夢見る頃を過ぎても 「鉄道(27069)」

3月中にエセサファイア達成のため(謎爆)、土日にとにかくどこかへ飛ばねばならず(笑)、函館の旧都電や関空から有田などと迷った挙句、久しぶりの福岡へ行くことにしました。快晴の土曜朝、まずはリバイバルブルトレ「なは」にターゲットを定めて、福岡空港でレンタカーを借りました。

「富士ぶさ」のラストランがちょうど去年の今頃で、最終上りを撮ったその日に、たしかリバイバル「富士」を撮りに九州へ行きました。「なはつき」となると、その1年前で、島鉄の南目線と一緒に撮り歩いたのが、つい最近のように思い出されます。

もうそれから、こんなに時間が経ったのに、リバイバル・ブルトレが数々の趣向を凝らして度々走り続けているのは、JR九州各支社の企画力に大感謝、大拍手ですね。客車の保守にもご苦労があるのでしょうが、あらためて今後の継続を平にお願いしたいものです。

今回は方向幕によると西鹿児島(!)まで、第3セクター区間も通しての運転です。「なは」は当然、沖縄への思いをこめたネーミングでした。まもなく新大阪から鹿児島まで新幹線の直通する時代、夢見る頃を過ぎても走る青い客車と赤い機関車の丸味を帯びたヘッドマークに、思わず見とれてしまいました。

出発の歌 「鉄道(27069)」

♪乾いた空を 見上げているのは誰だ
お前の目に 焼きついたものは 化石の街♪

70年代ヒットソング、続けます(笑)キハ52ありがとう号は糸魚川到着後、わずか20数分で向きを変え、再び52-115先頭の回9536Dとなって、いったん留置される富山貨物へ向かいました。我々も、糸魚川インターから少し戻った、姫川の鉄橋へのアプローチで、最後の旅路を見送ることにしました。

朝の快晴から、午後には徐々に雲が出てきて、カメラを構えた背後には、ヒスイの街・糸魚川の工場群と雪山が、乾いた風に吹かれながら、キハ回送の通過を待っています。ややトップライト気味の光線で、鉄人騎士さん、Gontaさんと同じように山バックに切り替えようかと思ったのですが、115は最後だから、とアングルを望遠アップのままにしました。

富山まで、自力回送の先頭に立つというのも、偶然とはいえ、最後の52国鉄色にふさわしい運用ですね。その先は、電機やDEに牽かれて、静態保存先の津山への回送が残っているだけです。そして、ほかの2輌も、煉瓦庫廃止で留置場所のなくなった糸魚川を離れて、今後はイベントのたびに富山から回送されるのでしょう。

♪さあ今 銀河のむこうに 飛んでゆけ

昨日の土曜日、津山では52-115の扇形庫への収納イベントが行われました。すでに動力を失った同車は、転車台の上を何度か回った後、手押しでクラに押し込まれたそうです。一度はと思いつつなかなか機会のない津山、28・58の走るときにでも、115にあらためて「ありがとう」と伝えに行きたいと思っています。




なごり雪 2010 「鉄道(27069)」

三連休の中日は非鉄な休日となり、大学の先輩、夢さんのブログで見て気になっていた上野の「長谷川等伯展」に行ってきました。驚いたのは、上野公園でもう数本、桜が咲いていて、花見宴会のグループの姿さえあったことでした。いつのまにか、季節は春。。。

それが翌日、キハ52ありがとう号最終日の大糸線は、山間部で名残りの雪景色となりました。まさに、♪なごり雪も降るときを知り♪……再び辿った白馬からの国道が南小谷に近づくと、線路面が綺麗に雪で覆われていて、♪小谷村で見る雪はこれが最後ねと、寂しそうに115がつぶやきそうな気配でした。

有名なスノーシェッドをバックに、またまた順光で後追いを狙いました。キハ52-115、まさしく最後の旅路をこの場所で見送るのは、私ともう一人だけで、カーブの向こうに国鉄色が消えてしばらくも、木々から落ちては溶ける雪を見ていました。

