花ぐもり

都内では昨日、桜が一気に咲きました。今日は薄曇りで、お濠端へ201系撮りに行くにはちょうどいいかなあ、なんて考えながら遅く起き出すと、午後イゴナナ工臨あり! との連絡が入りました。

もう201系どころではありません。たしか、興津には桜があったはず、富士川? 由比? あのへんの駅にもあったなあ、、、おぼろげな記憶にうきうきしながら、品川から静岡停車の「ひかり」に飛び乗りました。

静岡に着く直前、静岡貨物で待機するイゴナナを発見、はやる心とうらはらに、露出はどんどん落ちていきます。とりあえず、できるだけ早いうちに走行を、と最初に見つけた桜のアングルに狙いを定めます。

ゴハチと桜なんて、大昔の伊豆多賀以来でしょうか。飯田線ではいくつか名シーンがあったようですが、撮らないまんまに終わりそうです。花ぐもりというには暗すぎる空の下、それでもイゴナナがあでやかに通り過ぎていきます。

想い出が多すぎて

忘れたいのに~多すぎるのよ~♪ はい、今日はヤマハ・ポプコンヲタ、いってみましょう(笑)「ひとりぼっちの部屋」に続く高木麻早の佳曲「想い出が多すぎて」。。。これまた北山修・杉田二郎ゴールデンコンビの作品でした。

鉄道博物館オープンに向け準備も進む大宮で、パックが再び(いや、三たびですね)茶色になったというニュースが入りました。大宮に取り込まれてからブルーに戻されたときも、何だかうれしくなりましたが、今回もこれはこれでワクワクします。

国鉄最末期に私が復鉄した頃、パックは茶色に戻されたばかりで、まだ塗料も乾かないような輝きでイベント列車の先頭に立っていました。それがJRになってからいささかくたびれた感じで工臨やシナオクに充当されることも多く、検査上がりの一部の時期を除いて、まさに現役機のいい表情をしていました。

茶色のパックにはまさに想い出が多すぎて、こちらは心の整理がつきません。茶色で予定通りのナハネフ22に連結されるのでしょうか。それとも、展示内容に何らかの変化が??! 俄然、楽しみになってきましたね。

海辺の駅で

下り列車を追いかけながら、結局、橋のひとつ手前の駅まで来てしまいました。国道から案内板にしたがって、海辺の集落への坂をつづら折りで下ったところに、小さな駅がありました。

トンネルを抜けてすぐホームが始まる、好ましいシチュエーションに、上りはまずここで撮ろうと即決しました。あたたかい春の日差しが、駅のホームをスポットライトに浮かび上がらせています。

ヘッドマーク? どういうわけか、あまり気になりませんでした。ほら、あれはDE10だったかな、客車時代の末期に「タウンシャトル」とかありましたが、まああれの一種だと思いましょう(笑)

旋回窓のない暖地型のDDは、訪れたばかりの春本番の光に、よく似合っていました。このアングル、DF50やDD54でも撮りたかったなあ(爆)

橋までは行かずに

今週末は大阪に非鉄な所用があり、せっかくなら何か撮るものはないか、とDJ誌を眺めていると、「想い出のあまるべ号」。。。う~ん、餘部鉄橋はもう皆さんにおまかせだけど、DDの原色12系、これ、編成すごく魅力的です。

ちょうどいい時間にJAC大阪但馬便があり、やって来ましたコウノトリ但馬空港。ボンバルディアよりもっと小さいプロペラ機で。到着したときはまだ小雨模様でしたが、昼から天気回復の予報に縋ってレンタカーを走らせました。

山陰本線で最も早く無煙化されたこの区間、DD54やDF50に代わってDD51が入ってからおよそ30年でしょうか。旧客のあと、12系を普通列車に使っていた時期もありました。ヘッドマークは付いていますが、今回の列車、なかなかどうして、リバイバルって風情もありますね。

海と山を縫うように走っていて、なかなか引きのとれるポイントがなかったのですが、やっと道から見下ろすアングルが見つかりました。イベント列車なのに、あまり窓も開いていなくて、拍子抜けするぐらいの普通の顔で、DD+12系が通り過ぎていきました。

