山を見ていた午後 「鉄道(27069)」

山手のドルフィンは~♪……大学生のとき、男4人で連れ立って横浜へ見に行きましたが(爆)、再び男8人のO連隊の進軍、奇岩の山を見ていた羅城の午後に、時計の針を戻しましょう。

いつもの米粉麺の昼食後、羅城の街はずれに戻ると、いよいよ陽が差し始めました。O連隊長の指し示す進軍方向はシルエット狙いの逆光側ですが、ここは珍しくも平地カットが狙えそうで、サイドライトの当たる側に、一人ほくそ笑みながらアングルをとりました。

ふと気づくと、今回初めてご一緒した大ベテランのMさんが、こちらに三脚を立てておられました。磐西にシゴナナでなくシゴイチが走ってた時代からの鉄で、悠々自適の日々に数十年ぶりに鉄を再開されたとか。世代を越えて、ほんの少し、それぞれの人生を投影させながら、線路際で語り合う、これはほんとうにこの趣味の素晴らしさですね。

二度目のスタートで、素晴らしい煙が上がりました。眼前を通り過ぎたチャーター列車が、少し行き過ぎたあたりで静かに止まって、Mさんが「良かったですねえ」と、何とも深みのある笑顔を向けてこられました。当方まだ50過ぎ、最近はいろいろ苦労してるつもりですが、まだまだですなあ。。。



卒業写真 「鉄道(27069)」

羅城弾丸ツアーの報告を今日はお休みして、博多のフォークイベントで山本潤子さんの「卒業写真」を聞いてきました。思いっきり早咲きになりそうだった今年の桜もちょっと足踏みの週末、この季節の心に染み入る歌ナンバーワンですなあ。。。

高校卒業の春以来降り立った直方駅は、昔機関区に煙がいくつも立ち昇っていたあたりに電車が幾重にも並んでいて、ただの空き地になってしまった各地の他の煙の古戦場に比べると、まだ何か救われたような気分でした。

初代の博多駅を移築したという古い駅舎は、ご他聞に漏れず改築が計画されているようです。中央のファサードに、ちょうど通学帰りの学生たちが屯ろしていました。彼らは当然、平成生まれ。昭和の歌がどんどん思い出の世界で美化されていくのは仕方ありませんなあ(笑)

それにしても、山本さんの澄んで伸びのある声、変わりませんね。イベント会場で買ったベストアルバムを繰り返し聞きながら過ごす、花冷えの夜です。



山、水、煙 「鉄道(27069)」

春3月ともなると、さすがに線路際の草も成長し、高い位置からの撮影を余儀なくされます。日頃は俯瞰より平地撮影を旨とする当方が息切れしつつも山登りを繰り返すさまは、どうもT島さんやひくまさんには、笑えるシチュエーションのようです(爆)

なかでも、ここは登らないわけにいかないのが、前回も感動した、湖をバックにカーブしたあと、さらに通称「オッパイ山」と呼ばれる奇岩のダブルにさしかかる、絶景の丘です。前回やり残した縦位置アングル、今日は何とか決めたいものでして。。。

先日、家の近所の目黒通りを歩いていて、小さな骨董品屋がありました。店の前に並べられた「明治時代」と書かれた皿の絵は、微妙に桂林チックな岩山がモチーフで、思わず手に取ってしまいました。ま、値段見て、買うのは思いとどまりましたが(笑)

ここでも、熟練の技によって、前回とは比べものにならない、真っ直ぐな煙が立ち昇りました。丘の上の300mmからも、異国の鉄のためにキャブの中で奮闘する、機関士の呉さんの笑顔が見えるようです。

カルストに春の色 「鉄道(27069)」

夜が明けて、羅城から地菜への支線でフォトランが始まりました。前回と同じように、編成中の貨車に乗って、ポイントに着いたら下りる→撮る→乗る、の繰り返し。まず最初は、街はずれの菜の花に狙いを定めました。

中国蒸機と菜の花といえば、何といっても四川省の芭石が有名ですが、ここ羅城にもけっこう咲くらしいとのO谷さんの情報で、カルストをバックに一面の菜の花、というのを心密かに期待していました。

実際はあたり一面、とはいきませんでしたが、沿線のあちこちに菜の花の黄色が散りばめられ、名も知らぬ白い花も涼やかに咲いていました。まだどんよりとした朝の空には、圧倒的な黄色よりも、これくらい上品な雰囲気のほうが似合いますね。

今日の昼は30度近くまで上がるそうです。どうやら白煙は望めそうにありませんが、さすが煙の売人・O谷連隊長、チャーターならではの煙の出し方も、回を重ねるごとに熟練の域に達してきたようで、ありがたいことです(笑)

奇峰払暁再び 「鉄道(27069)」

再びの羅城弾丸ツアーから、やっとの思いで(笑)帰ってきました。O谷連隊ツアーでは、今までも幾度となく厳しい修行を経験していますが、今回ほど心身ともに限界まで鍛錬の道を究めた旅はありませんでした(爆)……いやはや、素晴らしかったなあ!!

