君と歩いてきた

昔、職場に堂々三脚持って行ってた頃。友人に揶揄されたのを思い出します。「品川さん、今日はどちらですか? もうほんと、三脚片手に西東、明日はパックかロクイチか、、ですね(笑)」

もう、涙が出るほど懐かしいです。その頃の根府川、カナキク。その頃のヒガハス、蒲須坂。そして、その頃の山貨、その頃の成田線。そして、10年前にパックが走らなくなってからも、いつも、ロクイチと一緒に歩いてきました。

パックを見送ったのも、今日と同じ品川でした。偶然山手線の電車からシナオクの発車前を見たのが、はからずも現役のパックを見た最後になりました。そのときはたしか、ホームには誰もいなかったような気がします。今日はたくさんのファンが、それぞれの思い、それぞれのファインダーでロクイチを囲んでいます。

単9951レの発車時刻が近づいてきました。ほんとうに、これは田端への片道切符なのでしょうか。信じられない思い、信じたくない思い、わけのわからない思いが幾重にも交錯します。ここで見送ってもよかったのですが、やはり慣れ親しんだ風景の中で見送りたくて、急ぎ足で、山手線外回りホームへ向かいました。

田町から品川へ

山手線外回りで田町を過ぎ、進行左手に目をこらします。たいていは薄暗い庫の中に目標発見、ああ今日もいいもの見たなあと、何度、沈むような気分がカラっと晴れて、次の仕事に向かったことでしょうか。

ときには、あいつがクラの外に出ていて、おいおい今日運用あるのか、知らなかったじゃないか~、と地団駄踏んだこともありました。土曜のお昼は、よく品川から田町まで往復して確認したなあ。踊り子マーク、付いてるかどうか。。。

今日、都営浅草線でまっすぐ品川へ行けばいいものを、これが見たくて、田町で山手線に乗り換えました。冬の昼下がり、PFや66に囲まれて、すでにクラの外に出てパンタを上げ、キラキラ輝く機関車を瞼に焼き付けようとすると、早くも何だかじ~んとしてきました。

今も59.2以前の雰囲気をどこかに残す品川の臨時ホーム。あちこちに、ゴハチフリークの勇士たちの顔が見えます。やがてたくさんのギャラリーの待つ9番にゆっくりと入ってきたロクイチは、早春の光に照らされながら、いつもと同じように、あたりを静かに圧倒していました。


普賢の麓で

島鉄沿線も3度目ともなると、このあたりの空気にも慣れてきた感じです。昼飯はちゃんめん=ちゃんぽんが当たり前になったし、和菓子屋の代わりにカステラ屋がよく目に付くのも不思議ではなくなりました。

でも、なかなかクリアに姿を現わさなかったが、この地の主役、雲仙普賢岳でした。ようやく先々週、こうして島鉄ヒゲとの画面に綺麗に収まりましたが、思えば島鉄の南目線は、雲仙の観光客を運びつつも、噴火のため不通になるなど、普賢岳とのかかわりに終始したといえましょう。

それもあと1か月と少し。何度も通っていると、線路のないこの地が想像できなくなっていたのですが、ある海辺の有名ポイントで、廃線跡利用を前提とした護岸工事が始まったのを見て、1か月後の近未来の風景が容易に想像でき、我に帰りました。

どうも島原からは3月にもう一度再放送がありそうなので(笑)、明日の放送は都内からにしましょう。日テレ土曜朝「ぶらり途中下車の旅」ってところでしょうか。「おや~、たくさんの鉄が集まっていますねえ」、、、そのとき、どんな気持になるか、自分にもまだよくわからないのです。。。





早咲きの梅

春一番のニュースとキャンディーズに誘われて、ちょっと間合に「関東甲信越小さな旅」が入りましたが、再び、「遠くへ行きたい」島原編に、チャンネルを戻すことにいたしましょう。

青列車さんにコメントいただいたように、国鉄色のキハ20は、ほんとに日本の風景に似合います。今回、島鉄の沿線では、早咲きの梅を何か所かで目にしましたが、サヨナラに何とか間に合ったニッポンの繊細な春の色。もう涙が出るほど、美しいですね。

ここ島鉄のキハ20、新旧の島鉄色やタラコもなかなかどうして、国鉄色に勝るとも劣らず、海辺や山あいを縫う沿線の風景に溶け込んでいます。私はまだ南目線での2輌編成をキャッチしておらず、う~ん、これは3月にもう一度かなあ、と迷うところです(笑)

梅といえば、いきなり古美術いっちゃいますが、熱海の美術館にある光琳の「紅白梅図屏風」が思い出されます。「さよならゆとり踊り子号」で久しぶりに見に行きたいものですが、土曜の午後の下りに、ロクイチの不在が、返す返すも残念ですね。

春一番にさよならを

春一番が~、掃除したてのサッシの窓に~♪ 昨日はこれ、何度も歌っちゃいました。そう、毎年歌います(爆)ほかにも、雪が溶けて川になって~♪というのもあって、この季節はキャンディーズです。磐西のデコイチが終わって、ダイヤ改正が近づく頃。

東サロ、シナサロ、ゆとり。いまだに姿を消すという実感がないのですが、春一番とともに、さよならのセレモニーが始まりました。久しぶりの関越道は強風で速度規制、それどころか、本庄児玉からチェーン規制。。。イセコマまで辿り着けるのか心配になりましたが、やがて規制解除、1時間半前に到着して、ヒナ段の中に入れていただきました。

この場所では、ロクイチのさよならレインボーを好天の下、撮影したのを思い出します。パック最後の団臨運用となったレインボーも、ここの写真が有名で、出かけなかったことを今でも時々後悔することがあります。昔は気になったビニールハウスも今なら笑って許せる。人間、少しは成長するものですね(笑)

前夜に積もった雪が、だいぶ風で吹き飛ばされて、まだらな地面になりました。JR東に残存する電機で最も両毛線に似合う機関車が、3桁はいるであろうギャラリーの見守るなか、この光輝ある客車のさよならセレモニーの、先導役を務めます。



海辺の朝

鉄法の興奮覚めやらぬまま、金曜の最終便で長崎へ。諫早のホテルにチェックインして、えいやっと、通りすがりの居酒屋へ。はい、日曜朝の長寿番組、「遠くへ行きたい」、再開です(笑)

若い主人とその母親が二人でやってるその店で、刺身とミニ寄せ鍋に舌鼓を打ちました。そういえば、お通しに出て、寄せ鍋にも入ってたかまぼこの美味しかったこと! これは、酒仙T島さんや、nagashima3さんと、ご一緒したかったなあ。。。

そして、中国瀋陽より遅い(?!)2月の九州の朝。今回同行のハチマル29さん、Nさんにお願いして、ずっと行きたかった海辺の駅へ、朝の光を探しに行きました。遅い朝陽が山影から現れ、下り列車の線路面を何とか照らしそうです。

やがて順光の中をやってきたキハ20の国鉄色は、長い旅路のはてに積み重ねられた陰影がゴツゴツと光っていて、一瞬のうちに、朝の眠気と、この1週間の疲れが吹き飛ばされました。

時代はめぐる

そろそろ成田へ帰るNH便の時刻が近づいてきたようです。煙を追って、煙とともに過ごした夢のような4日間でしたが、30数年前の日本と同じような、時代のターニングポイントを実感した旅でもありました。

蒸機を淘汰するために投入された、このDL「東方紅」は調子が悪く、新しいDL・東風の到着を待って、蒸機より先に姿を消すようです。なかなかスタイリッシュな箱型、薄幸の運命……ン、どこかで聞いたような話、、、そうそう、京都のガキの、我らがDD54ですね。

ここ鉄法には、保存蒸機が集められ、こうしてチャーター運転も可能になっていますが、変化のスピードの早い中国のこと、工場や沿線設備があれよあれよのうちになくなってしまうと、はたして保存継続はどの程度可能なのでしょうか。長野工場の検修廃止により、梅小路の蒸機が多数静態保存に切り替えられたことが思い出されます。

オリンピック前夜の中国蒸機は、まるで日本の1975年頃のようです。めぐる時代に再び身をまかせながら、3月改正目前、激動迫る国内鉄に戻ることにいたしましょう。

究極の朝陽

はい、朝陽のまえに、必死でカメラをのぞいている○山です(爆)……と、内輪受けはともかく、鉄法ツアー最終日、前夜の一本締めが効いたのか、蠢く40人の鉄たちの眼前に、素晴らしい朝陽が姿を現わしました。

5年前、葦河の帰りに寄ったこの机務段には、狭い構内を行き交うカマたちの息吹がいっぱいで、その隙間から昇ってくる太陽に、とてつもなく雄大な感動を覚えました。そして今、がらんとした構内に、チャーター手配のカマたちが集まって、朝陽を迎える準備が整っています。

段になって居並ぶ40人が狙うのは、地平線から構内施設の枠線の間のわずかなスペースを、わずかな時間のうちに上昇していく太陽です。マイナス10度以下の寒気のなか、この瞬間逃してなるものぞ、と心地よき緊張が走りました。

何年かに一度、あ~、鉄やっててよかったなあ、と心の底から思う瞬間があります。カメラを三脚から外して撤収に入ったとき、そんな充足感が自分のまわりで何重にも折り重なっていて、ふらふらと倒れそうになりました。

冬の花火

調兵山の夜も3日目となると、あまりにも充実した昼間の行程の疲れもあって、バルブに精を出すメンバーも、いささか減りました。夕食の前の小一時間、ホテルの部屋で休んでいようかと思いましたが、次はいつ来るのか……と思うと、三脚持ってふらふらと駅に向かいます。

2月の中国は旧正月の最中で、旧正月を祝うのかSL祭りの賑やかしなのかよくわかりませんが(笑)、花火が夜空に上がり、いきなり路上で爆竹が行なわれていたりもします。そうだ、花火と一緒に撮れないのか、、、そう気がついてホームで場所を探すと、すでに先客の姿がありました。

蒸機と花火といえば、国内では真岡が有名ですね。あと、クリトレの日出谷でも今年は上がったようで、どこかのブログで写真を見かけました。考えてみると、長年鉄やってますが、花火がらみは初めての挑戦です。慎重に秒数を推測して、露光のタイミングを狙いました。

この夜の宴会は、明日の朝陽を願って、一本締めで幕を閉じました。明日の夕方には成田へ帰るのだとは到底思えない、夢見心地が続くままに、ストレージの画像を何度も眺めているうちに、パタンと眠りに落ちました。


丘を越えて

鉄な大人の修学旅行、ライティング実践講座はさらに続き、いよいよ午後から夕方に向かう斜光線という、必修科目に入りました(笑) C57135さんが前もってロケハンしていただいた丘の上に、40人の生徒たちが向かいます。

鉄法専用線の中でもめったに蒸機の入線しない電廠線に、チャーターした「旅遊列車」で分け入り、マイクロバスとの両刀使い(?!)で先行待機するという緻密な行程です。そういえばこの編成、車内はやまぐち号レトロ編成って感じのイベント列車風ですが、外観はキチンと緑色なのが素晴らしい。それも、旧満鉄客車の生き残りの改造車まで入ってる。。。

ここでは珍しい建設型が重連の前に付いて、午後3時の柔らかな光線を浴びて、緩やかなカーブを描いてきます。異形式重連というのも中国ではあまり見ませんが、後ろに続く客車がちゃんとしてるので、違和感は感じませんでした。

こんな素晴らしいシーンが二度繰り返され、丘のあちこちで、歓声と握手の渦が起こっています。さすがにこの後、夕陽は我々に微笑みませんでしたが、まだまだ夜と朝のドラマが待っていました。


SY三重連発車

朝日を堪能したあとは、広いヤードでの上遊形三重連のスタート・デモンストレーションが待っていました。構内で発車しては止まって戻り……が繰り返され、またまた夢見心地です。

近年さんざん通った中国でも、前向き三重連は、参加者のほとんどが初めてのようです。あそこで無火1輌込みで見たことある、どこそこで逆向きが1輌入ったのを撮ったことある。。。ほんとうは前進三重連が究極なのかもしれませんが、いや、上遊で十分すぎるほど十分です。

未電化のヤードを発車する三重連といえば、電化前の東北本線盛岡、七戸あたりでしょうか。架線はありますが、伯備線へ入る貨物の山陽本線区間の三重連なんてのも、ありましたね。いずれにせよ、これまた雑誌の写真でしか見たことない、垂涎の世界です。

先頭のSY、赤いスローガンの入った装飾ガマなんですが、日頃の煙で煤けてしまって、そうとはなかなかわかりません。後続の貨車もちゃんと積車だったりします。いやはや、そのあたりの現役感が、たまりませんなあ。

朝日のあたる駅

ここ鉄法で、蒸気列車が並ぶ駅といえば、夜は調兵山、朝は三家子です。まだ明けやらぬ調兵山駅前のホテルを40名一糸乱れず6時に出発、最初の朝は曇り空でしたが、翌日は客車が2本並んだところで、日の出を迎えました。

私は残念ながら実際に見たことがありませんが、昭和40年代初頭、呉線広駅には通勤列車を牽くC62やC59が何本も並んだといいます。中学生の頃、雑誌に出ていたその写真を、何度も何度も食い入るように眺めていたときの感覚を、今でも覚えています。

人生の限られたギラリをこよなく大事にするC57135さんのプランニングは絶妙で、我々の乗った蒸機牽引チャーター客車の到着から5分をおかずして太陽が昇りました。そして、朝日が輪郭を失うまでのわずかな時間、最初の夜にもまして、感動と感嘆の声が続きました。

やがて順光側に移り、発車を撮影するために、40人が譲り合ってポジションを決めました。あちこちで、談笑の輪が広がっています。「いやあ、一生モノのツアーですね」「こんなことは、二度とないだろうなあ」と、誰かが言い出し、誰かが頷いています。キーンと晴れ渡った中国東北の空。今日はいい天気になりそうです。

鉄な大人の修学旅行

中国・鉄法から、先ほど帰ってきました。いやあ、楽しかったなあ。それぞれの中国蒸機に決着をつける、鉄な大人の修学旅行。C57135さんの企画で、O連隊長のもとに集まった40人の鉄たちが繰り広げた、3泊4日の撮影三昧&宴会三昧(笑)!

まず初日、小雪の降る関空から青空の瀋陽に着くと、いきなりその夜に、調兵山4台前向き並びのバルブ大会が待っていました。これまで何度行っても、何輌かは逆機が混じって悔しい思いをしていた我々には、まさに夢の光景です。

柔らかなイエローの光に包まれた冬の駅に、四条の煙が立ち昇ります。あちこちで「ごちそうさん、もう最高」「これで寿命が延びた」(?!)などと、感動と感嘆の声が上がっています。もちろん緻密に仕組まれたものとはいえ、現役の蒸機が現役らしい姿でズラリ並ぶこのシーンは、鉄冥利に尽きる至福の時でした。

遠くで、花火の音が聞こえています。こんなたくさんの大人の鉄が、同じ場所で、同じ感動を味わうことが、かつてあったでしょうか。この夜、それぞれの思いの、細かい違いを越えて、何ものかが、ゆっくりと動き始めているようでした。

チャイニーズ・はやて

明日からの連休、中国に行ってきます。今回はたくさんの方々と、「中国鉄の修学旅行」(笑)、命旦せまる中国蒸機&宴会を存分楽しんできたいと思っています。

いよいよ目前のオリンピック、この年末の北京は、さまざまな工事も一段落したようで、街は祭りの前の静けさでしょうか、ちょっと奇妙な落ち着きを取り戻していました。最初に行った99年暮れはまだ路地には未舗装路や前時代の雰囲気が残っていましたが、毎年行く度に、道路やビルの工事の槌音が響き、渋滞はひどくなるいっぽうでした。

今回も市内での移動のとき、余裕を持って所要時間を読みましたが、渋滞がそれほどではなく、帰りの飛行機までの時間をもて余すことになりました。で、北京駅へ出入りする列車を撮影したのですが、そういえば、以前みたいにカメラを覗き込んでくる通行人もいません。

やがて、「はやて」もどきの最新車両が音もなくやってきました。世紀の谷間を越えて、厳寒の地に煙を追った、鉄たちの美しい季節が、いま終わろうとしています。

武蔵小金井行き

昨夜も少し雪が舞いましたが、さすがに積もりませんでしたね。が、また週末の首都圏は雪の予報。今回の3連休は遠出の計画があるので、NH便の運航状況が心配ではあります。

月曜の朝、出勤前に撮った下りの201系は、ラッシュが一段落した時間の武蔵小金井行きでした。この、ラッシュが終わって入庫するって感じ、201系のブラックフェイスにも、ほっとしたような安堵感が表われていて、心和みます。

中央線でいうと武蔵小金井行き、豊田行き。東横線でいうと元住吉行き、京浜東北なら南浦和行き。車庫や電車区のある駅へ向かう電車の行き先表示は、もうそれだけで、鉄には心躍る印象がありませんか? 初めて中央沿線に住んだとき、武蔵小金井と豊田の電車区を確かめたくて、ふらりと下り快速に乗ったのを思い出します。

そんな駅はまた、通勤で毎日乗る人にとっては、そこから座っていくための、大事な始発駅ですね。そして、点滅を繰り返すイマドキのLED表示より、やっぱりきちんとした字幕の表示のほうが、ニッポンの正しい通勤電車って感じがしますね。



明けて、雪晴れ

この雪は夜半にやんで、明日の朝は晴れるでしょう……そうか、明日は明日で、最後の雪晴れかあ。。。ま、起きられたら、出勤前に行こう。ただでさえカブリの多い中央線、朝ラッシュ時にカブらずに撮れるなんてことがあるのか?! そんなことを考えながら、昨夜は眠りにつきました。

で、今朝起きて時計を見ると、寄り道可能な時間です。よし、行くか。目黒から乗った山手線はまだラッシュのピークには間がある時間帯、新宿でガラガラの下り緩行線に乗り換えて、大久保で上りの201系にすれ違い、早速地団駄を踏みます。

やがて到着した阿佐ヶ谷のホームには、今日も鉄な方々が集っていました。小一時間の間に、カブリを含めて(笑)2往復の201系を見送ったのですが、都会の雪景色に映えるオレンジパーミリオンの美しかったこと!

撮影を終えて、20年ぶりに東西線に乗って、阿佐ヶ谷からの通勤でした。中杉通りの並木道が冬の光に柔らかく照らされています。あの頃住んでいた、マンションの1階の喫茶店のマスター、すっかり白髪になって、今朝は雪かきでもしてるんだろうなあ。

雪でした

あなたのあとを なんとなくついて行きたかった~♪ 今朝は、この70年代フォークの名曲が口をついて出る、予報どおりの銀世界でした。そういえば猫って再結成して、けっこうライブもやってるみたいですね。これは今度行かねば(笑)

70年代とくれば、行き先は、我が青春の中央線しかありません。そうか、201系最後の雪。あれよこれよのうちに残存するのは5編成のみ、なかなか来ないかもしれないけど、阿佐ヶ谷で昼メシ食べるだけでも、あったまれそうだし。

懐かしの駅の先端には、やはり最後の雪を狙う鉄な人々が、ポツリポツリと入れ替わりを繰り返しながら、集まっていました。この高架のホームに降る雪の冷たさ、中杉通りの街路樹の雪帽子、不思議なことに、あの頃と何も変わっていないように思えます。

来た! 誰かのつぶやきで、凍えるホームに緊張が走り、屋根と種別表示板を薄く雪化粧したオレンジの電車が、最後の冬を走り抜けていきます。そうそう、南口の小さなレストランは代替わりしていましたが、あったかいボルシチスープの味は同じでしたよ。

名残りの冬晴れ

明けて翌日、大阪でのんびり過ごそうとも思ったのですが、関東は晴れとの予報で、そうだよなあ、EF6019&ゆとり、もう撮れないかもしれないなあ……そう思うといてもたってもいられず、帰京→上越線への移動を決断しました。

高崎に着いたのがお昼過ぎ、順光の中を上ってくる列車を、渋川の鉄な屋上で迎え撃つことにしました。すっかり久しぶりの冬の上州、今日は彼方の山々も綺麗に見えています。しかし、からっ風の肌刺す寒さは相変わらず尋常のものではありません。

EF6019のメロンパン時代、何度も塗色変更の噂があって、早朝の工臨を撮りに、この屋上にお邪魔したこともありました。また、初めてデコイチが東サロを牽いたとき、たしか「冒険大陸号」とかいうネーミングでしたか、そのときもこちらにお世話になりました。

直前に雲がかかりそうになりましたが、冷たい風が吹き飛ばしてくれたのか、やがて素晴らしい冬晴れの光の中を、鉄橋を渡る轟音とともに、名残りの客車列車が走り過ぎていきました。

やさしい都会

これ、荒井由実作詞・筒見京平作曲による、平山三紀の隠れた名曲ですね。あと、須藤薫も歌ってたかな。ともあれ、歌謡曲ヲタの間では通好みの誉れ高い存在で、「私が選んだ70年代歌謡曲」なんて話を飲み屋で始めた日には、必ずや上位にランキングされるでしょうな(爆)

とうの昔に、都会のやさしさと寂しさなんて心思う歳ではなくなってしまいましたが、ガキの頃、大都会といえば、まずは大阪でした。阪急で梅田に着いて、地下街を行き交う人々の波に驚き、環状線から見るどんよりした工場と、通天閣の前の路上の猥雑さに恐怖心すら覚えたものです。

そのいっぽうで、父が会社帰りに買ってくるヒロタのシュークリーム、ほろ酔いの祖父が持ち帰る大阪寿司の折り詰めにワクワクしました。細い階段を上がっていく、船場のオフィス街の小さなレストランで食べたハンバーグの味は、今でも時々思い出します。

もし、そのまま関西にいて、大阪で毎日飲み食いしていたら、自分はどんな大人になっていたのだろうか。。。ゆっくりと夕闇へ向かう、天王寺駅前の街の灯りを眺めながら、ふとそんなことを考えていました。



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