生き残ったDD

去年の今頃、海峡線の「日本海」のついでに大沼で撮った、DD511166号機です。現れた瞬間、同行のハチマル29さんと「おいおい、青更新かよ~」とがっくりきましたが、写真になってみるとなかなか雪景色に似合っていて、びっくりしました。

今も北海道で活躍するこの1166号機、実は数奇な運命に彩られたカマなんですね。前にもご紹介した「国鉄形車両 事故の謎とゆくえ」(東京堂出版)で知ったのですが、1976年4月13日の夜、新製間もない同機は、追分機関区の扇形庫の最も端の番線で、1ヶ月前に務めを終えて保存を待つ9600や、D51といった最後の現役蒸機とともに、夜を迎えていました。

そこへ、有名な大火が発生、蒸機最後の貨物を牽いたD51241や最後の入換機となった79602、どころか配属されたばかりのDD51も7輌が焼失してしまったといいます。そんな中、2輌だけ救出されたDD51のうちの1輌が、この1166号機だったのです。

本を読んだとき、聞いたことあるカマ番だなあ、と思ったら、この青更新機でした。そんな物語を知ると、文科系鉄としては心の琴線をくすぐられてしまいます。今回、RF誌で陽の目を見させていただいたこの1枚、意外や意外、かなりお気に入りのカットになりました。

地下鉄行きホーロー板

昨日、松戸の先でこんなのを見つけました。首都圏では国鉄形車両以上に(?!)急速に姿を消しつつある、駅のホーロー看板ですが、(大手町・霞ヶ関方面)と地下鉄が行き先になってるのが、何だかアンバランスで惹きつけられました。

地下鉄、通勤で日比谷線に毎日乗ってます。地下鉄そのものが、昭和のホーロー板なんかとは正反対の現代的なイメージですが、よく考えると、この看板の表わす千代田線への直通運転開始も、もう30年ほど前の話なんですね。

先日、出張で行った福岡で、唐津線から入ってきた103系がいきなり眼前に登場し、何だか一昔前の東西線か千代田線みたいな錯覚を覚えました。学生時代親しんだ東西線の5000系も引退だそうだし、千代田線のJRからの乗り入れ車はまだ走ってるのかなあ。。。

新幹線と同じく、撮影することはほとんどありませんが、地下鉄、はい、嫌いじゃないです(笑)そういえば70年代メロディには(またかよ~)、猫の「地下鉄に乗って」もありましたね。たしか丸の内線が舞台だったかな。

浪漫残照

あ~~日本のどこかに私を待ってるカマがいる~♪
ってなわけで、大宮さん同様、旅は終わりません(笑)今日はいよいよカウントダウンに入った「浪漫」を撮りに、松戸の先までの小さな旅でした。

ロクヨンの茶ガマ、実はほとんど撮ったことがありませんでした。とくに長野の41号機は、最近よく浪漫を牽いて都内まで来るようになって、ようやく初めて撮ったぐらいですが、何だか想像してたより渋くて、悪くないなあって印象です。

考えてみるとロクイチは別格として、パックや122が動かなくなってしまった今、現役の茶ガマの正統派(昔、茶だった)はイゴマルとEF55ぐらいでしょうか。ロクヨンの2輌にロクゴの57番と、関東では、まがいもの(?)のほうが目立つようになりました。

帰りに、鶯谷で推回に間に合いました。ちょうどあと少しで上野の山に陽が隠れるところで、浪漫と茶ガマのサイドを、少し長くなった冬の日差しが、名残惜しそうに照らしていました。

春の陽を待ちながら♪

♪つめたい風の丘に咲く 光る花はねこやなぎ~♪
柏餅さん、ご存知ですよね。ナターシャセブンの名曲、「春を待つ少女」。山本潤子さんについても語りだしたら止まりませんが(笑)、そちらはまたあらためて。関西では奈良のお水取りが終わると水ぬるむといいますが、2月も終わりになると、この歌が思い浮かびます。

団長さん、今度レーザーか、はたまたその前の8トラックのカラオケどこかにあったら、ぜひご一緒したいですね。「遠くで汽笛を聞きながら」のバックは、現役蒸機の時代がまだつい昨日のような時代の産物ですね。たしか、かなり後まであったなあ。今これかけたら、どんなタイトルバックの映像なんだろう、、、うぅ、確認したい(爆)