私鉄電車を撮った

新金線でEF65535を綺麗な光線で撮って満足したあと、新小岩操の停車を生かした追っかけも考えたのですが、同行の友人が、運用終了間近の京成旧カラー車の運用を把握していて、「今日撮らないと、一生撮らないのではないですか」、、、そう言われると弱いもので(笑)、そちらを狙うことにしました。

先だって昔の京阪の写真を何枚かお目にかけましたが、実は関東関西を問わず、都会の私鉄の写真をまともに撮ったことは、ほとんどありません。路面電車やローカル私鉄は折に触れ撮影していますが、いわゆる大手私鉄は、ずっとまったくの専門外なのです。

光線の良いポイントに連れて行ってもらい、三脚を立てると「前パン抜くとか、考えなくていいんですよ」とありがたい声がかかります。おっと、言ってもらわなければ、前パンぶんのスペース、ファインダー内に確保するところでした(爆)

おかげさまで、いい記念の1枚が撮れました。この電車自体にはとくに思い出もありませんが、ひと昔前の電車のいい表情をしていますね。こんなことなら、家から近い東急の青ガエルとか撮っておきたかったなあ、と思うところが、これまたいつもながらに、あさはかですなあ。。。

20年ふた昔

久しぶりに東海道を駆けたEF58157の写真に、たくさんの想いあふれるコメントをいただきました。後ろに続くのが何であれ、本線を往く大いなるさりげなさは、生涯のほとんどを東海エリアで過ごしてきたイゴナナならではの、美しい表情だったのでは、と思います。

まもなく国鉄がJRになって20年、思えば、動態保存機としてJR各社に継承された機関車たちにも、ついに大きな変化が訪れつつあります。20年前は、ずっと走るのだとばかり思っていたのに、20年ふた昔、それだけの時間が経てば、いつまでも同じなわけがないのは当たり前ですね。

そろそろ東海道でブルトレを牽いた時間より、首都圏で貨物の先頭に立つ時間のほうが長くなりそうなこの機関車にも、さまざまな噂が絶えません。何せ、最後の全検だから、とこの美しい姿が実現したのですから。。。ちょっと久しぶりに、お彼岸の休日に撮りましたが、順光に光るこの表情、これも誇らしげですね。

そりゃあもう一度だけ、ブルトレの先頭に立つ姿、見たいですよね。でも、こういう地味な活躍に終始した、この機関車の後半生の20年にも、大きな拍手を送りたいと思うのです。同じように、チキ車を牽くイゴナナの後半生にも。

されど本線上り

小田原を過ぎてもどんより曇っていた空が、新丹那トンネルを抜けるといきなり晴れわたりました。三島で在来線に乗り換え、目当ての駅で下車、構内外れの踏切に着くと、最後のブルトレ「富士ぶさ」が朝の東海道を上ってきました。

今日のお目当てが来るまでのしばしの時間、行き交う普電にもはや湘南色の姿なく、時おり通り過ぎる長いコンテナ貨物の牽引機も桃太郎や更新66で、陽光溢れるこのあたりの「東海道本線」の様子も、すっかり変わりました。

14系を牽いたゴハチ重連をここで撮ってから、もうずいぶん時間が経ったように思います。14系も、ヌマ座も、ナコ展もユーロもみんないなくなってしまい、それでも走り続ける我らがイゴナナの後ろに続くのは、いまやチキしかありません。

警報機が鳴り始め、待ち構える三脚の林に緊張が走りました。本線上り、一灯接近! いまでも、それでも、ゴハチは東海道が似合います。

夜の新宿

うらど~お~り~♪ これまた古い。し~のびあうこ~い、なぁみだごい~♪(笑)75年東京のデッキ付き電機、そういえば新宿で、夜むりやり手持ちで撮ってたなあ、と思い出しました。

その非鉄なサークルの合宿で石仏を見るため、信州へ向かう夜行の「アルプス」か何かの乗車前です。当時は、中央線長距離ホームの横に、貨物の側線があって、いつも電機がタムロしていました。

たしかRF誌で「新宿の昼下がり」とかいうフォトサロンのページがあって、それに影響されたのだと思います。枯れ鉄さんも、そうだったのかな(笑) 一度暇なときにちゃんと撮ろうと思いつつ、結局昼間撮ることはありませんでした。

