七つの雪 「鉄道(27069)」

だいりいぐ伊知郎さんに、新沼謙治の「津軽恋唄」を歌っていただき(爆)、津軽には七つの雪があるという、太宰の「津軽」の一節にたどり着きました。こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪。先週の土曜は、午前中の地吹雪から、午後は晴れ間も出るという忙しい天気、七つのうち半分以上の雪は降ったような(笑)

午後からは大鰐線でラッセル運転との情報に、これはラッキーと素早く移動し、鯖石の手前でサイドがちにアングルをとりました。まだ雪がちらちらと降っていて、曇りだから光線は関係ないや、と思っていると、いきなり雲の間から日が出て、おいおい、曇れよ~と祈るのだから、鉄は勝手なものです。

こういうときに限って、ゲリラ雲は登場せず、あきらめの境地でラッセルを迎えます。サイドつぶれよりはガングロを選ぶのを旨とする当方にとっては、本意ではありません。ところが、雪原に影を落として、ファインダーをゆっくりと横切っていくラッセル+凸型電機の叙情的なこと! 

やっと顔を覗かせた2月の太陽に、キラキラと照らされながら舞う雪が、ラッセル編成にまとわりついています。遅い津軽の春も、どこからか近づいているのかもしれませんね。

白い冬 「鉄道(27069)」

雪の中、レトロなラッセルが行ってしまうと、津軽平野には奇妙な静寂だけが残っていました。何本か、もと東急のステンレスを撮っているうちに、そうだ、あの駅へ行こう、とレンタカーをUターンさせました。

踏切を渡って視界に入ったのは、文字通りの田舎の館。雪が積もったら、さぞかし素晴らしいだろうなあ、と去年の秋に思ったとおりの風景が、目の前に広がっていました。通りを挟んで、古い農業倉庫が駅舎と同じようにじっとたたずんでいるのも、感動モノです。

♪一人で暮らす 冬は早や涙 想い出せば 空しく消えた日々♪

ふきのとう、不滅の一発ヒット「白い冬」のメロディが思わず口をついて出ます(笑)今年の東京は暖冬で、こうして冬とじっくり向き合うことはありませんでした。どこからか健さんでも歩いてきそうな、やっぱり映画のような風景に、深々と雪が降り積もります。


ラッセルが来た! 「鉄道(27069)」

先週の金曜日。最終の青森行きJL便は「雪のため羽田に引き返すことがあります」と条件付き運航になりました。翌日の予報は「暴風雪」……C57135さんのお誘いをいただいた弘南鉄道ラッセル撮影行、えい、一か八か行ってしまえ!……はい、何とか青森に着陸しました。

弘南鉄道には、弘南線・大鰐線の二つの路線に、冬になると昭和4年生まれのラッセルと、それとコンビを組む大正生まれの電機がそれぞれ待機していて、冬の本格仕業を一度は撮りたいものだと、かねてから思っていました。そうか、土曜日は暴風雪か、下手をすれば定期列車もウヤだけど、運が良ければラッセル雪中行軍、、、

翌日。ラッセル、走りました! ここ近年は「特雪」も撮り鉄のジャンルとして定着しましたが、ほんとうの雪中走行は今まで自分は撮影の機会がなかったので、雪を跳ね上げる姿そのものに、シンプルに感動します。

時おり舞う吹雪の向かい風にレンズをやられないように、列車が見えるまで、ジャンパーの中にカメラを隠しました。こういう、動力を持たない「キ」も、蒸機引退と時を同じくして国鉄線上から姿を消しています。こんなレトロな編成が見られること自体が、2009年の奇跡ですね。





息づく「鉄道讃歌」 「鉄道(27069)」

太陽入りの次は、やはりギラリを狙おうと、サイドから朝日の当たる木橋のところへ移動しました。こうして次から次へアングルを変えられるのが、エンドレスコースのうれしいところで、素早くフレームを決めてカメラを構えないと間に合わないぐらいです。

で、またすぐ次が来るとなると、こちらの気持にも余裕が出てきます。最初は急ぎ足で行き交っていた知人友人たちも、皆いつしか穏やかな笑顔で「いやあ、楽しいなあ」「最高ですねえ」といった声があちこちから聞こえてきます。

あ、そうか、これ、「鉄道讃歌」の世界なんですね。たしかキネ旬の「蒸気機関車」誌の巻末のほうにあった、伝説の連載。ヒマラヤのダージリンも、この3号機がいた台湾の基隆炭坑も、このページで初めて知りました。後で単行本になりましたが、買おう、買おうと思ってるうちに30年以上かぁ。。。

やがて気温が上がり、煙が薄くなってきて、気がついてみたら、夢のような朝の時間はもう終わりに近づいていました。次の運転機会は、春の桜と菜の花の頃とか。今から磐西との日程調整に入らねばなりませんなあ(笑)

物語を紡ぐ 「鉄道(27069)」

やがて、森の向こうに朝日が顔を出しました。冷たい霜に覆われた芝生と、それを取り囲む低い木々の枝が、昇り始めた太陽の絶好の脇役となって、白煙をまとわりつかせた3号機を迎えます。

実際に行ったことはありませんが、もし、イギリスのトラッドな田舎町にナローの専用軌道があったなら、きっとこういう感じではないでしょうか。山高帽の紳士が朝の散歩に登場しそうな、どことなく高貴な雰囲気が漂っています。

JRにおんぶにだっこのイベント列車と違って、ここの蒸機は整備も検査も修理も、すべてファンのボランティアの手によってなされています。だから、蒸気機関車発祥の国の保存鉄道と同じような、高みに達した何かを感じさせるのかもしれません。

日本の国鉄にまだ、現役蒸機が活躍していた時代に産声をあげ、30年以上も活動を続けてきた羅須地人鉄道協会。糸魚川の小さな専用線から紡ぎ続けた、紆余曲折の物語の重みが、冬のこの時間しか見れない白煙とともに、ゆっくりと胸に迫ってきました。



もうひとつの千葉の蒸機 「鉄道(27069)」

シゴナナの試運転の合い間の日曜日も、夜明け前から千葉へ向かいました。ずっと前から気になっていながら実見が叶わなかった、羅須地人鉄道協会まきば線の早朝撮影会に友人からお誘いをいただき、参加させていただきました。

朝6時、まだ暗い駐車場で団長さんたちにいきなり遭遇し、和気藹々のうちに牧場内のエンドレスレールに向かいます。ゆっくりと明けていく冬の空は、零下、快晴、無風! ナベトロを牽いて動き出した元台湾基隆の3号機の噴き上げる煙は、昨日の袖ヶ浦のシゴナナと比べて、何ら遜色はありません。

ここは成田インターからひとっ走りの場所、この近くから飛行機に乗って何度もコッペルやC2を撮りに飛び立っていますが、灯台下暗し、という言葉がこんなにピッタリなシチュエーションは、なかなかありませんね(笑)

朝日の色が、次第にイエローを帯びていきます。素晴らしすぎる冬の朝は、まだ始まったばかりでした。



旧友、また会おう 「鉄道(27069)」

本運転の最後も、試運転の初めと同じ、浮戸川の築堤にしました。鉄の雛壇からポール4本が編成写真のためのファインダー範囲なのですが、踏切から侵食してくる群集はもう収拾がつかず、それでも何とか人を入れない写真を、と寸前に中望遠を標準ズームに切り替えました。

眼前を通り過ぎたシゴナナを、振り返って後追いで捉えると、キャブには「また会おうね」と書かれた横断幕を掲げた機関士氏の姿が見えました。そして、1両目のオヤの窓には「C57に夢と希望をのせて」の文字が、、、この喧騒と緊張の中にあって、何と素晴らしい、心づくしの鉄道員魂ではありませんか!

