北国の春

ANAの機内オーディオでも、中国線メモリアルなMCが入っていて、中国で最もポピュラーな日本のカラオケナンバーは「北国の春」だと紹介していました。そうそう、たしかに中国のガイドさん何人も歌ってたなあ、あ、インドネシアでも(笑)

白樺、青空、南風~~♪ 千歳でレンタカーを借りてわずか30分で、けっこう北国の春な風景に今でも出会えます。現役蒸機時代に比べると、たしかに宅地化は進みましたが、好ましい築堤や切り通しが散在していて、DD51撮影のポイントに事欠きません。

植苗も美々も、駅自体がのんびりしていて、いい雰囲気です。恵庭から島松へ市街地が続いたと思うと、いきなり車窓は緑に囲まれ、こんな白樺が線路際にあったりするのですから、写欲を十二分にそそられてしまいます。

釧路の「SL冬の湿原号」や網走の流氷船は、現在アジア各国からのお客さんが多いという話を聞いたことがありますが、「北国の春」の人気を考えると、何だか頷けますね。こちらも明日から5日間、中国東北部の春を探しに、錦州あたりに行ってまいります。

千歳線1972

1972年当時、千歳線はまだ非電化で、今レッドクマーが牽いてるような幹線貨物がC57やC58の補機付きで運転されていました。しかし、その運用は現在のDDと同じように早朝や深夜が多く、運を味方につけないと、なかなか捉えることができませんでした。

その年の春の現役蒸機時代唯一の渡道時、北広島付近でシゴナナの後補機を撮るのがやっとで、まあ仕方ないかとあきらめて札幌行きの列車に乗ったら、次の上野幌で行き違ったのが、このシゴナナ先頭の貨物でした。

岩見沢のシゴナナは腐っても旅客運用専門だったのに対し、ここを走る苗穂のシゴナナは地味な貨物や小運転の運用ばかりでした。それでもシゴナナ撮りたさに、枯れ鉄さんたちと途中で別れて、一人でこうして千歳線や苗穂の機関区に行ったものです。

当時から、札幌近郊にこんなローカルなところが残ってるんだなあと思いましたが、そのシチュエーションは基本的には今も変わらず、DD撮影に訪れる鉄を楽しませてくれます。そのあたりは、また明日。

レッドクマー!

大宮さんからコメントいただきましたように、赤熊ことDF200も、もうすっかり北の風景になじみましたね。社台の牧場での馬との絡みも、思いのほか、いい感じです。

最初は「おいおい、DDじゃないのかよ~」というのが、何度かシャッター切ってるうちに「なかなかいいじゃない」になり、最近では「ウン、箱型DLの流れをちゃんとくんでるなあ」とお気に入りに登録です(笑)

また、ドロドロドロという音がいい。正面の顔つきを見て、先日同行したひくまさんなんかは「DF50を思い出すなあ」と感動の面持ちだし、それでいて、どこかユーモラスな表情なので、DDの敵役って感じがまったくしないんですね。

夢物語ですが、ブルトレ牽くのもかっこいいだろうなあ。ANAに頼んで、熊猫の次は赤熊ジェット就航してもらいましょうか。いや、赤組だからJALですかね(爆)

北国行きで

先日ANAの機内ビデオで、日中国交回復から今年で35周年、そしてANA中国線就航20周年のメモリアルなコンテンツをやってました。そうかあ、1972年、高校生だよなあ。でも、意外に思ったのは、20年前といえば言わずと知れた国鉄民営化、そうかあ、ANA中国線就航はそんな最近の話だったのか(笑)

パンダが中国からやってきた1972年、鉄道100年でイベント盛りのこの年は、春休みに枯れ鉄さんたちと北海道、夏休みは九州と、今思えば現役蒸機撮影のピークイヤーとなりました。撮影旅行中歌ってばかりいたのは、ご承知のとおり(爆)

