続・惜別535

今日も東タへの日帰り運用に入ったEF65535。高崎線内では時おり日も差したようで、運転席に置かれたセレモニーの花束が華やかさを添えていたようですが、南下するにしたがってドン曇りとなり、いつしか花束の姿もありませんでした。

尻手短絡線に入ってくる正面を撮ろうと、割畑のはずれの踏切に行くと、やがて懐かしい笑顔が見えました。ゴニマルやゴニロクの運用を追って、毎週末このあたりに来ていた頃、いつも見かけた地元のO君です。昨日はどこで?から始まって、あの頃のロクゴの思い出ばなしが、いやはや続くこと、続くこと…(笑)

いつもBMWに脚立を積んで現われたFさん、今日はお忙しいのかな。チャリンコ学生だったS君は、最近は昔ほど鉄してないとか。えっ、K君、全然見ないけど、岡山のロクゴ更新機に凝ってる? う~ん、そのこだわり、相変わらずだなあ。。。

江ヶ崎の跨線橋も、まもなく架け替え工事が始まるといいます。あんなに広かった新鶴見の空き地にも、ここのところ次々と大きな建物が立ちました。あの頃の撮影ポイントも、ひとつひとつ、思い出の彼方へ消えてゆくのでしょう。

踏切が鳴り始め、昨日と同じヘッドマークが、むかし、O君に教えてもらった割畑の縦アンに迫ってきます。さよなら535、そして、ロクゴと僕らの日々よ。





惜別535

惜別感無量……そんな銘板を付けて1号機関車を交通博物館へ送り出したのは、昭和初期の島原の鉄道王でしたが、今年の春のお別れ鉄も、いよいよラストの数日に入りました。最後の最後の島原も考えたのですが、今日の午後に仕事が入ってあえなく断念、通い慣れた近場の駅へクルマを走らせました。

お昼の上りが順光になるこの駅の先端では、数々のカマを見送ってきました。どのカマも最後は日帰り運用が多く、2090レや2092レが格好のラストラン列車となるからなのでしょう。人は多いだろうなあと思いつつも、やっぱり今日もここで見送ることにしました。

まだ満開には少し間があるでしょうか。桜が咲き始めたホームは、この季節ならではの、何気ない華やかさにつつまれていました。いつだったか、はらはらと桜が散り始めた頃、目当てのカマを待つ間、手すりにもたれて、ぼんやりそれを眺めていたこともありました。

順光に輝く特急色が、駅手前の踏切を過ぎると、ホームに群がる鉄たちに呼応するがごとくに減速し、彼らの眼前を通過するときに、短い気笛を鳴らしました。栄光のブルトレ時代を偲ぶ、惜別のヘッドマークも誇らしげに。


春の渚

春の渚をあなたとゆくの~♪ 70年代三人娘(笑)の懐かしいメロディにのせて、m30haruさんとご一緒した火曜日の新習志野から、若き大宮さんが闊歩するブルトレブームの東京駅を経由して、ことしの島鉄の春に戻りましょう。

春の海、ひねもすのたり のたりかな…と歌ったのは蕪村でしたが、この季節の島原の海、こうして小高いところから見下ろしていると、タイトな追っかけを忘れて(?!)、ほんとにのんびりした気分になりました。

光線がサイドに来ないのは、本来あまり好きではないのですが、ここまでのどかな画面になると、まあいいか、というおおらかな気持になります。次の編成は何だったか、、、ヒゲかあ、うん、いいよなあ、このアングル。

あれはディスカバージャパンの時代かあ、そういえばあの時代の小柳ルミ子の歌は、こういう海のイメージだったよなあ、なんてまたまた古いメロディを口ずさんでおりました。

銀色の客車を

島鉄の岬めぐりを続けようと思っていたのですが、今日の拡大昼休み(笑)、東京湾岸に1日だけ、ワープすることにしましょう。EF65535がE331系の入場回送を牽引すると聞いて、無理やり会社を抜け出し、発駅の新習志野へ行って来ました。

