ひとときの夢

北京から夜行列車で内モンゴルの赤峰へ。そこからさらに車で3時間。何度もたどったコースをなぞって、夜明け前の集通沿線に着くと、4年前と同じように、そこには厳寒の雪景色が待っていました。

すでに数日前から前進重連が走っていることを、ネット上で見ていましたが、ほんとうに、やってくるのだろうか、どこかで不安がありました。林西の駅で停車があることを確認、雪の降り積むホームに上がります。お~、この寒さ、集通はこれだよなあ。

やがて僕ら3人が体験した夜明け前の数十分は、4年前と同じようでいて、どこかがこの世のものではないような、不思議な感覚に包まれていました。まさか、もう一度見るとは思わなかった、前進の重連。シャッターを押すだけで、かじかむ指の感覚は同じです。昔と違うのは、前進のボイラに巻かれた金帯と、厳寒デビューのデジタル一眼。。。

まもなく、2007年が暮れようとしています。1年の最後に、中国で見たひとときの夢に、まだ朦朧としています。皆さま、よいお年をお迎えください。

再び、集通へ

明日から大晦日までの日程で、中国へ行ってきます。もう5年来の、いつものメンバー、いつものスケジュール。行き先は、もう再び行くことはないと思っていた、内モンゴルの集通鉄路です。

かつて、世界中から彼の地を訪れたすべての鉄を魅了したホルク~ダーバンの峠越えの区間に、1日1往復の前進重連貨物が復活するという、いわばブランダンプのイベント。はい、日本で言うところの、煙ネタですね(笑)

季節は冬、丘に登ればマイナス○十度の世界です。あのとき、寒かったよなあ。寒いんだろうなあ、今も。そんな中を待った者たちに与えられる、煙の神様からのプレゼント。感動しました。まさか、もう一度見られるとは思いませんでした。

昔と違って、カマには何かの装飾が付いているようです。そうか、中国もネタが走る時代になったのか、、、磐西か山口に行くぐらいのつもりで、肩の力をぬいて、楽しんできたいと思います。

暮れなずむ時

団長さんとは残念ながら1日違いだったようですが、磐西クリトレの締めくくりは、夕闇せまる野沢駅にしました。まだぼんやりと薄明かりがあったほうが、カマや列車のフォルムがはっきりと写るのでは、と考えての選択でした。

姥堂で冬枯れの疾走って感じのショットを撮って、山都へ抜ける県道を急ぎます。いつもなら、山都を出たところで走行をワンカットとなるところですが、すでに日没近し、たぶんその多数は日出谷へ向かうであろうクルマの流れと別れ、野沢駅方向に左に折れました。

すでに到着しているシゴナナのまわりは、乗客たちのざわめきでいっぱいでした。何がキラキラしているのか、よく見るとヘッドマークにイルミネーションが点灯していて、山あいの静かな駅に、この季節の華やかさを添えています。

発車時間がせまり、シゴナナとばん物客車だけが、暮れなずむ時の中に浮かび上がってきました。さっきまでのざわめきが嘘のように、発車を見送る一組の親子だけが、光のページェントをみつめていました。シゴナナと磐西に、今夜は、メリー・クリスマス。

ファイナル・クリスマス

やっぱりクリトレはいいなあ、とシゴナナのドラフトの余韻に浸りながらビール飲んで帰りの新幹線でへろへろしていると、若い友人からメールの着信がありました。「ファイナル・ラン」のマークを付けて走っているEF651001号機が、東海道の運用に入りそうだというのです。

今日のクリスマスイブは、晴れ渡った冬晴れとなりました。新鶴見へ向かう道すがら、そういえば運用押さえて貨物撮りに行くのも久しぶりだなあ、とゴニロクやゴニマル、ザンパやゴッパーを毎週のように追いかけた、あの時代のことを思い出していました。

目当ての場所はすでに三脚ならぬ脚立の密林と化していました。なんとか間に入れていただき、ふと下を見ると、かつて、このあたりでいつも出会ったS君でした。「99年から2000年ぐらいでしたねえ。あの頃の列車番号、今でも全部覚えてます」振り返ると、当時のこのあたりの主(?!)、O君の懐かしい声も聞こえてきました。

走り続けて38年、か。。。国鉄末期に宇都宮から宮原へ転属した同機は、銀河51号の間合で14系の「踊り子」を牽いたこともありました。心づくしのヘッドマークも誇らしげに、PFトップがファイナル・クリスマスの東海道を下っていきます。

