レイン・トレイン

it's rain train 雨降る中を it's rain train ただ汽車は走る~~♪ チューリップ1975年の名曲「悲しきレイン・トレイン」を思い出しながら、いよいよヘッドマークなしの「SL郡山会津路号」の撮影に、会津若松の運輸区から電化区間に向かいます。

1975年、ご承知の通りのC57135最終旅客、D51241最終貨物の年です。この頃はまだヒットソングの歌詞に「汽車」が頻繁に登場していたことは、最近T島さんが深夜にTVショッピングで酔っ払って購入され、レンタカーでの撮影時に必ず持参される「懐かしのフォーク大全集」を聴いても、よくわかりますね(笑)

そう、70年代フォークと違って、惚れたはれたもありませんが、今日はまさに「悲しき露出のレイン・トレイン」です。それでも、マークなしの編成写真を1枚はキッチリ押さえようと、広田手前の踏切にポジションをとりました。

正直、何度も流そうかとか、遊ぼうかと思いました。そこを何とか持ちこたえてシチサンのファインダーを維持すると、たなびく白煙と、雨中に浮かび上がるキャブの灯りが、悲しき露出を何とか救ってくれました。





冷たい雨

にうたれて、磐西をさまよったの~♪ はい、オヤジ3人のレンタカーで(笑)…ってなわけで、この前の土曜日は台風接近の雨模様となりました。五泉の段階からもう雨にけむる白煙で、目で見ると感動しますが、写真にするのは、これは難しい。。。

でも、何だか今回思い出す昔のシゴナナのメモリアルな列車は、雨が多いですね。昭和47年の1号機の新潟植樹祭御召。そして、その翌年の門デフ117号機の宮崎国体御召。いずれも雑誌の写真でしか見たことありませんが、当時のフイルムで撮るの大変だっただろうなあ。

一度ぐらい、雨もいいよな。そう自分に言い聞かせようとしますが、悲惨な露出が現実を冷たく指し示します。それでも、この日3度目の撮影となった上野尻で、列車の長さの倍ぐらい、長く尾を引く白煙は、しみじみと心に残るものでした。

今日は門デフ期間唯一の、郡山までのロングラン運用。会津若松で向きを変えるときには、いよいよマークなしのあで姿が見られます。我々も喜多方ラーメンをあきらめて、ショートカットを運輸区へ向かうことにします。

急行日本海

2日目の信越本線、前日に続いて鯨波の定番アングルを押さえたあと、長鳥の峠越えに、煙あり写真(笑)のかすかな期待をかけました。俯瞰ポイントに鉄が集まっていたようですが、格好のカブリツキ写真が撮れそうな踏切があり、嬉々として三脚を立てました。

その昔、180号機の運用範囲は西は直江津まで及んでいて、このあたりは磐西、羽越と並ぶホームグラウンドでした。海岸を走ったと思えば、離れて時おり山間部に分け入るルートを軽快に駆けて行くその姿は、おそらく往時の急行「日本海」を彷彿させるものがあるのでしょう。

本州を走った門デフは、11号機と83号機の2輌しかいなかったといいます。3輌目の門デフが牽く「日本海」か……そりゃあ客車がどうとか贅沢を言ったらキリがありませんが、グレーの適度な煙をたなびかせて緩いカーブを描いて眼前に迫ってくる180号機は、この機関車が急客用に作られたものだという事実を、十分に思い出させてくれるものでした。

撮影が終わって、燕三条へレンタカーを返しに行く頃には、ひくまさんの神通力も失せ(?)、冷たい雨になりました。翌週、結果的に門デフはその雨を連れて、磐西で今年の最終章を迎えることになりました。

飛翔の朝

ひくまさん、T島さん、S屋さんとしこたま飲んで、居酒屋で傘借りてホテルに帰って、目覚めた翌朝も直江津はまだ雨模様の空でした。昨日は転車台のところで門デフを見上げる座った姿勢で(笑)ずっとファインダーを覗いていたsenrobataさんと、朝の運輸区で合流したのですが、出区にはまだ時間がありそうで、一度は新井方面にロケハンに向かうことに衆議一決したのですが。。。

みんな、なんだか物足りなさそうな顔をしています。誰かが言いました。「やっぱり一応、転車台も撮ったほうがよくないですかねえ」……「そうですねえ、やっぱりそうでしょうねえ」その一言が、やがて幸運を呼ぶことになるとは誰にもわかりませんでした。

