ヘッドマークとG-3 「鉄道(27070)」

この週末から始まった「SLやまなし」の本運転、早速、初日の土曜日(29日)に行ってきました。当然、ヘッドマークが装着されますが、よくよく思い出してみても、G-3デフ(D51499号機)のマーク付きというのは、現役時代見たことがない。。。

旅客列車の定期牽引は草津線や舞鶴線であったし、もしかしたら、もっと昔の鳥取時代にもあったかもしれません。ところが、記憶をどうたどっても、SLブーム華やかなりし頃の関西線でも、12系のイベント列車を牽くのはデフに装飾付きのカマばかりで、実見はもちろん、雑誌記事や噂話でも、499号機の充当例は聞いたことがありません。

まあ、私が知らないだけで、ちゃんとあったのかもしれませんが、何だかまるで30数年の時を超えて、関西線の島ヶ原かどこかで、「虹のまち忍者号」か何か(?!)を迎え撃った感じです。時は梅小路オープンの昭和47年あたり、DE10もすでに奈良線や桜井線用に配属されてたから不自然ではないし(爆)

この日は、D51牽引の下りだけで切り上げて、都内に戻って夜は「青木まり子 きたやまおさむを歌う」コンサートを堪能しました。こちらでも、30数年の時の流れを行ったり来たり。久しぶりにお会いした柏餅さんと、富ヶ谷の商店街の居酒屋で、しんみり仕上げた行く春の宵でした。

標準レンズでG-3~1971年9月 「鉄道(27070)」

昔慣れ親しんだこの角度、いつも使うのは標準レンズ……皆さんに賛同のコメントをいただき、ちょっと安心しました。で、古いネガケースから取り出したるは、スーパータクマー55mmで撮った、1971年9月の499号機。

カメラはペンタックスSP、フィルムはもちろん長巻のトライX。先週の小淵沢の中望遠カットと比べると、たしかにどこか間延びした印象ですが、現役蒸機の醸しだす雰囲気と、夕方の斜光線が相まって、まったく遜色ない1枚に見えます(?!)

いや、比較するのがおかしいような(爆)、、、ときどき思うのですが、現役時代から蒸機だけを撮り続けておられる方の写真には一貫性があるのに対し、自分の写真は、ゴハチ時代のシチサン至上主義、ディテール優先の洗礼を受けているので、どこか折衷主義、両刀使いといったところがあるような。。。

ま、その迷い道もまた楽し、ということで(笑)、明日はまた、甲斐路へ行ってきます。天気は今ひとつのようですが、G-3の似合う角度、引き続き探してみたいと思っています。

G-3らしいアングル?! 「鉄道(27070)」

今日まで延べ5日にわたって行なわれた「SLやまなし」の試運転、私は2度の出動に終わりましたが、諦めていた平日出撃も果たせたので、よしとしましょう。いやあ皆さん、かなり無理してこの3日間の平日試運転にお出かけになったようですが、大丈夫ですか、仕事(爆)

小淵沢の停車シーンでは、昨日のエントリーのようなデフのアップばかり最初は撮っていたのですが、そろそろ撤収しようかとテンダの前まできたところで振り返ると、懐かしのアングルが待っていました。お~、そうだそうだ、キャブ入れて、斜め後ろから。。。

西舞鶴でも柘植でも、499号をこんなアングルを撮った記憶があります。というより、当時は、駅で停車を撮る場合、斜め後ろからのカマ、必ず撮っていたような気がします。ただ、今思い出すと、停車は必ず標準レンズ。望遠を使うことはなかったなあ。

85mmなどの中望遠が普及して、停車写真にも使われるようになるのは、ゴハチブームあたりからですね。だから、斜め後ろからのG-3を中望遠で撮るのは初めてだったりして、ファインダーを覗いて「お~カッコいいなあ」などとひとりごちるのも、なかなかの一瞬でした。

平成のG-3 「鉄道(27070)」

さすが、その昔のD51499号機を嫌というほど見た枯れ鉄さん(笑)、ご指摘のとおり、給水温め器の位置よりも高いデフの折り返しのおかげで、G-3デフを装備したD51は、標準デフのカマよりも、何だか大きく見えますね。

