門デフのシゴナナ

この秋最大のサプライズになりそうなC57180号機の門デフ装着ですが、RMの名取さんのブログでも紹介されていて、デフは小倉工場のD51用の図面から新製されるなど、詳しい情報を知ることができました。

そうかあ、長工デフのシゴナナは4号機もいたなあ、130号とともに、長工デフは2輌とも新潟から九州へ転属したというのも、不思議な縁だなあ。お、3次型で門デフは175号機だけなのか、たしか撮っていたはず。。。1972年のネガを探すと、ありました!

8月20日、鹿児島機関区。物凄く暑い日だったのを、よく覚えています。ナンバープレートのタイプが180号機とは異なるので少し印象が違いますが、今回のデフの形態は、おそらくおおむねこれに近いのでは、と想像します。ちなみに、この175号機、九州最後のシゴナナとして、C5557号機と重連でさよなら列車も牽いたカマですね。

しかし、シゴナナトリビア(笑)、楽しいなあ。私は今でも時々寝る前に、シゴナナを1号機から順番に所属区や現役時代の活躍を頭の中で思い出して、眠りにつくことがあります。会津若松でこのシーンが見られるのか、、、これから何度か、眠れない夜がありそうです(爆)

も、も、門デフ!

また凄いニュースが飛び込んできました。皆さんもうご承知のことと思いますが、JR東のC57180号機が、10月の3週末、デフレクタを門デフに替えて運転されるというのです。去年の秋のDD53に続いて、いや~新潟支社、やってくれます。大拍手です。いくら拍手しても足りません。

新潟支社のサイトで発表されているイメージ写真をみると、御召機117号あたりに近いタイプのようです。そうかあ、65号のような角ばったタイプや、112号のような丸みを帯びたタイプじゃないのか、、、いやいや、イメージですから、実際になってみないとわかりませんね。はい、どのタイプの門デフなのか、それだけでも楽しみです。

新潟に門デフのシゴナナがいたのかよ~、なんて野暮なことはなしにしましょう。(正確には、長工デフで後に九州にも行った130号が、いたことはいました)御召機117号の謎の解体など、門デフのシゴナナは保存機も少なく、まさか煙を上げて走るのを再び見られるとは、夢にも思いませんでした。

いったい、どなたがこのような素晴らしい企画を思いつかれたのでしょう。九州のハチロクの七変化や大井川のシゴロクのタイ仕様など、類似の例はありますが、この震えるような驚きは他とは比べようがありません。

いい天気になればいいなあ。秋の光線、新潟の海、山。門デフのシゴナナ。

カーブ軋ませて

七久保でたくさんの鉄に囲まれて入換後、チキ車の先頭に立ったイゴナナは、少し明るくなった薄曇りの空の下、豊橋へ、いつもの道をたどっていきます。

北部では、まず上片桐~伊那大島のカーブで撮影することにしました。ここも、飯田線北部を代表する有名ポイントで、トロッコやマヤ検などを撮影した思い出が甦ります。今日はもうすっかり秋の刈入れの雰囲気ですが、6月のなみなみと水をたたえた田圃に、イゴナナが影を映していたこともあったなあ。。。

そういえば、イゴナナは復活当初、どういうわけか、白Hゴムで浜松工場を出場しました。東海道荷物列車の時代、浜松は黒Hが基本だったにもかかわらず。それが、後に黒Hに戻されて、こんな細かいことに(笑)、何だかほっとしました。

そして今思うと、59.2改正後のEF62への移り変わり運用で、できるだけもとの所属区へ返して運用を離脱させるという、当時の運用担当者の粋な計らいが、今日までイゴナナが活躍を続けるという幸運につながったのですね。

むかしの駅2

翌朝の七久保への単機回送は、前回と同じ山吹駅で待ち構えました。夜の雨は上がりましたが、どんよりとした曇り空の下、枯れ鉄さんご推奨の古い便所のストラクチャーが、雰囲気を盛り立てています(笑)

何度か立ち寄っているうちに、この駅、すっかり気に入ってしまいました。今日は光線を気にすることもないので、いつものホームではなく、飯田方の踏切から、進入と停車を狙うことにします。お、こっちも山がバックでいい感じ。。。