嗚呼、お名残り鉄 「鉄道(27069)」

今夜は、鉄な飲み会で有楽町で飲んでました。店名が「ちどり」というだけで、木次線のキハ急行、と盛り上がるメンバー(笑)A新聞、津和野城址の名カメラマンTさんとも久しぶりで、早速、今年の桜前線について、文字通り話に花が咲きました。

そういえば、昼間は仕事で御茶ノ水のN社に行くと、その社では名だたる鉄のS課長から「ウチの帰りに201系撮ったんですって!」と、ダイヤ改正前前日のささやかな僥倖が、計らずも中央線を見下ろすビルのオフィスで話題になりました。

夜の飲み会で談論風発、葬式鉄じゃなくて、ありがとう鉄でいきましょう、と皆さんに提案すると、大糸線のキハ戦友Gontaさんから、お名残り鉄、という新たな提案がありました。うん、これもいいですね。余韻がある。風格がある。

海外出張帰りのS川さんは、その間の国内ネタに行けなかったのを何度も残念がっていましたが、彼の仕事は今、さまざまな形で実を結んでいて、さらに明日の夢を語りながら酔っ払う姿はなかなかでしたよ(笑)

…三連休初日の大糸線に戻ります。平岩鉄橋の次は、2月に霧の中で撮ったときと同じアングルで、糸魚川へ向かうキハ52三兄弟の後ろ姿を捉えました。すっかり雪が消えた頸城野の風景に、名残りを惜しむ春の光が、ただ優しく降り注いでいました。

ビバ! ありがとう鉄 「鉄道(27069)」

三連休の土曜と月曜、大糸線の「キハ52ありがとう号」を撮ってきました。当初は土曜だけの予定でしたが、月曜の天気回復予報にいてもたってもいられず(笑)、、、せっかく中日は上野へ「長谷川等伯展」見に行って非鉄で過ごしたのに、元の木阿弥です(爆)

お別れ列車のネーミングに「ありがとう」というのは、昨年の新潟支社のキハ巡業が思い出されますが、いい感じですね。もっと昔から、あったのかもしれませんが、今年の春は阪急6300もそうでしたし、少し前の209系もそう、この大糸線で、すっかり定着したように思います。

まずは、長年働いた車輌にありがとう。そして、通勤通学に親しんで乗車していただいた地元の皆さん、ありがとう。そして、ほんの少しですが(笑)、追っかけまわした我々鉄にも、ありがとう。さまざまな感謝と敬礼が折り重なった、ラストランにふさわしいひとことですね。

この運用を最後に引退する国鉄色ツートンのキハ52-115先頭の3連で運転された「ありがとう号」ですが、南小谷への往路はなかなか順光にはならず、復路の後追いに集中することにしました。初日の平岩鉄橋、本列車の時にはサイドに日が回っていませんでしたが、復路の後追いは雪山をバックに、素晴らしい春の陰影を描いてくれました。

麗機C57139の旅立ち 「鉄道(27069)」

東山動物園のC6217号機のほうばかりが話題になりましたが、名古屋のJR東海研修センターに保存されていたC57139号機も、「JR東海博物館」での保存に向けて、第三の人生へ旅立ちました。先月、名古屋に行く機会があり、元の保存場所を見てきましたが、ケ90号ともども、案内板だけが残されて、風に吹かれていました。

このC57139号機、中学生のときに名古屋駅で撮ったことがあります。名古屋区の御召機として名を馳せた同機が、赤ナンバーは凛々しいのですが、いささか薄汚れた姿で、関西本線の客車列車を牽いて眼前に現われたとき、少しガッカリしたのを覚えています。

その139号機が、44年9月の関西本線名古屋口さよなら列車牽引に際して、御召さながらに整備され、数か月後、そのままの美しい姿で梅小路に貸し出されたのです。残念ながら運用には入ることなく返却されましたが、ある日チャリンコで行った梅小路で、クラの外に出ていた同機を見たときの感動は、忘れることができません。

