茅沼暮色 「鉄道(27069)」

追っかけの流れに乗って、茅沼でもう一度、湿原号を捉えることができました。残念ながら、摩周を出たときに光を放っていた夕陽は、雲に隠れてしまって、旅の最後を飾るギラリ、とはいきませんでしたが。

それでも、運が良ければ鶴もやってくるという駅発車のあたりには、ぼんやりと赤味を帯びた光が微妙に当たっていて、207号機の2つ目やアクセントのDE10の赤も味わい深く、これはこれで印象に残るラストカットとなりました。

三脚を片付けてクルマに戻ったところで、「あの位置に来るのは珍しい、いや~よかったなあ」と誰かの弾む声が聞こえました。ふと雪原を見ると、数羽の鶴の姿が……う~ん、後の祭りだけど、これはまた来年の課題が(笑)

あのお湯に今入ったら気分いいだろうなあ、、、すぐ近くの温泉に未練を残しながら、空港への帰路につきました。羽田へのJL1148便が、機内持ち込み手荷物の収納に手間どり、出発が遅れたのは、我々を含む鉄な皆さんの釧路への未練を象徴しているようでした。

摩周発車 「鉄道(27069)」

折り返しの下り列車は、湿原号には珍しく、釧路行きが前向きとなりました。川湯温泉の発車が物凄いひな壇になっていたので、石山の踏切で下り込みを撮って、そのあと、山をバックにした摩周発車をメインに狙うことにしました。

運転開始当初と比べて、川湯での折り返し時分が少なくなり、結果的に摩周発車が、十分露出のある時間になりました。あの頃はまだデジカメもなく、薄暮の走行写真をあきらめ、摩周の停車、点検風景を撮ってお茶を濁したものでした。

駅と町を一望するオーバークロスはすでに鉄で鈴なりになっていましたが、サイド気味はまだ少し空いていて、何とかスペースを確保しました。そういえば、町を出てゆく蒸機列車、というアングルはその昔、子供にはとても撮れないものでした。たまに雑誌で見るしかない、大人のアングルだったように思います。

一度は雲に覆われた太陽が、またうっすらと顔を出しました。散らばる鉄や汽車見物の地元人も、警戒の黄ヘル氏も、みんなジオラマのパーツのようにファインダーの中で溶け合って、鈍い夕陽に照らされた冬の煙を囲んでいました。

ああ、地方都市 「鉄道(27069)」

土曜の夜の釧路では、街のあちこちで鉄な方々の宴会が行なわれていて、我々も居酒屋で杯を重ねていたのですが、繁華街の人通りの少ないこと。。。3軒あったデパートもすべて閉店してしまったと聞くにつけ、地方都市の衰退を目の当たりにした思いでした。

新津でも直江津でも、小郡でも諫早でも、同じ思いで旅の一献を傾けてきました。鉄で訪れる街には、たとえようのない寂寥感が漂う小さな飲み屋街があって、一夜の客が心配することではありませんが、次来たとき、この店はあるのかなあ、と酔いにまかせて思ったりします。

それでも、釧路には、鉄な話題で街を盛り上げようとする人々がいて、以前から地道な活動が続いています。この2月には、湿原号に臨港鉄道や保存車両めぐりもフィックスされた、東京からのツアー受け入れも実施されるとか。今回、久しぶりに皆さんにお会いすることはできませんでしたが、拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。

明けて日曜の湿原号は、カマの向きがいつもと逆になりました。残念ながら水面は凍っていませんでしたが、鉄橋のたもとに漁船が繋がれ、時おり海鳥が飛び交う、港町らしい風景の中を、逆向きのC11が横切っていきました。

弟子屈から川湯へ 「鉄道(27069)」

久しぶりに、釧路に行ってきました。冬の釧網名物、湿原号川湯重連の走る週末、羽田からたくさんの三脚(&脚立…笑)を載せて飛び立つJL便の特殊な雰囲気は、JASの時代からまったく変わることなく、変に安心できるものがありました。

塘路あたりで1回撮って、摩周停車の間に石山に向かうのが、初年度からの川湯延長時の通例で、その道を思い出しながら辿ってゆくのは、昨日の某横綱みたいに「私は帰ってきました」と、慣れ親しんだ町々に触れ回りたいような気分のような(爆)

石山、実をいうと苦手です。というか、こんなに鉄やってて、いまだに斜面に弱い軟弱鉄なんです。それで何度めからは踏切周辺で撮るのを常としていたのですが、今回は到着が遅かったこともあって、踏切そのものでの撮影を余儀なくされました。

先客の方にお願いして、隙間に入れていただきました。「山口でよく見ますね。今度、山口で込んでたら、入れてください」の彼のひとことに、通過10分前の緊張が優しく溶けていきます。感謝です。もちろんです。また山口でお会いできるといいなあ。

摩周、というのも悪くありませんが、弟子屈っていう地名の響きはもっといいですね。川湯という、いかにも温泉町らしい響きも。1年に1日だけ、冬の峠に上がる二条の煙は、今年も蒸気機関車の魅力を語ってやまない、素晴らしさに溢れていました。









羅城火車再見 「鉄道(27069)」

陽光に恵まれた今回のフォトランでしたが、夕刻は残念ながら曇天となり、ミスター夕陽・C57135さんを筆頭に皆で期待したような、夕陽に輝く奇岩をバックに建設ギラリ、とはいきませんでした。

この、微妙な頃合で終了、というのがO谷連隊長の絶妙なところですね(爆)おおかた満足、でも少しだけ撮り残したような……で、2月最終週と、3月の3連休にまたやりますよ、と。すでにDLの予備機として1輌のみ残る建設の余命もわからないし、春は菜の花が咲き誇り。。。

無煙化の目標時期だった北京オリンピックもとうに終わり、いよいよ中国でも本当の現役蒸機は少なくなりました。もう少ししたら、やまぐちやばん物みたいな列車が走り始めるのかもしれません。その前の、隙間の時代に、予備の蒸機を使ったフォトランなら、きわめて現役に近い情景だと思います。

今週末は久しぶりの釧路へ行ってきます。明晩の炉端焼を思い浮かべながらも、羅城の街角の米粉ももう一度食べたいような、、、いかん、いかんと自分に言い聞かせているのですが(笑)

絶景俯瞰 「鉄道(27069)」

しかし2泊3日、撮影は正味1日という突貫ツアー、いったいどれぐらいの密度で撮影できるのか……何人かの方からメールでお問い合わせいただきましたが、はい、今回は走行11回です。前向きが7回に、逆向きが4回。それ以外に停車や入換。私は凄い密度と思いますが、まあこれをどう思うかは、それぞれですね(笑)

閑話休題。昨日アップした写真を望遠で撮ったあと、同じ場所で標準ズームにファインダーを切り替えて撮ったのが、今日の写真です。すっかり気温が上がってしまって、煙が朝のように出なかったのが残念ですが、このアングル、今回随一の絶景俯瞰となりました。

ここで思い出していたのが、学生時代に観光旅行で行った、山口は秋吉台の風景。まあ、あれを思いきり雄大にしたようなものだなあ、と感心しながら、津和野へ移動したら、やまぐち号が走る前で、まだ扇形庫が残っていたなあ、と結局は鉄な記憶に思い移ったのでしたが。

現役蒸機時代の日本の鉄道三景は、たしか姨捨、狩勝、大畑だったと思います。中国蒸機の走った鉄道三景を選ぶとしたら、集通、南岔、それにここ三羅線になるのでは、と思ったりしたのですが、皆さんはいかがでしょうか?

湖水ぬるむ午後 「鉄道(27069)」

昼はフォトランもひと休み、羅城の町へ戻って、米粉と呼ばれる汁麺を食べながら、しばし休息となりました。広西は中国でも麺の美味しいエリアで、四川ほど極端ではないテイストでけっこうバリエーションが揃っていて、今回のような短い旅でも、いくつか舌鼓を打つことができました。

午後は、羅城から本線方へ一つ目の駅、新印まで往復のあと、支線での2往復目のフォトランに入ります。メインのターゲットは、O連隊長や羅城ベテランの皆さんが注目していた、湖の辺り。連隊長が「あそこだ!」と指差した、なだらかな小山の中腹へ向かって、再び山登りが始まりました。

ここでもまた、山紫水明の絶景が我々を待っていました。湖をバックにカーブを描くところを望遠で、全体の風景を入れたアングルを標準で。急いで2つのレンズの画角を調整するとすぐに、薄い煙を吐いたJSが望遠のファインダーに入ってきます。

シャッターを切りながら、なぜか思い出していたのは、大学の古美研で行った、都内の小さな東洋美術の美術館。山水画にぼんやりと当たる照明に、行ったことのない中国の山河に思いを巡らせていた、若い日の非鉄な風景でした。





冬の陽だまり 「鉄道(27069)」

三連休の羅城に、再び時計の針を戻しましょう。そうそう、C57135さんのところの掲示板にもこのブログをご紹介いただきましたが、O谷さんからは、もう次回のチャーター計画の連絡がありました。ご興味ある向きはご連絡を。

さて、この季節の朝しか見れない白煙に驚喜乱舞した一行でしたが、朝日がタワーカルストの少し上まで昇ると気温のほうも上昇し、中国でも東北部と違って、ジャンパーやセーターを脱がないと暑いくらいになりました。

「いやあ、今日は珍しく登りますねえ」とC57135さんに言われて、たしかに俯瞰ばかりではシチサン好きの名がすたる(笑)と思っていると、ここは光の当たる側でしょう、と美抑解さんからちょうど声がかかり、一緒にインカーブの線路際にアングルをとりました。

まだ9時を少し回ったところでしたが、すでに朝の白煙は遠く、薄い黒煙を伴ったJSが、ゆっくりと歩を進めてきました。サイド光を浴びて、聳え立つカルストをバックにした一枚、これまた今回ぜひ撮りたかったカットでした。





最後の家路 「鉄道(27069)」

最後のイベント運転を終えて、DD51の牽く回送の最後尾にぶら下がって高崎に帰ってきたEF55が、DDと手を繋いで、機走線を後ずさりしてきました。今日はラストだから、朝のここから撮影をスタートしました。そして今、最後の家路をEF55が辿っていきます。

今朝の発車前には、C58が高崎駅まで行ってEF55と並んで汽笛を吹鳴し、セレモニーでは鉄道アイドルの登場まであったそうです。国鉄民営化から20年が過ぎ、おそらく初めて行なわれた復活電機のお別れ運転は、心づくしの趣向といささか軽い乗りの両方に彩られたところが、何やら今の時代を象徴しているような気がします。

安中鉄橋も、磯部方のド田んぼも、久しぶりの凄い人出でしたね。電機牽引のイベント列車に使われることの多い横川への盲腸線ですが、次に賑わいをみせるのは、どんな列車が走るときなのでしょうか。もはや、カマも客車もごくごく限られてしまったことに、あらためて茫然としてしまいます。

今日のヘッドマークは「ありがとう」から「さよなら」に変わっていました。世紀を越えて、最後に電機が輝いた時代を生きた、復活EF55の22年に、あらためて万雷の拍手を。



流線型'09 「鉄道(27069)」

EF55ラストランシリーズも、いよいよ最後の週末となりました。奇岩並ぶ三羅線の報告をひと休みして、冬晴れの土曜日の首都圏に、ちょっと時計の針を早送りしましょう。舞台は北浦和朝8時過ぎ、ビルの間から昇った朝日が、都会の6線を照らしています。

上野発の高崎線のイベント列車はいつもこの時間で、晴れた日の撮影には苦労します。ほとんど太陽を背負って走る高崎線内よりは、まだ大宮までの区間のほうが、こうしてサイドに日が当たります。ただ、手前を走る京浜東北&旅客線上り列車の「カブリ」の恐怖がいつもつきまとうのですが。。。

ここは今までカブッたことないですよね、と同行のハチマル29さんと、根拠のない確信を、自分たちに言い聞かせながら、線路面の露出をチェックしました。で、曇ればいいんですけど、晴れるんですよねえ、上野発のときはいつも、とぼやきながらも、実はこの半逆光のインカーブのアングル、けっこう好きだったりします。

定刻の数分前に、上下の京浜東北が通過しました。やがて彼方に55の1灯が見えると、一瞬、風が止まったように思え、さえぎるもののない小宇宙を、2009年の流線型が走り去っていきました。



朝日のタワーカルスト 「鉄道(27069)」

たくさんのうろこ雲に覆われていた払暁の空ですが、予想外にクリアな太陽が、タワーカルストの間を縫うように姿を見せました。これはもう、逆光側からの俯瞰しかない、とのO谷連隊長の判断で、なだらかな山腹の墓地をめざします。

しかし、古今東西を問わず、先人の霊が眠る場所は、線路と風景を一望することが多く、敬虔な気持ちになりますね。一礼合掌。やがて達した中腹から振り返ると、山紫水明という言葉でも語り尽くせないほどの、中国の、最も中国的な風景が広がっていました。

ガイドの李さんによると、このあたりのカルスト地形の織りなす風景は、世界的観光地として名高い桂林のそれよりも、さらに美しいと言われているそうです。その風景を取り込んだファインダーの片隅から煙の白、ドレインの白が動き始めました。

ちょっと無理して来たけど、これ見たら、すべて吹っ飛ぶなあ。。。居並ぶ中国鉄歴戦の勇士たちの瞠目した表情が、すべてを物語っていました。

待ちかねた白煙 「鉄道(27069)」

夜明けとともに、機次のワム(?!)に10人の酔狂な鉄たちを乗せたフォトラン列車が動き始めました。しかし、貨車の乗り心地というのも慣れれば慣れるもので(笑)、各国の貨車を経験している猛者たちは、ほとんど表情を変えずに、貨車の客(?!)となっています。

行く手は、どうも雲が多いようです。朝日燦々といきたいところですが、もともとこの季節の広西は晴れる日が少ないとの由、雨が降っていないだけでも良しとしましょう。それに、周囲に聳える、大小とりまぜた奇岩奇山はしっかり姿をみせていますから。。。

羅城の街はずれの平地で、ファーストカットをアレンジすることになりました。ガイドの李さんが機関士に連絡し、バス笛一声(笑)、三羅線とは思えない白煙が、曇り空に上がりました。これぞフォトラン、冬でもこの時間にしかあり得ない煙です。

実は、当初狙っていたアングルは煙がバックの山を隠してしまい、急いでズーミングを修正しました。そうか、今日はこの前の三羅線と違って煙を計算に入れなければいけないのだなあ、と嬉しい苦笑いで始まった朝でした。

羅城二泊三日 「鉄道(27069)」

土曜日、北京と西安でCA便を乗り継いで桂林にやってきたO谷連隊の一行は深夜に羅城のホテルに入りました。明けて日曜日の朝、羅城の駅では、フォトランのために仕立てられた建設牽引の貨物編成が我々を待っていました。

中国蒸機撮影に、3連休に1日休みを足しての3泊4日は何度も経験していますが、3連休めいっぱいの2泊3日は、さすがに今回が初めてです。昔と違って平日の会社が休養の場にもならない昨今(爆)、こんな弾丸ツアーは正気の沙汰ではありませんが、煙の売人・O谷連隊長のおなじみ「撮れます、撮らせます」は今回はまたことのほか自信に満ちていました。

最も三羅線らしい奇岩が幾重にも並ぶ風景の中を走る、羅城から奥の支線で、前代未聞のフォトランをやるというのです。何日待っても列車が来ない、やっと来たと思ったら帰国、と幾多の先人が高いハードルに泣かされてきたここ三羅線では、突貫日程や費用には代え難い、夢のようなプランで、これは乗ってしまうのも人情というものですなあ(笑)

同じように人の情けにほだされた紙芝居さん、C57135さん、ほかにもおなじみの面々が、三連休の中日の朝、中国は広西の片隅で三脚を並べています。世にも奇妙な旅のドリームトレインが、夜明けとともに、まもなく発車時刻を迎えます。

金泉美食城

先週後半から週末にかけて、中国鉄な皆さんとお会いする機会が二度、ありました。どちらの場でも、どなたかから「集通、見ましたよ。列車はともかく(笑)、金泉美食城なんて書かれると、行きたくなるなあ」のコメントをいただき、またそれでその場が盛り上がるという、嬉しい連鎖反応が(笑)

そう、あの時代の集通に通った皆さんにとって、A山、屈辱の丘、D山、龍泉賓館、郵電賓館といった単語とともに、いやその中で最も忘れられないキーワードが、この金泉美食城かもしれません。先に現況を報告しますと、向かい側2階の仮店舗から、新築なった元の場所に戻って営業中でした。この立派な店構え! T島さんがトイレで寒さに凍えた仮店舗も、もはや思い出の彼方です(爆)

おそらく、大多数の皆さんが中国に鉄で行って初めて食べたであろう、トマトと卵の炒め料理、あのちょっとキツい味付けは変わってませんでした。最近は東京でもこの料理を出す店がありますが、この味付けはなかなかお目にかかれません。そして、じゃがいもの千切り炒めや、独特のとろみを帯びた茄子の炒め物も、以前と同じ味で、いやあ、これをまた食べることになろうとは……としばし感慨に耽る熱水の夜でした。

2008年北京オリンピックまでといわれた中国蒸機撮影の旅ですが、そんなこんな言ってるものだから、皆さんなかなか終わりませんね(笑)私もこの三連休、また再びの広西・三羅線でした。次回以降、O連隊長率いる弾丸ツアーのご報告に移りたいと思います。





凍丘安寧

朝の西行き列車が経棚に到着する頃、やっと日が昇りました。3日目にして初めての快晴、これは夕方の東行きにも日が当たりそうです。これまた3日目の、昼食の後の食堂で座ったままの昼寝(笑……ほんと、することないんです)も終わって、いよいよ思い出の丘へと向かいました。

かつて、この丘に初めて登ったとき、日暮れの1時間ほど前に東行きが上ってきて、彼方から見える二つの爆煙がいくたびかループを描きながらゆっくりと迫ってくるさまに、言葉を失いました。朝のド順光、快晴無風のときの感動は今でも鮮明に思い出します。夢中でシャッターを切り過ぎて、最もいいところでフィルムが終わったのも、今では笑って話せます。

やっぱり、ここは寒いなあ。。。穴あき手袋に突き刺す寒さは、尋常のものではありません。念のために、カメラのバッテリーにホカロンを貼りました。時おり夕陽にかかる小さな雲……下坑子にさしかかった列車が見えると、思わず昔と同じようにシャッターを切りまくりそうになりましたが、何とか我慢してファインダーを固定、あとは築堤に夕陽が残ることだけを念じました。

やがて、凍える丘から、残り日のなかを落ち着いたリズムで走っていく、今日の集通の列車が見えました。こんなに寒いのに、これは何と安らかな風景なのでしょう。大晦日に帰ってきたときには、この写真をこんな印象で見ることはなかったのですが、新年早々の思いもかけない訃報に、なぜか、この丘のこの静けさを思い出していました。

洲之内さん、どうぞ安らかにお眠りください。




林西払暁 「鉄道(27069)」

集通での3日間の撮影ですが、ドン曇り時々小雪の2日が過ぎて、あとは最終日を残すのみとなりました。1日撮ったら後はウヤだった昨年に比べればまだましですが、最後の1日ぐらいは、何とか晴れてほしいものです。できれば、夕方の東行き列車で。

まだ明けやらぬ熱水の龍泉賓館を出発して、まずは林西の駅へ向かいました。ここでどれぐらいの時間、停車するかどうかで、朝の西行き列車の撮影条件が決まります。できれば長く停車して、夜が明けてから宇宙地へ向かってほしいのですが。。。

交換の客レが出発して、うっすらと赤味を帯びてきた払暁の空に、二条の煙が舞い上がります。よし、あとは角度やレンズを変えてバルブカットを、と思っていると、いきなりヘッドライトが点灯して、列車が静かに動き始めました。

あ~あ、これでは宇宙地の走行写真どころか、熱水の先も難しいかも……朝食は金杯の車内で、久しぶりの康師傳のカップラーメンとソーセージ、朝の西行きはもういいから、昔これ食べて体験した夕暮れの光線よもう一度、と鉄の神様にもう一度だけ、念じました。

上店の踏切 「鉄道(27069)」

急いで金杯のワゴン車に乗って、目指すは上店手前の高い築堤にかかる踏切です。夕方、ここに来ると、半逆光のシャープな光の中、2つの煙がまるで真っ直ぐな龍(そんなものあるのか…笑)のように立ち昇って、凍える手でシャッターを押し続けたものです。

去年と比べて、中国の地元の鉄な方々の数がそう増えたようには思いませんでしたが、今回ちょっと驚いたのは、どうも彼らの追っかけのテクニックが練れてきたらしい、ということでした。ダイヤの一定しないこの集通で、無駄なく絶妙の時間に現われ、あっという間に撤収し次へ向かうさまは、あたかも磐西か山口で見るような光景でした。

でも、先着優先、先着者の画面に入らない、という日本の鉄の間ではいまだに何とか守られている原則がまったく通用しないのは、相変わらずでした。国民性、文化の違い……そういえば昨夏のインドネシアでも欧米鉄との諍いが話題になりましたが、鉄のグローバルスタンダードなんていうのも、なかなか難しいのでしょうね。

間に合った! 転がるように車から降りて、三脚をセットしました。露出はないけど、とりあえず、ここで撮れれば、集通へ来たぞ~!というワンカットになります。あとは、明日、晴れてくれれば。。。夕食は久しぶりの金泉美食城へ。トマト卵炒めはどうしてここのがいちばん旨いんだろう、とほろ酔いで語り合う熱水の夜でした。

やっぱり、東行き! 「鉄道(27069)」

無煙化から数年が過ぎても、まだ世界のオジサン鉄の魂がたくさん彷徨っているという集通鉄路の経棚峠ですが、経棚から上店に向かって峠に挑む東行き列車のほうが、アングルも豊富で光線状態にも恵まれ、メインターゲットだったように思います。

その東行きがまともに撮影できるのか。去年の空車貨物のときは、ほとんど経棚発車しか撮れず、今回も同様のスジとなると、露出がきわめて厳しいことが予想されます。現地で確認した経棚の発車時刻は15時50分、う~ん、晴れたとしても微妙なところですが。。。

2日目も、小雪こそ止んだものの、空を厚い雲が覆うバッドウェザーだったので、残念ながら光線の心配をする必要もなく(笑)、Tさんの機転の利いた発案で、煙がまっすぐに立ち昇りやすい切り通しを選択することにしました。

やがて我々の目論見どおりの煙を美しく連ねながら、QJ重連が土肌も露わな切り通しを抜けてきました。お~~! これが集通の煙だよなあ! 連写の音が心地よく響いたら、急いで撤収して、そう、昔と同じように、上店の踏切を目指しましょう!

阪急初詣号 「鉄道(27069)」

年明けの3が日、京都の実家に来ています。このブログのほうも、厳寒の中国から、しばし正月の関西に舞台を移すことにいたしましょう。今日は年始恒例、ひくまさんと連れ立っての正月ネタの撮り初め鉄を楽しんできました。

今年のターゲットは、年始のヘッドマークを付けた阪急京都線の6300系。おたがい数度のロケハンの成果を持ち寄り、晴れ上がった正月の空の下を走る、決め打ちのカットを……といきたかったのですが、曇り空にごくまれに太陽が顔を出すというコンディション、行き先が別になった年末の中国旅行の土産話のほうが中心になりました。

6300は4編成が運用に入っていて、そのうちの2編成に「初詣」、1編成に「七福神」のヘッドマークが掲げられていました。最初は、さっき河原町方面に2つ行ったから今度はここで梅田行きを待ち構えて、とやっていたのですが、そのうちどれがどう行ったのかわからなくなり、ひくまさんと苦笑しながらオヤジ二人立つホーム先端でしたが(笑)

15時過ぎ、もう陽の出ることもあるまいと、6300の初詣号で京都への帰路につきました。道すがら、桂川を越えると低い雲の合い間に、夕日が差し込んできました。急いで下車して、折り返しを待つことにします。祈るような10数分、通過寸前に今一度日が差し込み、寒いけれどどこか優しい京都のお正月らしい光の中を、昭和の名車が疾風とともにやってきました。

阪急うめだ 「鉄道(27069)」

その昔、京都市内北部の子供が大阪に行くときは、たいてい、暗くて屋根の低い大宮駅から阪急に乗って、梅田へ向かったように思います。行き止まりの梅田駅の広大なホームに人があふれ、改札から出ると、高い天井と地下街へ通じる通路のざわめきにいつも圧倒されました。

その梅田駅で写真を撮るのは、昨日が初めてでした。神戸線、京都線、宝塚線が同時発車する光景をファインダーから覗いていると、思わずガキ鉄に戻ったようなワクワクした気持になります。これはきりがないなあ、と途中でひくまさんと昼飯にすることにしました。

京都線の特急ホームの行き止まりの先の中2階に、いささか昭和チックな喫茶店があり、立ち食いそばよりは落ち着けるだろうと、消極的選択をしました。昼の定食、コーヒー付き、まあいいか……窓の外を見た瞬間、二人ともカメラを取り出し、メニューはどうでもよくなりました(笑)

昔も今も、どういうわけか、よく「うめだ」と平仮名で書かれるこのターミナル駅には、京都と大阪と神戸がごった煮になったような、わけのわからない雰囲気と、どこかヨーロッパの大都市の始発駅を思わせる気品が同居していて、マルーンの電車の放つ鈍い光がよく似合っています。

磐西から集通へ 「鉄道(27069)」

毎年の暮れ、中国へ一緒に撮影に出かける、かけがえのない友人たちがいます。今年もともに撮影と宴会三昧の予定だったのですが、考えた挙句に、彼らには不義理をしてしまいました。南票と白銀へ現役の匂いを求めて行くという彼らに、申し訳ない、私はやはり集通へ行かせてくれ、と。

11月、磐西の「波かもめ」のときに2月の鉄法でご一緒した大阪のTさんに遭遇して、集通の話になりました。みんなイベントで現役っぽくないとか、客車の色が変だとか、返しが撮れそうにないとか言うけど、私は集通がいちばん気になるんですよねえ、と言うと「そらあ集通に決まってますやん。私は行きます」と力強い関西弁が返ってきたものです。

12月に入って、いよいよ集通行きを決断。ガイドの孔先生に連絡をとると、何と同じ日程ですでに依頼を受けていて、その人と一緒に行ったらどうか、と。じゃあ先方さんにお願いして……それがTさんだとわかったとき、鉄の縁、カマの縁とはこういうものだなあ、と妙に納得しました。

初日は残念ながら小雪まじりの曇天となりました。でも、たしか初めて熱水に来た日も、こんな雪まじりだったなあ。上店から下坑子、そして経棚へ。去年の空車貨物と同じように峠を軽やかに駆け抜けてゆく前進重連の客車列車は、昔日の長大貨物のような迫力はありませんでしたが、ファインダーを通して見る情景は、あの頃慣れ親しんだ、熱水の冬のフレームそのものでした。

大板机務段、午前4時

新しい年が明けました。昨今の諸情勢の厳しさに身の引き締まる思いで迎えた元旦ですが、それはそれとして、今年も、このブログを見ていただいている鉄な皆さまの出動時に、素晴らしい光線、素晴らしい感動が訪れますよう、また少数の鉄じゃない皆さまにとりましても、素晴らしい幸運や感動が訪れますよう、お祈りいたします。

昨夜、中国の集通鉄路から帰ってきました。前回と違って一応は毎日ちゃんと運転された前進重連、正味3日間の撮影でしたが、やはり集通はいいですね! 5年から10年前の冬、衝撃に打ちのめされて通った厳寒の峠越えの風景はあの頃のままで、その中を少し軽やかに走る客車列車の姿は、自然に彼の地の冬景色に溶け込んでいました。

北京からの夜行列車が赤峰に着いたときの凍える寒さは、中国鉄の皆さんは、おそらく誰しもが一生覚えておられるのでは、と思います。そして、凍った窓に時おり指を当てながら、うとうとしながらクルマで数時間。夜明け前、大板でバルブするときの痺れるような寒さもまた、身体が覚えているのでは、と思います。

12月28日午前4時。出区する2輌の前進が、DLの屯する机務段構内のはずれに並び、中国特有のイエローの優しい色合いで、スポットライトが当たりました。あの頃のカメラはすぐ凍って、シャッター音が弱くなったよなあ、などと思いながら、あたり前のように作動するデジタル一眼で、あの頃と同じように身も心も震えながら、バルブのシャッターを押し続けました。




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