東海道曇りアングル 「鉄道(27069)」

日曜日の「レトロ横浜号」下り回送も旅客線経由、曇天を待ちかねたように(笑)おなじみ大森貝塚公園の元・踏切付近に出かけました。そうそう、ここなら手持ちでPPの両サイドが撮れて一挙両得という魂胆もありました。

このポイントが30年来変わらず撮影可能なのは、都内に住む鉄にとって、大きな財産だと思います。3月の「富士ぶさ」最終上京を迎えうって以来でしたが、ポールごとに待機する鉄たちの雰囲気にもどこかのんびりしたところがあって、不思議と気分が落ち着きます。

今思えば、ここで、Pのブルトレを撮りたかったなあ。夕陽を浴びて西下する長大20系編成、はたまた朝の逆光に浮かび上がる登場間もない14系……幾星霜を経て、イベント列車の後尾にぶら下がって行くPトップは、ほんの少し、昔日の栄光を思い出していたのでしょうか。曇り空の下、心に残る2009年の東海道の風景でした。

夏草の操車場を行く 「鉄道(27069)」

「レトロ横浜号」、土曜日の夕方の上り回送は貨物線経由となり、Pトップ先頭の旧客編成を順光でキャッチしようと、新鶴見界隈は大いに賑わいました。私も東神奈川から都内へ戻って午後イチの仕事に顔を出して、再び、夕方は小倉陸橋にやってきました。

しかし、ネタ鉄の代替わりはめまぐるしいばかりで、いつの時代もこうした近隣撮影地撮り鉄のメインを占める白いシャツの制服姿の高校生たちの明るい話し声の応酬に、をじさん鉄はもちろんのこと、ついこの前までそちらの住人だったJR若手社員F君さえも、三脚の林の中で小さくなっています(笑)

ひとつ横浜方の矢ケ崎の跨線橋では、すでに架け替え工事が始まっているようでしたが、次々と眼下を行き交う列車を眺める楽しみは、ここ新鶴見の広大な構内に架かる何本かの橋の上からに勝るところはないのでしょうね。とはいっても、操車場の線路を剥がした後にマンションや学校、病院が建ち並んで、線路の数はすっかり少なくなりましたが。。。

フェンスを覆った夏草が、せっかくの旧客の足回りを隠してしまいました。あと数分で、何事もなかったかのように小倉陸橋に静寂が戻り、夕陽が沈む頃、いつもどおり、ぼんやり線路を眺める親子連れの姿があるのでしょう。新鶴界隈は、いつの時代も変わらない、そんな鉄道への憧憬に満ち満ちているように思います。

センイチ茶ガマの20年 「鉄道(27069)」

昨日の写真には写っていませんが(笑)、PトップのPPの相方はお馴染み641001で、品川から東海道を下るときには、センイチが先頭になりました。う~ん、東海道だから、まだPトップ先頭のほうが何となくそれらしい気もしますが、、、

しかし考えてみると、センイチの茶色塗装も、JRになる寸前のことですから、もう20年以上が経っているんですね。当時、EF55の影武者とも、「くつろぎ」(タカ座B! 懐かしい…)専用機とも言われましたが、どちらの相方も今はなく、旧客だけがマッチングの良い相手となってるのは、何やら不思議な感じもします。

昨日の朝、横浜への下り回送を東神奈川の歩道橋で撮影しました。朝の東海道旅客線下りを代表するアングル、残念ながら京浜東北とカブって編成後部のPトップが見えていませんが、すれ違いのステンレス2階建てとあわせて、現代の横浜を走る旧客ってことで、まあいいでしょう?!

二ノ宮さんからコメントいただいたように、昨日の朝の高崎線は「あけぼの」に青い64一般の登板で大いに盛り上がったようです。C61復活、498修理と感謝することばかりのJR東さまに、もう一つ我がままなお願いをさせていただけるなら、EF641001号機の新型電機標準塗装へのお戻しをご検討いただけないでしょうか。青に戻ったセンイチの牽く「北陸」や「あけぼの」、これはブルトレ最後の華になりそうで、ワクワクするのですが。。。

Pのアングル 「鉄道(27069)」

今週末は常紋遠征の予定でしたが諸事情により中止(北見のT島さ~ん、成果いかがですかぁ~~?)、梅雨の中休みの猛暑の土曜日、仕事や所用の合い間を縫って「レトロ横浜号」の旧客編成をスナップしてました。

快晴の朝、ほんとうは高崎線の朝練も考えたのですが、平日の疲労であえなく断念し、旧客の高崎からの回送を自宅最寄の山貨で待ち構えることに。さすがに1年で最も日の長い季節だけあって、7時半過ぎで十分、ビルの影は消えていました。

今日の編成は7輌なので、後部のEF641001まで考えると、このアングルでは編成が切れてしまいます。でも、このカーブの感じが65Pのブルトレ時代のショットに共通するものがありそうで、先客の肩越しに脚立を置かせていただくことにしました。

幸い、山手線や湘新ラインにカブられることなく、Pトップがすでに高く上がった夏の朝日に端正な顔を輝かせて、カーブを回ってきました。オハニが編成中ほどってところが、これまた転属回送のムードですが(笑)、こういうカーブの尻切れアングル、Pのカッコよさがなかなか出ているなあ、と自己満足&弁解そのもので(爆)、通過後モニターを眺めていました。



再見、呉先生 「鉄道(27069)」

尾久~上野間よりは少し短い距離だったでしょうか。街はずれの築堤から羅城の駅までチャーター列車は推進回送され、カマがすぐに切り離されました。あ~、このまま机務段へ帰っていくのかと思っていると、やがて駅舎の正面で停まって、呉さんたちが降りてきました。

すっかり顔なじみになった機関士の呉さんに手を振ると、こちらに近づいてきて、陽に焼けた手を差し出してくれました。謝謝、サンキュー、ありがとう……3ヶ国語を駆使して(笑)、なんとか感謝の気持を伝えようと必死でした。

その後、みんなでカマの前で記撮して、今度はほんとうにクラのほうへ去っていく建設形を、姿が見えなくなるまで見送りました。そして、街中のレストランで最後の宴会。お世話になった鉄道職員の皆さんと一緒の乾杯が続きましたが、やはり、呉さんの姿は最後まで見えませんでした。

呉さんは今日も薄暗いクラでカマの相手をしていて、これまでと違って、今日は自分の手で、最後の火を落としているのかもしれないなあ。。。見知った戦士たちの歓声に、疲労と酔いが微妙に交錯する中で、呉さんの無骨な手のぬくもりを思い出していました。

再見、羅城火車。
再見、呉先生。

再見、羅城火車 「鉄道(27069)」

日暮れ前、いいカットがとれたからもういいや~、と思ってるときに必ず、私のまわりには「いやいや、まだまだ」と言う仲間が現われます。ゴハチやEF62時代の長野のKさん然り、首都圏ロクゴ時代の新鶴の若人たち然り、そして、いわずもがな、O谷連隊長。(爆)

夕陽が沈む寸前に、最後に数回、走らせます。皆さん、好きな場所で撮ってください……もう、誰がどこへ散って行ったのかも、気になりませんでした。線路端で建設をぼう~っと眺めているだけでも、十分に気持のいい時間でした。

ガイドの李さんの「そろそろいいですか?」の声に、ふと我に帰りました。そうだ、シルエットを狙おう。初めての逆光側です。つい先ほどはかなりの方が構えていた田圃の畦道に、KatoさんとGontaさんだったかな、、、二人の戦士が残っていました。

すでに夕陽はキャブの高さより低くなり、岩山の向こうに没する手前で、最後の輝きを放っていました。ゆっくりと、羅城最後の火車がフレームを横切っていきます。集通でも鉄法でも中途半端に終わっていた、我が中国蒸機の最後に、そのとき、ほんの少し、決着を付けられたような気がしました。

再見、街はずれ 「鉄道(27069)」

お立ち台から下りて、力尽きたようにチャーター列車に戻った我々に、連隊長から「さあ、ラストショット!」と声がかかりました。街はずれの築堤に戻って、夕陽が沈むその瞬間まで、最後の撮影を敢行しようというわけです。

先ほど、西日を浴びたお立ち台俯瞰が撮れたので、もういいよ~という気持もありました。ぬるい風が扉から時おり舞い込んでくる、吹きっさらしの貨車の中は、すでに茫然とした空気に支配されはじめています、、、

ところが、街はずれまでバックした建設が静かに小鉄橋のところで止まって、奇岩の上に浮かぶ夕陽のたしかな姿を確認したとき、誰しもが、もう一度だけ(笑)、最後の力を振り絞ろうという気持になりました。

朝、そして夕暮れ。羅城に来ると、一日はいつもここで始まり、ここで終わりました。列車を停めたままで、西日が照らす順光側から、心ゆくまで、羅城らしい風景の中にたたずむカマとの別れを惜しみました。

再見、お立ち台 「鉄道(27069)」

さて、羅城の午後に時計の針を戻しましょう。昼はいつもの生搾米粉なるラーメンだったのですが、行くたびに、ちゃんと冷えたビールは出てくるようになるわ、店のオバちゃんのエプロンは綺麗になるわで、今日が最後と思うとこれまた複雑でした。

午後の撮影を始めた頃が最も気温が上がり、さしものO谷連隊もみんなグロッキー気味で、線路端での撮影を余儀なくされました。が、日が傾いてくると誰からともなく元気回復、街はずれのポイントから斜光線の撮影に入ると、最後の力を振り絞って(笑)、次はいよいよお約束どおり、順光のお立ち台へ。

日の長い中国南部とはいえ、17時半になると、山影がみるみるうちに我々の眼前に伸びてきます。その影がまさに300mmのファインダーを冒そうとするほんのわずか手前で、初夏の夕暮れの柔らかな光を浴びて、中国蒸機の最後の季節の徒花が、小さな花を咲かせていました。

機次はオハニ 「鉄道(27069)」

30分ほど、C6120号機をあれこれ撮っているうちに、小雨がパラついてきました。次なる再会は大宮あたりになるのでしょうか。そんな楽しい想像をしたりしながら、北関東道に戻って再び上越線へ向かいました。

今日のハンドル訓練はPトップ+旧客3輌。編成が短いのがいささか残念ですが、上り列車の場合、機次がオハニになっていい雰囲気を出していました。Pトップとの組み合わせは本来の姿でないような気もしますが、ま、ブルトレ運用の合い間の転属客車回送ということで。。。

そういえばC61復活で、これからは高崎の旧客の重要性がより高まることになりますね。各種のジョイフルトレインも今はなく、ばん物客車と12系6輌以外に蒸気列車用の客車がJR東にほとんどない現在、まずは旧客のさらなる活用が期待されるところです。

駆け足で時空を超えた鉄なショートトリップを楽しんだ日曜日。新前橋でレンタカーを返して、渋滞25kmの関越道を尻目に電車で帰るのはラクですが、1000円高速利用のほうが安いのか、とちょっと複雑な気持でしたが(笑)


復活へ 2 「鉄道(27069)」

日なたに出てきた都電6086号を手短かに撮影すると、最近の都電との並びに後ろ髪をひかれながら、王子~大宮~高崎と急ぎ足で移動しました。Pトップ牽引の旧客訓練運転と、その合い間にC6120号機を見てこようというのが、今日の関東甲信越小さな旅ですね(笑)

新前橋でレンタカーを借りて、水上へ向かう旧客訓練下りを押さえてから、C61の待つ伊勢崎の華蔵寺公園へ向かいます。件の72年8月以来、37年ぶりの再会をこういう状況で果たすことになろうとは、今さらながらに、カマの運命の転変をあらためて知る思いです。

観覧車をめざしていけばいい、と聞いていたとおり、家族連れで賑わう遊園地の片隅に、綺麗に整備されたハドソンが静かにたたずんでいました。キャブには三菱の銘板と「宮」の砲金(?)所属板が凛々しく輝いていて、長年このカマの整備に当たった人たちの愛情が感じられました。

スノープロウは保存時に付けられたのでしょうが、このカマの出自をちゃんと意識された誰かがおられたのでしょうね。我々と同じく、いち早く姿を見たい、と駆けつけた鉄の姿がちらほらと、カマの周りを何だか嬉しそうに徘徊していました。





6月14日、鎮魂の朝 「鉄道(27069)」

荒川車庫に保存されている都電6086の撮影会があると聞いて、朝イチで行ってきました。長く個人の手によって保存されていた6086ですが、事情により行き場を失い、去年の6月、ある方の尽力によって、古巣の荒川車庫に帰ってきました。

私が大学入学で上京した1975年、すでに6000は予備車となっていて荒川線を走る姿を見たことはありませんが、万博の年に錦糸町の駅前を行き交うのをハーフサイズで撮っています。その程度の縁しかない関西のガキにも都電といえばこういうの、という印象ですから、東京育ちの皆さんには、おそらく独特の思いがあるのでしょうね。

今回のイベントの日程、6月10日の「路面電車の日」に接近した週末というぐらいにしか思っていませんでした。ところが、今朝の朝刊を斜めに読んでいて、昨年の地震からちょうど1年ということを知り、思わず背筋がピンとしました。

イベント開始10分前。暗いクラの中から、職員の皆さんの人力で押されて、6086が日なたに顔を出しました。小雨含みの予報ですが、何とか天気も保ちそうです。車庫の外に鈴なりになって開場を待つ鉄たちの後ろに、岸さんの姿が見えるような気がしました。

復活へ 「鉄道(27069)」

羅城フォトラン報告をひと休みして、3日前に新聞報道されたビッグニュースを、このブログをいつも見ていただいている皆さんとわかちあいたいと思います。そう、C6120号機の動態復活へ向けてのニュースです。

横川のナメクジ? 北の3号機? はたまた大宮の135?……D51498のボイラ故障以来、鉄の間でさまざまに推測を呼んできたJR東の3台目の動態保存機の候補が、伊勢崎の公園に保存されているC6120号機に絞られたという新聞記事でした。

早速、昔のネガを探してみました。私がC61を撮っているのは、1972年と74年の日豊本線のみで、74年には18号機のみが稼動でしたから、20号機を撮ってるとしたら、72年しかありません。梅小路入り直前の2号機が庫内で整備を受けていたのは覚えていますが、ほかに何号機を撮ったのか、今やまったく覚えていない。。。

ありました! 宮崎機関区、1972年8月16日。京都の高校生が、RJ誌の竹島さんの名ルポ「春浅き日向の野辺のC61」に憧れて辿り着いた、煙の聖地、宮崎。スキャナのプレビューに夏の日の強い陰影を帯びたハドソンの雄姿が浮かび上がった瞬間、37年の時を超える衝撃がいきなりドーンと伝わってきました。
 

水光るお立ち台 「鉄道(27069)」

街はずれでの撮影を終えて貨車に乗った一行が次にめざしたのは、湖を見下ろす、羅城専用線を代表するお立ち台です。ここは光線の良い午後じゃなかったの~~とO谷連隊長に言うと、まず半逆光で撮りましょう、午後も行きますから安心しなさいとたしなめられました(笑)

ここはおそらく、一生忘れない撮影ポイントのひとつになるんだろうなあ。。。1月に初めて来たときには水墨画のようだと思っただけでしたが、3月の春の色、4月の雨ときて、そして今回の萌える緑は、最も光る水面と似合ってるようにみえました。

「支線のほぼ中間、湖の背後に重なる岩山を望む、羅城随一の撮影ポイント。午前中はカーブの手前で列車側面に日が当たり、午後はカーブを曲がった後が順光となる。200~300mm使用が基本だが、望遠撮影の後、標準~広角で手前の奇岩を入れてのカットも可能。アクセスはチャーター列車以外には、ひたすら歩くしかない……」

「お立ち台通信・羅城編」ならこんな感じのガイドとなるでしょうが(笑)、ガイドの原稿書いても、もう誰かの参考になる機会もなさそうなのが、寂しい限りですね。

緑の絨毯を望む丘 「鉄道(27069)」

いつもどおり、羅城の街はずれから、支線のフォトランが始まりました。若干靄っているものの、朝にここまで晴れたのは4度目にして初めてで、平地マニア(笑)の当方でさえ密かに期待していた順光俯瞰に心躍ります。ま、宗旨変えかと言われるのもナンなので、口には出しませんが(爆)

1か月半前の水鏡はとうに消え、苗が育った田圃に葉を伸ばしたトウモロコシ畑と、緑の絨毯があたり一面に広がっていて、その色あざやかさに目を瞠った瞬間、ふう~っと大きな息をついてしまいました。そして、バックには見慣れた岩山の、優しい稜線。

ご他聞に洩れず、厳寒の東北部から中国蒸機に馴染んでいった10年前、汗だくになりながらも丘に登って、初夏の南部で煙を追うことになろうとは、想像もしませんでした。そして、集通で一区切りつけたはずの旅が、今日まで続くことも。。。

♪ラララ~~~緑の季節♪……山口いづみ、後に時代劇で活躍しましたが、はじめはアイドル歌手でしたね。こんな唄がスマッシュヒットしていた高校時代、30年以上経って海外でカマの写真撮ってるとは、もっと夢にも思いませんでしたが(笑)、あのころ枯れ鉄さんたちと登った貴生川だか信楽あたりの俯瞰の風景を、なぜか思い出していました。





朝日に煌く 「鉄道(27069)」

丘の上に残った主力部隊と離れて、KATOさんと平地に下りて、順光側を狙うことにしました。そういえばKATOさんは最後の最後に「羅城病」に罹患した犠牲者ですが、さんざん羅城の話を皆でしてきたせいか、とても初参加とは思えない、機敏な動きをみせています(笑)

線路脇の草々に難渋して、ここは思い切ったカブリツキのアングルを選びました。低い築堤に作られた小さな石段を一段降りて、ほぼ正面に朝日を浴びた横位置のフレームに、背後の奇岩の小山がふたつ綺麗に収まったとき、遠くから建設の発車を知らせる汽笛が聞こえました。

今回は朝イチでまず本線側をやりましょう、、、O谷連隊長の提案は、主に暁の俯瞰を狙ったものでしたが、正面に朝日をしっかり受けた建設の威風堂々としたシーンを得ることができて、あらためて連隊長の鬼気迫る判断の凄さを思い知りました。

今日は、いい天気になりそうです。O森さん、鍋屋町さん、T島さん、団長さん、Gontaさん。。。弾丸ツアーの疲れを吹き飛ばすような戦士達の笑顔が丘から下りてきて、さあ、いつもの支線での最後のフォトランが始まろうとしています。





暁の白煙 「鉄道(27069)」

最後の羅城フォトランから、先ほど帰ってきました。待ちに待った終日快晴。もうそれだけで、満足です。日中は34度まで上がった暑さの中の荒行でしたが、O谷連隊10人の羅城最終戦士の一員であったことに、何やら誇りめいたものを感じてしまいます(笑)

朝5時半出発。今回は、新印へ向かう本線の逆向運転からフォトランが始まりました。ガイドの李さんによると、機関士の呉さんはすでに退職したにもかかわらず、今日だけ、仕事に復帰するそうです。もはや「羅城SL甲組」も、リバイバルの世界ですね。。。

羅城の駅で呉さんと再会の握手をしてから、幾重にも重なるタワーカルストを望む丘に登りました。東京よりは1時間ほど遅い暁の太陽がゆっくりと昇ってくると、奇岩がだんだんと淡い黄味を帯びていきます。

その絶景に見とれる間もなく、思いもかけない白煙をたなびかせて、うたかたのドリーム・トレインがまた、夏の暁に染まっていきました。









初夏の帰り道

篠直へ向かうT島さんたちの鉄車の列から離れ、再び美祢線へとレンタカーを走らせました。日の長い季節限定、山口宇部空港への帰り道の駄賃は、翌日には重連で岡見へ向かう炭酸カルシウム専貨です。

すっかり晴れ上がった夏至近くの青空に、ここ数年来何度か挑戦しながら果たせないでいた、鴨ノ庄信号場の通過アングルを狙うことにしました。ところが、山影が見る見るうちにマンダーラを形成し(笑)、アングル修正を余儀なくされます。

17時40分過ぎ、カマには何とか光があたった状態で、ライトを灯した赤いDDが、うっすら赤い光線に染められて、姿を見せました。秋とは違った、明るい夕陽。朝な夕なに原色のDDが走る美しき里の風景も、もしかしたら見納めが近づいているのでしょうか。。。

P.S
明日から、正真正銘のラスト羅城弾丸ツアーに行ってきます。ワクチンの効かない「羅城病」に罹った数奇で愛すべき(笑)皆さんと一緒です。夏の奇岩をバックに走る建設と、機関士の呉さんの笑顔に、もう一度会ってきます!

夏の扉 「鉄道(27069)」

津和野。遅いお昼にしようと、なごみの里のレストランに入ると、店長らしきオジサンが「いつもありがとうございます」、、、ここはJGCカウンターか(爆) メシ食べ終わって、風呂にはいって足を伸ばすと「やっぱりここでしたか」と、隣には大山路で会ったYさんがまた(笑) そして、本門前踏切に行ったら、出張鉄のT島さんだあ(笑)

やまぐちに来ると、ほっとする。津和野での折り返し時間は、厳しい平日のあれこれを洗い流す、かけがえのない時間になりました。で、そんなこんなのうちに、ちょっと遅れての予報どおりの晴れ間が広がってきました。

午前中とはうってかわって、気分はもう夏。もう水鏡は切り上げて、青空と雲とシゴナナを撮ろうと、鍋倉へ向かいました。ここではすっかり田植えが終わったようで、植え揃った苗の間に少し残る水面が、初夏の光にキラキラなじんでいます。

♪Fresh Fresh Fresh! 夏の扉をあけて…♪ 先週、うちの職場では久しぶりの新入社員を迎えましたが、セイコちゃんのヒット曲がたえまなく街に流れていた我がフレッシャーズ時代を少しは思い出して、さて、厳しい諸局面に向き合うことにしましょうか。

しつこくも水鏡

重安を発車する赤ホキを見送ったあと、中国道を使って、やまぐちに移動しました。朝から晴れの予報に反して、前途は厚い雲の合い間からときどき日が差す程度、、、まあ、世間(予報)の晴れと、鉄の晴れの間には大きな差異があるのはいつものことですか(笑)

1週間前に続いて、しつこくも水鏡を探すことにしました。まず大山路では若干アングルを変えて。先客から「久しぶりです」と声がかかると、ゴハチ時代の戦友、大阪のYさんでした。撮るものなくなりましたねえ、と、ついつい、ある一定以上の年代の共通の会話になります。

地福では、いつものアングルが、先週よりいい感じの水鏡になっていました。場所や光線によっては、曇ったほうが好結果につながることもあるようです。もっとも、一番運に左右されるのは風の状況ですが。。。う~ん、ほんとうに奥が深い。

長門峡の先でカマにトラブルがあったらしく、少し遅れてやってきたシゴナナは、いつもは撮影タイムとなる地福の小休止もそこそこに、すぐに発車の汽笛を曇り空に響かせました。晴れ間は出ていませんが、まもなく終わろうとするニッポンの美しい5月の影が二つ、ファインダーを横切っていきます。



どうなる? 美祢の赤ホキ 「鉄道(27069)」

今月のRM誌で、美祢線の「赤ホキ」こと石灰石専貨の今後がきわめて危ぶまれることが報じられていました。やまぐちのシゴナナのついでに何度か撮影に訪れていますが、もう一度見ておきたいと思うと止まらない……今週はANAで山口宇部に降り立ちました。

NH691便で行くと、赤ホキの重安発車に間に合います。で、そのあと高速使って9521レを大山路あたりで、、、何回か辿ったこのコースを、今日で最後かもしれないと思いながら繰り返して、いつもながらに、鉄の世界独特の感傷を心地良く味わいます(笑)

D51の石灰石貨物が絶え間なく行き交ったという時代を偲ぶ重安の広い構内では、ちょうどDDがホッパーからホキを引き出すところでした。こんな工場萌え~なシーン、今ではそう簡単に見られるものではありません。DDの排気の煙だけでも興奮するのですから、現役蒸機の時代を想像しただけで卒倒しそうですね。

とりあえず、今日で終わりということではなかったので一安心ですが、すでに編成が短くなる日が多いそうで、状況は厳しいようです。廃墟のようで廃墟じゃない、細々現役の昭和な風景を瞼に焼き付けました。

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Author:品川530
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