しかし、そんなこんなの名曲の数々が、いつも流れてるようなフォークソングバーとか、どこかにないものでしょうか。荻窪に「落陽」という「フォーク酒場」があるようですが、中川イサトや大塚まさじのライブというと、ちと違う。いや、京都や大阪にはあるかもしれず。。。

枯れ鉄さんたちと行った35年前、吹雪の美唄、寒かったなあ。いつしか北海道の冬も、春待ち顔になるのが早くなっているのでしょうか。石油輸送もピークを過ぎて、中線で小休止するDD重連の、信号機の向こうに春の陽が待っています。



今はもうだれも

70年代歌ブログに、たくさんのコメントをいただきました(爆)柏餅さん、チェリッシュは今でも夫婦でコンサート活動しています。そういえば、5月に村治香織さんのライブ新宿でありますよ(笑)夢さん、悦ちゃんお好きでしたか。古美系(?!)では「古いお寺にただひとり」というのもありましたね!

大宮さん、単独行どうしが、あの時代約束もせずあんなに頻繁に会っていれば、それはもう戦友であり、旧友だと思います。佐倉さん、おちゃまるさん、ゴロー君と一緒によくお会いしましたね。ほかにもいつもROMしていただいてる、懐かしい方々がたくさんいらっしゃって、私は時々胸が熱くなります。

喜多山さんもウヤには泣かされましたか。枯れ鉄さんと行った北海道では、ウヤよりもむしろカマの変更に泣かされた記憶があります。宗谷本線のC55のはずがDDだったり、函館本線でC62のはずがD51だったり。。。でも、今はもう、すべてがいい思い出ですね。

枯れ鉄さんが(あ、私もですが)凍えながら蒸機を待っていた原野には、高速道路ができて、オーバークロスの側道から、こんな写真が撮れるようになりました。大阪そして京都から夜を駆けてきた列車にシャッターを切ったとき、どういうわけか「今はもうだれも」のメロディが口をついて出てきました。



だから私は北国へ

♪朝はまだ眠ってる 北国のしじまのなかを つきぬけて一番列車が今走り抜ける♪
はい、これ、歌ってました。72年春、枯れ鉄さんたちとご一緒して、流氷眺めた釧網本線で(笑)

いや、夜行列車降りた美唄でも歌ってたような(爆)、、、枯れ鉄さんのところで、この少年達の北海道シリーズが楽しく続いていますが、ほんと、細かいことになると、記憶の断片をていねいにつなぎ合わせようとしても、もうまったく無理です。。。

ただ、流氷の海を見下ろす丘の上で、みんなズボズボと雪にはまっていたのと、雪合戦じゃないけど、何だか雪で遊んでいたのは、ぼんやりと覚えているんですね。で、チェリッシュのこの唄、何度も歌ってました。

数年前、石北のDDがウヤで、北浜へこのとき以来行きました。「流氷ノロッコ号」向きのお立ち台が駅のそばにできていて、丘に登ることはありませんでしたが、そうかあ、あのあたりの丘だったよなあ、と雪空をぼんやり見上げていました。

近江鉄道の記憶

kuha153さんからコメントいただきましたように、私鉄の古い駅舎には洋館風のいいものが散見されますね。うちの近所では、モニュメントとなってしまった東急の田園調布、あと京浜急行にもあったなあ。南海にも凄いのがあるし、JRですが、この近くでは山崎駅なんかもそうですね。

で、新幹線並行区間。私も電車見たのは、大昔に1回だけかなあ。。。大学受験のときも、入学手続きのときも、そして今でも京都からの帰りは基本はE席にして、この線路を眺めるのが、習慣となっています。

京都からトンネル2つ越えて滋賀県に入って、何だか気持が落ち着いてくる頃なんですね。京都の寒さやあたたかさを新幹線のスピードで振りきるような感覚が、座席にフィットしてくる頃合いなんですね。

近江鉄道、実はほとんど乗ったこともなく、いつもこうして線路見てるだけですが(笑)、それだけに妙な愛着があります。昔の写真、1枚だけ撮っていました。71年11月貴生川駅、次のコマには信楽線のC58が写っています。

鳥居本駅

昨日の写真には、いつもの皆様、また初めてのお客様から、たくさんコメントいただきました。ありがとうございます。米原~彦根のここに弁天様があって、火車哥哥さんの遠い思い出の場所だったとは。。。奇遇ですね。

