デイテン赤ホキ 「鉄道(27069)」

では、純粋・鉄ブログに戻りましょう(笑)昨日の日曜はしつこくもJL便で山口宇部日帰りでした。しかし、JEX運航便は何度乗ってもなかなかですなあ、Gontaさん……あ~、これでは鉄ブログに戻ってませんね(爆)。。。

今回は初めて、赤ホキの厚狭以南、DE10を中心に狙うことにしました。8月初めに厚保の渓谷俯瞰で撮って結果がよかったのと、この石灰石輸送自体が、かなり去就が心配される状態と聞き、、、いやはや、自分がまさかデイテン更新機に魅力を感じるようになるとは、思いもよらない展開ではあります。

宇部の街中でクルマを停めて写真を撮るのも、初めてのこと。RM誌のガイドに出ていた川沿いのポイントで、橋から下を覗くと大きな鯉が泳いでいて、しばし見とれてしまいました。日曜の昼下がりに、終着間近の専用貨物をのんびり待つ気分、、、どこかで経験したような、とぼんやり考えているうちに、扇町の秩父ホキだったなあ、と思い出しました。

休日の工業地帯は車や人の往来も少なく、その中を縫って走る専用貨物は、どこか別世界から来た不思議な存在のように思えます。たぶん平日には困難な、撮影地間の敏速な移動も捗りそうで、機材を急いで撤収すると、小さな木造駅舎の待つ宇部岬へレンタカーを走らせました。





あ・の・す・ば 2009 「LIVEに行って来ました♪(36855)」

昨夜は「イムジン河コンサート」に行ってきました。北山教授がプロデュ-スした一夜限りのこのコンサート、1967年以来のこの曲にまつわるあれこれを紐解きながら、時の流れや時代状況とのかかわりを考えさせられる、深く素晴らしい2時間半でした。

少年Mこと松山猛さんの歌う「発禁版」、よかったなあ。京都の朝鮮学校で彼が偶然聞いたことから、この歌の長い旅が始まったということを十二分に覗わせる、しみじみとした声でした。それと同時に、もし、1968年の発売前日、Tレコードで決定にかかわる立場に自分があったなら、どうしただろうか?……と、今まではとても考えなかったことも考えました。

「帰ってきたヨッパライ」がダメでも「イムジン河」がある、、、フォークルのメジャーデビュー当初そこまで評価されていた曲が発売中止になって、「悲しくてやりきれない」を短時間で送り出すときの関係者のハラハラぶり、これまた初めて想像したりしました。

アンコールの最後は「あ・の・す・ば」でした。しかし、坂崎の日本フォーク史への貢献たるや、いまや銅像ものですね(爆)今年はインドネシアの夕陽の写真がないのが残念ですが、ソウル駅の夕暮れのショットで、「イムジン河」が旅した時の流れに思いを馳せながら、往く夏を惜しみましょう。

長門峡の小さな奇跡 「鉄道(27069)」

美祢西インターから高速使って移動して、長門峡でシゴナナに間に合いました。今日は奇をてらわずに、オーソドックスな畦道からのアングルを選びます。何度も何度も撮っている、鉄橋を渡ったところの築堤を入れ込んだアングルですが、、、

最近、このアングルが、格段に撮りやすくなったことを、何人かの友人から聞いていました。今までは鉄橋を渡って直ぐ、電柱と電線が画面手前に迫ってきて、カマが線路際のボックスを抜けたところで一発シャッターを切らなければいけなかったのですが、何と、電柱と電線が撤去された!

鉄にとっては邪魔な電柱や建物が出現して、鉄で賑わったポイントに閑古鳥が鳴いてしまったり、あるいはレンズを選ばなければ撮れなくなるといったことは、しょっちゅうありますが、その逆、邪魔物がなくなってレンズ選択の範囲が増える……こんなこと、めったにありませんね(笑)

今日、飲み会でお会いした、やまぐち大ベテランのTさんの話では、復活初年度のみ電柱がなく、2年目から出現したそうです。30年近く、シゴナナの煙とともに立ち続けた電柱よ、以て瞑すべし。やまぐち30周年の年に起きた、長門峡の小さな奇跡に、ささやかな拍手を送ろうではありませんか。

夏は往く 「鉄道(27069)」

昨日の日曜日、今月いっぱいの航空券消化で、山口へ行ってきました。しかし、どうして毎年、8月末までに使用必須のオープンチケットが残ってしまうのか、、、修行関連の皆さまはおわかりでしょうが、わかっているけど、やめられない(謎爆)

今年はやまぐちの重連が今月前半で終わってしまったこともあって、美祢線のDD貨物を先に撮影してから、のんびり山口線へ移動することにしました。無理に峠の手前でやまぐちを狙おうとしなければ、DDのほうは湯ノ峠あたりでも迎撃可能です。

しかし、あっという間に、夏の盛りは過ぎて、どことなく秋風が吹き始めましたね。30度に近い気温ながら、汗ばむこともない爽やかさ。強い日差しだけが、まだ夏のなごりを主張していて、ああ、ガキの頃の夏休みの終わりはこんな雰囲気だったなあ、と陽水の「少年時代」でも口ずさみたくなります。

6月頃、危機説が伝えられた赤ホキは、ごくごく普通に、まだ走り続けています。必ず原色のDDが来るという、類まれに見る鉄のパラダイス。順光でワンショット決められた後の充実感は、日頃のあれやこれやを、一瞬にして吹き飛ばしてくれました。



「撮影会の時代」を偲ぶ 「鉄道(27069)」

今日は晩夏の名物イベント、東京総合車セの一般公開でした。まだまだ大井工場といったほうが鉄の間では通りがいいこの施設、何といっても、もしかしてロクイチが……という期待で大井町駅から会場へ向かったのですが、残念ながらお出ましはありませんでした。

高崎からのEF6019が自ら牽いてきた旧客と並んで展示されていました。500番代でなく一般型に「あさかぜ」のヘッドマークはイベント感いっぱいで、まるで国鉄最末期の撮影会花盛りの時代に戻って、高崎第二機関区にいるような気分です(笑)

そうそう、64茶ガマの「あけぼの」に「撮影会みたい」とJZX81さんから秀逸のコメントをいただきましたね。あの時代の撮影会、パックがよく「あけぼの」や「出羽」を付けていたし、余談ですが南局は「踊り子」「サロンエクスプレス」関連、北局では「999」「はくつる」などが、頻度高く登場するマークでしたね。。。

6019の右のステンレスの最新鋭をファインダーから外すと、やすらぎ塗装になる前の同機が、高二の隅の方で、イベント休憩室になっている旧客と並んでいるような、、、休日ごとに開かれる撮影会に東奔西走した時代に、つかの間戻った気がしました。

かたや協三 「鉄道(27069)」

丸瀬布常連ナロー好きのGontaさんや、公園を通っただけで保存車両が何かいるのでは?と目の色変える鉄人騎士さんが一緒だったので、ほかにもないものかとケータイで検索すると、津軽中里にほど近い中泊町博物館にもう1輌、津軽林鉄のDLが保存されていました。

図書館やホールが併設された真新しい建物の一角が博物館になっていて、入口を入ってすぐのところに青いDLが鎮座していました。先ほどと同じ酒井工作所製と思いきや、こちらは協三工業の文字が前面のラジエータ上とサイドのアンダーカバーに躍っています。

ガキの頃、とても林鉄DLの製造メーカーまで趣味の幅が及ばなかった当方ですが、糸魚川の東洋活性白土の蒸機の製造元として、協三工業の名は、はっきりと記憶に残っています。産業用の小型機関車を数多く世に送り出した同社の足跡に、今あらためて目を瞠ります。

協三DBの手前に、説明板や昔日の写真と並んで、ボールドウィンの模型が飾られていました。もう1か所、保存車両があるという青森県森林博物館は次回の宿題となりましたが、津軽林鉄との遅すぎた出会いは、今回の旅の大きな収穫となりました。

SAKAI WORKS 「鉄道(27069)」

海峡を越えて青森へ……いや実際には、一度帰って3日出勤して、再び北へ向かいました。今年から仕事の関係で、月~金を通したお盆休みがとれなくなってしまい、海外鉄を断念してコマ切れ国内鉄に切り替えたわけでして、、、

今回の青森は、五所川原に泊って、津軽鉄道の沿線を行ったり来たり。残念ながら曇天模様で岩木山も姿をみせなかったので、駅舎をスナップしたり、保存車両を訪ね歩くことにしました。古い駅舎と、適度な広さが残る駅の数々、ああ晴れてたらなあ(笑)

芦野公園駅のすぐ近くに、津軽森林鉄道のDL+FC+PC編成が綺麗にレストアされて保存されていました。DLの「SAKAI WORKS TOKYO SHIBAURA」の文字も凛々しく、貨車には木材(もどき?)もちゃんと積まれていて、思わず唸りました。

昭和42年廃止、と説明板にありましたから、鉄の世界の格言、「あと5年早く生まれていたら」の世界です(爆)辛うじて木曽森林だけが経験可能だった我らが世代、津軽平野から今の海峡線のエリアに林鉄のナローゲージが張りめぐらされていたと聞くにつけ、気持を切り替えて保存車巡礼に精を出すしかありませんなあ。。。

温泉町のスナック 「鉄道(27069)」

駒場車庫へ入庫する530号を捉えようと、カーナビの指示するままに駅前を外して走っていくと、湯の川での折り返しに、いつの間にか先行していることに気づきました。急いで、湯の川の手前でクルマを停め、アングルを探します。

ちょうど湯の川温泉の小さなスナックの看板が並んでいるところで、中望遠のさりげないアングルが見つかりました。バックには大きめの温泉ホテル、なぜか白っぽい画面が、地方都市の有名温泉地の現在を微妙に現しているようです。

高校生のとき、撮影旅行の途中で山陰の温泉町に迷い込んで、スナックの青い灯赤い灯に幻惑されそうで怖くなって逃げ出したことがありました。それでいて、京都の学校の近くでは、酒も出す喫茶店にいつも平気で入り浸っていたんですが(笑)

大人になって随分経って、温泉町のスナックの奥深さ(?!)を知る機会がありました。考えてみたら、それまでずっと、「小さなスナック」という歌のイメージのままで来ていたなあ。。。今度は一度、湯の川に泊って、スナックの灯のともる頃、路面電車の走る大通りをふらふら歩いてみたいなあ、と思いました。

函館530 「鉄道(27069)」

といっても、クルマのナンバーや鉄なハンドルネームではありません(笑)そういえば、実は私の現在のクルマのナンバーは品川330でして、HNと一致しなくなってしまったのですが、先日、某首都圏撮影地で、以前はウチのクルマだけだった品川530でロクイチというのを実際に見たときは、何だかくすぐったいような、申し訳ないような気持がしました。。。

閑話休題。夏休み後半は、函館、青森と北へのショートトリップが続きました。函館では朝、「北斗星」を海峡線から大沼へ追いかけたあと、市内へ戻って、のんびり市電の撮影としゃれこみました。そこで今回初めて撮影して、大いに感動したのが旧型車530号、というわけです。

ここのところ週末には「お買い物電車」という臨時運行に充当されているのが、市交通局のサイトで公表されていたので、折り返しの函館どっく前で先行待機し、レトロな風合いをゆっくり味わうことができました。

何だか親近感があるなあ、と思ったのは、昔日の京都市電木造ボギー500型に、どことなくフォルムが似ているからでした。碁盤の目を循環する京都には、こういう終点の停留所はほとんどありませんでしたが、谷地頭も湯の川も、それぞれ独特の雰囲気があって、行き交う電車にカメラを向けていると、時の過ぎるのを忘れます。

いいなあ、函館。2009年のニッポンで、函館は路面電車の最もよく似合う街のように、私は思います。

朝練のあと

テレビのニュースではちょうど今、京都の大文字送り火のようすを伝えています。お盆休みも終わろうとする今日、まだ昼は30度を越す暑さながらも、吹き渡る風には、どことなく涼しさが感じられるようになりました。

能登、北陸、あけぼの。朝練をちゃんとしなければ、と思っているうちに、もう高崎線の北のほうでは露出が苦しくなってきたようです。今朝はまずまずの予報で神保原あたりまで?と思ったのですが、曇られてもなあ、と弱気にも(笑)都内出撃という安全策をとることにしました。

東十条もだいぶ鉄の姿が減りました。あけぼの通過の定時を回ったあたりから日が差し始め、遅れの茶ガマを迎える頃には、想定外の晴れ空=影の中&逆光写真、となってしまいました(泣)順光を取り返すために、推回の到着する尾久へ急ぐしかありません。。。

やがて、推回が朝日を浴びて後ずさりしていき、すぐに機回しの37号機が踏切の手前までやってきました。タテ位置の望遠を真正面にフレーミングさせながら、奇跡のように出現した茶ガマブルトレの魅力に、身震いする思いでした。

両毛線エレジー 「鉄道(27069)」

山口から帰った翌日、もう1日夏休みをとっていたので、こういうときでもないとこなせない平日ネタはないかと思っていると、友人から、両毛線でEF60牽引の工臨運転との連絡が入りました。高速1000円だし行くか、と勇躍出発、お盆期間前で適用外を知ったのはETC通過時(爆)

その目的の工臨を伊勢崎~駒形、通称イセコマで撮り終えたあと、そういえば駒形は小さな木造駅舎が残っていたはず、とスナップしてから帰りの高速に乗ることにしました。で、タクシーが1台待機する、好ましい駅前広場に着いたとたんに見たのは「平成21年10月~ 橋上化工事のお知らせ」、、、

斜面部分にも窓のある古びた跨線橋、上下ホームに残るホーローの方面板と木造の待合室、「駅長 STATION MASTER」の紺の看板、そして、「高崎方面」の木製の筆書きの方面板まで……自動改札でスイカが使えて、ちゃんと現役で働く駅舎だけに、不思議なアンバランスがたまりませんでした。

帰ってから検索してみると、お隣の伊勢崎でも大規模な高架工事が進んでいるようです。ちょっと昔、パックのミト座やEF55のイベント列車を撮るためによく訪れた頃、この線は渋い駅がたくさん残っているなあ、と思ったものですが、昭和エレジーを堪能できるのもどうやら今のうち、それもかなり急を要する状況のようです。





海辺の甍 「鉄道(27069)」

益田から岡見へ、短い停車を繰り返しながら、DD51重連は終着の火力発電所をめざしていきます。平日の午前中の海辺の小さな町々は、国道を通るクルマの音以外にほとんど物音は感じられず、夏の青空にはどこかそぐわない、静かな雰囲気をたたえています。

RF誌や「SLダイヤ情報」の撮影ガイドを頼りに、海がらみのアングルを訪ね歩いた現役蒸機の時代。たしか岡見でも一度下車して、海辺の堤防からシゴナナの旅客列車を撮ったことがあります。あるいは三保三隅だったかもしれません。その日は小雨が降っていて、古い屋根の家々が点在する漁村は、どこまでもどんよりとしていました。

無人駅の跨線橋がちょうど良い俯瞰アングルになっていて、海辺の町の甍が見渡せました。海は見えないけど、これは決定!です。そういえば浜田の東、田儀や馬路のあたりに、国道から海をバックに町と線路を見下ろすポイントがありました。そのときだけ、天気は晴れで、意外と赤い屋根が多いんだなあ、と思ったのを、ふと思い出しました。

益田駅の記憶 「鉄道(27069)」

早朝の山口線を走破したDD重連は、益田駅で順光を浴びながら小休止します。構外の駐車場から狙うこのアングルも、晴れなければどうということのないもので、今回やっと、満足のいくカットを撮影することができました。

古びた跨線橋がファインダーに入っているのを眺めているうちに、遠い35年前の記憶が少しずつ甦ってきます。津和野から萩、石見銀山と観光名所を巡る予定がいつのまにか長門市から益田、浜田と煙詣でとなってしまった春休みの旅、、、

今カメラを構えて立っている駐車場には、昔は当然線路が何本もあって、そうか、このあたりで入換のC56を撮ったのだと思い出すのに、数分の時間がかかりました。さらに、広い構内を発車していくデコイチの貨物の、それは長かったことも。。。

構内西のはずれの公園には、播但線から山陰線で活躍したC57156号機が、もはやナンバーも煙室扉ハンドルもない状態で、静かにたたずんでいました。続く晴れ空の下、単行のDCがわずかな乗客を載せて駅を出て行くと、DD重連の岡見への発車時刻が近づいています。

夏の朝を劈く 「鉄道(27069)」

30周年イベントの終わった山口に戻ると、日曜の夜ということもあって開いている居酒屋の灯も少なく、明朝の岡見貨物出撃に備えて早めにベッドに入ることにしました。直後の平日にシゴロクによる運転のあった去年と違って、街全体がどことなく虚ろな感じです。。。

翌朝。やまぐち号以外の時間に初めて行った地福も徳佐も、深い霧の中でした。夜露に濡れたSL有名アングルを行くDDダブルのエンジンの響きは、今までまったく知らなかった山口線の一面を見るようで、不思議な新鮮さがありました。

実は去年の大サロやまぐち号のときも、翌日は岡見貨物を狙ったのですが、朝はドン曇りでガッカリ、写真をブログでご紹介するのもためらわれたほどでした。それが今回は幸運なことに津和野を過ぎたあたりから日が差してきて、、、

やがて追っかけの鉄も揃った本俣賀のオーバークロスは、素晴らしい夏の朝の光に恵まれました。蝉時雨もまだ聞こえない山間の緑を劈く双頭の朱色は、いくつものハードルをやっと越えた鉄にだけ、無限の輝きを見せてくれているようでした。



されどDE10更新機 「鉄道(27069)」

その後、保存車両を撮りながら小倉まで北上し、レンタカーを返して、再び山口県内へ戻りました。新幹線を厚狭で降りて目指すのは、夕暮れどきに2本の設定のある、美祢線の貨物列車、1本は翌日岡見へ向かう炭酸カルシウム、そしてもう1本は重安への石灰石返空ホキです。

DE10更新機で運転される返空ホキをまともに狙うのは初めてのことでした。そうそう、いつもはDDの炭カル撮ったら、羽田行き最終便の待つ山口宇部空港へ急ぎ足で向かっていましたから、、、幸い、深い渓谷にも日が差す天気で、18時15分の通過時まで何とか陽が保ちました。

こうしてみると、赤いDE10更新機もなかなかですね、などと数ヶ月前には想像もしなかった感想を鉄人騎士さんに投げかけると、そのとおりですね、と深い頷きが返ってきました。奥深い山中を行く専用貨物というだけで、今や好意のフィルターがかかってしまうのですなあ。。。

あとでまた、このアングルは往年のRF誌別冊「SL撮影地ガイド」の美祢線のページにあった写真とまったく同じであることを思い出しました。たしかモノクロで、デコイチの逆向牽引だったような……30年の過ぎ去りし思いに耽るのもこのあたりにして、明日は現代DDの白眉、岡見貨物を狙うことにいたしましょう。

クラウス鎮座 「鉄道(27069)」

大分以北の日豊線には並行する高速がなく、リバイバル富士を追っかけながらの北上はちょっと難しそうでした。では、このあたりの保存車両を探しましょうと、同行の鉄人騎士さんと衆議一決、ケータイで検索すると瞬時のうちにリストアップ、あとはナビが連れて行ってくれるのだから、ほんとうに便利な世の中になったものです。