今回は、ひくまさんと羽田で合流、NH~FMとスターアライアンスを上海で乗り継いで桂林に入りました。すっかり顔なじみになったガイドの李さんの出迎えを受け、本隊が到着したら車で4時間、羅城のホテルに日付が変わって着くのにも、すっかり慣れました。

前回よりも日が長い、ということは撮影も早く始まる、ということになります。朝5時半にホテルを出発、払暁の羅城の駅には、すでに建設が静かに待機していました。おまえら、待ってたぞ、よくまた来たなあ、、、カマのたたずまいに、何やらただならぬものを感じます。

予報は、曇りのち晴れ、まずまずの天気のようです。暗かった空の青味が、明るさをほんの少し帯びたその一瞬、2か月前とはすべてが違う、天上の一日が始まりました。

春朦朧~大淀川 「鉄道(27069)」

延岡を過ぎて、懐かしのライトパシフィック・ラインに入りました。美々津、佐土原、高鍋……どの駅の名前にも、30数年前のRF誌やRJ誌のグラフを飾ったカマたち、あと、少しだけですが(笑)自分で撮った写真のアングルも思い出します。

ポールが建ち始めた72年夏、東北からやってきたC61も健在で、門デフのシゴナナに混じって真っ昼間の貨物を牽いていたのはちょっと違和感がありました。2年後の春、宮崎電化直前には、最後の1桁、9号機や、梅小路以来の朋友89号機が、ビームの下を窮屈そうに走っていました。

高鍋の手前で撮影したあと、いよいよクルマを大淀川へと走らせました。今、鉄橋のたもとのフェニックスはすっかり勢いを失い、あの日リゾートホテルと思ったのは古ぼけたラブホとなって、後方にはファインダーから外しようのない大きなマンションが建っています。

35年ぶりの大淀川。それでも、これだけ風格の備わった鉄橋はなかなかないなあ、と思いました。日本一の山をかたどった、歴史ある第1列車のヘッドマークによく似合う。。。ブルトレの最後を追って春朦朧、過去と現在を忙しく旅した日々の終わりが近づいていました。

P.S
明日からの三連休、再びの羅城弾丸ツアーに行ってきます。ブログはその間お休みしますが、九州では「さくら」「あかつき」、関東ではいよいよ64のブルトレ登板も始まり、鉄には忙しい連休になりそうですね。皆さま、いい旅、いい鉄を!



春朦朧~宗太郎 「鉄道(27069)」

最初は大分の近辺で撮れればいいや、と思っていたのですが、あちこちで早咲きの桜さえ見かける陽気に誘われて、佐伯の先までレンタカーを走らせました。好ましい木造駅舎の残る上岡付近で撮影、ここまできたら宗太郎峠はすぐそこです。

重岡、宗太郎、市棚と、山あいを線路と国道が細かくカーブを繰り返しながら、寄り添うように南下を続けます。現役蒸機の時代、この峠はどうしてあまり写真が雑誌に出ないのかな、きっと開けたところがないんだろうなあ、と思ったのを30数年後に確認することになろうとは(笑)

1974年春、宮崎から小倉まで「高千穂」に乗ったことがありました。南宮崎電化のダイヤ改正前、ちょうど今頃の季節です。延岡を過ぎると、太陽は山影に隠れ、交換するデコイチの貨物を撮ろうとハザの窓を開けると、冷たい空気が入ってきたのを思い出しました。よく磨かれた、たしか4桁の南延岡のデコイチでした。その時代の「富士」はDF50で、まだ20系だったのかもしれませんね。

今の時代は、少し開けたところに、ちゃんと鉄のクルマが集まっています(笑)列車で通過したことしかなかったこの峠道、先着の皆さんの後ろにレンタカーを停めて、急ぎ足でインカーブの順光アングルの一員となりました。