で、福知山、奈良時代の499の写真をあらためて見直してみると、今回の498と比較して、デフの位置も高ければ、集煙装置はもっと背丈がある、、、う~ん、こうして見ると、今回の498、背丈の低い集煙装置に合わせて、デフの折り返しも絶妙のバランスでデザインされているようにも思えます。

しかし、いくら中央東線での運転で集煙装置が必要になったからといって、デフを後藤工場タイプのG-3にしようなんて、いったいJR東のどなたが思いつかれたのでしょうね。磐西C57の門デフのときもそうでしたが、現在の混乱と怒号の中においてさえ、ニッポンの鉄道趣味は、確実な成熟に向かっているように思います。

閑話休題。日曜、雨の小淵沢駅で、停車中の498号機をじっくり眺める時間に恵まれました。どう撮ったら、G-3デフがカッコよく見えるのか? 撮っては消し、撮っては消しの10数分の格闘の後、やっと消さずにすむ1枚に行き着きました。

桃より城よりG-3 「鉄道(27070)」

今日は珍しく、毎週火曜の弊社最重要会議の日程が変更され、思わぬ午前休が降って湧いて(笑)、まさかまさかの二度目の甲州出陣を果たしてきました。ごくたまには、日頃けっこう働いているご褒美があるものだと、有難く頂戴することにいたしましょう。

2日前と同じ7時ちょうどのスーパーあずさで甲府へ。せっかくの好天、光線状態でポイントを選びたいところですが、午後出勤には日野春停車の手前が限界で、素直なインカーブが車窓から気になった新府~穴山で試9101レを待ち構えることにしました。

駅舎もない、ホーム2面だけの無人駅・新府から、1か月前には桃の花が咲き誇ったであろう畑の中を、ポイントを探しながら歩いていきます。新府はまた、武田勝頼最後の築城の地、滅亡の前年に突貫工事で普請し、わずか3か月で火をつけて去らねばならなかった戦国の悲哀が嘘のように、今日は5月の陽光が降り注いでいます。

気温が上がって煙が心配されましたが、黒煙がいい感じで風に舞い、ヘッドマークなしのG-3デフも凛々しく、D51498号がカーブを回ってきました、そういえば、このデフの分類は、499と同じG-3でいいのかな? 高崎のTを入れてGT-3? おいおい、GTじゃ後藤そのままじゃないか、と自分で墓穴を掘ってしまいましたが(笑)

甲州出陣 「鉄道(27070)」

重装備D51498の中央東線での試運転が始まりました。ほんとうは土曜日に行きたかったのですが仕事で果たせず、小雨から春の氷雨となった日曜日、無理やり行ってきました。考えてみると、雨予報承知での出動は久しぶりですが、仕方ありません。ヘッドマークなしの重装備を撮るには、おそらく自分には今日しかないのですから。

まるで陣触れの法螺貝が聞こえるような、重く雲垂れ込めた曇り空。ほんとうはデータがあるのでしょうが、むかし大河ドラマで見た戦国の合戦、敗走の屍シーンはいつもこんな雨が降っていたような気がします。勝頼自刃の天目山もそうだったような、、、

その甲州山梨は、今まであまり縁のないところで、大月までならルクセンブルク御召のときにあちこち歩きましたが、甲府以西となると、ほとんど撮影経験なし、まずは甲府に近いところからロケハンし、まだ市街地を抜けきらないところで、素直なアングルが見つかりました。

12系4輌にDE10という軽量編成ですが、気温が下がったおかげで、素晴らしい煙を噴き上げながら、498がやってきました。その姿は、いつのまにかすっかり堂に入っていて、もう499もどき、などとは言わせない力強さに溢れていました。

もどきでも、ごときでも 「鉄道(27070)」

羅城もどきの専用線チャーターが終わって、桂林へ戻る途中の太陽村で、これまた上游の残るセメント工場を訪ねました。こちらは残念ながらほとんど構内入換のみの仕業で、ロケーションがどうこう、というレベルではないようです。