今年はもう、桜便りが近づいているようです。デッカーに降りつむ桜吹雪、お濠端も、東中野も、撮りたかったなあ。

古くから学生の街だった

かずかずの青春を知っていた~♪ 京都の中学生が、あべ静江って綺麗やなあと思った高校時代を飛ばして、やってきました1975年春、高田馬場駅です。山手線のホームから見る予備校の看板、西武線への跨線橋。茶色い電気機関車の牽くコンテナ貨物が午後のビル影の中を通過していきます。

この時代の東京の鉄な写真、少しだけ撮っています。まあ、現役蒸機時代の燃えカスみたいなもので(笑)、すぐにほとんど撮らなくなってしまうのですが。今から考えると、惜しい話ですなあ。。。

で、どういうわけか仏像やお寺巡りをするサークルに入って大学生活を過ごすわけですが、一眼レフ持ってるので、いつも記念写真係やってました。やっぱり行く先々で、駅に停まってる電車の写真、時々は撮ってるんですね。褪色したネガカラー、フォトショップでこうしてモノクロにすれば、けっこう見られるかも(笑)

つい先日、夢さんにお誘いいただき、そのサークルの先輩たちが集まる飲み会にご相伴しました。週半ばのド平日の夜、会社を出て大学の近くに行くなんていうのは、何だか宙に浮いたような気分の春の宵でした。

四条京阪

こわび号の大人気で(?!)、おけいはん、もう1回だけ続けます。本当はこわび号の写真をもう1枚と思ったのですが、何しろ中学生の撮ったハーフサイズ、フォトショップでいじってみても限界があり、断念しました。

で、思い出したのが、枯れ鉄さんのところで紹介されていた四条京阪の平面交差。70年万博の夏は、そろそろ市電四条線の廃止が話題に上りはじめた頃で、祇園祭の鉾と市電を撮るのが京都のガキ鉄にもブームで、山鉾がらみをひと通り撮ったら、自然とこの平面交差を狙うコースになっていました。

どんな写真撮ったのか、、、もうあまり覚えていません。ハーフサイズのネガを蛍光灯にかざすと、お、つい数日前に見たようなアングルが……車番違えど、四条京阪を発車する宇治行きの500系、ガキの写真はまたまた同じですなあ(笑)

思えばこの時代の京都は、ポール電車が3つも走っていて、京阪にはこの500や1000、阪急にもまだ名車デイ100が健在でした。ええ時代に、ガキ鉄やったもんやなあ、枯れ鉄さん、R高のYさん、M高のOくん、Hくん。。。

こわび号

京阪撮るひと、おけいはん、続けます(笑)70年の夏は、京津線ポール電車最後の夏で、当時、錦織車庫に大事に保管されていて、後にひらかたパーク(現在は寝屋川車庫)で保存された連接車60系が鉄道友の会の貸切で運転されたりしました。

この電車、京阪特急カラーですね。大阪から三条経由で京津線へ直通する、往年の優等列車に使われていたのだと記憶しています。側面に「びわこ」と記されていたのが、戦前風に右始まりで、我々口さがないガキ鉄は「こわび号」と呼んでいました。

蹴上の浄水場のところから専用軌道に入って、九条山の峠を越えて大津市内に至る起伏のあるコースは、郊外電車としては独特の雰囲気でした。今でいうイベント列車、もしかしたら、中学2年の枯れ鉄さんは、これの中に乗っているのかも(爆)

マルーン一色の阪急も懐かしいけど、あの時代の京阪電車の色合いは、蹴上の緑や桜とともに、今も鮮やかに脳裏に甦ってきます。

おけいはん

京阪乗るひと、おけいはん。。。いやほんま、ええかげんにしてえな、ちゅう関西らしいコピーですな(笑)枯れ鉄さんのところで、昔の京阪電車の写真が紹介されていて、こちらも、この写真を思い出しました。

70年8月、大阪万博真っ盛りの夏、間もなくポールからパンタ化される京阪京津線を撮りに行った帰りに、三条京阪でスナップした宇治行き急行です。撮った当時から、何だか好きな写真で、夏の夕方の光が今でも伝わってきそうです。

三条京阪、四条京阪という呼び方、これは京都独特ですね。決して京阪三条、京阪四条じゃなくて、市バスの行き先も必ず三条京阪、なんですね。で、三条阪急があるわけじゃないし、四条阪急は駅が3つもあるし(爆)

今は京阪本線も京津線も地下化されましたが、この頃の三条京阪は大阪、宇治、大津からの電車が集まる、スマートなイメージのターミナル駅でした。阪急は地下、国鉄はどこか重苦しく、ここだけ明るい陽が射していたように覚えています。

ブルーもお似合い

昨日のゆとり団臨にも、上り方には青いロクヨン36号機が付いていましたが、青ガマ、とくに特急色も、この客車にはよく似合いますね。

デビュー当時、東海道での「サロン踊り子」などが、ロクイチとPFの共通運用だったからでしょうか。不思議と、カマのサイドの白線が、いいアクセントに見えます。それに、「なんだ~、PFかよ~」とガッカリしたわりには、いつも一応シャッター切ってるし(笑)

今に至るまで、けっこうレアなのが、Pトップとの組み合わせです。91年1月、これ、たしか(国鉄時代末期にあったとしたらそれは除いて)初めてだったと思います。Pトップが貨物への長期貸出となった現在、もう実現することはないかもしれません。

20数年前、「サロンそよかぜ」を山手線ホームで駅撮りしていたら、電車待ちの乗客から次々と「おーっ!」と歓声があがりました。そして羨望のまなざしの中を、ゆっくりと通過するサロンカーの乗客の誇らしげな表情も、忘れられません。

孤高の編成

昨夜からの雨が、お昼前になっても、恵比寿の街を濡らしています。1週間前の「浪漫」と同じアングルですが、この天気では遠出の元気もなく、「ゆとり」をここで1枚撮ったら、休養の日曜日を決め込みました。

ゆとり、と呼ぶより、いまだに東サロ、サロンエクスプレス東京と呼びたくなります。ロクイチとのコンビも、もう20年を過ぎました。いつ見ても、何度見ても、しっくり来る。カマとジョイトレのベストコンビだと思います。

これが、JR東で最後のジョイトレとなってしまいました。どころか、夜行列車以外に東京で日頃見られる最後の客車です。最後まで、できたら落ちぶれた様子を見せずに走ってほしいなあ。。。14系や「浪漫」のくたびれを見るに、つくづく、そう思います。

通過の少し前から、ときおり陽が差してきました。行く手の晴れ間にちょっと心ひかれながら、残り雨に鈍く光る、孤高の編成を見送りました。




西からの客人

m30haruさんのところで、今度はロクニの「あすか」! という超貴重な写真が紹介されていました。たしかにあったなあ、行けなかったけど。う~ん、大サロも一度ぐらいはあったのかな。いや、むしろ荷物間合いの東海道時代に牽いてるかも。。。

これまたm30haruさん説に納得したのですが、西からのジョイトレは東海道か中央線で上ってくるため、EF62が牽くことはきわめて稀なことでした。

その珍しいケースが実現するときは、ほとんど、長野か直江津まで行ったロク二が間合いで西からの客車を牽いて軽井沢あたりを往復、そして本来の運用に戻って、高崎や尾久に帰っていくものでした。

西のジョイトレをロクニが牽いて、峠を越えることはあまりなかったのではないか、と思います。この写真のサワ座も、たしか軽井沢までの往復でした。記録を見ると、この日はこれだけ撮りに、戸倉まで行っています。僕らの「ロクニ情熱大陸・信州」、まっ盛りでした。

ロクニ浪漫追憶

碓氷峠の末期、はたしてロクニの浪漫を昼間撮ったことがあったのだろうか、と10年前のポジを探してみました。あるにはあったのですが、この写真を含めて、やはりほんの数枚しか撮っておらず。。。何だか不思議な感じが続いたままです(笑)

最後の2ヶ月ぐらいは、ほぼ毎週末出動していて、12系14系やぎくぎ江戸レインボー、みんな繰り返し繰り返し撮ってるのに、浪漫は少ない、、、偶然この時期、中央線や信越北部の運用にばかり入っていたのでしょうか。