出区予定時刻に運輸区に戻ると、シゴナナが転車台に向かって、ゆっくりと動き始めました。クラの外にでるかどうかの、そのとき、露出が動いた!、、、3枚、シャッターを切る間に、雲の合間から朝日が顔を出し、そこは、ほぼ完璧な晴れ露出の世界です。

もう、senrobataさんが座ってるかどうかを見る暇もありません(笑)そうだ、そうだ、座らなければ、と4線残った扇形庫が広角で入る位置でファインダーを決めたとき、朝日に飛翔する門デフの180号機が、ゆっくりと回り始めました。

くびきのお宝

さて、先週末の上越路に、時計の針を戻しましょう。「SLえちご日本海」の運転にあわせて、頸城鉄道の保存車両の展示会が行なわれていることを聞き、直江津で門デフの入庫を撮った後、クルマで30分ばかり、百間町駅跡のイベント会場へ向かいました。

コッペル2号とは西武山口線以来、30数年ぶりの再会です。同行の晴れ男、ひくまさんのおかげで時おり射す秋の斜光線に照らされる古典蒸機のゴツゴツした表情は、思わずファインダーから目を外して、見とれてしまうものでした。

軽便鉄道の駅の跡に並ぶ保存車両の数々は、「くびきのお宝残す会」による見事な手入れがなされており、現役時代を十二分に彷彿させる雰囲気です。神戸の山奥の個人宅から、30年以上の時空を越えてやってきた車両たちも、すっかり故郷になじんだようです。

いま、日本の各地でこうした鉄道車両の保存運動が、ようやくよちよち歩きを始めているように思います。大変なご苦労もあるのでしょう。まずは、わずかな協力ができることの喜びをかみしめたいと思います。



発車もどき

ここのところ毎週の撮影をご一緒しているT島さんと話したのですが、山口にしろ磐西にしろ、勝手知ったるルートを辿る撮影行はあまりにも動きがスムーズで、我が家に帰ってきた感じさえします(笑)

津和野の転車台で停まりを撮ったら、今度は入換を狙いに、駅の南西の側道へ。いったん停止した状態を見事な順光で押さえたら、次は近年設置された腕木信号を入れ込んで、「発車もどき」に神経を集中する、この悦楽よ!

門デフの衝撃度ばかりが目立っていますが、今回のやまぐち、煙室扉ハンドルもさることながら、デフの点検口を塞いでしまったのが、限りなき現役感を1号機に与えています。これ、あまり目立ちませんが、かなりのクリーンヒットだと思います。

JR東の新潟支社のキーマン様は、おそらく、ここ数年のやまぐちのさまざまなバリエーションをよくご存知だったのではないでしょうか。やがていつか、両機が重連で走る日を夢見ておいてもいいですよね?、東と西の、尊敬すべきキーマン様!

東西シゴナナ夢うつつ

鯨波から直江津の運輸区行って、夜は同行の友人達と海鮮居酒屋で楽しい宴会、、、と続けたいところですが、まだ先週のやまぐちが残っています。夢うつつのヴァーチャルな旅、NH691便で、鉄道の日の津和野に戻ることにしましょう。

津和野に到着したC571号機は、客車の入換が終わると、ゆっくりとギャラリーの待つ転車台にやってきます。たいていは、転車台正面の広場で転向風景を見守るわけですが、その途中で山側の排煙設備の正面に場を移すと、素晴らしいドラマをタテ位置のファインダーごしに味わうことができます。

この撮影ポイント、もしかしたら、やまぐちでいちばん好きかもしれません(笑)今回は何しろ初めての無装飾+黒い煙室扉ハンドル、追っかけの途中の徳佐あたりから、このシーンが脳裏に浮かび、気になって仕方ありませんでした。

思わぬ優雅な白煙を道連れに、津和野の緑濃い山をバックに、1号機の美しい正面がファインダーいっぱいに迫ってくるのをズーミングで後ずさりしました。


門デフ日本海へ

門デフウィーク2週目。今度は日本海沿いに進路をとる「SLえちご日本海」に門デフの180号機が充当されました。行って来ました、ロクニ末期の「くつろぎ」以来、10数年ぶりの鯨波。日本海といえばここ、と言っていいほどの超有名ポイントです。

当初の予報では冷たい横殴りの雨という話でしたが、幸運にも薄日が射すほどにまで回復、日本海に門デフという、この一風変わったショットをまずまずの状態で撮影することができました。

門デフのシゴナナが日本海沿いに走るなんて、現役時代はほとんどなかったでしょう。長工デフの4号機と130号機はあったとしても。あ、山陰では11号機がたぶん餘部あたりを走ったことがあるでしょうか。。。

海の色は、すでに冬の鉛色へのグラデーションの変化が始まっているようです。潮風に汽笛を響かせて、ちょっとよそ行きの表情で180号機がたくさんのギャラリーの前にやってきました。





シルエット・ロマンス

慶徳から上野尻に向かう間に日が暮れていくのは、去年のDD53のときと同じでした。それでも、山あいに時々スポットライトのように秋の陽射しがわずかに当たり、今日一日の疲れを癒してくれます。

そうだ、今日のラストショットは、空に浮かぶシルエットでいこう。まあ、いつも同じ場所といえばそうなんですが(笑)、お気に入りの小さな鉄橋をくぐったところでクルマを停めました。

お~、青井岳かあ、ここは。そういえば、国民宿舎に泊って、朝、庭から鉄橋をシルエットで狙ったけど、あまり上手く撮れなかったなあ。たしか、あのときも門デフで、こんなことなら駅発車をふつうに撮ればよかった、と思ったような。。。

茜色のシルエット~♪、とまではいきませんでしたが、やがて静かに180号機の息づかいが近づき、秋の夕暮れ空に、門デフのシルエットが浮かび上がりました。

門デフの角度

門デフのシゴナナ、基本的には、やや見上げるくらいの角度が最もカッコ良くみえるのではないかと思います。先だってご紹介した五泉の写真ぐらいの角度です。で、デフが空に抜けるように。初日の撮影は、そのあたりをベースに考えました。

あと、真横と後追い。後追いに煙があって、夕陽ギラリだったりすると完璧でしょう。手持ちで1台、それ用を準備したんですが、眼前通過時の興奮により、ほとんど上手く押さえられませんでしたが(笑)

九州へ門デフ撮りに行ったのは何せガキのときなので、今もお手本は当時の雑誌の写真になります。RF誌の表紙を飾った広田さんのC55、田澤さんだったかの72号機の青井岳発車、「LIGHT PACIFIC'70」の表紙に輝く夕陽の山之口の60号機先頭重連。。。

たしかRF誌のモノクロページにあった雨中の117号機御召、楠ヶ丘信号場あたりだったでしょうか。夕闇迫る慶徳峠へ向かう180号機のこの角度はちょうどその写真が思い出されて、ちょっと上からみた門デフの美しさも再発見、でした。

これは、最善の門デフか

五泉のあとは、大宮さん思い出の平瀬で磐西らしいカットを押さえると、追っかけの流れに乗って上野尻へ。その後は、山都の鉄橋を避けて、電化区間へ先回りしました。

実は私、喜多方~会津若松の電化区間を行くばん物、けっこう、というか、かなり好きなんです。行きは、一仕事終えた満足感をのせた快走って感じだし、返しは、これからの峠道へ向かうウォーミングアップって印象で、どちらも、シゴナナがいい表情をしています。

門デフが空や遠景の低い山に綺麗に抜けるには、こういう「ド田圃」は絶好のポイント。考えてみると、K-7タイプでナンバーは3桁、「細字で、C57と機番の間にスペースあり」でやや上に取り付け、これは、最もシゴナナに似合う門デフのカテゴライズではないでしょうか。

よく見ると、隅の小さな穴まで、ちゃんと開いています。わざわざ小倉工場の図面から起こしただけのことはある、最善の門デフが、秋の爽やかな青空に、翻っていました。

旅路は続くよ

新聞記事によると、3時間待ちに入場制限と、昨日の鉄道博物館初日は大にぎわいだったようです。転車台上の主役、C57135も、「この人出は、いつぞやの12月以来だなあ」とびっくりしながら、ぐるぐるしてたのではないでしょうか(笑)

そういえばこの135号機、蒸機最終旅客列車の牽引機に選ばれたのは、その直前のNHKの番組で山口百恵と共演したから?……いまだに、もうひとつはっきりしません。たまたま調子の良かったカマだったのかもしれませんし、小樽築港時代のロングラン運用以来の現場の愛着があったのかもしれません。

最近、戦争の記憶を記録しておくのはもう今のうち、という話をよく聞きますが、蒸機現役時代のさまざまな内幕話も、そろそろ記録しておかないと、忘却の彼方に霧消してしまいますね。今回も鉄道各誌でも保存車両のショートストーリーが特集されていましたが、その機番そのものの記述はだんだん少なくなっているような気がします。