大宮にはC57135号機と我らがパックがいますが、名古屋の博物館でも、このシゴナナと、我らがイゴナナがいつ行っても迎えてくれるのですね。去年の秋、この写真を撮りに行ったのですが、何となくご紹介しそびれていました。大荒れの三連休の中日、春のお別れ鉄もひと休みして、シゴナナと僕らの長い時間に、思いを馳せることにしましょう。

川場村の早春 「鉄道(27069)」

新潟近くまで追いかけると、もしかしたらもう一度「とき」に間にあったかもしれませんが、ダイヤ改正翌日の虚脱感がどっと押し寄せ、同行のT島さん、Gontaさんと、まずは昼飯にすることにしました。思えば、こうして撮影の途中で、ゆっくりメシを食べられるのは、ほんとうに久しぶりです(笑)

昼食後、あとは高崎へレンタカーを返しに行くだけ……となって、どこか寄り道するところは、と思いついたのが、川場村のデコイチでした。幸い、お二人とも未訪問ですぐ乗り気になっていただけたので、関越道を沼田で途中下車して、「ホテルSL」へ向かいました。

このD51561号機、「空気機関車」という新たな保存形態の先駆者であるだけでなく、自然に包まれた環境、いい感じのウェザリング、そして長野式集煙装置などのアクセサリーが魅力を増幅させています。

空気動力による運転はまだ冬季休業中でしたが、ホテルのご好意で、残雪を抱いた山々をバックに、整備中の姿を撮影することができました。早春の山あいの村で、ラストランともリバイバルとも無縁の、静かな時間がそこにありました。



27年遅れの「さらば上越特急」 「鉄道(27069)」

一昨日の日曜日(14日)、最終「能登」の489系の金沢への返却回送が新潟までの団臨「とき」として運転されるという、これまた粋なお別れが、好天の高崎・上越線で鉄の人気を集めました。

上越新幹線の開業による「とき」廃止から27年。私はちょうど休鉄の間でしたが、「さらば上越特急」と銘打たれたRF誌の特集を、新鋭201系行き交う阿佐ヶ谷の書店で、吸い込まれるように立ち読みしたのを思い出します。

グラフに並んだ181系の写真に心躍るものはあったのですが、いやいや、こういうのはもうやめたのだ、とRF誌を棚に戻して、新宿へ芝居を見に行ったのかなあ、、、数年後の復鉄のあと、真っ先に古本屋で買ったうちの一冊が、この号でした。

489はあくまでも「はくたか」だろうとか、ヒゲじゃなくて赤いラインだろうとか、野暮なことは言いますまい。日が翳ってしまったのは残念でしたが、春まだ浅き雪景色にカーブを描いてくるボンネットに、80年代初めの若かった自分を重ねながら、またひとつ、肩の荷を下ろしたような気がしました。

残照、そして惜別 「鉄道(27069)」

大糸線のキハ52も、先週金曜の12日、定期運用の最終日を迎えました。この日の糸魚川の予報は晴れでしたが、夕刻にはおおかたの場所で雲が出てしまい、よほど日頃の行ないの良い方のみ、最後の残照を味わえたようです。

今も思い出す2月の日曜日。にわかキハフリークにとっては幸運すぎる終日快晴も、夕方の頸城大野で静かに暮れようとしていました。すでに定番の踏切に光は当たっておらず、一時はあきらめムードになりましたが、国道方の山の端に夕陽がまだ見え隠れしているのをGontaさんが発見、まだ日の当たる場所を探すことにしました。

通過まであと数分、まさにその、あと数分だけ日が当たりそうな場所が見つかり、大急ぎでアングルを選びます。そして、キハよ早く来い!と祈る間もなく、国鉄色のツートンを輝かせたキハ52115が、カンバスに仕上げの一筆を挿すがごとくにやってきました。

今週末の3連さよなら運転が終わると、国鉄色の115は保存先の津山へ回送され、早くも今月末のイベントに参加するようです。残る2輌は、夏までにイベント運転が新たに何度か計画され、あきらめていた桜や新緑との邂逅も可能性が出てきました。改正とともに奇妙な報道の嵐も去って、大糸線の春、キハ52との惜別をじっくり味わいたいものです。