まずは、宇佐八幡宮の大鳥居の傍らに鎮座する、大分交通宇佐参宮線の古典機、クラウス26号に参拝いたします。ことのほか綺麗なあで姿は、あとで斯界の碩学S川Jさんに伺うと小倉工場の手で近年整備されたとのこと、大分県指定文化財の説明板が光ってました。

たしか大昔の写真集に、すでにここに保存された写真が出ていたなあと、帰ってから本棚を探すと、植松宏嘉さんの「さよなら蒸気機関車」に、モノクロの写真がありました。シチサン写真、形式写真、節度ある情景写真がバランスよく構成された植松さんの作風は、あらためて今見ると、素晴らしいものでした。

この後、我々は苅田の小学校で保存されている豊国セメント5号機を訪ねたのですが、植松さんの本には同機の現役時代の写真がありました。残念ながら日付が入っていませんが、同じ旅で撮影されたのかもしれませんね。ヨンサントオ直前に刊行された写真集の世界を、ふとした偶然から40年後に辿ることになるとは、これまたこの趣味の妙味ではありませんか。

リバ富士ふたたび 「鉄道(27069)」

30周年記念号の翌日も、平常運転に戻ったやまぐち号を狙ってもよかったのですが、九州島内の夜行列車として運転される「リバイバル富士」の魔力捨てがたく、新幹線で小倉へ。レンタカーを借りて、別府まで回送しました。

メジャーな温泉街に着いたのは夜9時を回っていました。ここも寂れてるだろうなあと想像していたのですが、意外と目抜き通りも飲み屋街も人通りがあって、ちょっと驚きました。居酒屋は何とか我慢しましたが、ホテルの直ぐそばにあったフォーク酒場を我慢するのは、かなり大変でした(笑)

翌朝。春の改正直後の運転時の「RIVIVAL」と違って、ヘッドマークの「FUJI」の表記に、その前夜の我慢も報われる思いでした。夜明け直後の大分から北上するというのは、本来はあり得ない時間帯と方向ですが、ドン曇りが幸いし、知らないエリアでのポイント選びもそんなに苦労せずにすんだのは痛し痒しで。。。

杵築、中津、宇佐と歴史を感じさせる町々を縫って走る日豊線の大分以北は、30数年前に列車で通過したことがあるだけでした。中山香という、これまた粋な名前の駅を出てしばらく行ったところに、格好の築堤があって、おなじみの顔もたくさん集まっていました。

30年目の夏 「鉄道(27069)」

30年前の夏、社会人1年生の私は、現役蒸機引退で鉄をやめて5年経った頃でした。山口線にシゴナナ復活のニュースに、おいおいシゴナナなら1度ぐらい行くかと思いつつも、試運転時の見慣れない形の集煙装置の写真にがっかりしたりもしていました。

結局、こらえきれずに9月の連休に山口へ。あの頃は津和野の駅前にレンタサイクルが所狭しと並んでいて、また土産物屋の店先にはSL煎餅だかSL最中だかがうず高く積まれていて、集煙装置付きのシゴナナの写真と貴婦人、貴婦人という言葉のオンパレードに違和感を感じたものでした。

そうかあ、会社入って30年かあ、、、夏休み前の仕事をやっと調整して乗った山口宇部へのNH691便、すでに前日入りした鉄が多いのでしょうか、到着後のターンテーブルに大量の三脚が流れるということにもならず(笑)、どうやらいい感じのセンチメンタル鉄のスタートとなりそうです。

いつもの踏切に、カーブを曲がってくる集煙+12系の姿が見えました。今日だけのヘッドマークは、貴婦人をデザインしたイラストなのでしょうか。そういえば、自分では使いませんが、30年のうちに貴婦人という言葉にも抵抗感が薄まりました。

30年前をそのまま再現なら赤ナンバーじゃないのか? 客車のJRマークは……などと野暮なことを言うのはやめておきましょう。ファインダーの中をみるみるうちに加速していくシゴナナは、今年も夏の光をカッコ良く浴びながら、背後の直線の勾配へ向かっていきました。



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