私や団長さんや03 1010さん、夜間軌行さんは黙っててもまた磐西へ行きますが(笑)、千葉でシゴナナの美しさやたくましさに触れた裾野な皆さんが、4月以降、磐西へたくさん行かれるようになればいいですよね。「また会おうね」は、時空を超えた里帰りを果たした180号機からの、優しいメッセージのように思えました。

高校時代の旧友との撮影から始まった今回、最終日にはまた嬉しい旧友との再会がありました。80年代後半から90年代、毎週末のようにゴハチやロクニ撮影をご一緒した、今は長野に暮らすKさんが、このブログを見て、思わず袖ヶ浦にやってきたのです。

「会えるんじゃないかと思ったぞ!」手を振って近づいてきた、その笑顔も銀箱も、昔のままでした。S&Gの名曲「Old Friends」のように、陽だまりのベンチでブックエンドになるのはまだ早いけれど、Kさん、今度は昔のようにバルブ明かしましょうか(笑)鉄が去った築堤からアクアラインに戻るショートカットで、多くの鉄友に恵まれた幸運を噛みしめていました。

鉄の裾野をひろげて 「鉄道(27069)」

門デフ春さきどり号、土日の本運転はまさにネーミング通りの陽気となり、もう大淀川や田野の築堤を思い出してる余裕はないような雰囲気の下、集まった鉄&地元ピープルをかき分けるように180号機が慎重に駆け抜けました。

アクセス至便な首都圏の外周エリアだからなのでしょうが、今回は最近の鉄なブームの裾野の広がりをまざまざと感じることになりました。蒸機鉄、ネタ鉄までは集まって当然として、まあまあの年齢なのに撮り鉄は初めて?と思えるような方々や、我々よりも年配の昔のSLファンの再登場、それに、デジ一眼買いたての地元オジサン、ケータイ片手の老若男女。。。

もう、この門デフのタイプはK-7なんていうフレーズは関係ない感じです(笑)でも、こちらもヘッドマーク、決して嫌いじゃないし、これはこれでちゃんと撮りたいなあ、と(爆)、、、昨日、今日と三脚を立てた五井の踏切は、ベテランの蒸機鉄をほとんど見かけないという環境下、2009年の鉄なオーラが漂っていました。

土曜日はあちこちで踏切障害物検知による停止があったと聞きます。試運転から数えて8日目、運転最終の日曜日のシゴナナは、慎重さの中にも、ゴールへ向かう清々しい凛々しさを長い汽笛に宿しているようでした。

痺れる築堤

今日から本運転が始まった千葉の「SL春さきどり号」ですが、この袖ヶ浦から小櫃川へ向かう築堤が、試運転のときから沿線随一の撮影ポイントになっていました。勾配もあり、緩いインカーブを少し見上げるアングルで門デフに躍動感を与えているのが、人気の理由なのでしょう。

緩いインカーブといえば、日豊本線は田野の築堤ですが、とても見上げきれないような(笑)高い築堤で、むしろ上に架かった小さな道路橋から見下ろすのがポピュラーでしたね。あと、真横から、手前に小さな橋を入れた叙情的なアングル。。。

むしろ無人駅の餅原を出てすぐの築堤がこんな感じだったかなあ、、、もちろん、昭和47年当時まだ南宮崎以南にポールは建っていませんでしたが、夏の暑い日のこと、田野も餅原も山之口も、煙スカで地団駄を踏んだのを昨日のことのように思い出します。

平成21年の試運転最終日、翻って袖ヶ浦の築堤は、痺れるような煙でした。吹けよ風、飛べよ嵐~なんていうとピンクフロイドみたいですが、適度に踊るような、何ともフォトジェニックな煙の流れ方に、通過後しばらくの間、心の痺れを抑えきれませんでした。

養老川と大淀川 「鉄道(27069)」

せっかくの門デフ、真横で撮れるところはないか、とたどり着いたのが、五井手前の養老川の鉄橋でした。バックがうるさいのが玉にキズですが、足回りもすっきりしていることから、とりあえず、ぶら下がりの回送はここで撮ることにしました。

門デフと鉄橋、といえば、何といっても日豊本線の大淀川ですね。もちろん佐土原も美々津もありますが、フェニックスの木陰の~♪大淀川に比類するアングルはありません。真っ青な空が印象的な広田さんのRJの表紙、これはもしかしたら普通デフだったような気もしますが、幾多のサイドビューが、70年代の鉄雑誌の誌面を飾ったものです。

昭和47年の夏、高校2年生がやってきた大淀川鉄橋には、すでにポールが立ち並び始めていました。堤防に並ぶリゾートホテル、当時の新婚旅行のメッカ・宮崎で、寂しい鉄が嫉妬するというのも、お決まりのフレーズでしたが(笑)

平成21年の養老川、もしかしたらまた、ほのかな白煙をたなびかせて来てくれないかなあと期待しましたが、そうは続けて問屋が卸しませんでした。そういえば、あの夏の大淀川も、みんな煙スカだったなあ、、、時空を超えて、180号機と一緒に、過去への旅が続いています。

千葉とシゴナナ 「鉄道(27069)」

やはり、私と同年代か少し上の関東の皆さん、千葉のシゴナナにはかなりの思い入れがあるようです。今日もアクアラインで試運転撮影に向かう道すがら、生まれも育ちも新小岩のNさんの話は、さよなら列車を牽いた105号機の長い汽笛や、線路端てんこ盛りの鉄、鉄、鉄…といった話題に終始しました。

ゆりのき6348さんからいただいたコメントも、シゴナナ・トリビアの一環として貴重なお話が多く、感動しました。C57105号機が、さよなら運転のあとも予備機として残り、区間貨物に入っていたこと……これは、キネ旬の「蒸気機関車」で写真を見た記憶がありますが、てっきり同日の運用だと思っていました。そして、同機の動輪が会津若松に? これは、春、磐西に行ったら、いの一番に撮影しなければ。。。

ほんとうは去年のデコイチのように千葉始発なら、当時を思い出すには、もっと良かったのでしょうね。あ、いや、両国始発だともっと、、、これはちょっとないものねだりかもしれません(笑)両国にも昔は駐泊所があって、そういえばたしか保育社のカラーブックスで、シゴナナが静かにたたずんでいる、広田さんの写真を見た記憶があります。

試運転も今日が最終日。線路際のざわめきが嘘のような静けさの中、上り回送にぶら下がっていく180号機の表情は、どう見ても、よそ者のそれではありませんでした。ドン曇りの空が残念でしたが、先週末より下がった気温が、ほのかな白煙付きの後追いカットという、思わぬ好結果をもたらしてくれました。



「わが国鉄時代」への旅 「鉄道(27069)」

昨日のブログ、昭和44年のシゴナナの話に、さっそくsenrobataさんから同世代としてフムフム頷くしかない、当時の中学生の実感溢れるコメントをいただきました。なぜ、40年近く前の記憶がかくも鮮明に残っているのか、最近の物忘れの多さに比較して、ただ驚くばかりですが。

拙いながらも自分で撮った写真、悔しいかな同級の友人だけが綺麗に撮った写真、そして、雑誌の誌面で見て憧れたり、こんなふうに撮りたいなあ、これ撮りに行きたかったなあ、と思った写真、、、先日上梓された「わが国鉄時代」を拝見すると、そんなあの頃の記憶の断片が、一冊の本に繋ぎ合わされていて、時間の過ぎるのを忘れるほどでした。

「国鉄時代」の本誌とまた違った趣向のあるのも嬉しいところでした。今回はホームや線路端のあの時代の人々が写しこまれたカットが、いい感じで散りばめられています。あ、そうそう、蒸機さよならイベントに群がる鉄の姿もふんだんに(笑)……それでいて、喜々津のC57シルエット、倶知安のC62や石打のEF16のバルブ、筑豊のC55の流し撮り、根府川の大窓ゴハチといった、時代を代表するアングルはちゃんと見開きで大きく使われています。