春朦朧~リバイバル 「鉄道(27069)」

土曜日。1時間半遅れの9002レを大森で迎えました。未明からの暴風雨がやっとおさまり、最後までカブリを心配しながら(笑)待ちましたが、幸いにして接近からフェイドアウトまで一切のカブリなく、万感の思いで近場思い出巡礼を終えることができました。

しかし、ほんとうに、明日からは東海道にブルトレは走ってこないのだろうか……まだ実感がわいてきません。こんなに長く鉄やってると、幾多の列車やカマを見送っていますが、あっという間に大きな社会現象となった今回、何だか今までに経験したことのない、不思議な気分につつまれています。

午後のNH便に乗って、朦朧とした心持ちで九州へ向かいました。翌日のターゲットは、最終下り9001レの返却回送を活用した「リバイバル富士」。大分以南はたしかにリバイバルですが、廃止の翌日に復活、というのも、朦朧とした感じに拍車をかけてしまいます。

日豊線回り、西鹿児島行き。懐かしい表示が掲出されました。発駅の別府でスナップを撮って、こちらも、70年代ガキ鉄の頃を思い出しながら、宮崎に向かって南下を始めました。

赤い灯青い灯有楽町 「鉄道(27069)」

金曜17時。ボードに17:30Rと書いて、足早に会社を抜け出しました。ほんとうは18;30Rか、NRといきたかったのですが、えてしてこういうときにトラブルは起きるもの、、、それでも週末の夕方、カバンにカメラを忍ばせて、つかの間のお別れに行ける幸運に感謝しました。

古くは黒岩さんあたりのC62の写真だったでしょうか。65Pの時代には、RF誌やRJ誌で幾多の名作を見たことを思い出します。日暮れどき、有楽町のビル街に、赤い灯青い灯が灯り始めて、通勤電車が家路へ向かう人々を忙しく運ぶ隙間を縫って、青い流れ星が西への長い旅に出発する時間です。

「富士ぶさ」最終日の回9001レ。本列車ではありませんし、KATOさんやひくまさんの最新カメラならもっといいのが撮れるのでしょうが(笑)、デジカメのおかげで、そんな東京の風景を何とか記録することができました。9001レのお見送りは、その場所に行ける幸運に恵まれた、すべての人々におまかせして、会社に戻りましょう。。。

やっとトラブルが収束した20時過ぎ、ブルトレ世代真っ只中だった友人のS君からメールが入りました。彼もやっと職場を抜け出して、東京駅の人ごみの中にいたそうです。そうか、ガキ鉄が次々やってくるブルトレやその機回しを追って走り回る、その風景の終わりを見たかったんだろうなあ。携帯ムービーで発車を撮ったら、不覚にも泣けてきたという文面を読んで、こちらも目頭が熱くなりました。

団長さんたちのお見送り宴会はあったのかなあ。みんな集まったとしたら、さぞや、よもやま話に花が咲いたことでしょうね。そんな夜、それぞれの思いをのせて西へ走る、最後の青い流れ星。1975年のC57135と同じように、いやそれ以上に、すべての世代の鉄にとって、ひとつの時代が夜空に消えていきました。

いとしのブルトレ・アングル 「鉄道(27069)」

昨日で終わったはずの陽ざしが、薄い雲に包まれながらも、最後の2レを迎える大森駅東の4つのレールを照らしています。明日は雨予報で、改正移り変わりで列車番号も9002レとなることを思うと、ほんとうにこの日がやってきたのだなあ、と長いため息をついてしまいます。

なじみのアングルを巡り歩いた「富士ぶさ」最後の日々、もう1か所、まだ撮れるのなら…と思っていたポイントに、今朝は行ってみました。今ではまったく撮れなくなった大井町の電車区横とともに、都内でブルトレ上京ならここ、という大森の元・踏切。先日、senrobataさんのところでは、PF登場初日のここの写真が紹介されていました。

バックの電話局(?)の建物、ある年代の鉄なら忘れることはないフォルムでしょうね。そして、画面右側に緑を添える大森貝塚公園の木々、さらに、いささか古めいた裾広がりの電柱も、70年代のブルトレ・アングルからそう大きくは変わっていませんね。

明日も、明後日も、1週間後も同じようにこのアングルの中をブルトレが横切っていくような、大いなる錯覚に心地よく身をまかせながら、急ぎ足で大森の駅に戻り、遅い通勤電車の客となりました。東海道ブルトレ、いよいよあと1度の上京です。