愛されて30年 「鉄道(27069)」

ダイヤ改正前々日。夕方5時前、御茶ノ水での仕事が終わって、中央線快速で吉祥寺に向かおうとすると、上りホームに東京行きの201系の姿が見えました。おぉ何だか宝くじに当たったような気分だけど、写真撮れるわけじゃなし……と、いつも通りに思ったところで、今日は日暮里朝練でカメラを持ってることに気づきました(笑)

幸い、少し時間には余裕がありました。よし、高円寺か阿佐ヶ谷だ! 快晴の1日が、夕陽に照らされながら暮れていこうとしています。懐かしき青春の高架区間で、こんな素晴らしい偶然で、久しぶりに201系に遭遇できるとは、、、

中央線201系最後の2編成は、2月初めから「愛されて30年」のマークを付けて走っていますが、さすがにここまで運用が激減すると、ついつい出かけるのも億劫になり、まだ撮る機会がありませんでした。すでに、6月までのさよなら運転の日程も発表され、今度こそ、ほんとうのカウントダウンが始まったようです。

ほんのりと残った赤味を帯びた光線を浴びて、久しぶりの201系が、あの独特のモーター音を唸らせて、お馴染みの複々線を駆けてきました。ハートマークに「愛されて30年」の小粋なキャッチコピー。今年の春は、日本の各地で、粋なお別れが続いていますね。



復鉄の頃~上野口 2 「鉄道(27069)」

ゴハチで復鉄した80年代半ば、線路端でできた年下の友人から、85ミリレンズの汎用性を聞き、次のボーナスで急いで購入したものです。標準と135ミリしか持ってなかった現役蒸機時代に比べて「パーゴー」1本で、急にアングル選定の範囲が広がったのを思い出します。

50、85、135。この3本でたいがいの撮影はこなせましたが、たまに「サンニッパ」でしかこなせないアングルがありました。上野口の代表として日暮里の歩道橋と双璧をなす、このカーブはまさにそのひとつで、後に、パックのトワイライトエクスプレスが朝に走ったときなど、何人かの知人がサンニッパで構えておられるのを見て、羨ましく思ったものです。

この場所は、午後になるとサイド光が綺麗に当たるので、ホッチキス承知で、上野への推回をよく撮りました。これも、復鉄からだいぶ経ったバリ鉄時代(笑)ですが、オリエント急行なんかも懐かしいなあ、最後に撮ったのは、たしかロクイチの「津軽」でした。。。

昨日の朝、このアングル、ボンネットが似合いそうだなあ、と急に思いついて、行ってきました。尾久への回送が来る頃には、まずまず露出も上がり、銀塩では1枚も撮らずじまいになった300ミリで、ラスト前日の朝の表情を捉えることができて、満足しました。

復鉄の頃~上野口 「鉄道(27069)」

今朝起きるとすぐ、「北陸」がかなり遅れている、という知らせが入りました。急いでスケジュールを確認すると、若干遅い出社が可能……よし、行くか(笑) ただ、後の予定を考えると、できるだけ上野に近いところで、、、

あと3回しかない朝の「北陸」、最も上野口らしいアングルを、と考えたとき、まず思い浮かんだのが、この日暮里の歩道橋でした。もう10数年行っていませんが、80年代半ばに復鉄した当初は、けっこう通いました。すでに高二のゴハチなく、今と同じ64-1000がブルトレや急行の先頭に立っていて、もちろん「北陸」もあったし、20系の「天の川」なんていうのもありました。

ポールはグサリと画面を縦断するし、推回のときはホッチキス。それに、順光になるのは日の長い時期の早朝だけで、すぐ正面に日が回ってしまう。今朝も、ラッシュが一段落する頃にはすっかりトップライトとなりましたが、四半世紀前のことを思い出しながら、20数人の鉄のいささか整然とした雰囲気のなかで過ごす時間は、なかなか悪くありませんでした。

幸運にも手前、後ろともカブられず、3時間遅れの「北陸」が、古くから上野口を代表するアングルの中をゆっくりと通過していきました。ふと気がつくと、機材の片付けももどかしく撤収を急ぐ方が次々と去り、推回のために残ったのは、最初の半分以下でした。私もちょっと迷った後、復鉄の頃の思い出にもう少し浸っていようと、一度仕舞ったカメラを取り出しました。

日本のどこかに 2 「鉄道(27069)」

あと数日でお別れのボンネット「能登」ですが、こちらはあまり真剣に撮ることなく、秒読みの日々を過ごすことになってしまいました。今の季節に、この写真(昨年7月撮影)のような走行写真を撮るには、C社かN社の最新デジ一眼でないと困難、という事情もありますが。。。

その昔の「こだま」を見たのかどうかは覚えていませんが、ガキの頃の京都駅で最も身近なボンネットは、次々と北陸へ向かう「雷鳥」でした。新幹線が九州まで伸びる前は「はと」とか「うずしお」とか、山陽筋まで行けばバンバン走ってました。

大学から東京暮らしになって、中央線の「あずさ」がまだ、ヘッドマークの上に赤線の入った181系で走ってました。上野駅に行くと「とき」や「白山」……ほんの数枚しか写真は撮っていませんが、電車特急の佳き時代、今もくっきりと脳裏に刻み込まれています。

終着の大都市のターミナルに近い複々線区間を、行き交う緩行線の電車を縫って、威風堂々と駆け抜ける、特急シンボルマークも凛々しいボンネット。これまた、日本のどこかに行けば、これからも毎日見られそうな風景が、あと3日で我々の眼前から消えていきます。

♪雪解け間近の 「鉄道(27069)」

♪北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき

言わずとしれた「いい日旅立ち」、DISCOVER→JAPANに続くキャンペーンですが、78年のスタートですから、この歌を聴くと、国鉄色のツートンのキハが走るローカル線の、ちょうど今の季節のこんな風景が思い出されます。

そういえば「1枚のきっぷから」というのは中途半端でしたね。現役蒸機引退とともに、当時の国鉄の観光マーケティングも、いっとき方向を見失っていたのかなあ……「いい日旅立ち」は、今思えば、国鉄の国鉄らしさが、最後に輝いた時代の象徴だったのかもしれません。

昨日の朝、大糸線山間部は木々に着雪し、キハ52には最後になりそうな雪景色に彩られたそうです。写真のような富山の58・28の入線はもしかして今後も若干あるかもしれませんが、キハ52しかり、ボンネットしかり、、、百恵ちゃんの時代を絵に描いたような鉄道の風景が、あと数日で、世にも奇妙な誤解と喧伝の中で、終わりを告げようとしています。

日本のどこかに♪ 「鉄道(27069)」

今日の帰り道は、都内でも雪になりました。北陸はもっと凄そうで、明日は再び、かなりの雪になりそうです。先週末のなごり雪が、キハ52や「能登」「北陸」との別れを惜しむように、日本海側に戻ってきたのかな、、、あとはバス代行になるほどの大荒れにならないことを祈るばかりです。

その、「いい日旅立ち」あと数日の大糸線ですが、2月末のキハ28・58代走時には、昭和の気動車全盛時代を思い出させる貴重なシーンが、1日に1度だけ、繰り広げられました。私は当初これに気づかず、ご一緒したT島さんの、このカットを捕獲するぞとの重大な決意に引きずられるように、交換駅の根知へ向かいました。

午後から夕方に山間の空気が移りゆくこの時間、キハどうしの交換がすっかり大糸線名物になっていますが、この週末に限っては、代走のキハ58が先に入線し、糸魚川からの52を待つ形になりました。そして、幸運なことに52は国鉄色のツートンが登場、小駅に集まった、たくさんの鉄の緊張は、最高潮に達しました。

昔は、日本のどこかで、毎日あたりまえにみられた風景。これからも、日本のどこかに行けば、実はいつまでも見られるのではないか、とついつい妄想してしまうような、かけがえのない風景。2010年早春、いつまでも心に残る1枚になりそうです。

国鉄色代走 「鉄道(27069)」

先週末(2月27・28日)に行なわれた糸魚川の煉瓦庫のイベントですが、もしかしたら、キハ52の3台並び以上に鉄の関心を集めたのが、そのイベント開催の数時間の定期列車は、何が代走するのか、ということでした。