でも、イマドキの中国において、こうして上游の並びが撮れるなんていうのは、きわめて珍しく、貴重な経験ですよね。その昔、いつか中国でも、蒸機は小さな工場の専用線の上游だけになって、う~ん、わざわざそれ撮りに行かないよなあ、と言っていたのが、来ています、はい(爆)

さすがに集通もどき、は探してもありませんが、羅城もどきに心ときめかした今回のツアーでした。そして、殺風景な工場の上游ごとき、にも現役蒸機だけが持つ、果てしない魅力があることを、悔しいかな、再確認してしまいました。

そして、O谷連隊の中国への旅も、まだもう少し、続くようです。我こそは、と思われる勇気ある志願兵よ、今からでも、決して遅くはありません(笑)

遙かなる蒸機現役の時代 「鉄道(27070)」

踏切から国鉄線のほうを望むだけでも、奇峰バックのオーソドックスなアングルがゲットできそうでしたが、それだけですまないのがO谷連隊ツアーの怖いところです。踏切の少し手前で貨物編成が停車したタイミングで、こういう、原風景の権化(笑)みたいなのがやってきました。

連隊長いわく、中国の現役蒸機路線は、今や最後の「1975年までに日本国内で撮り残した写真」を撮れるところで、そのために、あらゆる努力を惜しみべきではない、なぜなら、あとわずかで撮れなくなってしまうのだから、、、う~ん、納得するしかありません(爆)

フィルム1枚をケチった30数年前なら、もったいなくて、とてもこういう写真は撮れませんでした。それが、踏切を原風景の権化が数往復し、失敗すれば消せばいいのですから、二つの時代を生きる我らが僥倖に感謝、です。

広田さんの「昭和34年2月北海道」には遠く及びませんが、ほんの少し、若き日々のやり直しの真似事をしてもいいですよね。思ったより長く、中国のカマたちの活躍も続いているし、そう、まだ今なら撮れるのですから。。。

奇岩たちの箱庭 「鉄道(27070)」

このビニロン工場の専用線は、本来、逆向きの単機で貨物を国鉄線接続駅へ取りに行って、短い編成を推進して帰ってくるというのがパターンのようですが、今日はチャーター、正向き牽引のタキ+ワム(?)の編成が組成されていました。

工場の仕事が一段落した夕方からの撮影タイム、否が応でも、やがて落ちていく夕陽との競争になります。朝よりはかなり気温が上がっているので、煙が思うように出ないのがつらいところですが、この絶景を見れば、文句は言えますまい。

しかし、中核都市郊外の1km弱のごくわずかな区間に、この箱庭のような奇岩の絶景ですから、羅城陥落後も、広州蒸機侮りがたし、です。言ってみれば、長野電鉄の付属中学前や久留里線、あるいは秩鉄の寄居より手前で撮影地を選ぶようなピンポイントですが、やはりスケールが違いますね。

「よし、次は踏切に行きますよ~」笑顔の連隊長に次の秘策あり、何だかカマ以外にも、チャーターしている何かがあるようです。。。

夕方、風景が変わった 「鉄道(27070)」

背後の岩山×1でもそれなりに満足して、町の食堂でワンタンの遅い朝食となりました。それにしても広西は粉・麺の美味しいところで、小さなワンタンがスープの中にてんこ盛りで、食べきれないぐらい。プラス肉饅頭ですから、もうカロリーオーバーひど過ぎですが(笑)

チャーターは午後遅く再開とのことで、その間、以前にも行った査岩の別の専用線にアプローチしましたが残念ながらウヤ。ホテルで小休止のあと、3時半過ぎに、朝と同じ場所に戻ってくると、さらに背後に岩山連峰が出現し、風景がすっかり変わっていました。

ちょうどいい感じの光線が、新たに出現した岩山に柔らかく当たっています。朝はあまり気乗りしなかった、李さん&連隊長きわめつけの俯瞰ポイントが、今度こそ威力を発揮しそうです。無線連絡のあとすぐに工場のほうから長い汽笛が聞こえ、やがて逆向のSYが、期待高まる絶景の中に、単機で姿を現わしました。