歌謡大賞が「瀬戸の花嫁」、レコード大賞は一発逆転で「喝采」でした。三人娘のアイドル全盛のまた一方で、渋い実力派のスマッシュヒットも多く、朱里エイコ「北国行きで」などは、そのひとつだったように思います。

でもその当時は、当たり前のことですが、北海道まで直通する北国行きの列車はなかったのですね。せいぜい「津軽」で青森。今は海辺の小さな駅に朝を告げるように、夜を徹して走り続けた北国行きが滑り込んできます。



上り鳥海

庄内交通のトワイライトゾーン探索を名残惜しそうに切り上げて、小雨の中を上り「鳥海」のロケハンに向かいました。ところが、海の入るアングルはこの曇天では列車が遠すぎるし、複線区間にはほとんどタイガーロープがあり、なかなかすっきりしたところがありません。

結局、笹川流れまで行って折り返して、昨日「まあ、ここでも上りは撮れますね。最後の最後はここでもいいですかね」と言っていた、上下線が少し離れて合流するポイントに落ち着きました。えてして、我々の撮影は、こういうことが多いです(笑)

しかし結果的にこれが成功。トンネルを抜け、山をバックに排気を漂わせて特急ヘッドマークが近づいてくる、まずまずのシーンが撮れて、機材を片付けながら同行のNさんとオヤジ二人ニタニタしてしまいました(爆)

帰りのNH便まで時間があったので、酒田で日帰り湯に入って、土門拳記念館を見てきました。酒田は土門の故郷なんですね。ちょうど「古寺巡礼」からピックアップした企画展示をやっていて、鉄のあとに、東北の町の美術館で、聖林寺や室生寺の仏様の写真を鑑賞するのも、なかなかでしたよ。

人形の家

すでに大宮さんにコメントいただいたように、庄内交通湯野浜線の途中駅・善宝寺にかつて鉄道記念館がありました。1975年の廃止から、国鉄民営化のあたりまでは運営されていたようですが、現在は旧駅舎や車両、その残骸がそのまま草むしています。

昔は参詣客で賑わったのでしょうが、今は門前の土産物屋もすっかりひっそりとして、名刹の伽藍をかたどった駅舎の前にボロボロの電車が1輌。よくみると、車内には、運転士や車掌のハリボテ人形がいて、無気味ですらあります。ありましたねえ、「人形の家」。私は~ハナタに~ヒノチを~~♪(爆)

言ってみれば一昔前の温泉地の秘宝館のノリですね。それでも、ホームの木造待合室には、民営化の頃の「さよなら天の川」なんていう手作りヘッドマークが残っていたりして、この地域のファンの集まる場所だったことがわかります。

我々と同じようにDD53撮影の前でしょうか。ポツリポツリですが、訪れる鉄の姿が見受けられました。さて、そろそろDD53上り撮影に向かわねば。。。佐倉さんにコメントいただいて先ほどちょっと検索したのですが、このお寺にはいいお堂や塔があったようで、そちらを拝見しなかったのは、う~ん、もう行かないかも、と思うだけに、かなりの後悔です(笑)

庄内で、朽ち果て鉄

鉄の習性のひとつでしょうか、初めての土地で駅名や地名を見ても、何だか来たことがあるような気がする、知ってるような気がする。。。それはおそらく、長年、鉄な雑誌でさまざまな記事や写真を見て、どこか印象に残ってたりするからなんでしょうね。

道路標識で湯野浜なんて地名を見て、ああ聞いたことあるなあ、何か私鉄でもあったかなあと思っていた矢先、後部座席のNさんから、「あっ、そこ、電車!」と驚きの声がかかりました。ん~、何だか鉄道資料館みたいなのが、このあたりにあったような気もするなあ、、、

こういうのは、今クルマを止めて撮らないと、たぶんずっと撮ることはありません。さすが、今回同行の皆さんはそれを痛感するほど痛感する鉄の細道へ入り込んだ方ばかり、「止めましょう、撮りましょう」とすぐに決断し、蕎麦屋の店先にたたずむ古い電車に近づいていきました。

あとで酒田のホテルで、保存車両のことでいつもお世話になっている、やまてつさんのサイトを覗かせていただくと、この車両は庄内交通湯野浜線モハ8、元京王帝都2400型とか。いやはや、これだから朽ち果て鉄、やめられません。鉄道資料館ってのは、また別の場所にあるようです。明日、DD53の上りを撮る前に、そちらにも行くことにしましょう。

手押しの回り舞台

どんよりとした羽越本線の風景にDD53がしっくりきてるように見えたのは、よく考えると理由がありました。何てことはない、30数年前に撮ってるんですね、1枚だけ。電柱グサリ、シャッタータイミング最悪で、とてもお見せできるようなシロモノではありませんが(笑)

それにしても、堂々とした走りだったと思います。また、土曜は強風による遅れを回復すべく、なかなかのスピードでかっ飛んできました。「出羽」のヘッドマークは64-1000のイメージですが、こうしてみるとDD53にもよく似合いますね。

酒田到着後は、昨秋の会津若松に続いて、大見得を切るような回り舞台を鑑賞することができました。手押しでの作業中ながらギャラリー相手に途中で二度の静止タイムもあり、JR東・新潟支社のさまざまなご努力には、これまた昨秋に続いて、頭が下がります。

泊った駅前のビジネスホテルの窓からは、駅や運輸区の構内が一望できました。高いビルの少ない落ち着いた町並みに、ほのかな看板の灯がともり始めて、生ビールと日本海の魚が恋しくなってきました。













DD53再び

リニューアルした「ばんえつ客車」のお披露目にDD53が走ると聞いて、この週末は雨に煙る羽越本線へ行って来ました。土曜は途中から横殴りの暴風雨、今日は昼頃から回復の予報でしたが結局小雨ベースのドン曇り。。。

酒田も鶴岡も、高校生のときに北海道へ行く「白鳥」で通過したことがあるだけで、今回が初めての場所でした。笹川流れは一度だけシゴナナの現役時代に行ってますが、せっかくやってきたC571号機にシャッターを押そうとするとカメラが故障……とにかく羽越本線とはずっと縁遠いままで30数年が経過しています。

日本海の荒波、鉛色の空をバックに大きな岩山が聳え立つ、そんなイメージをずっと持ち続けていましたが、天気のおかげでまさにイメージぴったり(笑) やっと見つけたまずまずのポイントで、うれしいやら哀しいやら、複雑な気持でDD53の通過を待ちました。

今回は「出羽」「鳥海」という、ややマイナーなブルトレのリバイバルで、後に続く客車も本来のものではありませんでしたが、さすが特急ヘッドマーク、DD53には昨秋の磐西とはちがった千両役者の貫禄が感じられました。

函南駅

今日のイゴナナは、雨まじりの空の下、ここ函南への往復でした。いつもの短いチキ編成、それにこの天気では、さすがに鉄の数もやや少なく、トンネルに挟まれたカーブの駅には、ゆったりとした時間が流れています。

東に向かって大きく口を開けたトンネルの手前で、イゴナナの機回しが始まりました。時おり、300系や700系が他人事のように通り過ぎてゆくのを、イゴナナが静かに見守るこの光景は、東海道の旅のエピローグにお似合いなのかもしれません。

丹那トンネルをバックにしたこのアングル、以前ロクヨン2番で撮ったことがあり、いつかゴハチでやりたいと思っていて、先日も狙ったのですが停止位置とのバランスが悪く、、、やっと今日、いい感じで撮れました。

帰りなんいざ、かぁ……ゴハチも最後は故郷へ帰るという大宮さんのコメントに、今夜はちょっとしみじみとしています。

生粋

今日も東海道ではイゴナナが快走していたようです。チキ車でも編成が長いと聞いて、ぜひ行きたかったのですが、大事な得意先のカンファレンスをサボるわけにいかず、、、いつまでたっても小心者のサラリーマンです。。。

カナキクの大カーブを行くイゴナナ、久しぶりの東海道らしいシーン、見たかったなあ。撮りたかったなあ。大カーブでは、イゴナナはヌマ座ぐらいしか撮ってませんが、ブルー時代の122のオリエント急行とか、ロクイチ+パックのYTC江戸とか、しみじみ思い出してしまいます。

そういえば、残った3輌のゴハチは、いずれも生粋の東海道筋の本線ガマですね。ロクイチは東京、イゴナナは浜松、イゴマルは宮原。田端、新鶴見、下関、静岡、吹田、梅小路ってのは言いっこなしですね(笑)

今は運用区間は途切れ途切れになってしまいましたが、最後の最後まで、生粋のカマたちが、二大幹線を離れない。そんなところが、いかにもゴハチらしい。今回のイゴナナの動きは、そんなことをあらためて認識させてくれたように思います。

葉桜鉄

お濠端と東中野へ一度ずつ行って、それで201系お別れ桜は終了の予定でしたが、今日昼間に神保町まで出かける用事があり、では少し足を伸ばして葉桜見物をと、もう一度お濠端へ行って来ました。

わずか数日で、すっかり桜の花はまばらになり、時おり風が吹くと、はらはらと水面に花吹雪が舞っています。都の葉桜を観る暇もなく領国へ取って返したのは初上洛のときの織田信長でしたが、21世紀の東京は、去り行く201系と葉桜をゆっくり楽しめる休日となりました。

またまた花にピントを合わせたりして遊んでばかりいたのですが、デジカメのモニターをチェックして気づいたのは、東京方先頭車の女性専用車表示シールがピンクで、桜の花と微妙なカラーリングになることでした。これ、何年以降に撮った写真かわかってしまいますね。

そんなどうでもいいことをぼんやり考えながら、いつもと違う写真をあれこれ撮るのは、けっこう楽しい時間でした。なかなか201系通過と花吹雪のタイミングが合わなかったのは残念でしたが。。。



本線快走

イゴナナの東海道での活躍が続いています。今日は西浜松からのロンチキ、天気下り坂の予報でしたが、新幹線で三島を過ぎてからずっと陽が差していたので、すわ光線状態に悩むという、嬉しい悲鳴となりました。

前に大宮さんにコメントいただきましたが、東海道に帰ってきたイゴナナは、ほんとに楽しそうですね。もちろん風光明媚な飯田線もいいのですが、何といってもゴハチ街道は東海道、それにイゴナナはずっとこのあたりが地元でした。今日は、かつて長い時間を過ごした浜松のネグラの跡も懐かしい思いでかすめて通ったのでしょうね。

途中駅で停車があると聞いて、まずは駅撮りでしっかり押さえることにしました。東海管内はタイガーロープが多く、駅でないとなかなかすっきりした写真が撮れません。ちょっとサイドがちの光線ですが、飾り帯がキラッと光るさまは、本線を走るイゴナナの生き生きした表情を象徴しているようで、素晴らしいものがありました。

このあと?……実はいい桜を見つけて、降りた駅からタクシーで駆けつけたのですが、いざセッティングをと思ったその瞬間、無情にもイゴナナが通過していきました。かろうじて心のフィルムに、桜とゴハチの風景を焼き付けながら。。。



盛りを過ぎても

すみません、2日連続の拡大昼休み(笑)、今日はお濠端と並ぶ中央線の桜の名所、東中野でちょいと桜鉄してきました。

ここで写真を撮るのも、20数年前のEF15三重連のイベント列車以来でしょうか。中野寄りの横断陸橋のあたりに集結した鉄はざっと数えて20人。ただの平日の午後ですよ、それに何かネタが来るわけでもないのに。。。いやはや201系お別れ桜、なかなかの人気です。

阿佐ヶ谷から中央線で通勤していた頃、少しでも時間を節約するには四谷まで快速でした。昨日までは何てことなかった満員電車の車窓が、ある日突然ピンク色に染まるさまは、103系や201系のモーター音とともに、今も鮮烈に思い出します。

昨日はそれほどとも思いませんでしたが、今日は新しいステンレスの電車が続けて通ることが何度もあり、201系の盛りが過ぎたことを実感しました。葉桜になりつつある桃色の並木の下、橙色の電車が、あと数日後の花吹雪を待ち焦がれるように、急ぎ足で通り過ぎていきます。

お濠端

さすがにオ○ャン子トリビアには自信ないので喜多山さんや大宮さんにおまかせしますが、ガキの頃はほんとに洋楽より邦楽で、高校生のとき、将来はCBSソニーで歌謡曲のディレクターか、テレビ局で歌番組のプロデューサーになるのだと大言壮語しておりました(爆)

天地真理、南沙織、浅田美代子、山口百恵。。。みんなCBSソニーで、市ヶ谷のお濠端に聳え立つビルは、もう憧れでした。いざ就職のときは、どこかと受験日が重なって断念しましたが、時を経て、その会社の人たちと仕事で関わるようになったときの、ささやかな喜びには、独特のものがありました。

当時は103系がオレンジ色の電車の主力で、やがて201系がどんどん増えていきました。このお濠端では、飯田町へ入ったEF15や、のちにEF64の工臨は撮ったことがありますが、市ヶ谷や飯田橋は20数年仕事で来るばかりで、オレンジの電車を撮ることは今日の今日までありませんでした。

201系とのお別れを惜しみ急ぐように、今年はもう葉桜が、深い緑色をたたえた水面にはらはらと散り始めています。何人ものスーツ姿の昼休み鉄とすれ違いながら、帰らざる日々の記憶を反芻していました。



黄砂に吹かれて

工藤静香とは、これまた当ブログにしては異様に新しい(笑)。。。みんなで連れ立ってカラオケ行って、何とかヒット曲がいくつか歌えていた時代の歌ですな(爆)

日曜のあまるべ号、関西は大陸からの黄砂に見舞われ、曇りアングルとして選んだ竹野の築堤も、黄色い靄に包まれていました。DDの唸り声ばかりが聞こえますが、立ち上るはずの排気はまったくといっていいほど見えません。

そういえば、数年前のGW、中国の内モンゴルで3日撮影しただけで、帰国後咳が止まらなかったことがありました。そのときの薄茶色の世界を思い出せば、たいしたことはありませんが、国内でどうしてここまで??、という酷さです。

でも、DD51+青い12系、よかったなあ。黄色い靄に浮かび上がるなんていうのも、春の椿事として許してしまおうか。2度目は天気に恵まれませんでしたが、けっこう満ち足りた気分で、小さなローカル空港を後にしました。

春は名のみぞ

というわけで、今年の桜鉄(笑)、突発的に意外なところからスタートすることになりましたが、ま、いいでしょう。考えてみたら、お濠端や東中野っていうのは、ちょっと自分らしくない(爆)

で、実は昨日急遽静岡へ向かう前、但馬地方晴れの予報に「あまるべ号」再度の出動を決済していました。ところが、今日になって予報は曇り、それどころか、JAC伊丹但馬便は天候調査、、、おいおい、もし本当に伊丹引き返しなら、ひくまさんに連絡してどこかの桜に連れて行ってもらおうかなんて勝手なことを考えたりして。。。

何とか但馬空港に到着、しかし黄砂に抱かれた山陰本線、ところどころで桜が咲き始めているものの、まだ満開にはほど遠く、やはり2週続けて思うようにはいきません。何だか今年の桜は花曇りばかりで終わってしまうのでは……と嫌な予感も脳裏を横切ります。

竹野の先で1枚撮って、香住の有名アングルに追いかけると、ここでも桜は咲き始めでした。堤防の桜並木と非電化の赤い鉄橋。定番の風景を行くDD+12系のバックの山々が、黄砂に霞んでいました。

プロフィール

Author:品川530
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