こうして飯田線の雰囲気に溶け込んでたたずむイゴナナを眺めていると、単機と工臨があたりまえで、14系やユーロライナーさえ、遠い昔のことのように思えます。もはや、イゴナナが客車を牽くことはない……いまだにちょっと信じられないことなんですが。

汽笛が山間にこだまして、イゴナナはたくさんの鉄の待つ七久保へと出発していきます。それは、イベント列車ではなく、チキ4輌を牽いて豊橋へ向かうために。そう、最後まで、普通の現役の機関車として。

飯田駅22時

昨夜の伊那路は、雨になりました。夏から秋への変わり目を告げるように、時おり激しく降る雨に、中央道はワイパーをハイスピードにしないと走れないほどで、やがて到着した終電前の飯田駅は、ようやく止んだ雨の雫に光っていました。

22時1分、豊橋方の警報機が鳴り始め、やがて1灯の光が力強く近づいてきました。明日の朝、七久保へ返空のチキを取りに行くイゴナナの単機回送の到着です。終電にはまだ少し間が合って、ホームが夜の静けさに沈んでいる中、入換へ向かう短い汽笛が物哀しげに響きます。

側線に転線し、今夜のネグラにおさまると、パンタが下りるまでの短い時間、素晴らしいナイトショーを味わうことができました。ゴハチバルブの醍醐味ともいうべき、機械室に灯る柔らかなイエローの明かりが、雨に光りながら美しく連なっていて、バルブの秒数を数えるのを時おり忘れるほど、見とれてしまいました。

そして、パンタが下りて、機械室の明かりも消えると、こちらも今夜の宿へ。ほんとうは居酒屋でも探したいところですが、三連休の中日、さすがに街も静まり返っていて、部屋で缶ビール片手に明日の作戦を練ることにしました。

北部トロッコ

今日は休養日、懐かしさに誘われて、飯田線北部で撮ったイゴナナの写真を、あれこれと眺めていました。七久保といえば、駅の反対側のこのポイントが何といってもメジャーで、いや、おそらく北部きってのメジャーポイントといえるのでしょうね。

90年春の北部トロッコ、たしかゴハチになってから二度目の運転かな? もうそのあたりの記憶が遠のくほど昔のことか、、、と愕然としますが、DE10牽引時代から続いた初期の客車、お絵描き旧客(笑)も、今見てみると、愛嬌があって、悪くないかな(?!)と思います。

最近思うのですが、鉄の世界の格言のひとつに、「過ぎてしまえば、皆美しい」というのを加えてもいいのでは、と。「いや~、あれ、まいったよなあ」なんてのに、時間が経つとしみじみ愛着を感じる。で、たいていはそれ、あんまり撮ってない(爆)

思えば、飯田線トロッコ自体が、そうでした。工臨やマヤのほうが撮ってたりします(笑)お絵描き旧客どころか、そのあとのどのトロッコ客車も姿を消した今、毎度おなじみ自虐の思いに浸ったりするのも、この趣味の楽しみですね。


むかしの駅

飯田線にはまだ、この写真の山吹のような、むかしながらの古い駅舎が残っています。先だっての夕張でも清水沢も鹿ノ沢もそうでしたが、駅事務室や窓口はカーテンで覆われ、もちろん改札口はフリーパス、とうの昔に無人駅になっています。

まだこうして交換設備が残っているところは、生きている駅、という感じがします。少ないながらも、上り電車を待つ乗客が集まってくる。その数より、下り工臨撮影の鉄の数のほうが多いというのがご愛嬌ですが(笑)

電車や機関車同様、駅舎も「今なお現役」が急速に減っています。まったく違うものに改築されたり、姿はそのままでもすっかり更新されてしまったり。。。最近は気がついたら1枚撮るようにはしているのですが、それでも撮影にかまけて、通り過ぎてしまうことも多々あります。

九州の肥薩線では、古い駅舎がいい感じで整備され、観光資源にもなりつつあるようです。この飯田線あたりも、何かできないのかなあ、と夢みたいなことを考えたりしました。

山の麓のチキ工臨

早朝に豊橋を出たイゴナナのチキ工臨は、およそ5時間の時間をかけて、ここ七久保までやってきます。駅の手前のこの場所は、山をバックにしたいい雰囲気のポイントで、今日もたくさんの鉄が集まりました。