雨は夜更け過ぎに

雪へと変わればよかったのですが、なかなか思うようにはいきません。隔年雪の法則(by senrobataさん)によると、今年は雪が期待された磐西クリトレ、一部に残雪はあるものの、冬枯れの曇りベース。でも、存分楽しんでまいりました。やっぱり、いいよなあ。冬のシゴナナ。

今日は最初の早出川から、これが磐西?って驚くほどの煙です。クリトレの初日から、鉄の間で「磐西が爆煙に方針転換か?!」という噂が飛び交うのもむべなるかな、正面狙いで選択した三川の発車でも、適度にグレーな煙に恵まれました。

そういえば、このクリトレのヘッドマーク、日頃のばん物マークに比べて、思いきり許せます。というより、クリスマストレインって、何だかみんな許せてしまいます。1年で最も日照時間の短い今の季節に、灯りをともす特別な列車。

秋の門デフの思い出をたどるように、冬枯れの山間にシゴナナが分け入っていきます。今年もいろんなことがあったなあ、と来た道を振り返るように。



1989年のパック

だいりいぐ伊知郎さんからコメントいただきましたが、1989年といえばバルブ、いやバブル真っ盛りの時代でしたね。前年にオリエント急行やアメトレがあり、この年も多種多様なイベント列車が走っていました。で、こちらもバルブ真っ盛り(爆)

この頃、仕業番号が800番代に限定されて予告登板がほとんどだったロクイチに比べて、パックの運用は鉄向けのイベント以外はなかなか把みにくく、急な情報におおわらわでバルブに駆けつけたりしたものです。

盆暮れの多客臨の運用に入ったかと思えば、さりげなく宇都宮工臨に充当されたり、ジョイトレを牽いたり……半ば予告登板風に「トマムサホロエクスプレス」の回送に入ったのも、この年の11月でした。

89年の今頃、仲間たちはみんな、パックの年末の多客臨への登板を期待しながら、新しい年の成田臨の心配も始めていました。大宮で、パックもそんな時代に思いを馳せているのかもしれませんね。

ゴハチバルブ

ほんと、ロクイチ撮りたいなあ。できれば、バルブ。おちゃまるさんにもご賛同いただいたように、キラキラした夜の輝きは、何ものにも代えがたいものがあります。

そしてロクイチだけでなく、茶ガマのゴハチをバルブ撮影すると、外板の凹凸が周囲の光を乱反射させ、銀色の飾り帯と相まって、それは美しい世界が出現します。昼間は見えなかった長い旅路の疲れが、逆に輝きを増す小道具になるから不思議です。

西の雄、イゴマルも今年はほとんど走りませんでしたね。「ムーンライト」など多客臨の夜行で山陽路を毎日往復し、現役ゴハチここにあり! という風格を漂わせていたのが、今は夢のようです。

この写真の1989年は、JR東海の「クリスマス・エクスプレス」のCMで「クリスマス・イブ」が再び街に流れた年末でした。「ラスト・クリスマス」や「Do They Know It's Christmas」が1984年、国鉄民営化の前後、世間は思いきりクリスマスしてたんですね。



ラスト・クリスマス

おちゃまるさんのところで、いつかのメリークリスマス♪と題して、クリスマス鉄の思い出が始まっています。こちらは、大昔のワム!の名曲にのせて、2年前のロクイチでいってみましょう。

お~、怒涛の鉄が押し寄せるロクイチバルブ、このときもなかなかでした。いやはや、あの三脚の密林、迫り来る発車時刻、あの大変さはまったくもう、、、がしかし、こうしてキラキラ輝くロクイチの画像で振り返ってみると、ああ撮ってよかったなあ、また撮りたいなあ、と思うのです。

高崎でP535のブルトレ撮影会を堪能したあと、帰路の列車は仲間が揃って、何だか浮かれた気分で遠くにロクイチの汽笛を聞きながら、ヒルネのハネに揺られていました。それでも待避の停車駅になると、三脚の密林に参加しに行きました。