いずれにせよ、長野からのジョイトレは碓氷を越えてやってくるという、m30haruさんのご感想、なんとなくわかるような気がします。だからロクニ牽引がしっくりくる、これも言われてみると妙に納得します。

この写真、碓氷峠最後の週末、97年9月27日の撮影です。もしかしたら、これが浪漫が碓氷を越えた最後の運用だったのかもしれません。

浪漫登場の頃

旅愁かあ。。。そうですね。たしかに、都内でふらふら鉄していて、たまに遠いところ行って、ま、太田和彦の居酒屋紀行みたいなものですな(笑)柏餅さんおっしゃる、街の変化やあたりまえのことに、そうなんだそうかと思う一日、そればっかりです。

さて、青列車さんからも惜別のコメントをいただきましたが、浪漫の活躍はちょうど10年でしたね。たしか97年2月のこの写真、初めて撮った浪漫です。碓氷峠を下りてきて、ロクサン切り離して小休止のワンシーン、それまでのジョイトレにはなかった色合いが新鮮でした。

この頃、ちょうど客車の衰退が微妙に始まりかけていました。この年の秋に至る碓氷峠の末期が、最後のジョイトレ12系14系オンパレードだったように思います。そんな中、不思議と、浪漫はそれほど頻繁に来なかったような記憶があります。高崎のやぎくぎの頻繁な往来は当然として、むしろ、オリエントサルーンあたりをよく覚えていたりして。。。

m30haruさんのところにロクニの白樺が紹介されてましたが、そっちのほうが、よく撮ったし、印象に残っています。たしか、白樺と浪漫が共存した時期もあったのかな? 10年ぐらい前、、、このあたりの記憶が最近曖昧なのですが、客車時代の衰退を予感させるような、けっこう地味な登場だったような気がします。

春霞を還る

今日はちょっと遠出も考えていたのですが、昨夜の飲み会で沈没(笑)。。。ゆっくりと起き出して、長野へ帰る浪漫を近所で見送ってきました。

最近、すっかりオシャレなエリアとなった恵比寿界隈ですが、ちょっと表通りから入ったところの、日曜の昼間のがら~んとした感じは、昔とあまり変わりません。たしか、競馬シーズンもまだなのかな? 並木橋の場外の賑わいも、この陸橋までは伝わってきません。

昨日とはうってかわった、うららかな日差しに、都心の4本の線路が逆光に霞んでみえます。今日は品川をほとんど正午の出発ですが、「白樺」の頃以来、こうして午後に首都圏を出て長野へ帰る客車を、何度見送ったことでしょうか。

「カブリ承知」のポイント、運良く山手が上下とも通過し、エアポケットのようなファインダーに、最後の浪漫がさしかかりました。シャッターを押して後ろ姿を追おうとすると、コキを牽いた金太郎が春の夢をつんざくように迫ってきて、浪漫のエピローグを記憶の彼方へ連れて行ってしまいました。

浪漫惜別

「白樺」の時代から、長野からのお座敷は首都圏に朝、やってくることが多かったように思います。さしずめ成田臨はその代表で、外観はほとんど12系そのままの「ナノ簡」なんてのもあったなあ。。。木下のカーブやアジコバの築堤で朝陽を浴びながら、ゴハチと一緒に客車もキラキラ光ってました。

97年に登場した「浪漫」は、ゴハチの成田臨には間に合いませんでしたが、最近になってから何度もイベント列車でロクイチとコンビを組みました。そして今朝、東海道に入った最終運用にも、別れを惜しむように、PPの上り方にロクイチの登板となりました。

あいにくの曇り空、湘南の海と一緒にきらめく、というわけにはいかなかったようですが、熱海で折り返して、土曜の朝の東海道を、何のデコレーションもなく堂々と上ってくる姿は、じんわりと胸に迫るものがありました。

「浪漫」が明日、長野に帰ると、もうお座敷列車がどこかから夜行で上ってくることも、午後ゆっくりと戻っていくことも、なくなってしまいますね。
プロフィール

Author:品川530
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