ゴハチが飯田線に入線してしばらくした頃、田植えの水鏡とまだ雪をかぶった山々に感動しながら、ここで初めてイゴナナを撮りました。それ以来、14系、ヌマ座、トロッコ、、、さまざまな四季おりおりの風景の中を行くゴハチの思い出が、この場所にはたくさんあります。

昔のように「ゴハチがローカルで工臨なんて…」などとは、もう誰も言わなくなりました。山あいにあの汽笛の音色を響かせて、静々とやってくるゴハチの姿は、なんでもなく当たり前に、山の麓の風景に溶け込んでいます。

雨が止み、線路面を中心に、秋めいてきた日が差しています。あといくたび、ゴハチも、我々も、ここへ来るのでしょうか。山麓のスポットライトに応えるように、もう一度、短い汽笛が鳴りました。


秋の色

久しぶりの、のんびり三連休に舞い込んできたイゴナナ工臨運転の知らせに、7時ちょうどの~♪スーパーあずさ1号で~♪、秋まだ早い伊那路へ~~♪ってなわけで、晴れたり雨降ったりの忙しい天気の中、七久保まで行って来ました。

いやあ、やっぱりイゴナナはいいですね。昭和の幹線筋を走り続けた青いゴハチの、あらゆる思いのすべてが、今このカマの表情に凝縮されているようで、もう見ているだけで、たまらなくいい気分になります。

僚機122号の引退から、早いものでもう1年以上になります。一度は思い出の東海道の運用も続いたイゴナナが、再び飯田線のチキ工臨の仕事に戻って、いつしか季節は夏から秋に変わろうとしています。

構内のはずれで、もうススキの穂が揺れていました。チキ車の入換が終わって、取り囲んでいた多くの鉄が、次の撮影ポイントに散っていくと、まもなく上り単機の出発時間です。

あ・の・す・ば 2007

らしい愛をもう一度~~♪ 先週は、加藤&坂崎ユニット「和幸」のコンサートに行って来ました。去年はちょうど今頃、狭山のハイドパークフェスでこの曲、聞いたよなあ……なんて秋風から秋風への1年を振り返りながら、ウクレレ使って新たにアレンジされた名曲を楽しみました。

あらためて検索かけてみると、この曲、1971年のヒット曲ですね。大阪万博の翌年、高校1年生の蒸機撮影、春は山陰、夏は信州から北陸。つい先日ご紹介した東洋活性白土に行ったのもこの年です。しかし、当初シモンズのデビュー曲になるはずだったとは知らなかったなあ。

しかし、どうしてこの当時の曲は、今もしっかり覚えて、1番から3番まで歌えてしまうのでしょう。さっき決めた、次の会議の日時もすぐ忘れてしまうのに(笑)。。。10代後半というのは、もっとも記憶力も感性も豊かだったのでしょうね。あと、当時の列車番号やカマのナンバー、、、ちょっと対象が間違ってたような気もしますが(爆)

今年はハイドパークがないのは残念ですが、昨年同様、インドネシアの夕陽で、あ・の・す・ば、といきましょう。それにしても、あの時代こんなデジタルツールで現役蒸機が撮れていたら、なんて、ないものねだりをついしたくなります。

夕張応援号

「SL夕張応援号」が運転された先週末は、2日ともすっきりと台風一過とはいかず、雲の間に太陽が出たり入ったりの空模様でした。そうそう、まだまだ苦闘や模索が続く、夕張の現在のように。。。

数あるイベント列車のネーミングの中でも「応援号」というのは、おそらく初めてではないかと思います。それだけ地域の活性化が期待され、それがまた現役蒸機最後の貨物列車が走った場所というのですから、これほど時代の流れを映し、鉄な心を打つ復活蒸気列車は今までなかったのではないでしょうか。

最初は、現役時代をイメージしてヤマの雰囲気で…なんて考えていたのですが、肩の力をぬいて、いつもどおりに撮ることにしました。沼ノ沢の先のちょっと引きのとれる踏切で撮った後、清水沢のわずかな運転停車の間に、思わず先行することができました。