羅城もどき?! 「鉄道(27070)」

今日も201系H7編成の疾走が続く東京から、GWの中国広西、O谷連隊2010年第1次弾丸ツアーの日々に、時計の針を戻しましょう。上海万博初日に浦東に降り立ちながらも空港の外へ出ることなく(笑)、もう来ることはないと思われた桂林空港で、まさかまさかのガイドの李さんとの再会でした。

去年の冬から初夏、弾丸ツアーを繰り返した羅城を思い出させる奇岩バックの風景が、宜州郊外のビニロン工場の専用線にあるらしい、、、すでに1月、連隊長率いる3名の斥候隊がすでに派遣され、ロケハンと下交渉を経て、いよいよ本隊の出動となったわけです。

わずか1kmにも満たない区間がポイント? で、奇岩が重なり合ってファインダーに入る? 半信半疑のうちに迎えた撮影初日の朝、あたりは霧につつまれていて、線路のすぐ後ろに聳え立つ岩山×1以外は何も見えず、それでも発煙交渉に長けた李さんの無線連絡で、SYの牽く短い貨物が綺麗な白煙とともにやってきました。

跨線橋エレジー 「鉄道(27070)」

最初は3日間と噂された201系H7編成の定期運用復帰が、思いのほか長く続いています。さすがに平日はファンの数も少なくなったようですが、ごく当たり前のようにオレンジの電車が中央線を疾走する姿に、明日もまた夢よ続け~~と願う毎日です。

私も休日には時間を作って、引き続き宿題をこなしています。自分の記憶に残る中央線の断片のあれこれと赤い電車を一緒に撮っておきたい。そのひとつ、東中野の古い跨線橋がらみは、幸運にも一発カブリなしで仕留めることができました。

国立も武蔵小金井も新しい駅になったのに、新宿から二つ目の所に、よくこんな雰囲気が残っているものだと思います。快速線に接近した商店街もどこか庶民的で、♪あの頃ふたりのアパートは…♪なんていう70年代ソングがどこからか聞こえてくるような気がします。

30年前はなかったけれど、線路沿いのこの道には、いい作品を自主上映する小さな映画館もありますね。去年、たしか中国蒸機の映画などもやったのかな。「ぴあ」で映画を探しながら、名画座に通った青い時代の残り香を、オレンジの電車のモーター音が優しく吹き飛ばしていくようです。

鎮火夕景 「鉄道(27070)」

空港へ戻る前に、最後のカットを決めようと、定番の加茂川鉄橋へ向かいました。堤防の奥の空き地に車を停めてすぐ、定期のキハがやってきたのですが、なぜか鉄橋の真ん中で止まってしまいました。

津山方の築堤を見ると、どうやら野焼きの火が、線路端に飛び火したらしく、赤々とした炎が並行する道路からも垣間見えます。鉄がズラリ三脚を構える中、やがて消防車がやってきて……somtamさんのお知り合いも、同じ場所にいらっしゃったのですね。

放水、鎮火、確認のうえ鉄橋上の抑止が解除、そしてあたりが5月の黄色を帯びていく中、30分遅れのスローライフ列車が、さきほどのアクシデントは何もなかったかのように、素晴らしい光を浴びて、鉄橋を止まらずに渡っていきました。

加茂川といえば我が故郷京都の名流がまず思い出されますが、この吉井川支流の澄んだ水、のどかな感じもいいですね。今回は有名な松箒鉄橋などもパスしてしまいましたが、次回はぜひいい鉄橋を探そうか、などと早くも心は秋のこの列車の運転に飛んでいました。

一瞬のスローライフ 「鉄道(27070)」

キハ28・58が小休止を繰り返す山間の各駅で、地元の名産に舌鼓を打とうかと思っていたのですが、未踏の沿線にあれこれポイントを探すうちに、結局はいつもの追っかけと似たようなペースになりました。