近江鉄道の駅舎、はい、鳥居本です。街道筋にぽつんと佇む、洋館風のデザインで、ただ渋いだけじゃない、独特の雰囲気がありました。駅舎から踏切を渡って島式ホームなんてのも、模型チックで泣かせます。

「北びわこシリーズ」、昨日で打ち止めにして、この駅は次回、駅舎正面を順光で撮って……と思っていたんですが、まあ、この際、ホーム側からの夕景を1枚出しておきましょう。ひくまさん、前言撤回ですみません(笑)

近江鉄道には新幹線と並行する区間があって、昔から上りE席に座ると、よく眺めたものでした。たしか、小さな鉄橋があったなあ。機会があれば、今度はそのあたりにも行ってみたいと思っています。








翳り行く路

「北びわこ」の現在の運転形態では、昼下がりに本列車は終わってしまい、あとはもろもろの回送だけなんですが、2月も半ば、それに西にお邪魔すると、すっかり夕方の陽が長くなっていて、梅小路へ戻る重単も、撮影可能な時間帯に入ります。

晴れたり曇ったりの夕空の下、ひくまさんがいつも米原往復の途中で気になっていたという近江鉄道の古い駅舎をスナップしてから、重単を狙ういつものポイントに向かいました。

考えてみたら、やまぐちでシゴナナのサイドが夕陽にギラリというシーンは、ほとんどありませんね。津和野も篠目も正面中心に光が当たるし、大歳だと、たいていは光が弱くなっています。磐西では、五泉の夕暮れが思い浮かびますが。。。

幸運にも、翳りませんでした。この季節の、ここだけの、C571の名シーン。そうそう、DD51も、いいギラリ方していますね~!

回送の花道

「右折、小谷城址」の案内板に悲劇の武将・浅井長政をしのぶ間もなく、ひくまさんのクルージングは、スイスイと湖北の町々を抜け、次の撮影地へ向かいます。このあたり、戦国の史跡の多い場所でもあり、常々一度そちら方面も、と思ってはいるのですが(笑)

また、古美術ヲタ(爆)関係でも垂涎の仏像が揃う地域で、昨年末は、その中でも群を抜く美しさの渡岸寺の十一面観音さまが、何と上野の森の国立博物館へお越しになるという大事件がありました。そちら方面から離れて久しい私も、さすがに拝見してきました。夢さんはご覧になったようですが、佐倉さんはいかがだったでしょうか。

閑話休題。午後の本列車が通過した後、冬にしては暖かい日差しが戻ってきて、DDが牽く上り回送は、素晴らしい光線に恵まれました。最初はぶらさがりのシゴナナのシルエットでも、と思っていたのですが、直前に順光側に急遽転戦。。。

このDD、こんな短編成なのに、何だか堂々としてると思いませんか? 常紋でも餘部でも撮れない、花道を行くいい表情が撮れたのでは、と嬉しくなりました。





夢は枯野を

DD51が前になる昼の回送が対向電車にカブられた頃から、雲行きもちょっと怪しくなり、午後の本列車が来る頃には、薄曇りが基本になってしまいました。去年の春、菜の花が一面に咲き誇っていたこの場所も、曇ると寒々しい雰囲気が漂っています。

ちょうどいい位置に一人、先客の少年が。ひくまさんと一緒に声をかけ、並んで撮らせていただくことにしました。人懐っこい関西弁で、見知らぬオヤジ二人に臆せず話すようすは、30年前の自分達とどこか重なるようで、待ち時間はあっという間に過ぎました。

「君が僕らの年になる頃には、新幹線はN1500系とかが走ってるんやろうなあ。悪いこといわんから、何でも撮っときや」、、、ひくまさんの言葉にはあまりに深い実感がこもっていて、楽しそうにカラカラと笑っている彼にそれが伝わったかどうかはわかりませんが(笑)

そういえば、伊吹山、長浜、高月と、このあたりには、漂泊の芭蕉がたくさんの句を残しています。あまりにもさりげなく、枯野を漂うようにやってきたシゴナナの姿に、芭蕉の一句が重なってみえました。

北琵琶湖周航

中央線ノスタルジーにしばし別れを告げて、行ってきました、北びわこ。大好きな東海道新幹線に乗って、大好きなC571に会いに行ける。。。それだけで、ほんの瞬間ですが、スランプも忘れます。