あ、ここなら面には光が当たるなあ。そう思って選んだポイントに、最初は薄い光しか射していませんでしたが、ファインダーに入ってきた207が力強く近づいてくるとともにグングンと光が当たり、これまた「応援号」らしい1枚となりました。

南大夕張

あらためて現役蒸機時代の写真をいくつかのサイトで拝見すると、今や単線ホームしかない清水沢も鹿ノ谷も広い構内を長い跨線橋が横切っていて、D51の牽く石炭列車が力強く発車していく光景に、昔日の感を強くするしかありませんでした。

沿線では、「6788レのプロ(!)」ともいうべきC579囚さんにお会いし、夜には、あの時代を偲ぶ宴会にも乱入させていただきました。翌日の撮影の合間には、そのとき教えていただいた保存車両を見に、大夕張鉄道の南大夕張駅跡にクルマを走らせました。

ガランとした構内に当時のままの駅舎が残る清水沢からヤマの方角へ分け入ること10数分、国道沿いにラッセルと客車の姿が見えました。枯れ鉄さんは30数年前、このあたりまでいらっしゃったのかな。ホームの残がいに往時を偲ぶしかありませんが、ここも広い構内をカマが行き来して、ヤマの賑わいをみせていたのでしょうね。

もしかしたら、来ていたかもしれない場所に、30数年後にやってきた。その奇妙な既視感はどこか安らぎを帯びたもので、保存会の修復活動で大事に守られている客車の窓に、トンボが止まっているのが秋の陽射しに光っていました。



幸せの黄色いハンカチ

SL夕張応援号、初日の最初の下り列車はなかなかいいポイントが見つからず、逆光のカブリツキでお茶を濁して、終着駅の夕張へとりあえずやってきました。

最近のSL列車運転時によくある地元の歓迎イベントがさまざまに繰り広げられる中、単線の終着駅ではカマの機回しもままならず、DE15を先頭にそのまま折り返しの形になります。応援号、というぐらいだから、ここは見物の人々を入れ込むか。。。

DLの甲高い汽笛が鳴り、編成全体が後ずさりを始めるとともに、ズーミングしながらシャッターを切ります。あれ、キャブから何やら黄色い布が、、、一瞬、なんのことだかわかりませんでしたが、C11207がファインダーから出て行く頃、自然と謎が解けました。

夕張がロケ地となった映画「幸せの黄色いハンカチ」ですね。いかにも「応援号」にふさわしいショット、うん、自分は昔の夕張を知らないのだから、無理せず気楽に撮ろうと、肩の力がスーッとぬけていきました。

夕張へ

このブログでも何度か触れていますが、私の現役蒸機撮影は74年の3月で終わっています。ですから、75年12月のC57135も、D51241も、テレビのニュースや雑誌の立ち読みで、遠くから見守るばかりでした。

はい、飲酒と失恋の練習ばかりの大学1年生でした。たしか、夕張の最終列車の映像を、大晦日の「行く年来る年」か何かで見たのかなあ、、、当時、やがて後年撮影を再開するなどとは夢にも思っていなかったので、6788列車でしたっけ、その映像はなんだかちょっと遠い世界の出来事のようでした。

そして今、1975年12月の北海道へ行かなかったことを、後悔はしていませんが、微妙なトラウマのような状態ができあがってしまいました(笑)あのとき、どこにいましたか? と誰彼からの当然の問いに対して、いやあ、もう撮影やめてたんですよ、ははは、、、とむなしい答えを繰り返すとともに。。。

いつか、夕張に行きたいと思っていました。「SL夕張応援号」、ここのところ、DDばかり続いたから久しぶりに北のC11もいいなあ、とやってきた夕張の玄関口では、古い駅名標が、30年ずっと待っていたかのように、迎えてくれました。

東洋活性白土

71年の夏の撮影旅行は、信州を縦断して帰りに糸魚川に寄るというコースでした。文科系鉄としては、今も昔も東洋活性白土が何の工場だったのか、まったくわかっていませんが(笑)、工場から構外の道路に向かってちょこんと顔を出していた、このチビロコを見たときはけっこう感動しました。

それがやがて動き出し、道路をのんびりと渡っていくのを撮影しました。大阪万博翌年の当時でさえ、この牧歌的な風景がなんだかこの世のものとは思えずに、茫然と見守っていたのを思い出します。

我々以外にも何人かのファンがいて、このシーンはけっこう譲り合って撮ったような記憶があります。残っているネガをみると、形式写真のようなものは撮れておらず、このシーンはサイドを狙える貴重な瞬間だったのかもしれません。

糸魚川では、このあと機関区でシゴロクも撮っていました。ここの煉瓦造りのクラは今も健在ですね。国鉄色のキハ狙いで、久しぶりに行ってみたいものです。

大鉄道博覧会

遅ればせながら、江戸東京博物館で開催中の「大鉄道博覧会」に行って来ました。これで「大」というのが主催Y新聞らしいネーミングですが(?!)、個々の展示はなかなか見応えあるものが多く、これはこれで楽しめたなあ、という印象です。

最も見たかったのは、この東洋活性白土のチビロコでした。昭和31年製、つまり自分と同い年(笑)、カマも自分も15歳の昭和46年には、糸魚川の工場で動いてるのを撮影しています。そういえば、それも8月の暑い日でした。たぶん、ファンタかミリンダをガブ飲みしていたんでしょうなあ(爆)

当時はこういう産業用の機関車が、北海道や九州の炭鉱用を除くとほとんど残っておらず、シロク二見たいのと同様に、こういうのも一度は見たいなあ、と思ったものです。クラウス17号などはすでにイベント機関車と化していて、このチビロコ、数少ない貴重な現役機だったのですね。

35年の時を経て、イベント撮影会同様に、ファインダーから人がいなくなる一瞬を慎重に待って、シャッターを押しました。そうそう、このフォルムだよなあ、とだんだん糸魚川の夏の日の記憶が甦ってきました。

北舟岡幻想

「5時40分の幸運」のあと、さすがに続けて幸運は訪れず、それどころか土曜は運転だろうと思ったタンクもチップも軒並みウヤ、、、温泉でも入るか、と辿り着いた伊達市内で、夕方までの時間をつぶすことになりました。

しかし、国道沿いのファミレスって減りましたね。とくに地方に行くほどほとんど見かけなくて、いつも早朝撮影後に鉄な友人とあれこれ話しながらデニーズブレックファストを食べていた時代は、いつのまにか遠い昔のようです。

食堂兼用の日帰り湯の大広間でウトウトしてるうちに、日暮れ時が近づいてきました。残念ながら「トワイライト」はまだ運休中ですが、はたして18時過ぎの「カシオペア」、どんな感じに撮れるだろうか。。。

海辺の駅に吹く風も、はっきりと冷たさを帯びていました。弱くなった太陽が海の彼方に沈んで、その残照も消えようとする頃、銀色の幻想列車が1か月前の夕陽が嘘のように現われて、たしかに眼下を通り過ぎていきました。

夏の終わりのハーモニー

思ったより天気も良さそうだったので、一応予約を入れていた金曜の夜便で、千歳に飛ぶことにしました。まあ今回は居酒屋主体でいくか、朝の「はまなす」も前回やっと撮れたことだし、たまには夜の札幌市内まで足を伸ばしてみるか。。。

千歳の繁華街のビジホに荷物を置いてすぐ、居酒屋へ出動しました。サンマの刺身、かにの内子にイカごろルイべを堪能して、ほろ酔い気分で戻って、まあ明日は成り行きでいこう、目覚ましもかけなくてもいいや、、、しかし、これまで通りの4時半に、やっぱり目が覚めてしまいました(笑)

さすがにもう9月、「はまなす」の走行は無理だろうと思いきや、今までのこの時間には見たことのないような朝日が、雲もほとんどない空をゆっくりと照らし出しました。おいおい、これはもしかして、、、5時40分過ぎ、期待していなかった幸運が、現実となりました。

青い機関車と客車に、真夏よりはサイドがちに当たる朝の光のハーモニーは、たとえようのないほど美しく、機関車が連なっているというもうひとつの幸運に、しばらく気がつかないほどでした。
プロフィール

Author:品川530
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