指しました。とはいいながら、磐梯町へ抜ける国道沿いで、もやしラーメンとなってしまったのですが(笑)、、、ついつい会津では、ラーメンの魅力に負けてしまいますなあ。

しかし、名高い祭囃子聞こえるところに、鉄な名所あり。越中おわら盆から会津磐梯山へと、最近の我が鉄旅は、民謡の名調子とともに移動しているようです。朝酒はもともとやらないけど、朝寝は最近できなくなったなあ。やってるのは、朝練ばかり(爆)

しかし、日本の各地で我々が目にする美しい風景は、歴史を紐解くと災害の原因と表裏一体となっていることに、今さらながらに唖然とします。この会津磐梯山も、明治期に噴火があり、大きな被害の記録が残っていると聞きます。

閑話休題。おそらく3ケタに達するかという鉄が、この場所に集まっていました。1週間前に比べて、会津盆地のコンビニの品揃えもすっかり復旧に向かっていて、一見、イベント列車を迎えるお立ち台の様相ですが、通過する道筋に、時おり「一斉避難所」という看板を見かけたりすると、この列車の使命の重さに再び思いを馳せざるをえませんでした。

端村邂逅 「鉄道(27071)」

日曜日(4/10)はまた新潟からスタートして、9294レとともに会津若松への道をたどりました。ガソリン専貨運転の情報も行き渡り、好天の予報も相まって、今日は沿線にかなりの鉄が集まりそうです。

まず馬下で撮影のあと、磐越道で西会津へ。今回のターゲットのひとつ、端村踏切に余裕をもって到着しましたが、山間の細い道はすでに「ばん物」でもなかなか見ないような数の駐車車両に埋まっていて、かなり離れたところに、クルマを停めざるをえませんでした。

鉄てんこ盛りの踏切へ歩いていくと、久しぶりのTさんが手を振っているのが見えました。おぉ~、会えたなあ。よかったなあ。慰めも、激励も、何もできませんが、20年以上、鉄の性をおたがい知り抜いてきた仲間です。撮影地でこうして三脚を並べているだけで、不思議と何か通じるものがあります。長い言葉はいらないのでしょう。おたがい、頑張ろうぜ。また、いい写真、撮ろうぜ!

いつのまにか、ゲリラ雲はどこかに飛んで行ったようです。ややサイドがちの春の光線、数十人の鉄が固唾を飲んで見守るなか。やがてDD重連がゆっくりと通過。すぐに山間の村は、駐車車両の時ならぬ一斉スタートに見舞われます。こちらもやっと戻って発進、というところで、横を通り過ぎるTさんのいわきナンバーのクルマから、短いクラクションが聞こえました。

make a brief stop at Niitsu 「鉄道(27071)」

先週末、再び磐西に向かいました。土曜は雨のち曇りの予報だったので、昼間の走行をパスして、午後遅くの新幹線で新潟へ。列車が越後平野に入ってもドン曇りのままで、やはり今日は馬下のギラリは無理だったなあと、新津停車狙いで、新潟から普電で折り返しました。

17時半過ぎ、クラの奥に引退久しいキハ52の姿も垣間見ながら、暮れなずむ新津駅に到着。この駅にはいつまで経っても、国鉄の時代の空気がどことなく残っていて、DD重連タキ臨貨の進入を待ちながら、ぼんやりしているだけでスーッと気分が溶けていくようです。

これはシゴナナの汽笛を録音したものなのでしょうか。ローカル電車が行き交うたびに、発車メロディならぬ汽笛が聞こえて、シゴナナからDD51に磐西の主役が交代した時代は、さぞやこの駅も賑わっていたのだろうなあ、と物思いに耽る未曾有の危機、春3月であります。

夕暮れが闇に変わるほんの少し前、定刻にDD重連が姿を現わし、短い停車のあと、静かに発車していきました。余震の影響で途中駅で抑止を余儀なくされた2往復のタキ臨貨も、この日(4/9)は通常運転に戻ったようです。今夜はひとり静かに居酒屋鉄、明日の撮影に差し支えないよう、早めに切り上げることにしましょう。

会津横断 「鉄道(27071)」

臨専貨9294レは、荻野、山都、喜多方と「ばん物」撮影で鉄にはなじみの深い駅々を縫って、会津盆地に入りました。いつものシゴナナが終着目前で、ほっとしたような安堵の表情を見せるこの場所ですが、会津若松でスイッチバックして郡山を目指すDD重連には、まだ道半ばの厳しい表情が見てとれます。

中通り、そして浜通りへの物資輸送は、いまだに十全ではありません。自分の仕事に関係する業界でも、やっと浜通りへの配送が関係者のご努力でやっと再開されたところで、昨夜の大きな余震が起きました。JZX81さんをはじめ当地の友人たち、仕事の関係者の皆さまに、僭越ながらあらためてお見舞いを申し上げます。

今日(4/8)の磐越西線も、線路点検で会津若松以東が終日運転見合せとなりました。磐西に入る前に抑止を余儀なくされたタンカートレインの運転再開が待たれるところです。再び、新潟に待機するDD51たちよ頑張ってくれ!と、声を大にして、エールを送りたいと思います。

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磐西貨物再び 「鉄道(27071)」

土曜の夜は、遅れて新潟入りしたS屋さんと一献でした。ずっと気になっていた新潟駅近くの「赤たぬき」行きを果たすことができ、翌日の日曜日(4/3)は、DD重連石油臨貨を追って、磐西沿線の撮影地を巡る一日となりました。

「ばん物」とはスジが違うので、慎重に撮影ポイントを選びながら、東へ移動を繰り返します。そういえば、最後の磐西定期貨物のスジはもっと早くて、平日のみの運転でした。一度ぜひ、と思ってるうちに、機会を逸してしまったのが今も悔やまれます。

たしか、その後、中越地震でのワム迂回運転があって以来の貨物復活でしょうか。50系の客車列車も遠い昔の記憶となってしまった現在ですが、貨物列車が走る非電化の単線、というだけで、国鉄の時代、昭和の時代の空気を思い出させてくれるではありませんか。

上野尻の先のストレートで、待望の陽が当たりました。遠くの山は春の靄に霞んでしまっていますが、65貨物フリークの時代に新鶴見や高島線で慣れ親しんだ緑のタキを連ねたDD重連が、ゲリラ雲の執拗な攻撃をひらりと交わすように、ゆっくりと姿を見せました。

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たちあがれDD 「鉄道(27071)」

いつもの年なら、シゴナナの「ばん物」運転が始まって、まもなく咲花から順に開花する桜前線に心躍る磐越西線。今年の春は検査の関係でDDやD51による代走が予定されていましたが、それも中止となり、鉄の姿もまばらな、静かな春を迎えるはずでした。

そこに飛び込んできたのが、震災救援の石油貨物の磐西迂回のニュース。電化区間を含めてDD51重連でタキ10車を牽引、DDは愛知、吹田、門司から集められて、それぞれの区名札のままで運用についている姿が、テレビの報道番組でも報じられました。

つい先日まで城東貨物線で赤川鉄橋を渡っていたDDや、美祢線の貨物削減で厚狭から門司に所属を変えて無聊をかこっていたDDが、震災救援という素晴らしい仕事に、それも重連を組んであたるというわけです。中には、かつて東新潟に所属し、磐西を走っていたカマもいるというのですから、思わず涙が出てきそうな話です。

先週末、土曜の午後から行ってきました。まずは、平瀬の鉄橋飛び出しで、いかにも磐西というアングルを押さえます。薄曇に時おり日が差す山間、一瞬の光が前機のDDの窓に当たり、彼らが担う今回の使命の重さを物語るような緊張感が、いつものファインダーの中に走りました。

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アデューA編成 「鉄道(27071)」

栗ようかんこと、長電2000系A編成の最終運用終了から、1週間が経ちました。最後は、附属中学前~朝陽で素晴らしい光線状態のもと見送ったのですが、それからのわずか1週間が、とてつもなく長い時間のように思えます。

♪もう何も言わなくてもいいの あの鐘が鳴り終ったら
♪もうあなた引きとめなくてもいいの
♪この道をいつかのように わたし独りで帰る 帰る

その画像をチェックしていて、なぜかこの歌のメロディが口をついて出てきました。五木ひろし、1974年のヒット曲「別れの鐘の音」。この時代、尾崎紀世彦から始まって、「5月のバラ」とか「バスストップ」とか、詠嘆絶唱調の歌謡曲が多かったですね。はい、フォークル命といいながら、けっこう好きで、歌ってました(笑)

♪アデュー アディオス グッバイと 別れの言葉はあるけれど

今頃、A編成は須坂の側線で長い眠りに就いているのでしょうか。あとしばらく続くD編成の活躍の際には、また長野へ行くことがありそうです。そのときは、動いていなくても、せめて姿を見たいと思います。我々の年代と、ほぼ同じ時間を生きてきた電車の引退に、あらためて大きな拍手を送ります。アデュー、A編成!

♪白樺、青空~ 「鉄道(27071)」

次はリンゴ編成を、ハチマル29さんご推薦の「白樺ポイント」で待ち構えるべく、彼の先導で信州中野の市内を通り抜け、湯田中方向に向かいました。このところ、何度も往来を繰り返した夜間瀬から湯田中の区間ですが、白樺が画面に入るポイントがあるとは、ちょっと思いつきません。。。

先導のハチマルさん車が自信なさげに(笑)スピードを落とすと、思い切ったように、住宅街の小道を左折しました。おいおい、こんな道曲がって大丈夫かよ~という後続車の無責任な発言を見事に裏切るかのように、眼前に白樺を擁した踏切が現われました。いやはや、申し訳ない、疑った我々が悪かった(爆)

再び、天気は快方に向かったようです。今日は、昭和の大ヒット演歌でいきます。♪白樺~~、青空~~、などと鼻唄を口ずさんでいるうちにすぐ、リンゴ特急が心地良い警笛とモーター音を響かせて、接近してきました。白樺ポイント、思わぬ新たな発見に、またまた奇声を上げたくなりました。



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