ゼロの蠱惑

行ってきました、鶴丸ラストフライト。と、いきなり非鉄な話題で恐縮ですが、やっぱりJALといえば鶴です。その鶴のマークが今日が最終日で、運用(もとい、フライトスケジュールですか)がサイトで発表され、乗客には記念証が配られ、空港や撮影ポイントにはデジカメが群がる……いやはや、どこのヲタ世界も同じですね(爆)

着いたところが福岡空港、ならば原色復帰の0系を撮影しないわけにはいきますまい。我ながら、なかなか昭和チックないいコースだなあ、と思いきや、朝の搭乗口で、同じ目論見の東チタさんに声をかけられたときは、唖然としました。ここは中国?、ここは島原??

幸い、帰りの鶴丸までの間に、2本の下り0系こだまがあり、新下関や博多南を行ったり来たりしながら、撮影することができました。しかし、新幹線のホームはどこも長いったらありゃしない、右往左往で走り回って、もうくたくたです(笑)

博多南への出発前、対向ホームからばかりでは、と0系の顔をアップで捉えます。ファインダーを覗くなり、万感胸に迫ってくるものがありました。うん、これだよなあ。やっぱり0系は、僕らの新幹線そのものです。







品川運転所、20年前

昨日も山手線で品川から田町を通過したのですが、車窓から海側のもろもろを確認するクセは、まだぬけてませんでした。電車区、機溜り、そしてクラの中……もはや、過去の記憶や、幻想を確認してるのかもしれません(笑)

先週末の大宮の並びは、久しぶりに心躍るシチュエーションでしたが、最近の恒例となった「品川鉄道探検隊」のずっと前に、こんな並びがあったのを思い出しました。JRになってまだ10日足らずの週末、当時の呼称でいうと、品川運転所の一般公開がありました。

東京機関区が廃止されて、国鉄末期は東京運転区、JRになって品川運転所、そして今は田端運転所田町(電)派出?というのでしょうか。正装のロクイチに普段着のブルトレ牽引機の並びは、当時の匂いが甦ってくるようで、惚れ惚れしてしまいます。

ロクイチは田端のクラの中に、大事にしまわれているようです。GW中には外へ出ての通電も行なわれたといいます。過ぎ去った時代を懐かしみながら、すべてを過去の世界に閉じ込めるのはまだ早い、といくつもの思いが交錯しています。

遥かなる四川へ

先週、御茶ノ水で四川料理に舌鼓を打つ機会がありました。久しぶりの陳麻婆豆腐や坦々麺、そのほか山椒ピリピリの料理の数々、辛かったけどウマーーでございました(笑)

大地震に見舞われた彼の地では、当初にも増して、厳しい状況が続いているようです。四川、成都といえば、中国鉄には芭石のC2です。そして、近年姿を消した、あるいは今もベールに包まれた、いくつかのナローがあります。

さすがに訪中が20回を越え、昨年秋にも四川へ行っていると、彼の地の空気や湿度が無意識のうちに甦ってきます。ニュースで、行ったことのある地名を聞いたりすると、いたたまれなくなったりします。

次に、四川へ行って、カマたちに会えるのはいつのことになるのでしょうか。何もできませんが、リンクをひとつ、はっておきます。どうぞご参考に。

「東」の時代

昨日は大宮の公開に行ってきました。鉄道博物館のオープンで規模はどうなるんだろうと少々心配でしたが、EF5893とEF65535が撮影しやすい位置に並べられ、535はパンタも上がって、久しぶりに民営化前後のイベント撮影会花盛りの時代に戻ったような気分でした。

535に「さくら」、青大将に「つばめ」。イベント並びの定番ヘッドマークに、つい最近の「惜別535」マークも加わって、遠巻きにたくさんの懐かしい顔が、楽しそうに話の輪を作っていました。そして、区名札は「東」、青大将もブルトレも、やはりこれですね。

ロクイチがいなくなってから、品川の東京機関区跡地は、灯が消えたように寂しくみえます。富士ぶさのロクロクに、PFとDEがぽつりぽつり。やがて高輪新駅ができる頃には、古ぼけた検修庫も姿を消してしまうのでしょうか。

東京駅に着く直前の新幹線から見た20系と65P、ロクイチに93と160が加わったゴハチ最後の時代、もうずいぶん遠くに行ってしまった「東」の時代が、つかの間、曇り空から顔を覗かせた太陽に照らし出されました。




いかハンバーグの宿

翌朝もう一度「はまなす」を撮ろうと、津軽半島に戻って、撮影地からクルマで20分ほどの宿に入りました。2泊続けて青森市内でもよかったのですが、ネットで検索しているうちに、名物いかハンバーグというのが、どうも気になってしまって(笑)

海辺の小さな宿は、リーズナブルな料金で、海の幸がてんこもりでした。いかハンバーグは、さすが国道に「いかハンバーグまであと○km」と看板が出ているだけあって(?!)、津軽半島が誇るB級グルメの一級品って感じです。で、シャコも旨い。ホタテも旨い。カレイも旨い。堪能させていただきました。

この地で20年、宿をやっているというご主人と話しながらの夕食は、美味しい焼酎の酔いもあって、心が溶けていくような時間でした。そして、早朝の撮影に備えて、いつもでは考えられないような時間に眠りに入る。ささやかな至福でした。

夜明け前、霧に包まれていた線路端が、昇る太陽とともに、緑の築堤となってくっきりと初夏の朝に浮かび上がりました。その瞬間を待ってたかのように、赤い電機と青い客車が姿を現わし、爽やかに視界を横切っていきます。シャッターを切ったときの充実感で、宿へ帰っての朝食のまた旨かったこと!

津軽線夏景色

さすがに土日をまるごと青森で過ごすわけにいかず、お昼のJL便で早めに帰ることにしました。蟹田から線路に並行した国道を戻りながら、昨日気になっていた駅舎をいくつか撮影しました。

青森から函館まで、おおざっぱに津軽海峡線、と考えたりもしますが、このあたりは津軽線で、北海道は江差線ですね。海底トンネルへ直行する貨物と特急ばかりが目立ちますが、ときおり、本来の線名にふさわしいローカル列車がやってきます。

そういえば、70年代初めのRJ誌に「蒸気機関車日本縦断」とかいう連載企画があって、当時の国鉄各線の蒸機運用状況が、「津軽線(貨)1往復 C11」というふうに、写真とともにつぶさに記されていました。ほうほう。こんなところにもC11の貨物が走っているのだなあ、とまだ見ぬ各地の蒸機に思いを馳せたものです。

壁の色が変わってしまったけれど、きっと昔は蒸機が似合ったであろう、小さな駅舎を見つけました。建て替えか、塗り替えか、大幅な修復か。各地で、国鉄時代の木造駅舎を、今、急激な変化が見舞っています。これも、列車撮影の道すがら、大事に記録していきたいと思います。

赤赤重連の輝き

海峡線から青森に戻って「日本海」と「あけぼの」を押さえると、午後のED75貨物まで、かなり時間が空いてしまいました。ロケハンの途中の道の駅で、青森名物帆立づくし定食をば。刺身も卵とじもウマーーでございました(笑)

しかし青森口では、撮影時間帯のナナゴは午後の1本だけになってしまったのですから、あらためてナナゴ退潮の時代を実感します。しかも、光線的になかなか難しく、結局は野辺地の先まで南下し、以前来たことのあるポイントに落ち着きました。

このあたりも新幹線が延長開業すると、3セクの青い森鉄道になってしまうのでしょう。中核駅の広い構内や、堂々たる複線の線形に、東北本線華やかりし時代を彷彿させますが、やがては線路を借りて走る貨物列車のみがかつての栄華を伝えることになるのでしょう。

今や貴重な赤赤重連! 幸運が斜光線の中を、ゆっくりと近づいてきます。少し前まで、東北の貨物列車は全部これでした。もはや14系急行と同じように、これまた現代の奇跡の、一歩手前(?!)というべきなのでしょうね。

水鏡の朝

さすがに門デフ終わって虚脱状態……のはずでしたが、いよいよ「はまなす」のシーズン到来、nagashima3さんにはまた予想通りと笑われてしまいそうですが(爆)、今週末は早朝の津軽半島の線路端に立っておりました。

月末までの週末のスケジュールと、土日続けての晴れ予報を鑑み、えいやっと決断しての青森行きでした。もうここにしかない、ブルーの14系。もうここにしかない、本来の交流色の赤い電機。「はまなす」の朝、去年の北海道方に続いて、今年は青森方を狙うのを楽しみにしていました。

