ぼくの東横線

昼メシがてら、近所の駅まで東急8039Fのリバイバル急行を撮りに行ってきました。私鉄のイベント列車を撮るのはほとんど初めてで、人出も想像つかず心配なものがありましたが、何とか撮影できてホッとひと安心です。

30数年前、大学受験のときに日吉の学生ハイツに泊って、都内へ受験に通いました。その頃はまだ東横線にも青ガエルが真新しいステンレスの合間を縫って走っていて、高校まで電車通学の経験のなかった京都の少年には、青ガエルも、赤い急行札のステンレスも、鮮烈な思い出として脳裏に残っています。

中央線での青春時代を経て、今や東横沿線暮らしが20年になろうとしています。「桜木町」の行先表示もはやは叶いませんが、ただただ空気にしか感じたことのなかったステンレスと赤い急行札に、時の流れを重ね合わせる日が来るとは思いもしませんでした。

土曜の昼下がり、ダイヤに余裕のある時間帯とはいえ、急行スジに乗るためにけっこうカッとんで行く8039Fの姿は、リバイバルとは思えない颯爽とした緊張感に包まれていました。





6月の長い夕暮れ

17時過ぎ、大阪へ向かうトワイライトがド順光のなかを通過すると、海からの風がさすがに冷たくなってきました。それでも、まだ太陽が海に沈むには、まだひとときの時間がありそうです。

夕陽の行く手にほとんど雲がなかったので、18時過ぎの「カシオペア」まで、同じ場所で待つことにしました。線路とまわりの風景に、徐々に強い陰影が加わっていくのを、三脚の傍らでぼんやり見ているだけで、贅沢な気分です。

しかし、この季節は早朝から遅い夕暮れまで、撮れてしまうから大変ですね(笑)跨線橋に座るとしばしうとうとしてしまいますが、また目を開けると、さっきよりさらにコントラストが強くなり、見たことのないような光と影が広がっていました。

そんな光と影の中に、青い機関車と銀色の客車がやってきました。シャッターを切って、通過を見送ったあと、しばし茫然と立ち尽くすしかない、素晴らしい光景でした。



北の海の道

これ、北山修ソロ初期の名曲ですね。音楽活動をやめて札幌へ移住した時期の暮らしを歌ったもので、なぜか北海道へ行くと、時々口をついて出ます。朝の通勤前に近所の駅で8039F撮って、会社で仕事こなして、翌日の土曜の午後は、この海辺の駅にいました。

青森方の僥倖とは裏腹に、札幌方での「はまなす」撮影は難渋をきわめ、今回もドン曇り時々小雨と、東横線の天気をそのままANAで持ってきちゃいました。それが、午後に室蘭方面へ移動する頃には日が差してきて、遅れの「北斗星」をいつもは逆光の場所で順光でゲット。鉄の神様は、今日はちょっと寝覚めが遅かったのかな(笑)

この駅の晴れたシーンも、一度見たいと思っていました。国道からまっすぐ駅への坂を下りると、ホームの向こうに、海だけがある。これが太陽でキラキラしてたら、どんなに美しいだろうか。。。何度も想像した光景が、いきなり眼前に現われました。

波の音だけが、汚れた鉄の心を洗うようにゆっくりと繰り返されて、合間に通る各停のディーゼルや振り子特急は、海の駅の引き立て役に過ぎない感じです。やがて夕暮れどき、札幌を出発した夜行列車の通過時刻が近づいてきます。

どこへ帰る

このブログには珍しいネタに、たくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。前に京成1枚アップしたときに、らしくない写真はやっぱり違和感あるのかなあ、と今回もこわごわセレクトしましたが、意外な反響に学芸大学の鉄ちゃん大騒ぎ(爆)

一昨日の金曜の朝も、もしかして定期運用最終日?と噂される東急8039Fを撮ってきました。天気はこの季節らしい(笑)ドン曇りのち小雨でしたが、いつもの駅にほかに2人、隣の駅には4人いたそうで、少ないながら、微妙なお別れムードが漂っていました。

ドア確認でダイヤが乱れ、30分ほどの遅れで車庫へ帰る8039Fを、通勤時間帯が終わって人影もまばらになったいつもの駅のホームで見送りました。泣き出しそうな空の下へ、去っていくステンレスについつい感動してしまう、私は普通の鉄ですなあ(笑)

次の週末には、急行板を復活させてリバイバル運転があるそうです。それで、この8039Fは引退、その後はどこへ流れていくのでしょうか。妥当ならば伊豆急ですが、インドネシアもあるかもしれません?! 初めての地元鉄、ちょっと続けてもいいかなあ、と思い始めています。

うちの近所のステンレス

最近、通勤途上の近所の駅の先端に鉄の姿をたびたび見かけるようになったのは、東急東横線を代表するステンレス車8000系の中でも、赤帯を消して方向幕も復活させて最も往時の姿に近い8039Fの引退が目前に迫っているからでした。

で、はい、行って来ました。今朝。順光で上り電車を撮ろうと、いつもと逆のホームへ階段を昇ろうとすると、カメラ片手に足早に駆け降りる鉄とすれ違います。あ~、行っちゃったのか。。。と思いましたが、まあいいや、と先端へ。

ダイヤの乗る朝の通勤時間帯にのみ8039Fは運用されてるそうで、先日乗ったスジを狙ったのですが、今日は少し前のスジに入ってたようです。やがて下り方から、そうそうステンレスって少し前はみんなこれだったよなあ、という顔がやってきて、こちらも何とか後追いをゲットできました。

しかし、みなとみらい線ができたときに投入された新しいステンレスと比べると、こちらはいつ弘南や十和田を走ってもおかしくない感じです。何だかこれも奇跡の一枚だなあ、と思いながら、けだるい暑さの中を、いつも通りの方向のホームに戻っていきました。



もうひとつのブルトレ街道

朝、「はまなす」を撮ったら、次は下りのブルトレ続行タイムがやってきます。「トワイライト」は深夜通過ですが、朝陽が昇ってから、2本の「日本海」と「あけぼの」が奥羽本線を青森へと急ぎます。

今回同行した、JR交流ガマ博士・ハチマル29さんの立てた計画は、残りわずかなED75貨物と続行ブルトレを光線状態に合わせて右往左往と移動するもので、初めての撮影地をあちこちと楽しむことができました。有名な白沢~陣場のコンクリート橋にも行きましたが、ここを81のブルトレが次々とやってくるのは、ちょっと想像してたのと違う風景でした。

そして、夕方になると、上りのブルトレタイムが始まります。コントラストの強い夏の斜光線を浴びて、1本目の「日本海」がやってきました。しかし、このトワイライトガマ、色ガマなのに鉄には人気ありませんね。「なんだ、ローピンじゃないのか」とシャッター押さない人もいるぐらい(笑)

かつての東海道より、現在の千歳線より、何だかのんびりした空気の中を、私がガキの頃から大好きな「日本海」のヘッドマークもりりしいEF81が、夜への道をたどっていきます。

ステンレスの旅路

青森では、ローカル私鉄も訪ねてきました。まずは弘南大鰐線。車庫のある津軽大沢に着くと、こんな光景が我々を迎えてくれました。

ステンレス電車の小屋。すでにステンレス電車の代替わりが何度も行なわれていて、こんな再利用は、もはや当たり前のことになりつつあるようです。はい、「ステンレスは撮らなくてもいいや」と思っていた当方には、けっこうショッキングでした。

すでに山手線に205系の姿はなく、先日、りんかい線で乗った埼京線の205系に、ほうほう、これもいつまで…と思う自分が十分怖いのですが、地方私鉄でも青ガエルなんて今は昔、最初に投入されたステンレスは、もう希少価値になっているのでしょう。

通勤で毎日通る東急東横線の某駅先端に時おり鉄の姿を見かけると思ったら、通勤時間帯にのみ走ってる旧型ステンレスがあるそうです。今朝も、お~また一人いるなあと思うと、自分が乗ってる電車がターゲットであることに気づきました。。。

6月の美しき朝

夜を徹して走ってきた青い列車が迎える6月の朝。まれに梅雨の合間の太陽に迎えられることがあり、その柔らかいコントラストは、白線の入った編成によく似合います。

思えば、国鉄末期からJR初期の夜行急行は、多くはこの編成でした。14系のハザとハネ。最初は屋根の高さの不揃いが気になりましたが、いつしか夏の朝の空気に、あたりまえのように溶け込んでいました。

今なお、この季節の青森と札幌で、こんな編成が朝陽を浴びて走ってくるのを見られるのは、ちょっとした奇跡のように思えます。ゴハチより、583系より、ほかの何よりも、あの時代の何かが息づいているようで。。。