いつも大糸線を走るすべての52がイベントに参加し、かといって、試運転の十分でないキハ120を充当するわけにもいかないだろう……大方の予想は、富山のキハ28・58の登場でしたが、国鉄色と高岡色、どちらが来るかはわからない、、、

地元の皆さんは事前に情報を得ておられたのでしょうが、にわかキハフリーク、ここは長か半か、頸城大野近くの踏切でドキドキしながら待つしかありませんでした。朝からの雨は上がりましたが、霧があたり一面を覆っていて、露出の判断にも迷うところです。

ほんの少しだけ霧が晴れ、それでもまだバックの山の稜線もまったく見えない中、クリームと赤のツートンがやがて姿を徐々に顕わにしてきました。よし!国鉄色だ! 代走の予定は3往復、これは忙しい一日になりそうです。

サヨナラ赤煉瓦 「鉄道(27069)」

サヨナラの春、続けます(笑) いささかアクロバットな大阪行きのおかげで業務超繁忙、疲労超困憊の先週後半でしたが、金曜最終のNH便で、先乗りのGontaさんの待つ富山へ飛びました。とき~はくたかルートでは時を同じくして、鉄人騎士さんも富山へ向かっておられるようです。

富山空港上空は、またまた霧のために再度の待機→アプローチを余儀なくされましたが、今回は何とか着陸。ホテルへチェックイン後は、Gontaさんと寸暇を惜しんでの居酒屋ミーティング、翌日の糸魚川煉瓦庫のイベントや、その時間の代走について話が弾み、日付が変わったところでやっと切り上げました。

北陸新幹線の工事が進捗し、キハ52の引退と機を同じくして取り壊しが始まる、糸魚川の矩形庫ですが、1971年夏に、東洋活性白土専用線に行った帰りに、訪れています。当時はまだ入換や大糸線貨物用のC56やC12が健在で、機関区内で撮っていますが、何と、煉瓦庫がきっちり写ってるのが1枚もない(爆)

まあ、ガキだったんですから仕方ありませんが、その日以来の構内撮影です。3線にキチンと並んだキハ52に、たくさんの鉄の肩越しに何とかシャッターを押しながら、コーラかファンタをがぶ飲みした、あの夏の日のことを思い出していました。    

粋なお別れ 「鉄道(27069)」

もう一度、ここから6300を撮りたくて、あたふたと梅田駅にやってきました。平日の朝、無理やりです(笑)最後の数日はこの撮影ポイントも順番待ち(?!)になったそうですが、幸運にもこのときは自分だけで、モーニングセット食べながら、ヘッドマーク付きを数枚撮ったあと、短い折り返し時間をいとおしむように、出発をぼんやり眺めていました。

このときも、6300から吐き出されてきた通勤の人々が次々にケータイを取り出し、それを見た人がまたケータイで撮影、というシーンが繰り返されました。掲示板やブログをいろいろ拝見すると、梅田や河原町では記念撮影する家族連れの姿も多く、また年配の女性同士で「座席パタンとやる電車、なくなるんか、あれ好きやったなあ、寂しいなあ」と話すシーンさえあったそうです。

ああ、昨日、もう一度行きたかったなあ。。。今回は京都線特急からの引退で、ヘッドマークの8連表記を見ると、嵐山線での活躍が続くことはもちろん、もしかしたら他の活躍パターンも、あとしばらくは見られるのかもしれません。でも、この電車がこうして人々に愛された、京阪間の特急運用時のカッコ良さや品格は、もう二度と味わうことはできそうにありません。

今日、阪急のサイトを見ると、思わず涙が出てしまいました。雑踏の梅田駅を出て行く6300の写真とともに「8日間を支えて下さった全てのお客様へ ありがとうございました」の言葉がありました。きっと阪急の社内には、品格に溢れたどなたかがいらっしゃって、それを醸す風土があるのでしょう。こんなときに、この言葉です。今年の春は、のっけから、素晴らしい、粋なお別れに感動することになりました。

プロフィール

品川530

Author:品川530
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR