夏休み1971 「鉄道(27069)」

「わが国鉄時代 vol.2」に掲載いただいた写真からもう1枚、ちょうど今の季節のワンシーンをご覧に入れたいと思います。夏休み、海水浴に向かう子供たちと通勤客が行き交うホームを通過するC58。販売台に適度に積まれた駅弁も、時代を感じさせます。

京都の子供にとっての夏の海は、若狭か丹後でした。小学生の頃から、若狭高浜の遠い親戚の家をベースに家族で海水浴に出かけるのが我が家の夏休みでしたが、中学に入った頃から、私だけ海水浴より撮影、となりました(笑)

この写真の1971年当時となると、もう撮影のみが目的で若狭高浜へ。この年の秋にDL化が予定されていた小浜線のC58はもとより、福知山や播但線まで足を伸ばして、国鉄時代・少年の夏はまさに盛りを迎えていました。

時移り、2009年オヤジの夏休みも、おかげさまで明日から開幕です。今年は残念ながらインドネシアとはいきませんでしたが、まずは明朝のNH691便で、ちょいと西へ行ってきます。まだまだ盛りの鉄を楽しむ皆さんも、どうぞいい夏休みを!

わが国鉄時代2 「鉄道(27069)」

「わが国鉄時代 vol.2」が、昨日あたりから書店の店頭に並んでいます。懐かしい時代の珠玉の断片を繋ぎ合わせた素晴らしいアーカイヴ・ムックの第2集、今回は5枚の拙写を掲載していただきました。どれも高校時代の写真ですから、文字通りの拙写です(笑)

前回は忙しさにかまけてお送りできなかったので、今回はしっかりセレクトしてお送りしようと思ったのですが、いざスキャナに向かってみると、膨大な昔日の拙写の海でおぼれそうになるばかり……あ~これ撮ったよなあ、え~こんな写真撮ってたのか、とポジを蛍光灯にかざしながらの迷い道くねくねでした(爆)

5枚の中から、最も目立たず、さりげない1枚をご紹介しておきましょう。1971年4月、山陰線京都口DL化2日前の西大路通りを渡ってゆくシゴナナです。ほんとうは市電との絡みを狙って叶わなかったのですが、自分が五感で記憶している、あの頃の京都の街の空気が、古いモノクロ画像から伝わってくるように思います。

同書では佐倉さんひくまさんもーたーまんさんをはじめ、お世話になっている方々の佳作の数々とご一緒させていただいていて、遠い昔に戻って撮影地で並んでお話ししているような幸福な錯覚を楽しませていただきました。皆さまもぜひ、ご一読を。

30年前へ、回送 「鉄道(27069)」

梅小路を出ると、京都の街は激しい通り雨に見舞われました。何度でも変更できるEX-ICを使って、早めののぞみでもう帰ろうかと思ったのですが、とりあえず京都駅ビルで開催されていた「大鉄道展」を覗いて雨宿りすることにしました。

京都が生んだ稀代の鉄道写真家・高橋弘さんの名作の数々を鑑賞できたのは、思わぬ収穫でした。思い出してみると、中学生のときの鉄道友の会京都支部の見学会の参加賞は、高橋写真館のプリントだったりしたなあ、、、いつみても、高橋さんの写真には、京都の街の匂いが色濃く感じられて、うれしくなります。

そのあと昼飯を食べているうちに雨はやみ、日が差してきました。それならば、やまぐち30周年号の12系回送を撮ってから、東京に帰りましょう。PF+12系は今や貴重な国鉄時代の青づくし、めざすポイントには先客1名、ご挨拶して一緒に撮らせていただくことにしました。

やまぐち号が走り始めた30年前、SL列車の客車を改装してイベント性を持たせるという発想は、世の中にまったくなかったのですね。波動輸送用の12系が、何の疑問もなく、蒸機復活列車に使われた時代……シゴナナよりひと足先に、京キト12系の30年前への旅が始まりました。



麗しのスポーク 「鉄道(27069)」

アンコールが長引き、終了後のCD購入者への即席サイン会(なんとユミ&タエ二人で!)にも参加したため、当初押さえていた最終の「のぞみ」をケータイで翌日に変更し、京都で1泊することにしました。こんなとき、EX-ICは便利ですね~ JR-Cの素晴らしいサービスを享受するたびに、どうして122を……と正反対の感情になるから、鉄はホントに不思議な生き物ですなあ。

翌朝の梅小路。搬入されたばかりの日鉄羽鶴1080号機はクラの奥深くしまわれていましたが、C551号機が虫干し線に出ていて、麗しのスポーク動輪をじっくり鑑賞することができました。ロッドの赤はちょっと余計な気もしますが、久しぶりにお天道様の下で見る1.75mの繊細な放射模様の美しさといったら。。。

北海道での活躍が長いこの1号機は、開館前年秋の映画撮影の折に梅小路へやってきて、C622号機などと違って、そのまま北へ帰らずに、ここへ居ついてしまいました。いわば、梅小路入りの順番では、トップバッター。工事が進む扇形庫でずっとポツンとたたずんでいたのを、山陰線の車窓から見かけたものです。

結局、一度も本線へ出ることなく静態保存になってしまったこの1号機ですが、30数年の歳月がいい艶消しとなって、日本のライトパシの美しさを今に伝えています。寒地仕様のキャブをフレームアウトすると、昔日の輝きがほんの一瞬、甦るようでした。

ひかりで西へ 「LIVEに行って来ました♪(36855)」

「ひかりは西へ」というと、山陽新幹線岡山開業時のキャッチコピーでしたね。浜松工場から駅に戻って、またまた浜松停車の「ひかり」で新大阪へ。「ひかりで西へ」は、ある時代の関西出身者の基本で、「のぞみ」にはない独特の語感で、しみじみと思いに耽ります。

工場では100系の先頭車と食堂車が、0系先頭車と合わせて3連で展示されていました。思えば100系の登場は国鉄の最末期で、「ひかり」が最大限に光を放っていた最後の時代だったんですね。アナログな方向幕が、シンカンセ~~ン!という感じではありませんか!

新大阪から地下鉄乗り継ぎで守口へ。今夜は田中ユミさんの「シモンズ40周年コンサート」。何と、もうひとりの玉井タエさんもステージに登場し、「恋人もいないのに」に始まる往年の美しいハーモニーの片鱗を聞かせてくれました。

ヤングお~お~の今月の歌は「つぼみ」だったのか、とか、当初は「あのすば」がシモンズのデビュー曲の予定だったのか、とかのトリビアネタも尽きず、いい感じでトシを重ねたお二人の爽やかさに、驚くばかりでした。

ええ、「おくれてきた少女」も「ふるさとを見せてあげたい」もやりましたよ~ 周りの客席は私と同じように老けてしまった、関西のむかしの中学生や高校生ばかりでした。ひくまさん、枯れ鉄さん、お誘いすればよかったかなあ(笑)

安堵の浜松 「鉄道(27069)」

土曜日のお昼前、品川から乗った久しぶりの東海道新幹線は、夏休みの家族連れで賑わっていました。浜松停車の「ひかり」を待つ間に、700系の「こだま」が来たりして、こんなところでも時の移ろいをひしひしと感じました。

毎年、夏のいちばん暑い日を選んで行われるのでは(?)と嘆きたくなるような浜松工場の公開イベント、今年もまた曇り予報を吹き飛ばす猛暑となりましたが、数日前に「JR東海博物館」の収蔵車両リストがプレス発表されたことで、ちょっとひと安心の気分で、1年ぶりに工場の門をくぐります。

我らがイゴナナは、ED18と縦列で、例年通り架線のない屋外に展示されていました。末期の飯田線工臨牽引時とあまり変わらない普段着のスタイルは、わびしさよりも昔の数々の風景を思い出させてくれるようで、静かに再会を楽しむことができました。

ふと気がつくと、ゴハチ時代の戦友の姿が数人、見受けられました。122解体のニュース以来心のどこかで不安に思っていたイゴナナの前途も決まり、みんな、ほっとした表情で、それぞれの思い出を、流れる汗をふきながら反芻しているようでした。

EL代走パレオ 「鉄道(27069)」

朝練終了後は速攻で帰宅して爆睡するのが中年鉄の常のようですが、この日は3連休の中日で、午後に上越線で旧客訓練もあったので、眠気をこらえながら、久しぶりのデニーズモーニングのあと、秩父鉄道へ向かいました。

メインのターゲットは、C58の不調により電機で代走となった「パレオエクスプレス」。回送と本列車の間には、オレンジバーミリオンや新たに登場した秩父鉄道旧色の101系もやってきて、睡魔との闘いには、絶好の援軍となりました。

しかし、デッカーの客車列車が走る地方私鉄、というだけで感激モノですね。大井川もそうですが、JR旅客会社の電機が刻一刻壊滅へ向かういま、これまた小さな現代の奇跡のように思います。このハコ、カヌ座でしたよね。この色になってから、なかなか上京の機会は少ないジョイトレでしたが、EF62末期の信越線や、Pトップでやってきた東海道への運用などが印象に残っています。

この時期、沿線の花火大会にあわせた臨時列車運転が恒例になっていて、昨年までは四重連とか五重連もあったのに、、、と同行の鉄人騎士さんはいささか不満顔でしたが、秩父EL素人の当方としては、シックな魅力に思わず唸り声をあげてしまいました。

2009朝練初参加 「鉄道(27069)」

遅まきながら、三連休の中日に、2009年流行りの朝練に初めて参加してきました。言わずと知れた高崎線上りの夜行3続行、前夜10時の段階での晴れ予報に出撃を決断しましたが、結果はご覧のとおり、、、ま、人生思うようにはいきません(笑)

やっぱり、数週間前の土曜に来ておけばよかったなあ、と後悔しきりの夏の朝、それでも、「能登」から始まって「北陸」そして本命のEF64一般の「あけぼの」と続く早朝の小一時間はあっという間に過ぎ、線路端待機の醍醐味を心底から味わせてくれるものでした。

思えば、ブルトレ最後の「続行銀座」が東海道でなく、ここ高崎線になろうとは、誰が想像したでしょうか。それも、ブルトレと縁のなかった64一般が最後の華を飾ることになろうとは……2009年の朝練に、たくさんの人たちがハマるのも、よくわかりました。深夜出発はつらいけど、今度は何とか晴れをゲットしたいものです。

神田共立リターンズ 「LIVEに行って来ました♪(36855)」

3連休の最終日、昼間の仕事もつつがなく終わってひと安心、水道橋、九段下と続いたライブ巡りは今日は神保町へ……30年ぶりの神田共立講堂での「アリス・リターンズ」。考えてみれば、神田・御茶ノ水界隈は、我らが時代の、昔の音が似合いますなあ。

しかし、アリスが好きだったとは、なかなか言えない雰囲気がありますよね。皆、「カラオケではよくやったなあ」と照れ笑いしながらも、「遠くで汽笛を聞きながら」を諳んじてたりして、、、おそらく、谷村新司と堀内孝雄の双方がニッポンの大御所になってしまったせいなのでしょうか。私も正直言って、いまだに微妙です。でも、「遠くで~」と「ジョニーの子守唄」は好きだなあ(爆)

神田共立は千代田区の文化財に指定されたそうで、30年の時の流れが、どこか重厚な雰囲気を醸し出していました。思えば、大学入学直後、かぐや姫の解散コンサートをここで聴きました。今日のアリスも、3人だけでステージに立っていた時代を再現する趣向で、アコースティックな場所のアコースティックな音は、心に染み入るものがありました。

70年代上野駅の写真、初期の8トラックのカラオケのバックにいかがでしょうか(笑)あ、そうそう、3連休の中日には、ちょっと久しぶりに激しい鉄もしてきたので、そのご報告は次回以降にいたしましょう。

ほんの数年前の、遠い日々 「鉄道(27069)」

ここ数日、鉄人騎士さんのところで5,6年ぐらい前のイベント列車の写真がアップされていて、そうか、ついこの間のようだけど、もう遠い昔のことだなあ、と毎日ため息をついてしまう今日この頃です(笑)

東海のゴハチ最後の重連となった5年前の写真を、当方も探しました。先頭の122号機は今はなく、次位の157号機も、来週の浜松工場の公開にはたして顔を出すのか、そして、近い将来、JR東海博物館に収蔵されるのか、、、心配です。

佐久間レールパークも秋には閉館の予定ですね。最後の最後までゴハチ工臨を追いかけて、中部天竜の駅のそばはよくクルマで通過しましたが、展示車両をじっくり見たことはまだないままで今日に至っています。

この3連休は、間に仕事が入り、お出かけも小規模になりそうです。イゴナナの現状を心配しながら、来週は、久しぶりに、東海道新幹線に身を委ねたいものですなあ。

遠い異国の市場や裏通り 「LIVEに行って来ました♪(36855)」

昨日は武道館のS&G追加公演に行ってきました。久しぶりの大きなたまねぎ(笑)は2階スタンド最上段から2列目で、いやはや豆粒だなあと思いきや、そうだそうだ、ブドーカンの音はこれだよなあ、と意外と和みながら楽しんできました。

初日と同じように「old friends」で始まったコンサート。67歳の二人組もすっかりジャパンツアーに慣れた雰囲気で、ドームのアリーナより拍手や歓声のひとつひとつがはっきりと聞こえるので、さながらアメリカの地方都市でツアーに遭遇したような錯覚さえ覚えました。

思えば、高校生のときに「スカボローフェアー」の市場や、「ボクサー」に出てくる裏通りはいったいどんな風景なんだろうと、ワクワクしながら想像したものです。いつか、そんなところへ実際に行くことがあるのだろうか、とも。う~ん、中国やインドネシアの辺境は行きましたが、S&Gチックな風景はまだあまり見てないなあ。。。

ライブが終わって、何だか茫然とした気持に襲われました。まだまだ世界は広い。とりあえず、♪Lie la lie ……♪と口ずさみながら、九段下の駅へ向かう坂道の人ごみに飲み込まれることにしましょう。

P.S いよいよラストの札幌ドームだけですね。JZX81さん、お気をつけて、いい旅を!



お台場の津軽海峡 「鉄道(27069)」

ちょいと遠征のない週末が続いています。このまえの土曜も仕事がらみでお台場へ。午後早くに抜けられたので、かねてから一度、と思っていた、船の科学館に保存されている青函連絡船・羊蹄丸を見てきました。

青函連絡船には、現役蒸機を求めて渡道した昭和47年春の1往復しか乗ったことがありません。それでも、わざわざ書いた乗船名簿、北海道均一周遊券を握りしめて寝転がった雑魚寝の船室、弁当食いたいけど我慢しようと思って眺めた売店の光景などを、しっかり覚えています。

羊蹄丸は地下が「昭和青函テーマパーク」のようになっていて、搬送車両用の線路の上に、DE10と青い客車が保存されていました。待合室や売店、デッキなどがハリボテ人形とともに再現されていて、なかなか楽しめます。出札窓口には乗船名簿の書き方や、上野方面行き時刻表など、掲示物もかなり忠実に再現されていて、観覧者も少ない静かな雰囲気の中で、遠い昔の青函連絡船を偲ぶことができました。

久しぶりに標準ズーム1台で、近場の週末もいいものですね~~

水道橋の旧友たちへ 「LIVEに行って来ました♪(36855)」

木金と続けて夜は東京ドームに行ってきました。木曜は復刻ユニフォームのG-YB戦、そして昨日はS&Gの最後と言われる来日公演。ツアータイトルからして「old friends」、プロローグもいきなり「old friends~~」……もう、たまりませんでした。

ポール・サイモンはなかなか味のあるジジイになっていて、アート・ガーファンクルの声は少しデジタル気味になっていましたが、これでもかと続く懐かしのヒットナンバーと、合い間に入るソロでの新しさへの挑戦と、聞き惚れているうちに、あっという間の2時間でした。

82年の初来日公演は、まだ後楽園球場の時代でしたね。平日だったのか週末だったのかも覚えていませんが、水道橋の駅で待ち合わせて、橋を渡って球場へ。スタンドの中ほどから見た豆粒みたいなS&Gは、今でも脳裏に残っています。

その年のジャイアンツは藤田監督の2年目で、江川と西本の両エースの全盛時代、、、社会人になって数年、ボックスシートなるところへ初めて行った時代でもありました。昨日か今日、あの頃と同じように駅から球場へ向かう人ごみの中に、旧友たちの姿が、もしかしたらあったのかもしれませんね。

Everytime You Go Away… 「鉄道(27069)」

昨日の吉田拓郎ツアー、大阪公演は体調不良により中止になったそうです。う~ん、心配です。つま恋、そして追加のNHKホールまではたして、、、今はご本人の回復を、ただただ祈るのみです。

今紐解いてみれば、1985年はまた、男性ボーカルのバラードの佳曲がヒットチャートを賑わせた年でもありました。ポール・ヤングの「Everytime You Go Away」、ブライアン・アダムスの「Heaven」、フィル・コリンズの「One More Night」……うぅ、もう泣けてきます。若き日のJZX81さんは、ディスコのチークタイムかな(笑)

夜遊びのない土曜日は、踊り子横浜バルブのあと、上野駅へ移動して多客臨運用のEF62を捉えたこともありました。ちょうど篠ノ井の若番が落ちる時代で、長野へ帰省しているKさんから連絡が入り、「今日は3号機!」との速報に心躍らせながらも、この上京が最後かも…と緊張しながらバルブの秒数を数えたものです。

この年の邦楽では「そして僕は途方に暮れる」なんていうのも名曲でしたね。EF623号機は今も北長野に保存されているのでしょうか。どこかへ行ってしまった機関車たちの夜を思い出しながら、20数年の歳月にまた、途方に暮れています。

シンディ・ローパーが聞こえる夜 「鉄道(27069)」

サタデーナイトフィーバーかあ、、、JZX81さんのコメントから懐かしいフレーズを思い出させていただきました。そうそう、原宿のペニーレインといえば、一昨日の土曜日は吉田拓郎ツアーの東京ファーストライブでしたね。このブログを見ていただいてる方の中に、幸運にもいらっしゃった方はおられるのでしょうか。悔しいことに、私はチケットが手に入らず。。。

85年あたりの時代は、何だか長野のKさんと週末になると「バルブ明かして」いたばかりのような気もしますが(笑)、友人のマンションで夜通し見たMTVのビデオクリップや、ガールフレンドのために作った洋楽ヒットチャート・カセットのことも、懐かしく思い出します。

土曜の午後の踊り子撮って、返しを横浜でバルブして、それから飲み仲間の待つ中華街へ行ったことがありました。深夜の元町のバーでは、シンディ・ローパーの「All Through the Night」が流れていました。好きだったなあ、もちろん「Time After Time」も、あのコも。

横浜駅の東海道上りホームの、パタパタ表示板や古いベンチが、ロクイチの傍らに写っています。たしか、この踊り子の発車とともに、後方からは「富士」が進入してきました。そしてロクイチさえも我々の眼前から消えたいま、過ぎ去りし思いに、ただ、胸を打たれます。








岸記念体育館あたり 「鉄道(27069)」

1985年・大森の桐畑踏切(東チタさんありがとう!)、9027レの入ったスリーブを眺めていると、すぐに、チェッカーズや安全地帯の流れる24年前の東京に迷い込んでしまいました。何しろYouTubeのおかげで、あっという間のタイムマシンですから(笑)

大森の前日の金曜日、山貨で122の14系を撮っていました。原宿から渋谷寄りに少し歩いた岸記念体育館のあたり、もちろんカブリは時の運ですが、当時はフェンスが低くなったところがあったり、保線用のスペース越しに撮れるときがあったりで、光線の良い午後~夕方にけっこう使ったポイントでした。

記憶をたどると、たしかカメラをカバンに忍ばせて、仕事の合い間に駆けつけたような、、、当時はしょっちゅうやっていた(笑)平日サボり鉄(爆)、今ではほとんどできなくなりましたが、学生時代とはまた違った甘さとほろ苦さが、つい昨日のことのように思い出されます。

その、カメラを入れたカバンを持ったまま、金曜の夜は飲んでばかりだったなあ。。。ダイヤル回して手をとめてた時代(笑)、原宿のペニーレインの路地の薄明かりももうすぐ灯る日暮れ時、青いゴハチと青い客車が国鉄最後の光芒をみせていました。

We Are The Worldの1985年 「鉄道(27069)」

テレビのニュース番組では「We Are The World」のビデオクリップが流れ、マイケル・ジャクソンの遺言の中にダイアナ・ロスの名前があるとか伝えています。クレジットを見て、そうか85年の曲なのかと思うと、一瞬のうちに、仕事と酒に再びの鉄が加わって、あわただしく過ごしていた毎日が甦ってきました。

85年のポジをあれこれ見ていると、大森貝塚公園の踏切で撮った、土曜のロクイチ踊り子の晴れカットがありました。そういえば、この踏切、正式な名前は何というんでしたっけ? 小さな表示があったような、なかったような、、、senrobataさん、覚えていませんか?(笑)

あの頃、週末が近づくと、いつもこの列車のことが気になりました。はたして今週はロクイチは入るのか、天気はどうなのか?? 両条件が揃ったこのときは、田町で回送を撮らずに、早めにここへ向かったように記憶しています。

思い出してみると、CDに移り変わる前の、LP最後の時代が、ちょうどこの頃ですね。西麻布のDJバーによく一緒に行った、あの30そこそこの大人たちは、ほんとうの大人になったのでしょうか。巷に毎日流れるマイケル・ジャクソンを聞きながら、ふとそんなことを思ったりします。
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