交流電機本来のカラーリングを残すED79が、思いのほか早いスピードで近づいてきて、僥倖に恵まれた早起きの鉄の前を颯爽と通過していきました。

日曜の朝、午前9時

我孫子道へ行く前に、ここもずっと一度行きたかった南海の浜寺公園駅を見てきました。関空から南海に乗ること自体が初めてで、急行の停車駅もよくわからず、車内の路線図で確認しながら羽衣で各停に乗り換えて。。。

写真で見るより、ずっとこじんまりした駅でした。それと、駅前に広い公園がすぐ広がってるのかなあと思ってましたが、実際には、こんな映画のセットのような古い駅前商店街があり、日曜の朝独特の静かな雰囲気が漂っていました。

今でこそ南海本線の通勤電車や関空アクセス特急が行き交う阪和間の小駅ですが、ここは戦前の時代、海水浴から日帰り温泉まで、何でも揃った一大リゾートだったそうです。たしかに、リゾート地の古い駅舎に共通の明るいイメージが感じられます。

この駅舎、今年で100歳だそうです。関東で言うと、国立や田園調布といった存在でしょうか。同じように、ここにも、高架化の声が聞かれるようになったといいます。とにかくもう一度、今度は順光で撮りたいなあと(笑)、末長い弥栄を祈らずにはいられませんでした。

路面電車の日

昨日は「路面電車の日」、あちこちでイベントが行なわれたようですが、ちょっと大阪へ行く理由があったので、阪堺電軌の我孫子道車庫へ行って来ました。朝イチのJL便で関空へ。たかが修行~、されど修行(謎爆)

ここには1輌だけ、旧京都市電の1800型が残っていて、イベントには展示されると何かのサイトで見たことがありました。本当は、ちゃんと走ってるうちに撮りたかったなあ。でも、先日のC57135もそうですが、本線に線路がつながってるだけで十分魅力的です。

会場に入るやいなや、あの懐かしい緑とクリームの塗色を探しました。10年少し前に、平安遷都1200年のイベントに協賛して京都時代の色に戻されたのがそのまま保存されていて、何と京都市交通局のマークまで入れられていたのは感動でした。

1800には、アメリカで動態保存されている仲間も実在すると聞きます。次は広島に1900を撮りに行って、中国鉄が一段落したら、アメリカ保存鉄道巡りもいいなあ、と妄想はひろがるいっぽうでした。





もう少しむかしの都電

昨日の帰り道、近所の駅で古本市をやっていて、「都電が走った昭和の東京」という写真集を衝動買いしてしまいました。

京都の子供が昔の都電懐かしんでどうするんだってところですが、なかなかどうして、現在の町並みは東京のほうが馴染みがあるだけに、ほうほう、こんなところにも、あんなところにも都電が走っていたのかと驚くばかりで、これはいい買い物をしたと、ビール片手にほくそ笑んでしまいました。

都電が荒川線だけになる前、一度だけ、乗ったり撮ったりしたことがあります。大阪万博の夏、祖母の見舞いにやってきて、錦糸町界隈で夕方の数時間を過ごしました。このときすでに下町方面に残存路線が集中していたと記憶していたのですが、この28系統、日本橋まで行ってるんですね。ほかにも、今、毎日のように通っている中目黒や目黒、五反田を行く都電の写真、眺めていて飽きることがなさそうです。

1970年の錦糸町、ネガカラーで撮っていました。ハーフサイズの画面に時は流れて、まるで映画のワンシーンのような雰囲気です。

初夏のパック

さすが6月、昼間は暑くなりました。昼メシ食いに出かける頃にはもうギラギラ光線で、何だよコントラスト強すぎるよ~と、別に撮影もしてないのにぼやく始末で(爆)

先日の大宮公開、C57135というメインディッシュに盛り上がりましたが、茶色に戻されたEF5889が展示されなかったのは、いささか残念でした。このままでは、おそらくパックを屋外で見ることはもうなさそうです。。。

パックにはさまざまな想い出がありますが、国鉄末期、ちょうど今頃の季節に両毛線入線が続いたことがありました。まだじりじりというほどではない日差しに、田圃の緑が美しく、その中を走る茶色のパックは、季節の風に見事に溶け込んでいました。

そういえばパック最後の営業運転も両毛線でした。そのとき行けなかったのは、鉄人生後悔ベスト3に入りますが(笑)、秋の御召訓練運転とともに、片ポールの単線を自然につつまれて走るパックの姿は、今もはっきりと脳裏に残っています。

京の旅人♪

柏餅さんのご質問に調子に乗って、フォークヲタ続けます(笑)いよいよ宵々山も近づく6月の京都ですが、円山音楽堂では2年前から、秋に「京の旅人」と題したコンサートも始まりました。

こちらは二郎さんとバンバンが中心だそうなので、年齢層も宵々山ほどは高くない(爆)今年の開催も決まったと、先日京都のコンサートのMCで二郎さんが言ってました。うん、今年の秋はこれ、行きましょう、柏餅さん?! で、京都で枯れ鉄さん誘って。

昨日の夜、近所の居酒屋で隣り合わせた方が関西出身で、祇園祭ってけっこう雨が多いんですよねえ、なんて話をしてました。そして、京都といえば、路面電車のイメージやなあ、と鉄でもなんでもないのに、市電の思い出話に夜は更けていきました。

広島には、京都市電1900形が今も健在です。行こう行こうと思いながら果たしていない広島行き、そろそろ修行かたがた(笑)、行って来ようかなあ。宵々山が近づくと、どこからか「街」のメロディも聞こえてきます。

日曜日の裏単

大宮工場と荒川車庫、そして大谷さんの写真展と、久しぶりの近郊うろうろを楽しんだ翌日、夕方の外出までのんびり休養を決め込んでいると、ロクイチが、いわゆる「裏単」スジで田端へ向かうとの一報が。

じゃあ、早めに出かけて、といつもの歩道橋へ。日曜の昼下がり、行き交う人影も少ないのんびりした日差しのもと、ロクイチがPFを次位に従えて、姿を現したと思うと、通いなれたカーブを滑るように走り去っていきました。

はて、夕方まで何しようか。かといって、鉄はもういいや、とビルの2階の喫茶店に入りました。最近はもう、古い喫茶店云々よりプロントでエディマイル稼ぎなのですが、昨日からは何となく昔の気分です。少しの間、ぼーっとして、デジカメのモニターをチェックしたら、さあ、フォークヲタへ頭を切り替えて(笑)

やがて向かった「五つの赤い風船40周年コンサート」、これまたしみじみ楽しんできました。しかし、靖国神社にほど近い、もと軍人会館のホールで奏でられる「まぼろしの翼とともに」、ガキの頃には到底感じられなかった、深いものがありましたなあ。。。





ちょっとむかしの都電

たしか荒川車庫、一度だけ撮ってたなあ、と探してみると、75年の春のネガにありました。大学の合格発表の帰りの、都電ミニトリップ。19歳の誕生日です(爆)

先週の写真と比べると、車庫の建物がまったく変わっていることに気づきました。が、線路配置はあまり変わっていないようで、そのあたりが昔の匂いをどことなく感じた理由だったのかもしれません。

このときは、7000はまだいいとして、7500に対しては「何だか新しいスタイルで、気に入らんなあ」と思ったのを覚えています。その4年前、錦糸町あたりで見た都電の印象が残っていたからでしょうか。どうもワイドな三枚窓に違和感を感じたようです。

その7500が、今回荒川車庫前に作られた「都電おもいで広場」に保存されました。先週は人でごったがえしていてじっくり見られませんでしたが、落ち着いた頃にでも、若き日の勘違いを、謝りに行きたいと思っています。

現役蒸機の匂い

すでに交通博物館から移送されたC57135が屋外展示されると聞いて、今日は大宮の公開イベントに行って来ました。残念ながら茶色に戻されたパックの姿はありませんでしたが、先日回送されたばかりのEF6611も庫内に鎮座して、最後の現役感を漂わせていました。

日本で最も状態の良い静態保存機といわれるC57135、このカマも、博物館の中央に展示されてしまえば、おそらく太陽の下でお目にかかることは二度とないでしょう。現役時代に会ったことのない私にとっては、最初で最後ってことになりそうです。

驚いたのが、交通博物館で見たときより、ずっと現役蒸機の匂いが感じられたことでした。思えば、有名な最終列車牽引からそんなに時間をおかず、北海道から神田に回送されたのですから。それに、二つ目にせよ、切り詰めデフにせよ、スノープラウにせよ、いろんな装備がそのままなんですね。そのあたりが、物言わぬカマに微妙な息吹きを与えているようでした。

帰りに、神楽坂の小さな喫茶店で開かれている大谷眞一さんの写真展を拝見してきました。現役蒸機の日常風景をさりげなく綴っていて、ちょっと濃いめのコーヒーにあう、品の良いクッキーのような作品が並んでいました。最近では少なくなった、読書が似合う、いい喫茶店です。6月15日まで。ぜひ、お出かけください。
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Author:品川530
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