民営化から20年、現役蒸機引退から30年以上が過ぎ、昭和と一緒に遠くなる「わが国鉄時代」を、無数の鉄な友人達と、あの頃の電車に乗って、旅をしているような気分になりました。昔と違うのは、肩から下げたデジカメと、片手の缶ビールかな(笑)皆さんもぜひ、ご一緒に。





昭和44年との邂逅 「鉄道(27069)」

試運転を終えて駐泊地の木更津に帰ってきたシゴナナは、駅のはずれの、架線のないところまで移動してきました。おそらく昔からの駐機場なのでしょう、転車台(の跡?)の先が行き止まりになっていて、給水給炭の作業が行なわれる、その雰囲気がどことなく自然です。

千葉でシゴナナが走るのは、昭和47年、梅小路入り直前の1号機のイベント以来、37年ぶりになります。現役蒸機としては、昭和44年の71号機による総武線さよなら運転以来、40年ぶりですが、同じ年に走った上野発旅客最終、両国発最終を牽いた114号機や、105号機のナンバーは、今、同年代の少なくない方が、メールやサイトのアドレスにされていますね。

その時代はちょうど、大都市のターミナル駅に入線していたシゴナナ牽引の客車が次々と無煙化される頃でした。わが梅小路は2年後まで残りましたが、前年の大阪駅に続いて、上野、両国、名古屋といったところから、最後の定期蒸機列車が帰らぬ旅路についたのですね。

そのRF誌には、千葉と名古屋のさよなら列車の写真が並んでいたなあ……あ、もう1枚、磐越西線の旅客最終の180号機の写真も、、、それを思い出したとき、一仕事終えて静かに房総の地にたたずむ同機に、輪廻転生というのでしょうか、ある種の神々しささえ、感じてしまいました。



門デフ、春を告げる 「鉄道(27069)」

来週末に京葉・内房線で運転される「SL春さきどり号」の試運転が始まりました。D51498の思わぬリタイアで、代わりにシゴナナが登板、しかもクリトレのときのスタイルのまま、門デフ&スノープロウというのですから、もうこれは行くしかありません。。。

アクアラインを渡って木更津に入り、ロケハンかたがたDL先頭の上り列車を撮ってるうちに、まだ春の陽気とはいかないまでも、気温は上がり、肌寒さを感じることはほとんどなくなりました。春さきどり……これ、この季節の房総にフィットした、なかなかのネーミングだと思います。JR東の千葉支社にも、名うての企画マン(ウーマン?)がいらっしゃるようですね。

で、春とは何の関係もありませんが(笑)、今日の撮影行には、高校時代からの旧友をゲストにお迎えしました。最初は何事もないように振舞っていた彼ですが、1972年宮崎以来の門デフのシゴナナとの再会に、徐々に心がうるんでいくのが、どことなくわかります。姉ヶ崎のホーム越しに停車中のシゴナナを見て「あ~、ここは宮崎か…」の一言に、深い実感のこもっていたこと!

ポールが建ち、架線が張り巡らされた宮崎電化直前の12系臨時急行が、緩い勾配の築堤を軽やかに登ってきます。それもまた、1974年、春まだ浅いこの季節のことでした。長巻のトライXがSDメモリーに変わって、旧友と並んで門デフを撮ることが、まさかあろうとは思いませんでした。今年の冬、ことにまた世間の風は冷たいけれど、やがてそれぞれの春!といきたいものですなあ。



帽子と算盤 「鉄道(27069)」

秩父鉄道では、国鉄色の101系に加えて、ちょっと時間が止まってしまったような好ましい駅舎の撮影も楽しむことができました。この駅事務室、昔はどこにでもあったスタイルですが、いまJRの駅で探そうとしたら大変ですね。駅舎が残ってても、人がいない、、、

ここのところ、JRの駅はまた速いスピードで改築が進んでいるようです。ついこの間のEF55撮影のときに寄った上牧駅なども姿を変えたと聞くと、ただ驚くばかり。むしろ、地方私鉄や3セクになった元・国鉄のローカル線に、昔の駅の匂いが色濃く残っているようです。

駅を守る職員の机の上に、制帽と算盤がキチンと置かれていました。どうやら、ホームか駅前の清掃中のようです。こういう「しまつ」の文化を、いつの間にか我々は忘れてしまっているように思います。さりげないけど、どこか凛とした、あたりまえの設えを。

あ、いかん、説教モード入っちゃいました。まずは来週早々、会社の机の上を片付けることにしましょう(笑)ともかくも、食わず嫌いだった秩父鉄道、どうもまた来ることになりそうです。





わが青春色の電車2 「鉄道(27069)」

1月の連休に、こちらが羅城突貫ツアーに行っていた間に、ハチマル29さんのご一行は、横川の帰りに秩父に寄るというパターンをすっかり開発していたようで、14時半を過ぎると、日暮れ前の光線を求めて、次のポイントへ音もなく移動を開始しました。

しかし、そんなに奥にも入ってないのに、まあよくもこういう順光バリで、なおかつ邪魔物をカットする場所を、いくつも見つけるよなあ、、、架線下の熱心王が揃う、このメンバーについていけば、私のような秩父素人もすっかり安心です。

いい感じで足回りまでイエローな光が回ったところで、都営地下鉄に続いて、幸運にもカナリヤイエローがやってきました。懐かしの中央総武緩行線! 学生時代、中野から東西線で大学に通っていた私は、地下鉄直通が来ないと、面倒だなあと思いながら、黄色い電車に乗ったものです。そして、春と秋、中野からもそのまま、信濃町まで乗って神宮に行くのも、この色の電車でした。

まるで、あの頃の神宮のイチョウ並木の色のように。山麓の夕陽が、青春色の電車を優しく照らしていて、モニタで確認すると、目頭が熱くなりました。ふぅ~、なんだか、大人の休日ですなあ。。。





わが青春色の電車1 「鉄道(27069)」

さて、122の昔の写真を出してきたいのもやまやまですが、それはもう少し気持ちの整理が付いてからにして、同じオレンジな話でも、ちょっと嬉しいオレンジに、目を移すことにしましょうか。舞台は、EF55撮影の帰りに寄った、秩父鉄道です。

国鉄色の101系、気になってはいたのですが、わざわざ撮影に行くほどでもないなあ、と機会を逸していました。その日、信越線での撮影は昼過ぎに終わり、帰りに秩父に寄っていくというハチマル29さんに便乗をお願いしたときは、まだ本気モードではありませんでした。ま、せっかく天気がいいから、こんな日にでも撮っていくか、というぐらいで。

それが、まず最初に関西線色のグリーンが来たときに「う~ん、これはいいかも」、そして次にオレンジパーミリオンがやって来たときには、もう興奮を押さえられませんでした。いやあ、これは素晴らしい!! 瞬時のうちに、青春の阿佐ヶ谷、吉祥寺が瞼の裏に甦ります。

3輌編成? いいではありませんか。前パンが不自然? いいではありませんか。めったにパレオも撮りに来ない気まぐれ鉄の酔狂が、どうやら本気モードに移行してきました。こうなったら次は1番2番ホームの緩行線の思い出にも浸りたいですなあ。。。



長いお別れ 「鉄道(27069)」

先々週の金曜日の午後、会議と会議の間のあわただしい時間に、Nさんからケータイにメールが入りました。千葉のシゴナナの情報か何かかな、と思ってメールを開くと、EF58122解体……え? え? まさか。。。

その、「まさか」をネット上の写真で確認するのには、そう時間はかかりませんでした。てっきり、名古屋に出来る博物館に保存されるのでは、と思っていました。で、それまでの間、また夏の暑い日に浜松で会えるのだとばかり、思っていました。

突然やってきた、長いお別れ。EF5860号機解体のときのような気分を、再び日本の鉄が味わうことになろうとは、、、甘い期待、他力本願ののちにやってきた、厳しい現実の前に、呑気な趣味人のありようが、音を立てて崩れる思いです。

さよなら、EF58122。

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Author:品川530
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