じっとたたずんでいた交博時代と違って、これからは毎日汽笛を鳴らし、ぐるぐると麗姿を披露する生活で、そのまた先には、何か違うものがあることをついつい期待してしまいます。135号機の旅路は、まだまだ続きますね。

西は正調で

いやはや凄い「シゴナナ黄金週末」になりました。東の180号機が門デフなら、西の1号機は鉄道の日恒例の原型運転。夢うつつの2日間、うれしすぎて何だかもう、どこで何を撮ったのか、感動がいくつも交錯して、わからなくなってきました。

先週末から白や金の装飾をほとんど消した状態で運転された1号機、今週は煙室扉のハンドルも黒くなり、気がついてみると、デフの点検口も見事にふさがれています。そしてヘッドマークなし。回転式火の粉止め以外は、完璧な艶姿です。

しかし今の時代の週末の2日間で、蒸機現役時代をあれこれ思い出しながら、シゴナナの魅力をこんなに楽しめるなんて、何と素晴らしいことでしょうか。磐西と山口、さすがに土日で両方行ったのは初めてですが(笑)、少々無理した甲斐がありました。

ちょっと今は旅がらす夢うつつも極限状態なので、明日から、鉄道博物館のC57135から始めて、この週末を振り返りたいと思います。これだけ遊んだのだから、もちろん仕事もするぞ!来週はまた門デフですから(爆)

門デフ会いたや

行きたいと思い始めると、我慢できませんでした。見たや会いたや、シゴナナ門デフ。当初の週末の予定を変更して、朝イチのMAXときで新潟へ。気がついたら、ここ早出川橋梁の数十人の鉄の一員となってました。

そりゃあ180号機は門デフなんて無縁な新潟生粋のカマですが、蒸機現役の時代の玉手箱が開かれるようなこの企画、ほんとうに粋だと思います。昨年のDD53もそうでしたが、JR東の新潟支社には、素晴らしい企画力をお持ちのキーマンがいらっしゃるのでしょうね。

先日、北海道でお会いした同年代の鉄な方に遭遇、昔のシゴナナの話に花が咲きました。そういえば最後に撮った門デフ、何号機だろう、、、たしか急行「高千穂」の車内からすれ違いざまに撮った、あれは112号機だったか。。。

いつものばん物と同じように汽笛が聞こえ、煙が近づいてきます。あ、ほんとに門デフだ! 緊張してミスをしないように(笑)、もう一度デジカメのシャッターを半押ししました。

パックがここにいる

今朝、半分仕事ということで湘南新宿ラインで大宮へ。いよいよ明後日オープンする鉄道博物館の内覧会に行って来ました。自動改札フリーパスというのも、珍しい経験でしたが(笑)

入場するやいなや、C57135が転車台に乗っている車両ゾーンをめざします。そして、心はやるその先に、茶色のあの機関車が、ヘッドライトを輝かせて僕らを待ってくれていました。いつぞやの品川で、最後のシナオクを偶然見届けて以来の、再会です。

ナハネフ20と連結されてるのかなあと思っていましたが、別々に、タテに並んでいました。うん、じゃあ茶色でいいよなあ。あの、イベント列車の時代を駆け抜けた、僕らのパックそのままで。そういえば所属札が「田」なのも、何だか落ち着きました。

パックのまわりをうろうろしていると、やがてC57135の長い汽笛が館内に響き、転車台の回転実演が始まりました。素晴らしい博物館ができたのだなあ、と心底から実感するだけの何かが、そこにありました。

大宮交通公園

京都の実家から最も近い保存車両が、ここ大宮交通公園の車両たちです。近すぎてなかなか行く機会がありませんでしたが、京の旅人コンサートの翌朝、東京へ戻る前に行って来ました。ここも、円山同様35年ぶりです(笑)

35年以上前の開園当初はまだ京都の街に市電が走っていて、この1860号とここでは初対面です。加悦鉄道からやってきたタンク機と、京都のN電がお祝いのモールを付けて展示されていたのをハーフサイズのカメラで撮りました。

近年は嵯峨嵐山に20世紀ホールなんていうのもできて、共栄興業などから保存蒸機が移設されましたが、その前は梅小路以外の京都市内の保存蒸機というと、ここの小さなCタンクが唯一の存在でした。

昔、自分が乗ったゴーカートを、子供達が楽しそうに運転しています。枯れ鉄さんの新居からも、お近くですね。木漏れ日の中の市電、現役時代に思いを馳せつつ、それなりの風景が楽しめました。

京の旅人

阪急を河原町で降りて、四条通りを八坂さんめざして歩いていきます。市電はとうの昔になくなったけれど、目の前にはこの景色が……と思いきや、山門が修理中で白いテントに覆われていて、ちょっと肩すかしでしたが(笑)

階段上がって、八坂さんの境内抜けて円山の野外音楽堂へ。いやはや、この写真の頃以来、35年ぶりです。杉田二郎さんとばんばひろふみさんが音頭をとって始まった「京の旅人コンサート」も今年で3回目、あの時代の関西フォークのメッカ、円山に一昨日の土曜日、私も遅ればせながら舞い戻ってきました。

しかし京都のおじちゃんオバちゃんは細かいなあ。二郎さんがMCで「京都は80年代まで路面電車が…」と言うと、会場全体にざわめきが起こり、隣のオバちゃんらは「ちゃうわ、70何年やろ、うちらが大学のときやで」、、、お~、トシほとんどおんなじですやん(爆)

野外音楽堂のある街というのも、今や数少なくなったそうです。考えてみればここ円山も、よくぞ「今なお現役」という感がします。二郎さんのコーナーのラストは例によって「男どうし」でしたが、手拍子とってるのはオバちゃんばかりで、オジちゃんはみんなじ~んと聴いていたのが、いかにも京都らしく、印象に残りました。

屋鋪要さん

といえば、大洋時代のスーパーカートリオ、そして現役最後はジャイアンツで、94年日本シリーズでのスーパープレイ! ちょうど東京ドームで観戦していて、低いセンターライナーをキャッチしたあの瞬間は、今も鮮烈に脳裏に残っています。

その屋鋪さんが、何と鉄であることを、「国鉄時代」の最新号で知りました。野球ばかりの少年時代、ケガして大会を欠場し、こんな機会しかないと父親(これまたなかなかの腕前のようです)と北海道へ。そして今は、その時代の悔しさを晴らそうと、少年野球やマスターズリーグで巡る全国各地で、保存蒸機の撮影を続けておられるのだとか。

ブログも拝見してきましたが、保存蒸機の撮影リストが丹念に綴られていて、これは凄いって感じです。当方は先日も七久保へ行った帰りにこうして茅野でC12撮ってきましたが、ちょっと負けています(笑)

前原誠司さんは先日やまぐちで追っかけされたようですが(笑)、これからクライマックスシリーズ、日本シリーズと続く秋の野球シーズン、グラウンドの上のあの選手が鉄かも? なんて考えるのもまた楽しいですね。

ドナドナ

横軽廃止の翌々日、10月の2日にはもう、峠を下りたロクサンの疎開回送が始まりました。高崎から迎えにやってくるのはPFやロクヨンではなく、必ず峠の僚友、ロクニでした。静まり返った運転区からロクサンを引き出し、ホーム中線にこうして据え付けます。

時にはロクニは重連単機で横川へやってきて、何輌かのロクサンを挟み込むように、疎開先の高崎や新前橋に「ドナドナ」していきました。ロクニにとって最後の仕事がこれか。。。以前、サイトでもこの回送の様子をご紹介しましたが、あのときの寂しげな雰囲気は、今も忘れることができません。

無理矢理都合をつけて撮影に通いましたが、天気はいつもあまり良くなかったように思います。いわゆる、泣き出しそうな空の下……一瞬だけ、日が射すのを狙ってシャッターを切ったのが、切なく思い出されます。

消えた10年

横軽廃止からちょうど10年、このブログでも触れようと思いつつ、イゴナナや門デフにかまけて(笑)、今日はもう10月になってしまいました。ま、いいか、それなら、廃止後の10月の写真でいこうと。。。

私は峠に通ったというよりは、ロクニを追いかけてばかりいたので、峠区間の写真はそう多くは残っていません。それでも、丸山のコスモスや新緑の若葉、めがね橋の紅葉など、素晴らしい思い出がたくさんあります。

今日から再開された大宮さんのブログで紹介されていたように、この区間の線路、紆余曲折はありながらも、10年ずっと、再び轍を繋ぐ日を信じて、そのまま残されているのですね。横川へ行けばロクサンが走ってるのも見られるし、DBのトロッコで丸山の建物を見に行くこともできます。

あれは消えた10年だったのだなあ、といつか笑って話せる日が来るのを夢見て、峠から下りたロクサンの疎開回送に励むロクニの活躍を偲ぶことにしましょう。

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