おいおい、全然スローライフじゃないじゃないか……物見峠の山越えは、飯田線を思い出させる狭隘な山道で、まして智頭での折り返し時間はわずか4分、スローライフな風景をビジーに通過していく、なかなか奇妙な時間の流れは、これはこれで新鮮だったり(笑)

返しの2度目の撮影で、時間は15時を過ぎ、美作の山あいに初夏の斜光線が輝き始めました。何か所か、水鏡になりそうなところがあり、その中でもコンパクトにアングルをとれそうなところに決定、三脚を低め、低めに立てました。

ところが、あと数分で通過というとき、水鏡にさざ波が立ち、あ~あという嘆声が周りの鉄な皆さんから洩れてしまいました。でもまあ、この光線をみれば、良しとしましょう。急行色キハのツートンカラーは、ほんとうにニッポンの夕暮れの色に似合いますね。

スローライフな5月 「鉄道(27070)」

いかん、いかん。西舞鶴から柘植へ、499号機とともにガキ鉄の時代の思い出に浸っていると、その後の人生全部やり直せそうな気がしてきます(笑)ま、499もどきは次の中央線もありますから、2010年5月のいま鉄な日々に戻りましょう。

土曜日(8日)は、津山へ行ってきました。28・58で運転される「みまさかスローライフ列車」の撮影と合わせて、大糸線のキハ52も展示車両に加わった扇形庫も見てこようと、前夜の「業界鉄の会」を1次会で早めに失礼して、朝のJL便で岡山に降り立ちました。

扇形庫での52との再会についてはエントリーを改めてご紹介しますが、津山は駅も街も、どこか昭和の香りにつつまれていて、すぐに気持良く雰囲気に浸ることができました。名物ホルモンうどんもかなり気になったのですが、何せ因美線はまったく初めての場所、ロケハンのため早めに沿線へ向かうことにしました。

交換駅で20数分の停車を繰り返すスローなイベント列車を、まずは最初の停車駅・美作滝尾の手前で待ちました。振り返って後追いを撮ろうとすると、キハの煙と初夏の陽炎にチョコンと浮かび上がる親子連れの姿が……各駅では地元の趣を凝らしたイベントが行われているようです。今日は、こちらもスローに行こう、とこの段階では思っていたのですが。。。

関西線時代の499 「鉄道(27070)」

枯れ鉄さんや私が丹波口や二条で撮ってた頃の499は、京都のガキ鉄の密かな宝物のような存在でしたが、72年に亀山、そして奈良に転属し、佐倉さんのような遠来のお客様にも、関西線で慣れ親しんでいただくようになりました。

呉線のC62が北海道へ、奥羽線のC61が宮崎へ行ったような、検査期限たらい回しの関西近距離ヴァージョンだったのでしょうね(笑)こうして今、関西線での写真を見ると、福知山時代のランボードの白線も消え、イベント列車に活躍するヘンなデフのカマたちを横目に、黙々と定期仕業に精を出していたようです。

佐倉さんがご記憶の「フタが開いていた」のも、one of themの現役機ならではのご愛嬌だったのかなあ、と思います。それなのに、福知山時代の末期に外された動輪マークの跡だけは、いつまでもくっきりと残っていました。

72年5月。加太峠を越えて、499牽引の貨物が、静かに麓の駅、柘植に進入してきました。同じネガには、今は電車化されている草津線の通勤列車を牽く499の姿もありました。柘植駅は蒸機が行き交うわりには、奇妙な静寂に支配されたところでした。線路の数が少なくなった今も、あまり雰囲気は変わっていないと聞きます。

初めて撮ったデコイチ 「鉄道(27070)」

実は、私が初めて写真に撮ったD51は、499号機です。祖父に買ってもらったコダック・インスタマチック片手に行った京都駅山陰ホーム。923レを牽いてC5789号機が発車していったあと、いきなり、D51499+DF50の重単が入線してきたのでした。