進むE655系の試運転とはうらはらに、ロクイチの状態がまた心配される昨今。師走の空気に華やかさを添えるロクイチのクリトレ、まだ伝説とは思いたくありませんよね。

国鉄線直通

かつては日本の各地に国鉄と同じ軌間のローカル私鉄があって、そのいくつかは島鉄のように国鉄線に乗り入れていました。いや、国鉄への直通を夢に抱いたまま、寿命が尽きてしまった路線も少なからずありました。

どこか他に撮っていないだろうか、とネガを探して、やっと見つかったのがこの有田鉄道です。高校卒業の1974年、どういうわけか行ってました。カマもないのに(笑)、、、当時は現役蒸機全廃が目前に迫り、何となくポストSLを模索していたのか、自分。

キハ07が藤並から紀勢本線に乗り入れて、湯浅でDC急行(きのくに?)と顔をあわせたこのシーン、国鉄も、ローカル私鉄も元気だった時代の空気が伝わってくるようです。キハ07で串刺しになったDC急行の編成も長そうで、もしかしたら後ろには南海からの乗り入れ車が付いていたのかもしれません。

この有田鉄道、21世紀まで細々と命脈を保ったようですし、金屋口の車庫跡には保存車両も残っているとか。ほかに紀州鉄道や、猫の駅長で有名な和歌山電鉄など、紀州はローカル私鉄と現在も相性が良さそうです。お~、また行ってみたいところが増えました(笑)

南の終着駅

海岸線沿いにタラコを追って、今日もまた加津佐までやってきました。南国らしい木々が印象的な3線の終着駅。ホームは1面で、コンクリートの簡素な駅舎が逆に最果て感を募らせてくれます。

ガキの頃、九州のローカル私鉄というと、この島鉄と、もうひとつ鹿児島交通がイメージで、草むしたハノーバーの廃車体の写真に目を奪われました。加津佐に加世田、う~ん、南の最果ては「加」がつくのかぁ、と意味もないことを思ったものです。

キハ20が南目線に入る偶数月の週末、午前、午後一度ずつのキハ20の発着時には、この駅は乗り鉄、撮り鉄双方で、ちょっとした賑わいをみせています。これから廃止が近づくにつれ、さらに人出は増えてくるのでしょうね。

ホームでのスナップを切り上げようとしたところで、このアングルに気づきました。つかの間の初冬の青空に、赤いタラコが映えています。春芽吹く頃の再会を約して、そろそろ、海沿いの来た道を戻ることにしましょうか。

遠くへ行きたい

nagashima3さんにコメントいただきましたが、TV番組「遠くへ行きたい」、1970年の放送開始ですから、もう35年以上の長寿番組ですね。日曜の朝、ゆったりした気分の寝ぼけまなこで見るって感じが、ずっと続いています。

土曜朝の「ぶらり途中下車の旅」なんかも楽しくていいですが、やはり「遠くへ行きたい」は旅番組の王道ですね。今でもたまに見るとほっとします。それでいて、まだ日本にはこんなところがあったのか、いつか行きたいなあ、と、いとも簡単に術中にはまります(笑)

この島鉄の沿線を巡っていると、ほんと、あの番組のイメージです。海岸線あり、港町あり、小さな山越えあり、そして非電化の線路あり、海に浮かぶ船もあり。。。どこか遠くの知らない町に来た旅の楽しさでいっぱいですね。

海に突き出た小さな岩山の上の神社から、ニッポンの旅情溢れるアングルが手に入りました。ちょっとケバいかな?と思ったタラコ色のキハ20も、思いのほか海辺の風景に溶け込んでいます。





水ぬるむ朝

島原での夜は、小さな居酒屋で地物のアジの刺身に舌鼓を打ちながら、あれよあれよという間に更けていきました。しかし、二度目になると実感したのですが、この街の海の幸山の幸もけっこう深いものがありそうです。

翌朝、12月の九州の7時の暗さに驚きながら、やっと撮影可能になった8時前に南島原近くの、この有名撮影地へ。島原市街へ微妙に入り組んだ入江の水が、朝の光にぬるむ中、昨日と同じ国鉄色のキハ20がやってきました。

こうして列車の手前に船を入れて撮るというのも、水辺のローカル線の朝って感じで、すがすがしいですね。この区間は来春以降も残りますが、キハ20をここで見かけることはぐっと少なくなりそうで、これまた名残りの1枚になりそうです。

南島原のあたりは、古い落ち着いた町並みが残っていて、鉄を忘れて探索するのも楽しそうです。今度来たときは、まだ食べたことのない、島原の郷土料理、具雑煮の店でも探してみたいと思いました。