ほんとうは、光線状態のいい武蔵野線内で待ちたかったのですが、14時の会議に帰社するには、どう考えてもここだけしか無理、、、ホーム先端で、同じような事情の方とお話しし、慰めあったのですが(苦笑)

残された日々、535の活躍が続いています。今日こうして、また撮れただけでも、よしとしなければ、と思います。かつてのブルトレ牽引機が、形こそ違えど、乗客を乗せるための車両の先頭に立つのは、おそらく今日が最後になるのでしょうか。。。

一度は雲に隠れた太陽が、ゆっくり近づく535の動きとともに、再び顔を出しました。ほんとうはもっときっちり撮りたかった、銀色の客車のサイドが、535の栄光の日々を思い出すかのように、キラッと光りました。

春のおとずれ

金曜の夜。NH便で長崎空港に降り立つと、心はもう諫早の居酒屋へ(笑)、、、明日も早いからほどほどに、と思いながらも、お約束の旨い刺身とビールで一息つくのも、今回が最後でしょうか。鉄は不思議な人種で、こうした気持を自ら楽しんだりもしてしまいます(爆)

ダイヤ改正が過ぎ、世間はすっかり春の装いですね。「なは・つき」の来なくなった長崎ですが、あと10日足らずの島鉄の南目線では、沿線のあちこちに菜の花が咲き、春の海がひねもすのたりしていました。

2輌編成のキハ20が、国鉄島鉄ヒゲタラコ、総動員で行ったり来たり。これが廃止直前でなければ、さながらフォトランの趣きですが、乗り鉄の観光客も多く、微妙に別れの季節の雰囲気も漂っています。でも、列車が来ない時間は、沿線の表情はまったく普段どおりで、ちょっと拍子抜けするくらいでした。

小さな踏切を渡って、お城を模した建物の順光側に回ってみると、菜の花がいいアクセントになっていました。最後の小さな春に、キハ20の島鉄ヒゲが似合います。

ある晴れた日に

秩父ホキ、やはりカマ屋さんには人気列車でしたね。大宮さんとは浜崎橋あたりでよくお会いしましたし、m30haruさんとは恵比寿の歩道橋でご一緒したかったなあ。ま、これからの季節、早朝の新鶴見方面では5764レを撮れないことはないのですが、熊タを出るのが4時台ですから、カマ確認は困難を極めそうです。。。

それに、浜川崎~扇町の牽引機がDE10になってしまいました。入換機の回送を兼ねた運用の効率化ですが、カマ屋さんの間で静かな人気を呼んでいた、この扇町の到着シーンも、結果的に記憶の彼方へ行ってしまいました。

ある晴れた日の午後、14時を回ると、関東を縦断してきた65が、がらんとした貨物駅の構内にゆっくりと進入してきます。入換のDE10をかすめて少し行った位置で停まり、やがて構内入換手が作業に入ります。これぞ順光、に迎える鉄の表情も、いつもおだやかでした。

あるときは、休日の空いた首都高速で浜崎橋から駆けつけました。またあるときは、好天に誘われて、これ1枚、のんびりと撮りに来たものです。人気のない、日曜日の工業地帯。何度か見た抜けるような青空が、今も瞼に焼き付いています。

都心の石炭列車

今日の帰り道、新しい貨物時刻表を買ってきました。しかし、今やダイヤ改正と同時に、機関車運用表付きで発売されるのですから、かなりの需要があり、独自のメディアに成長したということですね。この出版不況のさなか、発行元の鉄道貨物教会様には、慶賀の至りです(笑)

で、なじみの貨物列車のスジや消長をあれこれチェックしてみると、やはり今回の改正、なかなかの変動があったようです。まず、おいおい~と思ったのが、「秩父ホキ」と呼ばれる熊谷タ~扇町の石炭貨物の大幅な変更でした。

この列車、個性的なホキを連ねた編成で、上りの5764レは昼間の順光の中を走り、下りの5783レは早朝の山手貨物線を走るという、鉄の写欲を十二分にそそってくれる存在でした。それが上りは早朝、下りは夜間の運転となり、ほとんど撮影対象ではなくなってしまいました。