去年は青森にほど近いところでの撮影でしたが、今回は思いきって蟹田の先まで北上しました。そのぶん、朝陽が綺麗に出る確率は低くなるかもしれませんが、すでにGWにロケハンされたというハチマル29さんのお話では、バリ順になると、素晴らしいものがありそうです。

格好の築堤が、先週の磐西から持ってきたような(?!)水鏡になっていました。影を落とす赤い電機とブルーの14系。今年も、奇跡のようなこの列車を、朝陽に恵まれた者だけが堪能できる、麻薬のような季節が始まりました。


C59三銃士

磐西ばかりが続きましたが、その合い間に行った広島へ、ふらり戻りたいと思います。広島市民球場にほど近い公園に保存されているC59161号機、これはずっと前から一度会いに行きたかった保存機でした。

呉線に残った最後のC59の3輌のうちの最若番、たしか「安芸」で蒸機さよなら列車を牽いたのは、この161号機でした。各部の白い縁取りは、おそらくそのときの名残りなのでしょう。「あき」のヘッドマークをかざした姿、撮りたかったなあ。。。

当時の中学生には、C59というと、ある意味では、C62よりもっと憧れの存在だったように思います。東海道、山陽筋で主力として活躍した名機の、機番の近い3輌が、本線のバイパス線で肩を寄せ合って最後の活躍をしている。その切なさに魅かれたものです。

梅小路にいる164号機とは前面ナンバーのタイプが違って、59と161の間に間隔が空く、細いフォントになっています。末期に、どうして161、162の2輌はこのナンバーに替えられたのだろうか……昼下がり、物言わぬ保存機とのよもやま話のひと時でした。

583篁h軌

春の門デフ最終出動となった先週末、「あいづライナー」が583系の代走になっていると聞いて、上りのばん物を撮り終えると、堂島でラーメンを我慢して(笑)、ショートカットを広田に向かいました。

6輌編成の583系、最初は奇異な印象でしたが、最近はすっかり目が慣れてしまい、これはこれでいいじゃないって感じです。それより、この色のコンビネーションが、古きよき時代のJNRを象徴していて、もう泣けてきます。

ここのところ多客臨や代走での入線の多い磐西電化区間の風景に、短編成の583系はすっかり馴染んだように思えます。というよりも、いかにも日本のローカル、といった磐西の風景に、国鉄色がいちばん似合っているのでしょうね。

そういえば0系原色復帰の英断をなされたJR西様、「きたぐに」の583系を原色に戻していただくわけにはまいりませんでしょうか。いまだに夜行列車に長大編成で運用される京キト583系、新潟で、山崎で、朝を走る麗姿は素晴らしいものがあると思うのですが。

Good night,K-7!

新潟でレンタカーを返して、いつもなら改札口前の居酒屋か回転寿司でビール、となるところですが、今回の門デフもこれで最後だから、とばん物の回送に先行する電車で、新津へ逆戻りしました。

この春、一度だけ新津で泊って土日続けて撮影したことがありますが、そのとき初めて目にした、回送の到着後シゴナナがクラへ帰っていくまでの数分間のドラマは、降りしきる雨のおかげでほとんどモノになりませんでしたが、心のフィルム(デジタルデータ?…笑)に強く残るものとなりました。

EF81先頭のばん物編成にぶら下がってきた180号機は、新津の側線に到着すると、数分の間に切り離され、ほんのわずか、構内灯に照らされるあたりで停まり、すぐに運輸区へと家路をたどっていきます。強い蛍光灯と暗い構内の乱反射、、、これが撮りたくて、ホワイトバランス調整なんていうのに、恥ずかしながら初めて取り組みました。

春の宵、うたかたの夢。静かにナイトショーが、終わろうとしています。おやすみ、K-7。また逢う日まで。







水鏡の路

春の門デフ、最終出動から帰ってきました。いつものとき303号で、最初はいつもの五泉鉄橋へ。残念ながら曇り空基本の一日でしたが、少し気温が下がって白煙も復活、アングルを気ままに選びながら、この春8日にわたった門デフ詣でを仕上げてきました。

GWの半ばから、磐西沿線は水の美しい季節を迎えています。追っかけで通る道筋から見る阿賀野川はキラキラ水面が光っているし、平野部では、田植えを前に田圃に水が張られて、風がやむと、綺麗な水鏡が線路の築堤や向こうの山を映し出しています。

実は前回も水鏡に挑戦しているのですが、風が強くてあえなくアウト。夕陽と同様にこれまた運次第、まあ深く考えずに、とサイド狙いでアングルを選び、鹿瀬の築堤に行くと、眼前にはバックの山の緑を深くたたえた水鏡が出現していました。

水面にシャギーな煙の影をたなびかせて、シゴナナがファインダーを右から左へ、横切っていきます。最後まで、これだからやめられませんなあ、と同行のNさんの、今までに見たことないような笑顔が、この数秒間の素晴らしさを語っていました。

門デフ最終章へ

去年の夏の「はまなす」もそうでしたが、ギラリは忘れた頃にやってくる……もう、これは鉄の世界の格言ですね(笑)もちろん期待はして、予報とにらめっこで出動日を選んではいるのですが、GW最終日の馬下で、何年かに一度の素晴らしいシーンに恵まれました。

あ、そうそう、70年代の現役蒸機の時代、ギラリ写真というのは、あまりなかったような気がします。シルエットはよくありましたが、夕陽ギラリっていうのは、むしろ近年の流行のようです。しいていえば、RF誌の日田彦山線のデコイチの写真などを思い出しますが、当時はモノクロ中心だったので、こういうドラマチックな色表現に、鉄全体が慣れていなかったのでしょうね。

やっと思い出しました。夕暮れのサイドライト。「LIGHT PACIFIC '70」の表紙の山之口の写真、あれは門デフの60号機でした。大人になったら、こんな写真が撮りたいなあ、でもその頃にはシゴナナはもういないんだろうなあ。。。大好きなシゴナナの写真集を穴のあくまで(笑)眺めながら、京都の中学生は、そんなことをぼんやり考えていました。

早春から初夏へ、日本の美しい季節の移ろいを駆け抜けた、門デフ物語の最終章が近づいています。だから明日、もう一度、磐西へ行ってきます。





夢の中へ

さゆり公園から尾登へ抜ける道は、2週間前の桜がうたかたの夢のように、今は瑞々しい新緑につつまれていました。風薫る5月、クルマの窓を全開にして、山都の先、今日の予定アングルのひとつ、鉄橋サイドに向かいます。

この1か月、シゴナナと一緒に、夢の中で探しものをしている気分です。ヘッドマークが付いても、今度は線路から離れたり、真横や後追いを狙ったりで、まだまだ探す気ですか~~♪と、往復300kmの行ったり来たりがやめられません。

団長さんの同期会、いいなあ。現役蒸機の時代の思い出の画像に「夢の中へ」や「青春の影」のメロディーが重なって、いくつもの懐かしい笑顔がこぼれるのでしょうね。枯れ鉄さん、僕らもいつかやりましょうか。H内君やO田君、Y中君呼んで。もちろん京都で、できたら梅小路の汽笛が聞こえるあたりの店で(笑)

小休止を終えたシゴナナの長い汽笛が聞こえると、すぐにドラフトと鉄橋を渡る轟音との二重奏が耳に心地よく響きます。やっぱりここは、山都でも青井岳でもなく、2008年春の、信じられない夢の中なんですね。



ふだん着、五月晴れ

門デフ物語が続いています。ゴールデンウィーク最終日の昨日、終日快晴の予報にいてもたってもいられず(?!)、いつものとき303号に飛び乗りました。今シーズン、門デフにヘッドマークが付いて初めての磐西です。

沿線の鉄の人出はぐっと少なくなったようです。澄み渡った空の下、気温も上がってドラマチックな白煙をもう吐かなくなった180号機は、何だか肩の荷をひとつ下ろしたようで、ヘッドマークを付けた姿が、逆にごく自然にみえるのが不思議です。

平瀬の踏切アングルのバックの山は、1か月前とはうって変わって萌える緑に彩られていましたが、ここ上野尻では、4月の初日と変わらない雪山が遠景を飾ってくれました。この1か月ほど、日本の季節の移り変わりの美しさを実感したことはありませんでした。

ヘッドマーク、いいではありませんか。正面ドカンも、シチサンも1回ずつは撮って、と言いながら、でもやっぱり(笑)、今日はサイド狙いで行こう、と通い慣れた追っかけ街道を、さがしものは何ですか~~♪と鼻唄混じりで走っていきました。

デパートで、鉄道史を

渋谷の東急東横店で7日まで開催されている「東急東横線開通80周年記念鉄道フェスティバル」に行ってきました。実車展示のないこういうイベントに行くのはほとんど初めてで、なおかつ有料というのが驚きでしたが、それなりに楽しんできました。

フルハイビジョンの運転シミュレータが大人気のようでしたが、当方のような文科系鉄には、沿線の昔の写真、古いホーロー看板や種別表示板のほうが面白く、しっかり撮影してきました。いやはや、これはどこに残していたのでしょう。長津田工場か、電車とバスの博物館に何らかの保存システムがあるのかなあ、と、どうでもいいことが気になる、またこれが楽しい(笑)

しかし、クラウス15号と17号が、東横線の建設工事に使われたカマだとは知りませんでした。会場には、東横線各駅の駅舎やホームの貴重な写真とともに、現在の都立大学駅付近の工事に従事する15号の写真が展示されていて、ウチの近所ということもあり興味津々、鉄道史の奥深さを知る思いでした。

17号はその昔、競売にかけられたりして、たしか鶴見のビール工場でイベント運転がありました。大阪万博の会場でも展示され、私も中学生のとき、ハーフサイズで撮っています。今は遠野で静態保存されていますが、東西問わず、我々の年代の鉄には、小骨のように記憶に残っているカマのひとつですね。そのカマの辿った道に、渋谷のデパートで思いを馳せる。思わぬところで、いい時間を過ごしました。

Pトップ帰還

昨日まで、非鉄なツアーで上海に行ってました。いつもの中国と違って、デジカメ1台に標準ズーム1本の気楽な旅、何しろ三脚を持たないで中国に行くのは初めてで(笑)、一応、外灘の夜景や南翔饅頭店の小籠包も堪能してきました。

で、帰ってきて気になるのは磐西の天気ですが(爆)、今日は午後から雨模様の予報なので、さすがにパス、その代わりに、土崎から出場して久しぶりに「奥利根」の運用に入ったEF65501を近場で1枚、撮ってきました。

貨物への貸出しが思いのほか長きにわたった501号機ですが、後半はかなりくたびれた姿で、もしかしたら二度と客車を牽くことはないのかも……と心配になったりもしていました。それがうれしいことに、この麗しい姿で、近年慣れ親しんでいた12系とのコンビで、我々の眼前に帰ってきたのです。

いつもは逆光を背負って走る下り「奥利根」ですが、今日はPトップの帰還を祝うかのような(?!)薄曇りとなりました。そうだ、我々にはまだ、Pトップがいる! 3月の改正でちょっと弱気になったネタ心を励ますかのように、長い気笛が曇り空の東京に響きました。



風をあつめて

馬下と書いて、まおろし……これまた、由来を想像するだけで楽しそうな駅名ですが、このあたり、こんなに風が強いとは思っていませんでした。ちょうど、風のあつまる通り道になっているのでしょうか。聞くところによると、冬は寒くて立ってられないほどだそうです。

どこかに馬のつく名前の山があって、そこからの風が強いので、馬おろし~~馬下なのかなあ、などと夕方、津川から向かうレンタカーの中で考えていると、かぜをあつめて~~♪と、70年代はっぴいえんどの名曲が口をついて出てきました。

意外なことから、当初は5月初旬まで予定されていた「門デフ、ヘッドマークなし」が昨日で終わることになりました。まだまだ撮りたかったアングルや場所があるのですが、乗客50万人のお祝いのヘッドマーク掲出ですから、これは素直に喜びたいと思います。

今回の門デフ期間中、私が出かけた中で初めて終日晴れに恵まれた昨日、風も止んだ馬下で、やわらかな夕陽のドラマが待っていました。今日で終わりかな、と思った門デフ詣でですが、夕陽にガッツポーズのYさんの「いや、まだまだ横や後追いを撮らなければ」のひと言に、再び、気合いを入れなおしました。



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