なんやこれ~~という第一印象を、今も鮮烈に思い出します。写真はとてもお見せできるようなものではありませんが、この当時は、まだデフに件の動輪マークも付いていて、珍しいものを撮れてうれしいなあ、、、と、あ、この気持、今もおんなじですが(爆)

この写真は、71年9月に西舞鶴で撮影したものです。ちょうど小浜線のC58のさよなら運転があって、土曜だか試験休みの午後、無理やり行ったのを覚えています。C58の撮影を終えて、帰りの列車を待っているホームに、西日を浴びた499号機牽引の貨物が停車していました。

残念なことに、スノープロウが付いていませんが、考えてみると、福知山時代もスノープロウは冬だけの装着で、関西線に行ったら通年非装着になってしまいましたから、意外と今回に近い姿の記録は少ないのかもしれません。

調子にのって、499トリビアを続けると(笑)、旧客にしろ12系にしろ、客車牽引の機会は、舞鶴線の綾部~西舞鶴の短区間が最も多かったのかもしれません。定期でもD51運用の旧客があったような気がするし、「丹後51号」あたりでも12系があったような……ともあれ今夜は、昔の1枚を肴に、曖昧な記憶の海に心地良く身を任せるとしますか。

まさか、499の後藤デフが 「鉄道(27070)」

とくに関西の皆さま、お待たせしました(笑)4月29日から運転が始まったD51498の重装備、中国ツアーから帰国後の昨日(5日)、午後だけでしたがやっと見てきました。もう、何も言いますまい。福知山、そして亀山、奈良で活躍した、あのD51499、我々がガキの頃見たネタガマ(笑)、カッコいいようなゲテモノのような(笑)、それでもとにかく来れば嬉しかったあのカマがまるで35年の時を経て、帰ってきたようです。

重油併燃装置の位置が違うとか、集煙装置の背が低いとか、細かく見ればきりがありませんが、何とデフには動輪マークまで付いています。といいながら、499の後藤工場模範出場機マークはもっとデカかったよなあ、とツッコミ入れてしまいますが(笑)

498がオリエント急行で動態復帰することが決まったとき、あ~499の1番違いかあ、最終配置は坂町?羽越スジの地味なカマが記念列車牽いたおかげで高崎周辺に保存され……津で荒廃の度を深めていた499との運命の違いに、思いを馳せたものでした。

この日は、いつもの12系6輌での水上往復。柳生号みたいなものか、と一度は思ってすぐ、いやいや、あの頃の関西線にはデフにヘンな装飾のあるカマが何輌もいて、意外と499が12系を牽くことは少なかったのでは、と再び自分で自分にツッコミを入れました。

再び、新宿大ガード 「鉄道(27070)」

ほんとうは高崎の「D51499マイナス1」もすごく気になっていたのですが、三鷹以東で201系を撮れるのは、これで最後になるかもしれません。新宿から中野、高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺と我が青春の町々、駅々をさ迷い歩いて、日暮れにまた新宿へ戻ってきました。

今日は祝日なので、背後の高層ビルに灯るオフィスの明かりは少なめのようです。ならば、やはり歌舞伎町のネオンをバックにしようと、この日、あちこちで連絡を取り合いながら、ずっと別の場所でばかり撮っていたGontaさんと、新宿で合流することにしました。

そういえば、新宿のB級グルメでは、幾多のチープなカレーも忘れられません。紀伊國屋の地下にはたしか2軒あって、モンスナックと、もうひとつは何て言ったかなあ、、、そして、新宿だけではありませんが、京王系列のC&C、いずれも今でも時々無性に食べたくなる、不思議な魔力が香っています。

20時過ぎ、居酒屋でビール一杯飲んで、歩道橋に戻りました。ネオンは祝日でも煌々と輝いているようです。家路を急ぐ人々を乗せた、2010年GW初日の201系が、大都会のシンボルのような画面の中を、西へ走り去っていきました。

P.S
今日から4日まで、中国へ行ってきます。上海万博ではなく、上海で国内線に乗り換えて、いつもの鉄が目的です(笑)皆さんも、GWのいい旅、いい鉄を!
プロフィール

Author:品川530
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