輝きながら… 「鉄道(27069)」

日没にはまだ少しの間がありそうで、入換の行われる査岩の駅に急いで戻りました。すでに貨車には長い影が伸びて、最初の停止位置ではカマのところで、ちょうど光線がマンダーラになってしまっていました。

すぐに入換が始まりました。美しい橙色を帯びながら、みるみるうちに傾いていく夕陽、、、後ずさりする建設を待ちながら、線路にまだ光のあたっている部分にファインダーを合わせて、カマの長さを考え慎重にズーミングします。

輝きながら~♪ つい10年少し前のヒット曲が口をついて出てきました。先日、徳永英明がテレビでミニライブやってるのを偶然見ましたが、病気を克服した大人の、渋くていい顔してました。この曲が流行ったのは、考えてみたら、国鉄民営化の年の夏ですね。フジカラーのCMでした。まさか、10年後、フィルムをほとんど使わない世の中になるとは思わなかったなあ(笑)

閑話休題。中国蒸機は今、こうして最後の輝きを広い大陸のあちこちで、人知れず放っているのでしょう。我々の旅も、あと少し、続きそうです。

これぞ現役の輝き

午後早い時間に国鉄線のヤードに次の貨物を取りに行くはずだった建設ですが、今度は連絡線のポイント故障とかで、発車は夕方にずれこみました。せっかくの晴天、何とか日のあるうちに戻ってきてくれるといいのですが。。。

奇岩連峰をバックにカーブを見下ろす切通しに、三脚を立てました。日が傾くにつれて岩山の陰影がどんどん濃くなっていくのは嬉しいのですが、手前の木々の影も伸びる一方で、再三アングル修正を余儀なくされます。

やがて、前日より1時間ほど早く、入換のブラスト、そして発車の汽笛が聞こえました。天は我に味方せり! 露出はまだ半絞りしか落ちていません。 ♪震えるつま先 高鳴る鼓動 何度も何度も 胸に手をあててみた♪……ここはまるで、球児登場の甲子園か(笑)

長い影と黒い煙を道連れに、ただひたすらにカーブを描いてくる、何の飾りもない、たくましい現役の蒸気機関車よ! そして静寂が訪れたとき、ため息とも歓声ともつかぬ呻きが、誰からともなく洩れていました。



まだまだ ひっそり めだたずに

翌日の朝、途中の査岩駅で建設は次の発車までの待機に入っていました。聞くと、そのまま羅城へ向かわず、再び国鉄線へ貨物を取りに行く予定だが、いつになるかはわからない(笑)……待っているうちに昼になり、近くの肥料工場の専用線から、今度は上游が貨物を取りにやってきました。

ほんの数年前まで無数にあった、こういう工場専用線の上游も、今ではかなり少なくなりました。私が中国蒸機撮影を始めた90年代末は、まだ列車の窓から、入換に励む専用線の煙を見ることも多く、ああ、ここにも蒸機が残っているのだなあ、昔のハチロクかキューロクみたいなものか、いやラサ工業とか美唄鉄道か、などと思ったものです。

こうして目的の蒸機路線の近くにあってついでに撮れるのならともかく、短い専用線の上游だけを目当てに訪中する向きも少ないでしょう。わずかに残ったカマたちは、あと少し、しぶとく生き残って、ひっそり、目立たずに消えていくのでしょう。

わずか数キロの距離で踏切に警報機もなく、安全確保のためでしょうか、帽子を被った職員がカマの進行方向に必ず添乗しています。逆向き牽引のテンダに乗る彼がいいアクセントとなって、まだ暑い広西の9月の青空に浮かび上がりました。


山水暮色

折り返してくるはずのカマが、いくら待ってもなかなか来ない……中国へ蒸機撮影に行かれた皆さんなら何度も経験なさっていると思いますが、ここ三羅線はその苛立ちレベルがきわめて高く、先達のサイトや書き込みには、もう帰りの飛行機に間に合わないので、泣く泣く絶好の撮影ポイントを後にした、、、などと累々綴られています。

我々も初日の午後、国鉄線のヤードへ貨物を取りに行ったJSを、新線区間の小築堤で待ち構えたのですが、もうすぐ来る、から1時間、そして2時間、さらに3時間が経過し、順光バリの岩山バックは、いつしか日没寸前となってしまいました。

あと15分待ちますか。O連隊長が後ろ髪ひかれまくりの表情でそう言ったとき、やっと彼方で入換のドラフト、そしてヤードの発車らしき汽笛が聞こえました。ふと手前の池の水面を見ると、岩山と築堤が逆さに映っています。おいおい、もしかしてこのシチュエーション、けっこういいかも(爆)

学生時代、どこかの美術館で見た古い山水画を思い出します。一幅の絵に黒をあざやかに描き入れるかのごとく、短い貨物が、色淡い暮色の中を通り過ぎていきました。

広西奇岩ライン

今回の飛び石連休、2月以来の中国は、初めての広州から広西自治区への旅でした。桂林に代表される水墨画チックな風景の中、奇岩をバックに走る建設型蒸機がしぶとく残っているとの情報に、「今しかない!」(笑)とO連隊長ツアーが急遽派遣されたのです(爆)

その、ここ羅城専用線は列車運行がきわめて不確定で、幾多の先達のご苦労を聞くにつけても、リスク高すぎるよなあ、と敬遠してたのですが、石油不足により蒸機毎日運転との現地情報についつい、、、そしてそれよりも、夜行列車が現地に近づくにつれて車窓に展開された奇岩が並ぶ風景は、文字通り目を瞠るものでした。

早速、逆向き牽引の空車が山から下りてくると聞いて、岩山の中でも形のユニークなものを選んで、サイドのアングルをとりました。よく発表されている大俯瞰も魅力的ですが、どうせこの気温(まだ35度前後!)では煙も出ないだろうと、思いきって望遠ズームで画面をアップ気味にしてみます。

直前まで燦燦と降り注いでいた太陽が雲に隠れ、露出を1絞りあけざるをえませんでしたが、そのほうがかえって、水墨画に通じる深みのある空気感に近づいたようです。オリンピックが終わって、中国蒸機ももう終わりという雰囲気ですが、う~ん、これはまだまだ深いなあ、と先達の冒険の理由が少しわかるような気がしてきました。

ああ、パタパタ

駅の名所案内板、検索かけてみたのですが、さすがに全国的なリストとかはありませんでした。でも、地元の古い案内板を集めたサイトとかあって、今後の発展深化が期待されるジャンルであります(笑)

かたや、列車案内板とでもいうのでしょうか。ホームにある次の列車を表示する設備も、すっかり代替わりが進みました。東京駅や京都駅からこの「パタパタ」が消えたのはもう5年前、100系が東海道から引退するのと、ほぼ同時期のことだったと記憶しています。

昔はこれ見ながら、京都駅で上りの新幹線を待ったものです。そういえば、パタパタは空港にもよくありましたね。ルーレットが止まるのとはまたちょっと違いますが、この動きがいつ止まるかを見ているのは、ワクワクする時間でした。

最後のパノラマカーで賑わう名鉄では、列車種別や行先が点灯する、旧式の列車案内が太田川駅に残っていて、一部の熱心な方々の写欲を盛り上げているようです。このあたりの設備、ちょっと夢さんの模型鉄道に導入するのは大変かもしれませんが(笑)

……明日からの飛び石連休、中国へ行ってきます。何度か計画しつつも果たせていなかった、南部の奇岩バックです。23日の夜、帰ってきます。天高く鉄はずむ秋の到来、皆さんもいいお休み、いい鉄を!



ああ、名所案内板

吉ヶ原でのタイムマシンツアーに嬉しいコメントをいただき、これでは伊丹からの帰りのJL便に間に合わなくなってしまいます。gonta大僧正とはすれ違いなのが残念ですが、そろそろレンタカーを返しに姫路へ向かう時間がやってきました。

その前に、木漏れ日の影にこんな名所案内板があったのを、ご紹介しておきたいと思います。駅名標と同じぐらいの大きさで、昔はどこの駅にもありましたよね。かなり小さな駅にも、あったように思います。聞いたこともない寺の名前が一つだけ書いてあったり。。。

行き違いや急行待避の停車駅で、車窓から見る、この板に記された知らない山や寺の名前に心躍らせた記憶があります。ここから何キロかぁ、バス何分、行く人いるのか?……いやいや、当時は鉄道での国内観光旅行がまだまだ隆盛だった時代です。この案内板で、ああ、この駅で降りるのだと確認しながら、旅を続けた人々の笑顔が浮かびます。

考えてみると、こういう案内板も、国鉄とともに徐々に姿を消したように思います。最近では、たまに古い物が残ってるのを見かける程度のような、、、またひとつ、興味ある鉄ジャンルが出現したようですなあ(笑)

タイムマシンにおねがい

いきなりのゲリラ雷雨が通り過ぎると、再び吉ヶ原駅のホームは、蒸し暑い西の夏の日差しに照らされました。ホームを行ったり来たりする鉄な人影がふと途切れると、まるでタイムマシンでやってきたような、夏休みの親子の姿が浮かび上がりました。

サディスティック・ミカバンドの名曲のメロディにのせて、タイムマシンで行きたい駅、行きたい場面、たくさんありますね(笑)ディテールを言い出せばきりがありませんが、そんな願いを少しでも叶えてくれるのが、やっと日本の各地に根づき始めた保存鉄道の数々ではないでしょうか。

そして、各地で、10年前とは比較にならないほど充実した保存会やボランティアの活動が行われるようになりました。経済的困難や行政への対応など課題は山積ですが、成熟した趣味へ、やっと少しずつ、歩み始めたように思います。

来月の運転で、この保存鉄道はしばらくお休みに入るようです。また来年、この鉄道情景を楽しむことができて、近くの津山の扇形庫や若桜のC12と合わせて、ささやかな「中国山地・保存鉄道ルネッサンス」とならんことを、切に祈りたいと思います。

月に一度のタイムマシン

姫路の交通公園から37年前、そして21年前のゴハチと、ちょっと寄り道が過ぎたようです。新宿の素晴らしい写真展も立ち去りがたいのですが、大急ぎで姫路に戻って、山陽道を西へ、レンタカーを走らせることにいたしましょう。

和気インターから津山方向に国道を進むと、すぐに片上鉄道の廃線跡と並行するようになりました。ゴハチ、ついでEF62ばっかり撮ってた80年代から90年代、今から考えるとハチマル29さんのように、地方鉄道、いろいろ行けばよかったなあ。南部縦貫も、蒲原も別府も、そしてここ片上も、雑誌の写真で廃止を知るばかりでした。

でも、こうして月に一度のタイムマシンが体験できるのですから、昔を悔やむのはほどほどにしましょう(笑)やがて着いた吉ヶ原では、車両も駅舎も当時のままの姿で残され、かつてのローカル気動車独特のエンジン音が、緑豊かな風景の中に響いていました。

トンガリ屋根の赤い駅舎、遠くに見える腕木信号やDD13、2輌編成の赤とクリームのツートンカラー。展示運転はごくわずかの距離の往復ですが、こうして見ると、我がニッポンの保存鉄道も捨てたものではないなあ……と雰囲気に浸っていると、この運転が存続の危機にある現実を知り、茫然と立ち尽くしたりしたのですが。。。

そして9月は

21年前の9月、敬老の日の連休は、秋らしい爽やかな好天に恵まれました。天高く青い空の下、逗子から軽井沢へ、水色のヘッドマークを掲げた列車を撮影しようと、高崎線の有名撮影地はファンで賑わっていました。

その年の5月の運転で初めてロクイチがこの列車に充当されましたが、3日間とも曇天や雨天で、9月の青空は、それこそ待ちに待ったシチュエーションでした。下りのオカホン(まだオカポンという人はいなかったような…)、上りの神保原(まだジンボシンとは言わなかったなあ…笑)で、ロクイチが颯爽と現われたときの踊るような気持を、今でもはっきりと思い出します。

♪セプテンバー そして9月は セプテンバー さよならの国
♪巡る季節の彩りの中 いちばん寂しい月

それから21年の季節の彩りにふさわしい写真展が、この3連休、新宿で開かれています。私もお邪魔する予定です。ロクイチと巡る季節を過ごした皆さま、ぜひお出かけください。

37年前の姫路へ

普通各駅停車園部行さん、佐倉さんの70年代初頭の思い出深いコメントを拝読すると、そのまま吉ケ原へ向かう予定を変更して、37年前の姫路第一機関区へ、ほんの少しの時間、時計の針を戻すことにしましょう。

71年4月に山陰京都口の定期仕業を終えた5号機は、5月から6月にかけて、39号機と重連で、姫路までのイベント列車に充当されました。「白鷺号」あるいは「京都SLの旅」「蒸機の旅・大阪」などと題された長編成の列車が山崎から須磨へ、本線を颯爽と駆け抜けました。何度か撮影しましたが、113系やゲタ電にかぶられたときはつらかったなあ(笑)

折り返しの姫路では、当時はまだ立派な扇形庫が健在だった第一機関区に入って、播但線のシゴナナやC11と並びました。事務所で名前を書けばガキ鉄OKの時代、嬉々として5号機、39号機、そして播但線から来た11号機を撮りました。

5号機の形式プレートが、光っていますね。ファインダーごしに輝きに魅せられながら、翌月の播但線で、これが見られなくなるとは夢にも思わなかった、高校1年の初夏でした。

邂逅の時

日曜日、ちょっと関西へ日帰りしてきました。姫路から岡山県内山間部に分け入るのに、なぜかJL伊丹便。プラス400FOPは大きいなあ(謎爆)と、阪急と新快速を乗り継いで着いた姫路で、レンタカーを借りました。

姫路へ来たら、このカマに挨拶していかないわけにはまいりません。ガキの時代の山陰京都口で、ガキ鉄の誰もが憧れた梅小路のスター、C575号機。姫路シゴナナ会という保存会の手によって、美しいあの姿が今に伝えられています。

5、15、39、89、127、190。これが梅小路に最後に残ったシゴナナのメンバーでした。3輌が南九州へ転じて74年まで活躍しましたが、こうして保存されたのは5号機だけでした。そういえば、190号機の京都市内保存計画なんかもあったなあ。青少年科学センター。いやはや、よくこんなこと覚えていますね。月曜の会議の内容も、もう忘れているのに(笑)

ふだんはこうして豊岡・浜田時代を模したプレートを付けている5号機ですが、アニバーサリーのイベントには、あの素晴らしい形式プレートを輝かせるそうです。今年も鉄道記念日の前後に計画されていると、手入れに精を出す保存会の方から伺い、目頭が熱くなりました。

夏の終わりのサイドビュー

あっという間に、秋刀魚が美味しい季節になりました。昼間はまだ30度越えが続いていますが、今年は秋刀魚が豊漁だそうで、今夜も、帰りの店で焼いてくれた干物の脂がのって旨いこと~(笑)

夏の終わりのやまぐちは、去年までのごく当たり前の重連に戻って、上りの9522レは、C56が先頭になりました。どこかのブログで、シゴロクは重連の先頭より12系2輌のほうがお似合いとコメントがありましたが、たしかに、むべなるかな、ですね。

しかし、サイドビューになると話は変わってきます。小さなシゴロクが前のほうが、画面全体がどことなく落ち着いて、綺麗にまとまります。雨上がりのしっとりした斜光線を浴びたときはなおさらのこと、これぞニッポンの夏休みの終わりの寂しさって感じです。

今さら、これはありえない重連なんて誰も言いませんが、考えてみると、この組み合わせは現役時代はほとんどなかったはずですね。あったとしたら、三江北線か妻線関連の回送?いやいや、それにしてもシゴロク前はないだろう……そんなありえない話に思いを巡らすのも、これからの秋の夜長の愉しみですね。

故郷いまだ忘れがたく

ソロからジャカルタへの夜行列車はエグゼクティブシート、すなわちロザでした。しかし、夜行座席車での移動というのも、かなり久しぶりです。中国で無座はありますが(笑)、ちゃんとした座席は国鉄末期の「銀河51号」以来かもしれない。。。

朝のラッシュを行き交う東急8000、都営6000、営団5000、そして103系。ジャカルタコタの駅を中心に、彼らとの邂逅を重ねることは、昨日までのシュガートレインのカルチャーショックから現代社会に戻るウォーミングアップとして、心地よい時間でした。

最近では、JR西のDD51や24系が、タイやベトナムに譲渡されたようです。ブエノスアイレスの丸の内線というのも、先日偶然テレビで見かけましたが、まだまだ健在のようです。ブラジルはちょっと遠いけど、東南アジアならその気になれば行けそうなのが怖い(爆)

夜のJL便での帰国を前に、T大僧正、酒仙T島さん、みんな早くラウンジで宴会やりたくて、そわそわしはじめました。空港へ向かうミニバスの中は、充実感と疲れが入り混じった、皆の笑顔がただ静かに揃っていました。

夕陽よおやすみ 2008

スンバルハルジョのフィールドに戻ると、夕暮れが近づいていました。水牛たちが重連で次々とローリーに積み込んだサトウキビを満載して、7号機が先頭に立つ積車編成が、日暮れの後の発車時間を待っています。

残念ながら今年は快晴の夕陽には恵まれませんでしたが、それでも、雲の合い間に赤く染まった太陽が何度か顔を出し、その一瞬を逃してはなるものかと、異国の訪問者たちの緊迫したロケシーンが展開されました。

そういえば、今でも17時に「夕焼け小焼け」が聞こえるのは、港区と渋谷区だったでしょうか。たまに通りがかりにあのメロディを聞くと、子どもの頃の京都の西山の風景を思い出します。そして、毎日を夕陽とともに過ごす、このフィールドの人々の生活に、何だか羨望を感じたりするのです。

日暮れとともに、そろそろ、ジャカルタへ戻る時間が近づいてきました。今回は夜行列車の旅です。明日は再び、日本から遠く離れて活躍する電車たちを撮ることにしましょう。


汽車が来る日

2年ぶりに、アンバラワの保存鉄道にも行ってきました。ジャワ島の横川(爆)からチャーター列車に揺られて、山あいのラックレール区間をめざしました。朝、降っていた雨は上がったけれど、まだ冷気が残っていて、季節はずれの白煙が夏の緑に映えています。

汽車が来たぞ~~! 踏切に遮断機もない沿線に、警告の汽笛を鳴らし続けながら進む蒸気列車に、子どもたちが追いかけるように群がってくる。こんな楽しい雰囲気の保存鉄道は、世界広しといえども、そういくつもあるものではないでしょう。

ラックレール区間に入る手前の駅で小休止。築堤下のぬかるみをものともせずアングルを探しに行った仲間たちを尻目に、構内で遊ぶ子どもたちにカメラを向けました。機回しの間に、ふと時間が止まったような美しい一瞬。。。

かぐや姫? 猫? 70年代のレコードジャケットのように、線路と戯れ、汽車が来る日のワンシーンを演じるアンバラワの子どもたちが、望遠ズームのファインダーにしっくりと収まりました。





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