高崎の65PとFがまだ4輌ずつ残っていた頃、春から夏の早朝、地元で出勤前に撮影を重ねたことがありました。ビル影と斜光線の条件が一致するのはわずかな時期で、曇りのほうがむしろ撮りやすかったのを思い出します。この列車の直前には、下りのコンテナと上りのタキが走っていて、ほんのつかの間、都心に貨物列車がたくさん走っていた時代を彷彿させてくれました。



やがて桜の季節が

大宮さん、枯れ鉄さん、それぞれに過ぎ行く201系の日々を惜しむコメントをいただきました。いつもありがとうございます。毎日当たり前に走っていた電車が気がついたら全部新しい電車に変わっている、、、まさに、それを実際に経験したこの数か月でした。

去年の桜の時期、お濠端で201系を撮っていて、201系のオレンジバーミリオン、桜のピンク、それに女性専用車のステッカーが妙にコラボしていて、一度はアップで撮りたいなあ、と思っていました。日曜の吉祥寺で、はからずも目の前に停まったのが女性専用車、思わずカメラを向けたのがこのワンショットです。

1、2番が緩行線で、3、4番が快速線。このあたりの駅はみんなこの構造ですが、3番に入ってくる下り快速電車のサイドにも、今の季節、だいぶ日が当たるようになりました。今年も中央線で東京デビューする若い人たちがきっとたくさんいるのでしょう。シルバーの車体に映る春の光は、いったいどのような色なのでしょうか。

やがて来るお濠端の桜の季節。いつ来るあてのない201系を、ぼう~っと待ってみてもいいかなあ、なんて思い始めています。そのときは、缶ビール片手にご一緒しましょうか、ね、nagashima3さん(笑)


ダイヤ改正を過ぎても2

たしか残るのは2編成か3編成でしょうか。ダイヤ改正の後も、中央線では201系の力走が続いています。今日のお昼過ぎ、そういえばまだ吉祥寺で撮ってなかったなあ、とふらふらと新宿で緩行線に乗り換え、またまた青春の街々へ向かいました。

しかし、ほんとになかなか来なくなりました。これでは、山の上で延々待ち続けた、熱水あたりの中国蒸機と変わりませんね(笑)幸い、荻窪で上りの201系とすれ違ったので、その折り返しを我が東京のファースト・タウン、吉祥寺で待つことにしました。

吉祥寺は何と言っても春です。井の頭公園の桜です。情報誌片手に出かける季節が、もうすぐやってきます。大学に入って初めて住んだのが井の頭公園を抜けたところで、花見の頃は綺麗だったけど、うるさかったなあ(爆)そういえば、井の頭公園でボートに乗ったカップルは別れる、なんていう都市伝説もありました。。。

先週、御茶ノ水では小一時間に2本来ましたが、ダイヤ改正をはさんで、今日は結局、この1本だけでした。夕陽が綺麗な阿佐ヶ谷で待つことしばし、やがて迎えた日暮れに、人生の厳しさを胸に、むなしく緩行線上りの客となりました。



ダイヤ改正を過ぎても

今日はいよいよ迎えたダイヤ改正の日、昨夜は最終の「銀河」や「なはつき」を見送ろうと、東京駅や大阪駅はたいへんな人出だったようです。「銀河」、青ガマでヘッドマークなしだったなんて話を聞くと、普通っぽくていいなあ、見たかったなあと一瞬思ったりもしますが(笑)

昨日の安中臨貨が最後?との噂もあったEF65535ですが、朝、東タへの日帰り運用に入ったとのニュースに、川崎方面へクルマを転がしました。もしかしたら、もうお別れのチャンスはないかも?と思っていただけに、行く手の好天に気も弾みます。

お昼の2090レ、のんびりした土曜の川崎新町のホームに鉄が鈴なりでした。今日は春の陽気、さすがに桜はまだですが。しかし、20年来よくお会いするFさんと私がずば抜けて最年長かな(爆)カマ鉄の代替わりも、もう1回や2回ではありませんなあ。。。

返しの2091レは、ビル影を抜けてくる535の正面を狙うことにしました。いつのまにか、もうすっかりうららかな春の光線ですね。ダイヤ改正を過ぎても、春を走り続ける535。さよならは言わずに、残された日々、もう一度会えるチャンスを祈りました。

さよならカルチェラタン

「学生街の喫茶店」、たしか御茶ノ水を舞台にした唄だといわれていますね。私が大学生の頃、明治も中央もまだメインは御茶ノ水で、自分のテリトリーの都の西北から離れて、ときどき御茶ノ水の駅から神保町の古本屋街へとふらふら歩きながら、君とよくこの店に♪~と口ずさんでいたものです。

アテネフランセ、画材店のレモン、山の本の茗渓堂、ディスクユニオン、、、吉祥寺や阿佐ヶ谷から赤い電車でやってくるこの街は、いつも独特の香りにつつまれていました。ひと世代上の学生たちを真似して背伸びする術もなく、ひたすら古い雑誌やシングルレコードを漁っていたなあ。。。

いつ頃からか、聖橋がライトアップされるようになって、1枚は201系で撮っておきたかったのが、このシーンでした。時まさに、受験と新生活の狭間の浅き春の宵、70年代と同じ3月のまだ冷たい風が、30年後の大学生の疲れた身に応えます。

小一時間待って、やっと201系がやってきました。ほんとうに、この確率になってしまいました。過ぎ去りし時の記憶を、優しく思い出させてくれた赤い電車に、さよならを告げるときが、もう目前に迫っています。



エロエロ光線

好天に恵まれた土曜日。午後のチップを斜光線とともに堪能したあと、萩野からの返空を日没間近のカブリツキで待ち構えることにしました。もうすでに、線路面に影がかかりつつあるのですが、格好のポイントに先客の姿を発見、ご一緒させていただきました。

主に早春や晩秋の日没寸前の劇的な光線状態を、いつしか撮り鉄の間では「エロエロ光線」と呼んでいますね。「ギラリ」が主に半逆光の反射を言うのに対し、これは順光での撮影で、イエローの光を帯びて列車のディテールや陰影を浮かび上がらせて、なおかつゆらゆらと揺れているような光線を言うのでしょうか。

この社会の民間伝承的専門用語の通例として、いったい誰が言い始めたのか、よくわかりませんが、最近けっこう浸透してきましたね。北海道のDDだったか、東北のナナゴだったか、今世紀に入ってからどこかの掲示板で見かけたのが最初のような気がしますが。。。?

そんなエロエロ光線とともに、この1カットがチップ貨物とのお別れになりました。今日(12日)が最後の運転だったとか。室蘭界隈は、きっと美しい光につつまれていたのでしょうね。

ミナトのカマ

やっとたどり着いた陣屋町臨港線。チップ貨車を置きに来たDDの入換が始まりました。いまどき珍しい2軸のワムにあれこれファインダーを向けているうちに、背後の港に、大きなタンカーが停まっていることに気がつきました。

この専用線、室蘭本線から分岐する約1.5kmが陣屋町貨物駅の「側線」扱いとなっていて、かつては港からのコンテナの荷上げも計画されたそうです。そういえば、このあたりはガキの頃の社会科で習った室蘭工業地帯なのかあ、と妙なところに納得してしまいます(笑)

ミナトのカマといえば、写真でしか見たことない神戸港のハチロクとか、青函連絡船に貨車を積み込むキューロクとかを思い出します。神戸港のカマには鐘が付いていて、たしか梅小路にその鐘が保存されてたような。。。

先日は、京浜工業地帯の大川支線でも最後の貨物が走ったようです。港ヨコハマの専用線は、とうのむかしに赤レンガ倉庫の散歩道となり、昔、日本のあちこちで見られた港とカマのこんな風景も、人知れず消え去ろうとしているのですね。

北斗星1号

さて、新鶴見の脚立の林から、土曜日の北海道に戻りましょう。金曜夜に室蘭に入ったのが11時過ぎで、さすがに居酒屋は我慢(笑)。。。翌朝チップの前に、寝台特急続行を迎えるために、この海辺の有名ポイントへ向かいました。

いや~、ここもなかなか晴れなかったのですが、やっと晴れをいただきました。それも、カシオペアとトワイライト通過時はまだ朝陽が雲の中で、北斗星1号のときに、やっと。いいなあ、やっぱり晴れカットは。青い編成を引き立てるこの陰影。たまりませんね~

北斗星1号も、青函トンネル工事の関係もあって、この改正で姿を消します。思えば、EF8195が初列車を牽いたのは、もう20年も前のことなんですね。その日はたしか土曜か日曜で、長野のKさんと昼間は別の何かを撮って、夕方のヒガハスに行ったのを思い出します。

オリエント急行やアメリカントレインが走り、世はバブルの時代でした。ヒガハスの夕陽、このあたりの朝陽。長距離列車にふさわしい光の中を駆け抜けていたこの列車の終わりに、この朝の光に出会えた幸運に、感謝の一瞬でした。





さよなら、サロン

実は最後まで迷っていました。今日の「さよならゆとり踊り子」、行こうかどうか。。。ロクイチじゃないし、貨物線だし、ゆとりのヘッドマークだというし、、、そんなことなら、さよならに行かずに、この客車の記憶を、サロン踊り子の時代で時計を止めてしまったほうがいいのかも、と思いました。

senrobataさんのところで、特急券の表記は「サロン踊り子」と略されてたことや、車内にはコースターまであったことを知りました。ほんと、すべてがそれまでの国鉄には考えられない、斬新なイメージだったよなあ。私がこの客車に乗ったのは「ゆとり」になってからで、今思えば、一度はビールの一杯、飲みたかったなあ。

そういえば、ただ「サロン」と呼ぶこともけっこうありました。シナサロ、東サロといくにしたがって、当時のオーソリティーの用語だったような気がします。あの当時、私のまわりは、サロンとシナサロが半々ぐらいだったなあ(笑)

行きのクルマの中でそんなことをぼんやり考えながら、いつしか、なじみの場所に来ていました。15時過ぎのチョイエロ光線を浴びて、脚立の林の横を駆け抜ける客車の色は、今も色あせることなく、最後の旅路を華やかに彩っていました。

さよなら、サロン。





さよならチップ

で、今日は東海道の「ゆとり踊り子」と続きそうなところですが(笑)、金曜夜のNH便に無理矢理飛び乗って、室蘭へ行って来ました。しかし千歳降りたら、会社からトラブル発生の留守電、、、危うくトンボ帰りってところでしたが。。。

これまた3月改正で廃止される予定の陣屋町からのチップ貨物が今回の目的でした。そのうちちゃんと撮ろうとずっと思っていたのですが、朝の寝台特急全部やってたら朝の便が撮れないし、午後のは光線が今ひとつで、これまたトワイライトに走ってしまったり。今回は他は捨ててもこれ撮るぞ、と決意(?!)の渡道でした。

今までこのチップとはなぜか相性が悪く、臨港線への道順はよくわからないし、どうもここみたいだ、と到達したらウヤだったり、なかなかまともなカットが撮れずにいたのです。今日は意外とすんなり現地に到達、鉄な方が何人もいらっしゃったので、ひと安心でした(笑)

やがてB更新のDDが静々とやってきました。貨物といえばコキとタキになってしまった昨今、この編成、どこか昔っぽくて、これぞ貨物列車!って感じがします。天気もいいし、今日はいい記録ができそうです。



サロン踊り子

シナサロ転じてゆとりの引退興行も、今週末はいよいよ「踊り子」ですね。土曜午後に東海道を下る、という心憎いパターンですが、貨物線経由らしいのと、そして何よりもロクイチの登板がないのが、いくら悔やんでも悔やみきれません。

国鉄末期の数年、多客臨で登場した「サロンエクスプレス踊り子」は、この客車が最も輝いていた時代を象徴する列車のひとつでした。わら半紙のバイブルには「EF65又はEF58」と記されていて、ロクイチの登板をいつもひたすら念じたものです。

たしか、サロンで下って14系で帰ってくる運用が多かったように思います。お昼前に東京を発車して、晴れればいい光線のもと、東海道を颯爽と駆け抜けて行く列車でした。20数年前のことですが、あの頃の夏は、今とちがって、暑さの中にも爽やかさがあって、遠い日の子供の頃の夏に似ていたような気がします。

夏は踊り子、春秋はそよかぜ。シナサロとロクイチを真ん中に、あの頃の時間は回っていました。







ゴナナまた会おう

目前に迫ったダイヤ改正では、貨物ガマにも、大きな動きがあるようです。引退や転属の噂される人気のカマもたくさんあって、高崎の65ではすでにセンザンパが岡山へ旅立ち、さらに茶ガマのゴナナも、、、と駅先端では既定のことのように言われています。

3代目の65茶ガマ、登場した頃は黒Hゴムにどうも違和感を感じてしまいましたが、見慣れていくうちに、気にならなくなりました。よく見ると、側面にJRマークが入っていないなど、細かいところにけっこうセンスが覗えて、嬉しくなったりもしました。

しかし、イベント列車を牽くわけでもないのに、こうして機関車の塗装に気を遣っていただくJR貨のウィットに富んだ姿勢には頭が下がりますね。そのうち、金太郎や桃太郎の特殊塗装機なんていうのも登場したりするのでしょうか。機関車激減の時代に、夢が広がる話ではありませんか?!

西へ旅立ってしまうと、今みたいに簡単には会えなくなりますが、やまぐち号行ったときなら、オノアサあたりで待つことができるかもしれませんね。再会を約して、最後?ともいわれる鹿島運用を、総武線の高架駅で見送りました。

ヒガハスの夕陽

ゆとりラストランの2週目。郡山から帰ってくる「ゆとり磐梯号」を、久しぶりのヒガハスで待ち構えました。ダブルポール、用水路のポンプ、狭いわりに交通量の多い踏切、工務店の壁面オブジェ。蓮田駅からの道すがら、周囲があまり変わっていないことにホッとしました。

今日は寝坊して撮れませんでしたが、朝の下りはガードレールのところですね。フルムーン御召に続行のパックサロン。それ自体は残念ながら撮っていませんが、サイドライトに照らされて静々と下っていくパックをそのあと何度も撮影しました。

夕方の用水路のところでは、雪の日に日光線から帰ってきたサロンをロクイチが牽いてきたこともありました。そういえば、ロクイチとパックがリレーした、あの雪の2日間の運用は、この14系改造客車の歴史の中で、最も記憶に残るもののひとつでしょうね。

とくに春と秋。ヒガハスの築堤に差す夕陽は、これが東京近郊とは思えないような、ニッポンの美しい色に染まります。そして今日も、機関車の明るい赤と客車の落ち着いた赤が、日暮れ間近の太陽に照らされて、名残りのハーモニーを奏でていました。




快走の彼方へ

晴れればここ、と何日か前には決めていました。埼京線も湘南新宿ラインもなかった頃、宇都宮のゴハチの牽く荷2634レを撮った先端。やがて山貨を走る電車が増えて、カブリを心配しながら、仕事を抜け出してオクシナや裏単を撮った先端。

品川で会ったS屋さんに、休みをとってきたというSQ君が加わり、緊張や交錯する思いを振り切るように、談笑が続いています。そして、今日も「カブったら、泣くに泣けないよなあ」……冗談ですめばいいのですが、こればかりは時の運です。。。

内回りが去り、3番線に列車接近のアナウンス。後追いに集中する私の背後から、S屋さんの「早ぇ~」という声が聞こえて思わず振り返ると、ダダダダッと、見る見るうちにロクイチが近づいてきていました。

目当てのタイミングでシャッターを切って、あっという間にカーブを遠ざかっていくロクイチを、言葉もなく見ていました。これが最後だとか、どうとかではなく、ロクイチらしくカッコ良く、今までで最も颯爽と、東京の街を走り去って行くロクイチを。

すべての思いをこめて、ロクイチよ!






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