峠へ向かう

この週末は、石北へ行ってきました。今回の目的はいつものDD臨貨ではなく、往年の蒸機ファンたちに話題の「SL常紋号」。信号場や150kpには歩いてしか到達できないという規制の中、素晴らしい作品をものされた方々の感動の声が、すでにたくさん聞こえています。

迷ったあげく、常紋へは行きませんでした。そんなに歩いてまで……というのもありましたが(笑)、この5年ほど、DD臨貨の撮影で巡っている沿線のなじみのあるポイントで、蒸機を撮ってみたい。30数年前の一度だけの思い出より、そちらを選ぶことにしました。

金曜夜に北見入りして、居酒屋で一杯。翌朝、北見駅で出発式の準備のようすをスナップしてから、通い慣れた39号を留辺蘂手前のオーバークロスへ。鉄10名ほどの、のどかな待機風景からは、聖地常紋に30数年ぶり、、、などというフレーズは想像もつきません。

留辺蘂の停車で抜いて、この踏切で構えるのは、初めて冬のDD重連を撮ったときと同じです。街はずれから、峠への勾配が始まるこのあたり。サイドを夏の光に輝かせながら、C11171がキラキラした表情で、峠へ向かっていきます。

昭和のパノラミックウィンドウ

出張で名古屋へ行ってきました。朝、仕事までの間、少し時間があったので、いよいよ運用激減で終焉が近づく名鉄のパノラマカーを、初めて撮影してきました。

すでに何度もこれ目的で名古屋に行っている方から教えていただいた駅撮りの名所は、こんなドン曇りの平日にかかわらず、鉄でにぎわっていました。みんなDJ誌か、そのコピーを持ち、次はどの方向からパノラマが来るのか、チェックに余念がありません。

考えてみると、昭和のパノラマ流行りの時代のスタイルそのままに、よく今まで残っていたものだと思います。国鉄こだま型、小田急SE、近鉄ビスタカー……もうこれは、我々が子供の頃の絵本の世界そのものですね。

まもなく予定されている名鉄のダイヤ改正で、この昭和の名車は、いよいよ残りわずかの終焉期に入るといいます。まだ走ってる間に、一度でいいから、いちばん前に乗ってみたいなあ、とガキみたいなことを考えてしまいました(笑)



函館方で14系

青森方の「はまなす」に対して、函館方の早朝は「北斗星」狙いだったのですが、昨日の地震でウヤ。大沼でDDの貨物を撮ってから、昼前にやってくる14系集約臨をめざして、ゆっくり移動することにしました。

「函館日本海」以来、1年と少しぶりの江差線です。金太郎とスーパー白鳥が次々と行き交うのは青森方と同じですが、何だか木々の形や緑の色が違います。あ、そうそう、気のせいか、海の色や波の様子も……考えてみると、これは列車移動ならではの発見だったのかもしれませんね。

順光のつもりで構えた有名カーブ、14系の通過時は残念ながら曇りましたが、この方向で客車列車を撮れる機会はめったにないのだから、と自分に言い聞かせて、今回の集約臨巡礼の締めくくりとしました。

帰りのJL便は19時過ぎ、、、函館で市電を撮る前に、まずは日帰り温泉でも行くか、とクルマを走らせました。その道すがらの食い鉄については、人知れず立ち上げてる(笑)別ブログにて。非鉄なネタ、気楽にいきますので、こちらもどうぞごひいきにお願いします。

北海道新幹線?

ふぅ~。放心状態が続いています。ここは「ロクイチ思い出の名場面」といきたいところですが、そんなことしたら、ほんとうに逢えなくなってしまうといけないので、やめておきましょう。ま、思い出したら、ポツリポツリとやりますか(笑)

東北を天災が襲った日の夕方、初めて津軽海峡を列車で渡って、函館に入りました。何しろ、1972年に連絡船で渡って以来、JALかANA、あと(もはや懐かしの…)JASでしか渡ったことがなく、長いトンネルの一種独特の雰囲気も初めて味わいました。う~ん、けっこうあっけなかったなあ、って感じです。

翌日、ロケハンをしながら駅舎の写真を撮っていると、いきなりこんな看板に出くわしました。そうか、夢物語と思っていた「北海道新幹線」なんていうのが、いよいよ現実に近づいているんですね。この渡島大野駅、古い跨線橋と貯蔵庫がなかなかの雰囲気ですが、新函館駅になったら、そんなものはすべて、記憶の彼方に去ってしまうのでしょう。

枯れ鉄さんのところで、1972年の道内時刻表が紹介されていて、泣かせます。たしか、道内に入るなり、この時刻表を買ったような気がします。函館駅だったか、もしかしたら連絡船でだったか。。。そういえば、弘済出版社、もとい交通新聞社の時刻表には、今も「やまぐち」や「ばんえつ」に、昔と同じSLマークが付いていますね。

いつまでも絶えることなく

眼前を通り過ぎたロクイチは、まるで昨日の上野発のイベント列車の仕業を終えて、あるいはどこかの撮影会に駆り出されて、ただ、いつものように単機で品川へ帰投するようにしかみえませんでした。

急いで後追いにアングルをとって、数枚シャッターを押して、こちらも、何事もなかったようにカメラを片付け始めたそのとき、あ、そうだ、そうだ、見えなくなるまで見送らなければ……そう思った瞬間に、思わずこみあげてくる何ものかがありました。

♪いつまでも絶えることなく 友達でいよう
♪明日の日を夢見て 希望の道を

古いフォークソングの歌詞が、カーブを遠ざかってゆく美しき溜め色に重なります。単9810レの終着駅は、大崎から明日の日に続いていることを願いながら、今度こそ、レンズに蓋をして、カメラをカバンにしまいました。

今にも泣きそうに

久しぶりに、カバンにカメラを忍ばせて、出勤しました。午前の会議が12時を過ぎても終わらず、やっと終わって地下鉄の駅へ駆け出したところで、いまどこですか?、今日はどこで?……とのメールが携帯に次々と入ります。

もはや選択の余地はほとんどありません。五反田で地下鉄を降りて山手線のホームへ駆け上がり、10数人の先客の間にポジションをとりました。うん、ここなら後追いも見送ることができる、あとはカブりさえしなければ。。。

迎える鉄の半数近くはスーツ姿(笑)、オクシナか裏単にしてはちょっと多いかな、という程度で、これから眼前にやってくる機関車が、今日が最後の走行になるかも、という緊張感はほとんど感じられませんでした。

今にも泣き出しそうな空の下、カーブの向こうから、ロクイチが姿をみせました。いつもどおり、颯爽と。僕らもいつもどおりに、と思うのですが、カメラを持つ手が揺れ、今にも泣きそうに、シャッターを切りました。





偶然の幸福

下りの14系を撮影すると、上りのポイントのロケハンに入りました。移動中、レンタカーのラジオは、ひっきりなしに地震情報を流していたのですが、青列車さんにご紹介いただいたような痛ましい事故が起こっていたことは、まだ知る由もありませんでした。

2か所ほど、目当ての場所も見つかったので、前回気になっていた日帰り温泉で、時間をつぶすことにしました。そういえば最近は街のビジネスホテルに泊ることがほとんどですが、以前はときおり、山奥の秘湯に泊ったりもしたものです。

この海峡線にはそれほどの「奥地」感はありませんが、鉄は往々にして、かなりな奥地に出かけますよね。私は山に登っての大俯瞰などはしませんが、飯田線の天竜川沿いの道を追っかけで走ってるときなど、凄いところへ来ているなあ、と思ったりします。

私のような趣味の鉄が、こうして撮影を続けていられる、偶然の幸福をあらためて噛みしめたいと思います。海峡線では貨物が来ないなど、だんだん影響が出始めていましたが、定時にやってきた14系に、いつも通りに、ファインダーを向けました。

土曜日の不思議な朝

青森で竜巻かあ。。。天気予報もあまり良くなかったのですが、土曜の朝1番では14系に間に合わないので、金曜最終のJL便で青森へ向かいました。いつものビジホの裏の居酒屋で一杯やってるうちに小雨が降ってきて、早朝のはまなすはパスして、9時過ぎの14系から撮影を始めることにしました。

朝の上りを待ち構える油川のポイントには、鉄のクルマが数台。まだ下りの14系には時間があるので、何本かの貨物を撮っていた、そのときでした。ゆらりゆらりと、何やら目まい? 二日酔い?……まわりの鉄の「地震みたいですね」の一言で、我に帰りました。まだ、揺れています。長いなあ、、、おさまるのに数分かかったでしょうか。

レンタカーに戻って、ラジオをつけると、まだ被害状況は入ってきてませんが、かなり大きな地震だったようです。さすがに余震が心配になりますが、とりあえずは14系下り狙いのポイントへ移動します。抑止がかかったのでしょうか、やがて青森へ向かう普通電車が10分少々の遅れで通過しました。

新幹線は全部止まったようです。岩手、宮城県内は在来線もほとんど運転見合わせ。う~ん、今日は撮影どころでなさそうだなあ……日が射したと思ったらすぐに雲に入る、不安定な空模様が、今日は少し不気味な感じがします。海峡線への影響がまだ読めないなか、少し遅れた14系の集約臨が、稲の育ち始めた田圃に影を落としながら、やってきました。

心に残る14系

朝に14系ハネ+ハザの「はまなす」、昼間に14系ハザの団臨と、何だかひと昔前の気分で撮影を楽しんでいると、国鉄末期からJR初期のさまざまな14系の列車を思い出します。20数年前は、多客臨も団臨も、まずは14系か12系が基本でした。その中に彩り豊かにジョイトレが混じって、百花繚乱の線路際となったものです。

14系ハザに限ると、やはりこの「土曜踊り子」を、まず最初に思い出します。東京発1400、いったい何度の週末、この列車を待ち構えたことでしょう。そういえば、一度も乗ることはなかったなあ。それに対し、夜行の「銀河51号」は何度も乗る機会があり、深夜の「バタン!」というリクライニングの音は、今も耳に残っています。

皆さんの、心に残る14系は、どの列車ですか? 山にも海にも似合う、美しき青。あと1週間、ひっそりと海峡を走る14系5Bに、今、ささやかな拍手を。

14系ハザの残り香

JR東や東海の14系ハザが姿を消して、もう何年になるのでしょうか。ロクイチ&64センイチで東海道、虹ガマ重連で東北線。さよなら運転を撮ったのが、まだデジカメでなかったというだけで、ずいぶん昔のような気がしますね。

先週から、北海道に残る14系を使った集約臨が、海峡線に走り始めました。朝の「はまなす」が国鉄末期の急行編成なら、こちらは短編成の団臨といったところで、昔はあたりまえのように走っていたハザだけの編成が、今では過ぎ去った客車時代の残り香を十二分に伝えてくれます。

貨物と特急だけが往来する昼間の海峡線には、何だか奇妙な雰囲気が漂っています。たまに津軽線のローカルDCがコトコトと走っていきますが、それもどこか場違いで、朝に「北斗星」と「はまなす」が行ってしまうと、不思議な静寂がゆったりと続く感じです。

太陽が西に傾き始めた頃、ED79に牽かれた14系が、ゆっくりとファインダーに入ってきました。いくつものかつての光景がフラッシュバックして、ただ茫然と、色あせた客車のブルーを眺めていました。







ローピン・ブルトレの気品

海峡線で夜明け直後の「はまなす」を撮り終えると、奥羽線の山間部に戻って「日本海」を待ち構えました。はてさて、今日のカマはローズピンクかミドリムシか?! 最近あまり経験しなくなった、どのカマ来るか?のお楽しみの一瞬です。

ローピン至上主義者は、トワイライトガマをミドリムシなどと忌み嫌い、はたまたネタガマ何でも来いの撮り鉄は、むしろトワイ色のほうを喜んだりします。ま、好みはそれぞれですから、どちらでもいいのですが、こういう話になると、鉄はみんな意地になって退きませんね(爆)

かつては交直流機の標準色だったローズピンク。EF80「ゆうづる」の時代から、この塗色の機関車もまた、ブルトレの歴史を刻んできました。私なども正直に告白すると今まで見向きもしなかったクチなのですが(笑)、「日本海」のヘッドマークも凛々しいその姿は、EF66やEF65PFとは違った、独特の気品が感じられます。

昔からのローピン好き、ハチマル29さん(HNも見え見えですな…笑)から教えていただいたド順光ポイントを巡るのも2回目になりました。カーブの向こうにローピンが現われた瞬間、ときめきを感じるようになってしまった私は、いったい何なのでしょう(笑)



駅前タクシー

今でも地方のローカル駅に行くと、列車の到着に合わせて数台のタクシーが客待ちをしていて、乗客が改札から出てくると、もう絵に描いたようにタクシーに乗りこみ、こじんまりした駅前広場に静寂が訪れる、なんてことがあります。

木造駅舎の正面に駅前旅館、大衆食堂、駅前タクシー……もはや模型のストラクチャーでしか見られない光景になりつつありますが、こうして、駅前タクシーの事務所兼車庫がたまに残ってたりすると、うれしくなります。

現役蒸機を求めて旅した高校時代、駅の小荷物窓口にリュックを預けて、おおかたは歩け、歩けの撮影行でしたが、ごくたまに友人達とタクシーに乗り合わせて、撮影地に向かうことがありました。ガキだけでタクシーに乗るというのが、やけに大人びたことに思えたのを覚えています。

残りわずかなED75貨物を撮るために通りがかった、青森の小駅。ポストが新しくなってるのが残念ですが、微妙にレトロな駅前タクシーの建物と看板に、昭和の面影が、かろうじて残っていました。

忘却のひとコマ

そうか、枯れ鉄さんとは一緒じゃあなかったのか……コメントいただいて初めて、常紋には一人で降り立ったことを思い出しました。もちろんSLブームのさなか、大勢の鉄と一緒でしたが(笑) 

夜行と夜行の間にときどきYHが入る強行日程もラストにさしかかり、かなり疲れていたこともぼんやりと甦ってきます。当時のネガを部屋の蛍光灯にかざすと、信号場に戻ったところで、DD51の客車列車の進入を撮っていますが、このあたりになると、まったく忘却の彼方です(爆)

最近、思うのですが、蒸機現役時代を懐かしむのにも、これからは忘却との戦いが待っているのですね。というか、私なんぞはもうそんな戦いが始まっていて、いろんなブログや書き込みを拝見して、よくここまで覚えておられるなあ、と思うことがあります。もちろん、日記やメモを丁寧にとっていらっしゃる場合は別ですが。

でも、不思議なことに、寒かったとか、暑かったとか、そのときのその場所の、空気感だけはけっこう思い出すんですね。だから、その場所へ引き寄せられるように、また行きたくなるような気がします。


峠に煙が

現在まで復活蒸機の走っていない、SLブーム時代の名所というのが、まだけっこうあります。たとえば伯備線布原、播但線生野、関西線加太……京都のガキは西の名所ばかり思い出してしまいますが、北にも南にも、まだたくさんありますね。

その中でも「大物」のひとつ、石北本線の常紋に、今月末、かの時代以来の煙がたなびくことになりました。DD臨貨追って最近の撮影地も巡っている当方などは、昔の美しい思い出よりも、光線や撮影地のマッチングばかりが気になり、少々複雑ですが(笑)

72年の春、常紋信号場には一度だけ、降り立っています。「大雪」から接続するDCで早朝に到着し、金華から上ってくる貨物を信号場の近くで撮って、その後はご他聞にもれず、おどろおどろしい伝説のトンネルを通って、今でいうところの146kpに、ゾロゾロと歩いていきました。

ずいぶん迷ったのですが、DLの補機が2輌付く編成の面白さを狙いに行こうと、JAL女満別便の予約を入れました。あと3週間。何だかんだといいながら、けっこう心は弾んでいます(爆)

さらば0系ウエスト

昭和の匂いを伝える0系原色車は、まもなく3編成となり、秋まで最後の活躍をすることになります。残された日々、こちらも掛け持ちできるネタを見つけては、記録に勤しみたいと思います。

その影で、白と青に塗装変更されない、いわゆるJR西カラーの0系は、一足お先に姿を消すのだそうです。さすがに、そんなことには興味ないなあ、と思ってましたが、現地に行って、まともに撮れる機会があると思うと気合いが入るのが、これまた鉄の常で(爆)

もはや「変な色」が、どんどんなくなる時代です。電機の世界では、先だっての改正で、EF65の白い更新機は、一般もPもFも、首都圏では稼動機はゼロになってしまいました。今や、ドアをからし色に塗った、PF更新機の個性派が人気を集める時代です。

昭和、どころか、それを少し引きずって歩いてきた、あぶくのような時代さえも、記憶の彼方に消え去ろうとしています。そんな複雑な思いで、力走あとわずかのウエストカラー0系を見送りました。

新幹線ローカル

そういえば秘境駅に続いて、最近は新幹線閑散駅っていうのもヲタがいるそうで、立派な鉄の1ジャンルになってるとか。安中榛名や、いわて沼宮内。たしかに微妙に魅かれるものがありますね(笑)

それよりはずっと乗降客の多いここ博多南駅も、ホームは片面1線のみで、どこかの私鉄の駅の風情で、言ってみれば「新幹線ローカル」の元祖みたいな存在です。で、ホームからは新幹線の歴代車両が、絵本みたいにズラリ見えるのが、凄いところです。

しかし、いつの間にか新幹線の主力は、カモノハシみたいなのばかりになってしまいましたね。山陽区間でも100系は塗装変更され、300系も何だか影が薄く、期間限定の原色0系のみが、昭和の新幹線の残り香を伝えています。

博多から0系の「こだま崩れ」に乗って、わずか10分で到着。基地へ引き上げる0系を後追いで何とか留置車両との並びに入れ込み、羽田へ戻る鶴丸に乗るために、100系の4輌編成であわただしく折り返しました。
プロフィール

Author:品川530
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