おそらく最後の青空の下 「鉄道(27069)」

朝、東横線の最寄り駅から通勤とは逆方向の電車に乗って横浜へ向かうのも、今日で3日目になりました。カブリ、並走と続いた後なので迷ったのですが、おそらく最後の晴れ予報、もうこうなったら、もう一度、運試しすることにしました。

歩道橋の下から数えて何段目でしょうか。ちょうどケーブルがかからないところの、昨日、一昨日と同じ高さにカメラを構えました。3日間で最も晴れ上がった横浜の青空の下、185系、E231系、209系、NEX……昨日、一昨日と同じ順番で、同じ電車が行き交い、通勤ラッシュが一段落したこの時間特有の、どこかゆったりとした空気が流れています。

昔から、上りのトリを務めるブルトレがやってくる頃は、いつもこんな雰囲気でした。今日も街が普通に動き始めて、その辺の会社ではレギュラーの会議が始まったり、営業マンが朝の打ち合わせを終えて外回りに出て行く頃、そんな世間の営みとは別世界のような青い客車を連ねて、青い機関車が周りを圧するようにやってくる。。。

やっと、そんな光景がファインダーの中いっぱいに広がりました。70年代の田町、そして80年代の同じファインダーそのままに。東海道ブルトレ、おそらく最後の青空の下。

横浜カブリ銀座 「鉄道(27069)」

東海道近場ポイント巡礼、昨日からは横浜に舞台を移しました。京急神奈川から切り通しに沿った坂道をアップダウンして、京急の踏切を渡ったら、古い歩道橋に到達します。この辺りの風景も変わりませんね。ただ、20年前に比べると、かなりアングルが限定されるようになりましたが。。。

午前中の下りを撮る順光アングル。まず思い出すのは、多摩川を渡ったら奇跡的に晴れ間が出たロクイチ鎌倉御召。ハチマル29さんと深夜からこの歩道橋の中ほどで待機しました。ロクイチはほかにもいろんな客車とのコンビを、ここで撮りました。

上りブルトレも、季節と時間によって順光になります。ロクイチの団臨が通過した後、せっかくだからブルトレを撮って行こうと、よく長野のKさんの提案で残りましたが、今思い出すと、けっこうカブられています。東海道旅客線の手前を徐行して通過する京浜東北に対する悔しい思いは、今でもマグマとなって記憶しています(笑)

案の定、昨日はカブられ、今日は並走。こんな泣き笑いで、ブルトレを送ろうとする自分にため息をつきながら、残る3日間、もう1度ぐらいリベンジしてみたいと思っています。

東京の曇り空の下 2

昨日の夕方、有楽町まで回1レを冷やかしに出かけると、nagashima3さんから「いま田町」とのメールが……はい、撮影後合流し、ブルトレ最後の日々を肴に、居酒屋タイムとなりました。楽しいけれど、どこか切ない日曜日の夜、、、

しばらく前から富士山バックや浜名湖、カナキクと「富士ぶさ」撮影に集中する多くの知人友人に背を向けていたのに、いきなり何だという感じですが(爆)、残された日々、34年前の大学生に、そして25年前の若手サラリーマンに戻って、富士ぶさ、近場の懐かしいアングルを巡り歩いて撮ることにしました。

senrobataさんも昨日のブログで書かれていましたが、都会のアングルは自然がないぶん、意外と時が止まっていて、昔と同じような写真が撮影可能で、50男が中途半端に人生を振り返るにはもってこいですね。ビルや看板が変わってたりしますが、位置関係が同じなので違和感がない(笑)

今朝は先日カブられた田町の上りアングルに行ってきました。絶好の曇り空の下、1975年春と同じカーブを描いて、代替わりを繰り返す京浜東北の電車をすんでのところでスルリとかわした富士ぶさにシャッターを切ったとき、背後の札の辻の陸橋のスタイルもすっかり変わっていることに気づきました。


大森貝塚公園あたり 「鉄道(27069)」

「富士ぶさ」上京最後の日曜、近場で1枚撮ってきました。ドン曇りの空の下、お~、曇りならあのアングルが撮れる、と昔からなじみの大森貝塚公園の先へ。京浜東北にカブられるかどうかは、田町同様運まかせでしたが(笑)

ここには昔、人と自転車しか通れない踏切があって、海側から朝の上りを撮るのが「ブルトレアングル」、山側から大きなマンションをバックに午後の下りを撮るのが「踊り子アングル」でした。つい先日、senrobataさんのところでは、古き日の夕方の下りブルトレの写真も紹介されていて、感動したなあ。。。

75年当時は駅撮りの域を脱することはなかった当方、ゴハチで復鉄した80年代に、そういえばこのアングル、昔のブルトレの諸河さんの写真だよなあ、と東海道線のあちこちで思い出しながら、ひとつひとつのポイントを学習していったものです。

ロクイチは御召の回送に至るまで、パックはミト座をよくこのあたりで撮りました。ユーロライナーやナコ展も、もはや懐かしの世界です。ここは田町と違って、あまりカブられたことはないなあ、と1時間遅れの富士ぶさを、どこか平静な気持で迎えました。

名残りの田町先端 「鉄道(27069)」

いよいよカウントダウンの「富士ぶさ」ですが、そういえばごくあたりまえの駅撮りアングルはやってなかったなあと、今日はカバンにカメラを忍ばせて、かなり久しぶりの田町先端に行ってきました。

雨の中、まずは65P「あさかぜ」と同じ上りアングルに位置をとりましたが、京浜東北下りにかぶられ、残念! しかし、長年の間にここではさまざまなカブリを経験しているので、まあいいや、と簡単に諦めの境地に達します。歳をとるとは、こういうことなんでしょうね(笑)

次の仕事まで時間があったので、下りアングルにテクテクと移動しました。今日の天気ではもう光線は関係ありませんが、最後に午後の順光で撮りたかったと思っても今や叶わぬ夢、この鉄の歴史に残るアングルで、改正以降、客車列車を撮ることは二度とないのかもしれませんね。

回2レが、京浜東北の合い間を縫って、品川へ向かいます。かぶらなかった安堵感が、周りでシャッター音の嵐となっています。65Pの時代から変わらない、この瞬間の奇妙な高揚も、あと1週間で終わろうとしています。

品川情話~2009早春 「鉄道(27069)」

今日の午後、東京駅から品川へ電車で移動する機会があり、久しぶりに東海道線の下り電車に乗りました。京浜東北でも山手でもよかったんですが、、、そう、ドアのところに立ったまま、東機を見たかったんです。

イベントの終わった東機の屋外には、DE10が2輌ポツンとたたずんでいるだけで、富士ぶさの66は暗いクラの中で夜への英気を養っているようでした。やっぱり、ロクイチはいません。そして、少し品川方の架線のないクラは、いつのまにか更地になっていました。

1975年春、初めて一人で暮らす東京で、初めてブルトレを田町のホームで撮りました。1985年春、再び写真を撮り始めてすぐの頃は、ちょうどPFがブルトレの舞台から下りる節目の季節でした。その後、今考えるとPFより長くの時間を66が担い続けて、あと10日ばかりで、すべてが終わろうとしています。

PF撤退の前後、初期のRM誌に「青空の下レイルは光る」と題した連載があり。小粋な文章が魅力的でした。つい先日、筆者のHさんに初めてお会いする機会がありました。ご一緒に一献傾けながら「品川情話、素晴らしかったなあ」とほろ酔いで言うと、何とも深みのある、大人の笑顔が返ってきました。

東機へ 「鉄道(27069)」

今日、明日と品川の旧東京機関区の駐機場では、JR東の主催する「ブルトレ牽引機関車撮影会」が行なわれています。これを知ったのが、先週の抽選エントリー締め切りの数時間後、、、いやはや、何とも悔しい週末となりました(泣)

東海道のブルトレの歴史に終止符が打たれるまで、あと2週間。田町から品川にかけて、あたりまえのように存在していた広大な車両基地にも、再開発の話が具体化しています。山手や京浜東北、そして湘南電車の中から、今日はどんなカマが…と目をやる習慣さえ、記憶の彼方へ行ってしまう日が近づいています。

「富士ぶさ」の66に加えて、田端からPF、高崎からPトップが、今朝品川へ向かいました。PFはブルトレ運用を初日から担った1106号機のようです。お昼前、山貨(この言い方も、何だか古くなりましたね…笑)にPトップが姿を見せました。イベント用の回送で度々行き交うこのルートですが、今日のPトップ、いささか緊張の面持ちのようですね。

歴代ブルトレ牽引機のHM付き並び、、、う~ん、それにしても、悔しいなあ。。。
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