京都の子供にとって、琵琶湖は、丹後や若狭の海よりも近しい「水」でした。小学校の夏の林間学校っていうのが北小松で、海水浴場ならぬ水泳場はマキノあたりだったでしょうか。サンケイバレイ、琵琶湖大橋、みんな家族のドライブの目的地だったなあ。

北びわこのポイントを知りつくしたひくまさんのナビゲートで、今日はまず、琵琶湖を望む小高い鎮魂碑の丘に登りました。冬の光線ならでは、湖面はどこまでも青く、その向こうで水平線と空がにじんでいます。

やがて長い汽笛が聞こえ、シゴナナが白煙をたなびかせながら、青い画面を横切っていきました。一幅の絵のように、という比喩は、この瞬間のためにあるがごとく。

人ごみにながされて

これ、もう8年前になるんですね。ロクイチ大月御召、こんなに時の過ぎるのが早いのでは、もう少ししたら、どれがベルギー? ルクセンブルグ?……わからなくなってしまいそうです(爆)

練習運転も本番も、ほとんど山梨の方へ出かけましたが、一度だけ、高円寺で待ちました。ロクイチの中央線入線は復鉄してすぐの頃にもありましたが、そのときは人ごみの中で撮るのに慣れておらず失敗。。。わが青春の高架区間で、このときこそ、1カットは撮っておきたかったんですね。

阿佐ヶ谷時代からの先輩、夢さんのブログで懐かしい「ポエム」の話が出ていました。大宮さん、調布過ぎたらそうだったんですね。スピードは大丈夫でしたか? 何だか、目に浮かびます(笑)柏餅さんの今のお住まい、いいところですね。何だか、中央線に戻りたくなります。。。

人ごみにながされてるのは毎度のことですが、ほんとうにながされそうになったときは、オレンジの電車を見に行きたくなります。吹きっさらしだけど、懐かしい高架の駅に。

雨のステイション

ユーミンと中央線、そして70年代半ばから後半。。。ああ、そう書いただけでウルウルします(笑)「卒業写真」の並木道は国立で、「雨のステイション」は青梅線の西立川だったかな。

だから阿佐ヶ谷や高円寺はちょっと違うかもしれませんが、オレンジの電車の走るストレートで結ばれる町々は、今もあの時代の、同じ匂いがしています。

20年前の阿佐ヶ谷といえば、この写真を撮ってたのを思い出しました。朝から大粒の雨が降っていて、なかなか寝床からぬけだせず、ここしか、それもかなり直前にしか行けず、人と人との間から、やっとこれ1枚撮りました。

このホームの雨の日の匂いや風が、浅い被写界深度の中から甦ってきます。まもなく、国鉄と昭和の人影を見送ることになる、雨のステイションのひとこまです。



201若かりし頃

1枚ぐらいないものか、と探してみると、とりあえず見つかりました。85年4月、復鉄間もない頃、まだ阿佐ヶ谷に住んでいて、米原のゴハチ撮影会へ向かう前に、101系のさよなら運転を。そのときに偶然これ1枚、撮っていました。

今でいう「ホリデー快速」の一種でしょうか。若かりし201系(それでもデビュー10年ぐらいですが)の顔にはまだ特快表示器(というのかな?)もなく、連結器回りもすっきりしていて、嗚呼国電の風情が漂っています。

この前撮影していて思ったのですが、順光よりも、いわゆる「面つぶれ」で撮ったほうが、特快表示器(?)が目立たず、昔の201系に少し近いイメージなんですね。まあ、特快の表示が入ってるときを面つぶれで撮るのが、最も昔っぽいかなあ。。。

この、パタンとした感じの(笑)ヘッドマーク、101系以来の中央快速の伝統ですね。さよならのときは、青梅五日市線から表示器なしの先頭車持ってきて、「中央特快」でなく、「特別快速」、それも「特」と「快」の字の大きいヤツでお願いできませんかねえ(笑)

杉並逍遙3

地元のTADAさん、さすがワールドギョウザ、ご存知でしたね。う~ん、たしかに微妙な味でした。付け合せのサラダにマヨネーズがかかっていて、それがソースと混じりあうのが下品で旨かったなあ(笑)

そんな時代の中央快速は、主力の103系に、まだ非冷房の101系も残っていて、そこへ「省エネ201」というけったいなