ホールへの道も

♪お元気ですか 久しぶりですね 人生半ば過ぎましたね
お顔は覚えていますが お名前だけが思い出せない

町の景色たたずまい 吹く風までが少し変わって
駅前広場よそよそしくなり ホールへの道も迷います♪

と、北山修・坂庭省吾コンビの名曲に歌われたのは、大阪のサンケイホールといわれています。そのホールがすっかり新しくなり、こけら落としに北山さんのレクチャー&ミュージックがあると聞いて、これは行かねば、と降り立った伊丹は、冷たい秋の雨模様でした。

コンサートまで時間があったので、いよいよ撤退が迫っているという阪急6300系に、初めてカメラを向けてきました。70年代半ばに登場したとき、斬新かつ格調高い雰囲気に目をみはりました。当時の京都線特急は大宮から十三までノンストップ、まだ国鉄の117系が登場する前、このクロスシートの2扉車は京阪間を華麗に疾走するトップランナーだったと思います。

時移り、今や阪急はJRとのスピード競争をあきらめ、短距離輸送に軸足を移し、高槻市や茨木市、さらには長岡天神や桂にまで特急が停まる時代です。頻繁な乗降に不便な2扉車の淘汰は、来春にかけて、おそらくあっという間に進むのでしょう。

♪いつも歌ったこの場所で なつかしい歌を聞きましょう
若いときの歌だから メロディーを聞けば思い出します♪

中之島のフェスティバルホールも改築の時期が近づいていると聞きます。阪急の特急に乗って、大阪へコンサートを聞きに行った懐かしい時代が、6300の秋の名残りのヘッドマークとともに、記憶の彼方へ旅立とうとしています。









タンコロまつり 「鉄道(27069)」

やまぐちの翌日は「波とかもめ」も考えていたのですが、新潟山間部雷雨の予報にあっさり断念。ちょうど仕事で上京されたひくまさんのオフタイムとしめし合わせて、のんびり江ノ電ミニハイクと洒落込みました。

極楽寺の車庫では「タンコロまつり」という公開イベントが開催されていて、古い電車のまわりはケータイで記念写真を撮る近隣の家族連れがひっきりなしで、これ1枚撮るのに、15分は待ちました(笑)

「鎌倉とか湘南は、関西人には縁がないなあ。そうそう、今日がまったくの初めて」というひくまさんの言葉に、大学1年のとき、古美術研究会の見学会で、初めて鎌倉で大仏やお寺を巡って、江ノ電の写真も数枚撮ったことを思い出しました。

すっかり新しくなった電車が往来する現在の江ノ電。ああ、あの頃もっと撮っておけば……と思うのはいつものことですが、混雑する三連休中日の車窓の向こうに、若き日の僕らの足跡が垣間見えるような気がして、ふと長いため息をつきました。



燃える秋 「鉄道(27069)」

9521レを撮り終えると、転車台はサイドに光線の回る発車前にとっておくことにして、なじみの(笑)道の駅へ向かいました。津和野の街のはずれにある「なごみの里」、ここの食事&風呂は、やまぐち撮影にすっかり欠かせないものとなりました。

風呂鉄(爆)、けっこう好きです。撮影の合い間のほっとひと浴び、最近はここが一番かな、て感じです。内風呂は明るい雰囲気で、適度に空と緑が広がる露天風呂も、あ~来てよかったなあ、と短時間でもすっかりなごんだ気分になれます。そういえば、釧路の茅沼の温泉もしばらく行ってないなあ。釧網本線は、もうすぐ「湿原号」の季節です。

こんなに雲のない一日は、久しぶりです。この天気なら、迷わず原点・本門前でしょう。三脚の林に立つと、オーソドックス・アングルの左には、おあつらえむきの紅葉が広がっていて、いつもとは違って、列車を右に寄せたファインダーを選択しました。

「燃える秋」、原作は五木寛之で、映画の主題歌はハイファイセットだったかな(笑)同じ頃、喜多方の舞台田も素晴らしい斜光線に光っていたようですが、1号機よ、来年また会おう、と今年のやまぐち撮影を、充実感いっぱいに仕上げることができました。



三連休初日 「鉄道(27069)」

さて、晩秋の三連休、どこに行くか。初日の土曜日は迷ったあげく、やまぐちにしました。雪景色?の磐西にも魅かれましたが、今年のラストランに晴れ予報にはかないません。それに、FOP稼ぎもいよいよ追い込みだし(爆)

新山口で0系をスナップして、長門峡から地福へ。いつもの踏切、いつものアングルに三脚を立て、ほっと一息。撮影日和とはまさにこんな天気だなあ、と雪景色と門デフへの未練は一瞬立ち消えます(笑)

お昼を数分過ぎたこの時間、いつもおおらかな空気がこのあたりには流れています。機関車のまわりに散らばっていた乗客たちが客車に戻ると、やがて長い汽笛があたりを圧するように響き、ゆっくりとシゴナナが歩を進め始めます。

今まで何度もこの踏切で待ちましたが、ファインダーに迫り来るシゴナナの煙に、今日ほどゾクゾクしたことはありませんでした。これだから、やまぐち、やめられませんなあ。

寺山修司の青森 「鉄道(27069)」

田舎館駅の風情をスナップしたら、次は薄曇りの空に浮かび上がってきた岩木山バックを押さえようと、黒石方向にレンタカーを走らせます。やがて、すっきりした築堤が見つかり、次のステンレスが来るまで、のんびりと待機しました。

津軽といえば太宰、そして寺山修司だよなあ。青森へ撮影に来ると、ときどきそんなことに思いが至ります。弘前の生まれとも、三沢の生まれともいわれる昭和の劇作家、詩人そして歌人、寺山修司。「走ってる列車の中で生まれ ゆえに故郷はない」と嘯いていたというから、鉄だったのかもしれません(笑)

25年前、当時住んでいた阿佐ヶ谷で入院したことがあるのですが、そのときのある日、急に病院がテレビカメラに囲まれたことがありました。寺山修司、死す……そのニュースを間もなく聞き、彼がここに入院していたことを知りました。天井桟敷、田園に死す、、、アングラと不良の匂いに満ちた言葉の数々が、急に身近に感じられたのを覚えています。

騒乱の時代の渋谷から、岩木山の優しさにつつまれる津軽へやってきたステンレスの電車は、ちょっと変な顔になってしまったのもありましたが、すっかりこの地に溶け込み、昭和の吟遊詩人のことを、ときどき思い出しているようでした。

まるで映画のような 「鉄道(27069)」

この週末も「波とかもめ」に……おおかたの皆さんの予想はこれでしょうが(笑)、残念ながら昨日は仕事で、磐西はまた来週以降です。土曜に弘前に所用があり、ばたばたとJL便で往復、弘南鉄道の弘南線でローカルの空気を吸ってきました。

東急からのステンレスの譲受車が岩木山をバックに、リンゴ畑や田園風景を縫って走るこの路線、夏の「はまなす」撮影の折にもちょっと立ち寄ったのですが、半日のんびり過ごすのは初めてでした。いや~、なごみましたなあ。

駅名に魅かれて、国道から街中の駅をめざしていくと、こんな映画の書割のような駅舎がポツンと建っていました。名前のとおりの、田舎の館。無人駅の一部は喫茶店になっていて、切符売り場の窓口でスナックやお菓子を売っているとか。もう、楽しすぎます。

午前中は逆光だったので、サイド光の当たる午後、もう一度駅舎を撮りに行きました。秋の名残りの夕陽が沈めば、津軽には長い冬がやってきます。雪に埋もれた夕暮れなんてのも、この駅舎にお似合いでしょうね。



11号機、何思う 「鉄道(27069)」

C5711号機のプラモデルがsenrobataさんのところで紹介されていて、ほ~う、こういうのがあったのかと思っていたら、期せずして、普通各駅停車園部行きさん、へそヘルニアさんからも11号機のプラモデルの思い出をコメントいただきました。これ、当時のガキ鉄に、かなりの人気があったようですね~~

あのSLブームの時代、シゴナナの中のスター機関車といえば、1号機、117号機の御召仕様がまず思い出されますが、その新津御召や宮崎御召以前となると、きらびやかな装飾をイメージできるシゴナナといえば、11号機の「波とかもめ」時代が白眉だったのかもしれません。

へそヘルニアさんのお話のように、その、写真でしか見られない「波とかもめ」を、チョークか何かで落書きした奴がいたのかもしれませんね。そういえば、当時は「つばめ」の落書きとか、はたまた紙を貼って一部区間を走ってしまったカマが何輌もあったとか……そのあたりはTADAさんのところの「八高ヤード」に紹介されていますが、「ニセ波かもめ」も、見たかったような、見たくなかったような(爆)

豊岡に静かにたたずむ11号機にも、そろそろ磐西から「波とかもめ」復活の風の便りが届いている頃でしょうか。姫路の5号機ほどではありませんが、屋根もあり、まずまずの保存状態のように見受けられます。地元の保存会などはあるのでしょうか。もしイベントの機会などあれば、いつか、「波とかもめ」再現を期待したりしてしまいます。


それでも憧れだった 「鉄道(27069)」

姫路で、豊岡で、生野で。高校生のとき、晩年のC5711号機を何度か撮影しています。すでに集煙装置+重油タンクといういでたちになっていましたが、関西にはほとんど存在しない門デフ、それだけでガキ鉄には憧れの存在でした。

一昨日ご紹介した西山さんのブログに、11号機のデフに「波とかもめ」の跡が残っている写真があったのには、ほんとうに驚きました。あの当時、そんなこと、夢にも思わなかったなあ。どの雑誌の写真でも、すでにこのデフは日々の黒ずみに疲れていたし、実際に見る段になっても、そこに思いが至ることはありませんでした。

もしかして自分が撮った写真にも……と、昔のネガをルーペで覗いてみましたが、やはり「波とかもめ」の跡らしきものは見つけられませんでした。西山さんの写真が昭和45年、私が撮影したのは46~47年、、、う~ん、惜しい(笑)

C575+39重連のイベント列車を追いかけて行った姫路で、貨物列車を牽いた11号機が「門デフや!」とガキ鉄の歓声に迎えられて入線してきました。私も、門デフを見ること自体このときが初めてで、もちろん歓声を上げていた一員でした。

流れる波よ 「鉄道(27069)」

門デフ「波とかもめ」初日の土曜日(11月8日)は、夜には水道橋某所に行く予定があったので(笑)、新津まで下り列車を追いかけつつ戻っていくT島さんとは、電化区間で一度撮ったところでお別れとなりました。

堂島でラーメン食べて、いつもの山をバックに望む田圃のところへ。ときおり薄日は差すのですが、今日はギラリとまでは行きそうにありません。シャッタースピードを落とし気味にして、真横を流してみることにします。

どうでもいいことですが、流し撮りという鉄な技法は、いつ頃から始まったのでしょうか。とても西尾コレクションや岩崎コレクション、そしてC5711号機の門司港時代にもなかったように思います。広田さんの「動止フォトグラフ」の前に十分流布してはいましたが、確立させたのはやはり広田さんなのでしょうね。

デジカメの時代になり、止まってるかどうか、すぐ確認できるようになりました(笑)ラボへポジの上がりを取りに行って、ライトテーブルでドキドキしながらルーペを覗いたのが、もう遠い昔のようですなあ。。。





門司港機関区? 「鉄道(27069)」

「かもめ」というと、今や長崎本線のイメージが強くなりましたが、もともとは山陽特急の代表格で、私や枯れ鉄さんが京都のガキ鉄だった時代には、京都発のDC特急でした。もっと昔のC5711号機の時代は博多までで、たしか門司~博多の専用機だったのですね。

当時の写真がネット上にないか、検索かけてみたのですが、ちょっと見つかりませんでした。出てくるのは播但線時代と、あとは模型の「波とかもめ」ばかりでしたが、豊岡時代の同機のデフに「波とかもめ」の跡が残ってる写真があったのには驚いたなあ。。。

所属の門司港機関区というのも、SLブームの時代にはすでにない名称でした。今、九州鉄道博物館の保存機に入ってる「港」の所属札に栄華が偲ばれますが、この九州きっての名門機関区はどんなクラだったのか、これも調べるのには少々時間と手間が必要なようです。

扇形庫なのか、矩形庫なのか、それもまだ調べがついてないのですが、会津若松のいつものターンテーブルアングルに、シゴナナそして九州蒸機の素晴らしき時代を重ね合わせるこの喜び、もうたまりませんね。

風格というもの 「鉄道(27069)」

五泉の鉄橋から始めたいつもの追っかけですが、鹿瀬、上野尻と撮影を重ねるにつれて、だんだん「波とかもめ」に目が慣れてきました。深く考えずに、肩の力をぬいてファインダーごしにみると、曇天の山々をバックに、実にいいアクセントになっています。

現役蒸機の時代、デフの装飾といえば、関西線の「三日月と鹿」や「ピース」ぐらいしか、実際に見たことはありません。それらは、SLブームの時代のイベント向けで、決して嫌いではありませんでしたが、来れば嬉しいというほどでもありませんでした。

もちろん、忘れてはいけないのが「スワローエンゼル」。小樽築港で初めて見たとき、何度も何度も写真で見ていたのに、実物の存在感に圧倒されました。特急「つばめ」の風格そのもの、だったからなのでしょう。

ヘッドマークも、客車も、だんだん心の目に入らなくなってきました(笑)時空を越えて、2008年晩秋の磐西にやってきた特急「かもめ」の風格に、じわじわと圧倒されていくようです。

伝説再来 「鉄道(27069)」

先週末から三たび門デフでの運転が始まった「ばん物」ですが、今週末からはさらにグレードアップ、いにしえの「かもめ」専用機のデフ装飾「波とかもめ」の再現というのですから、JR東・新潟支社さまの企画実行力には、もう驚嘆するばかりです。

はい、行ってきました。我慢できずに(笑)……およそ半年ぶりの磐西は、この秋いちばんの冷え込みで、曇り空からたまに薄日が顔を出し、あとしばらくで盛りを迎えるであろう紅葉を待ちわびているような雰囲気でした。

ガキの頃、鉄道雑誌のモノクロ写真で見たC5711号機の美しい装飾の門デフ、、、当時まだ現役で残っていた行橋のキューロクやC50の装飾デフの写真を、集煙装置の付いた播但線の11号機に頭の中で重ね合わせて、往時の輝きを想像したりしたものです。

九州の、よほどベテランの方でなければ実際に見たことないであろう、伝説の装飾です。早速、もともとは、どの部分が金で、どこが銀で……と諸説飛び交うのも、伝説ならばこそ。いつもの追っかけ街道を、今日は軽やかな流し撮りを重ねながら、進んでいきました。


秋の夜長

だんだん空の色が青から闇へと変わり、まずは、ホームに横付けされたレールバスのバルブ大会が始まりました。ヘッドライトが尾灯に変わったら、信号機も青にするなど、愛好会の皆さんの素晴らしい演出には、感謝、感謝でした。

やがて、ホームのレールバスはクラの前に転線し、待機していたもう1輌と、漆黒の闇の中で丸い肩を寄せ合うように並んで停車しました。サイドがいい感じでライトアップされ、何だか2輌の会話が、虫の声のように聞こえてくるようです。

語り合うのは、現役時代のこと、今回のイベントにやっと修理が間に合ったこと、あるいはこのすぐ近くで進む、新幹線や新七戸駅のことだったのかもしれません。「いやあ、素晴らしいなあ」とつい口に出すと、久しぶりにお会いした、百戦錬磨のDT200Aさんから、すぐに合いの手が入り、うれしくなりました。

この3連休、只見プラス門デフも素晴らしかったようですが、ほんとうに、ここへ来てよかったと思います。三沢空港へトンボ帰りする道すがら、この天邪鬼なコースをご一緒したT大僧正と、何度もこの感動を語り合って、飽きることがありませんでした。

秋から秋への旅 「鉄道(27069)」

叡電では、思わず夏のインドネシアメンバーが4人も揃い、撮影が終わったら出町柳の串揚げ屋でビール、いやはや楽しかったなあ。で、翌日(11月2日)は伊丹に戻り、T大僧正とともに空弁片手に、三沢行きJL便の客となりました。

京都の秋から、青森は七戸の秋へ。南部縦貫鉄道も、片上鉄道と同じように、保存会によるイベント時の構内運転が継続されていますが、今回は何と日暮れどきに撮影タイムを設定、バルブ大会が開催されるというのです。伊丹三沢便なんてあれば移動可能なのに、と思っていたら、さすが大僧正、「ありますよ。ちょうどいい時間に三沢着。日暮れには間に合います」……はい、ご一緒しましょう、というわけで(笑)

三沢空港着陸時にはどんよりと曇っていた空でしたが、レンタカーで七戸に着くと、美しい秋の黄色を帯びた光が、赤いレールバスをやんわりと照らしていました。残念ながら現役当時に来ることはありませんでしたが、ここには素晴らしいニッポンのローカルが、今もなお息づいていて、じ~んとしてしまいます。

日が差したらシャッターを切り、日が隠れたらただぼんやりとこの風景を眺めている。これだけでも、十分に贅沢な休日の午後でしたが、とっぷりと日が暮れてから、ここで展開された情景は、僕らのちっぽけな想像をはるかに超えるものでした。

洛北サヨナラ街道 「鉄道(27069)」

紅葉の季節近づく鞍馬まで入線しないのは少し残念でしたが、それならば正面ドカンで行こうと、この日最後の二軒茶屋往復は、何人かの先客の姿を見かけた、木野を出たところのカーブで待ち構えることにしました。

三宅八幡の駅から蓮華寺へ向かう小道はあまり変わっていませんでしたが、八瀬との間のちょっと開けた撮影ポイントでは、新築住宅の建設が続いていました。その昔、田園風景を行くのどかなカットを探し歩いた岩倉のあたりには、真新しいマンションが建ち並び、今の叡電を支える通勤客の需要を十分に伺わせてくれます。

京福から叡山電鉄、そして京阪の傘下に。最近は通勤需要や鞍馬、貴船の観光で一息ついたのもつかの間、バイパス道路の建設で、また叡電は新たな岐路を迎えざるをえないのだといいます。八瀬に遊園地が、宝ヶ池に競輪場があったことなど誰も知らない時代は、もうすぐそこまで来ているのかもしれません。

心づくしのヘッドマークが、秋の斜光線に輝きながら、ファインダーの中でどんどん大きくなっていきます。幼い頃から慣れ親しんだ洛北の電車に、ひとつの時代が終わるのを脳裏に刻み込んだ、かけがえのない一日になりました。

叡電秋緑 「鉄道(27069)」

只見はまあ俯瞰好きな皆さんにおまかせするとしても、3連休直前に「ばん物、明日からまたまた門デフ!」のビッグニュース、うぅ、身体がいくつあっても足りない……各地に鉄がうじゃうじゃと蠢いたこの3連休、先週に続いてのJL伊丹便で、まずは西へ向かいました。

モノレールと阪急を乗り継いで河原町へ、駅名改称後初の祇園四条から京阪に乗って、伊丹から1時間少しで出町柳に到着。まだ観光客の姿も目立たない京都の街は、昔と同じように、どことなくのんびりした週末の朝の顔をしていました。

出町あたりからはまだ遠めに見える比叡山に向かって、街中から山裾へ分け入っていく叡電。市電も嵐電もそうですが、京都の電車の色といえば、緑が基本でした。去年、久しぶりに叡電に乗ったとき、この色の電車はもう修学院の車庫の片隅にしか残っていないのに驚き、京都を離れてからの時の流れに愕然としたものでした。

今日(11月1日)はその旧色の電車、デオ600のさよなら運転。午前中は太陽が雲に出たり入ったりでしたが、午後には秋らしい光が、京都の街を囲む山々の緑をいとおしむように照らしていました。緑と薄茶色の電車は丸い行先板も昔ながらで、遠いあの頃、ポール電車の時代さえも、ふと思い出させてくれました。
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Author:品川530
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