岬めぐり

さて、2007年冬の週末に戻って、レンタカーを南に走らせましょう。やがて海沿いに線路と国道が緩いクロスを繰り返しながら進む様子に、思わず、70年代ヒットソングが口をついて出ます。岬めぐりの~~キハは~走る~~♪(笑)

中学生のとき、初めて海沿いの写真をハーフサイズで撮ったのは、小浜線でした。件の17歳の夏、日南線の大堂津でC11の貨物を待ちながら、キラキラ輝く海にシルエットを浮かび上がらせたキハ。シャッターを切らずに、ぼんやり見ていたなあ。そうして、岬めぐりの線路には、いつも短編成のキハが走っていたような気がします。

有馬、口之津と過ぎ、気がつけばもう加津佐の手前まで来ていました。国鉄色のキハ20が後ろから追いかけてくる時間が迫っています。クルマを止めて、いつもの丘に三脚を立てると、おだやかな初冬の海が眼前にひろがりました。やはりこのツートンは、美しいニッポンの風景によく似合いますね。

1972年の三本ヒゲ

35年前の長崎駅で見た島鉄キハ20、あれ、シャッター切ったような気もするなあと、古いネガを探してみると、ありました、1枚だけ。前のネガは立野から高森線、南延岡。あ、枯れ鉄さんとの珍道中の翌日です(笑)

たしか夕方の急行で日豊線を北上し、門司港から夜行で長崎方面を目指しました。車中泊ばかりの撮影旅行に、さすがに17歳の自分、疲れていたのでしょう。炎天下の唐津線で昼前まで撮影したところで、プッツリ、やる気モードが減退してしまったようです。

もう撮影はやめて観光でもするか、と到着した長崎駅に、この三本ヒゲが停まっていたのでしょうね。車番の切り抜き文字、原型ライト、未電化の終着駅の長いホーム、、、後ろに続く編成が長いのは、国鉄の気動車急行に併結されていたからなのでしょう。

このキハ2002は島鉄最初の自社発注のキハ20の1輌で、黄色いトロッコ色に姿を変えて、平成13年まで活躍したようです。叶わなかった再会に、ふと思いを馳せてみる冬の宵です。

島鉄、名残りの秋

さすが年末の仕事ラッシュと前夜の宴会(爆)で、長崎までのJL便クラスJ席で爆睡。やっと元気になって、レンタカーを大村線沿いに諫早方向に走らせます。そうかあ、ここにシゴナナが走ってたんだよなあ、来ようと思ったけど来れなかったようなあ、72年の正月……朝の入り江を白煙を引いて快走する門デフの姿が目に浮かぶようです。

シゴナナDL化後の夏、唐津までキューロクを撮りに来て、あまりの暑さに撮影を中断、半日長崎でぶらぶらしたことがあります。そのとき、長崎駅で島鉄のDCを見かけて、そうそう、直通運転してるんだよなあ、すごい私鉄が九州にはあるものだなあ、と思いました。

その頃の島鉄は、国鉄への直通運転や急行運転、貨物や荷物輸送も設定され、今消え行くキハ20が最新鋭で、湘南顔の古いDCなどもまだまだ活躍していたようです。ガキの頃は、日本の各地に、そんな個性豊かなローカル私鉄がありました。

諫早から島鉄沿いに国道251号を1時間で、南線の区間に入ります。今年は全国的に遅いとはいえ、12月の名残りの紅葉を愛でるように、赤ヒゲの旧島鉄色にローカル私鉄華やかなりし頃を偲ばせるキハ20が、静かにやってきました。

最後の師走

ふぅ~。さすが12月に入るとあわただしいですね。その合間に鉄しようとするので、さらにあわただしいわけで(爆)

今週末は、来年3月で南半分の区間の廃止が決まった島原鉄道へ行ってきます。狙いは、国鉄一般、タラコ、島鉄色とバラエティ豊かに揃ったキハ20。それがいつもは入らない廃止予定区間に入るというから楽しみです。

しかし、諫早という地方都市から78.5kmの長距離、この地方鉄道自体が、ちょっとした現代の奇跡に思えます。自然災害にも見舞われるこの地域で、よくぞ今日まで走ってくれた、ということなのかもしれません。

5月に初めて行ったとき、海沿いの美しい風景には、息をのみました。そのレールが迎える最後の師走、つかの間のゆったりした時間を味わってきたいと思います。

那覇のKATO君

先日、非鉄な所用(謎爆)で那覇に行く機会がありました。ほんの少し時間があったので、ゆいレールに乗って、ナローの保存車両を見てきました。

今回初めて知ったのですが、那覇からさらに空路1時間の南大東島に、80年代初めまでナローの専用鉄道があって、インドネシアと同じように、サトウキビを運んでいたそうです。そこで使われていたDLが、那覇の中心に近い住宅地に、こうしてマンションと南国らしい木々をバックに保存されている、と。

線路のない沖縄は、往々にして鉄には縁の薄いところで、私も20年前に仕事で来て以来の2回目です。それが、今回ネットでいろいろ検索してみると、あ~あ、このナロー、見たかったよなあ、いやせめて保存車両だけでも見たいよなあ、という気持が沸々と募りました。

南大東島には蒸機や客車も保存され、機関庫の建物まで残っているそうです。数年前まではDLの残がいが野ざらしになっていたとか。。。う~ん、こんなところにも、後悔の種があったとは!

ある御召機

もう1ヶ月以上前のことになりますが、好天に恵まれた門デフ最終日の会津若松で、郡山方の補機に使われたDE10が、シゴナナに続いて入区してきました。あまりにも良い光線状態に、これは撮っておかねばと、一部の鉄、大はしゃぎ(笑)

その中のどなたかが「これ、シゴナナの翌日の御召…」と話してらっしゃるのが、ふと耳に入りました。それが、何だか微妙に記憶に残っていて、帰ってから調べてみると、、、はい、ありました。昭和47年新潟植樹祭御召、C571の翌日の越後線はDE101124号機。

このDE10、郡山方のシゴナナの後補機として、一部のファインダーからはカットされる存在で、只見線に復活C11が入り始めた頃の「SL&DL」の若松方牽引機でもありました。そうそう、山口にもそういうDD51がいますが、JR化の際にたまたま旅客会社に継承され、いつのまにかそういう存在になってるDLがいますよね。

それが栄光の御召機だったというのですから、カマの運命は小説より奇なり。。。DD51には842をはじめ有名な御召機が存在しますが、DE10はあんまり聞いたことないですね。人知れず活躍するDE10御召機。。。う~ん、奥が深い(爆)

広場の靴磨き

EL牽引の工事列車が起点駅の石渓に戻っていくと、こちらは工場のある躍進の町に戻って、街中の風景をスナップすることにしました。夕方の客レの前に、臨貨が山から下りてきそうです。

商店や食堂に灯がともるには、まだしばらくの時間がありそうで、線路に沿った広場の靴磨きの若い女性達も手持ち無沙汰のようすです。おそらく「磨いていってよ」という中国語で(笑)思いきり手招きされましたが、カメラを指し示し、通じるかどうかは別として(爆)写真を撮るのだという意思表示をしました。

そういえば、街中で靴磨き、見かけなくなりました。昔は大きな駅にもありましたよね。赤帽などとともに、国鉄のターミナル駅のイメージです。少し前までは、自動靴磨き機なんてのが、地下鉄の通路にあったような。。。

靴磨きの彼女達を入れて列車を撮るのだという意思表示がしっかり通じてしまい、C2の牽く臨貨が通過すると、もう一度、笑顔で手招きされ、画面手前の椅子の客となりました。

EL牽引マッチ箱

この芭石鉄路、麓の側に少し電化区間があるのですが、ELとマッチ箱客車の組み合わせを、今回初めて見ることができました。とはいっても、客レではなく、ご覧のような工事列車(?)です。

架線工事をポール1本ごとにこなしていくという珍しい光景に、思わず乱写の嵐(笑)。。。いやあ、レールバス牽引のチキってのは見たことありましたが、屋根の上に作業台のついた特殊客車、これはレアで感動モノです。

ここは中国のナローですから、当然、線路は歩行者の生活道路です。作業中も人々が行き交い、立ち止まって興味深く見守る子供たちもいたりして、こちらもすっかりなごんでしまいました。

作業が終わると屋根から下りた鉄道員たちが、マッチ箱に乗って引き上げていきます。どんな爆煙よりも、生きた鉄道を見た! という満足感で、思わずニヤニヤしてしまいました。

プロフィール

Author:品川530
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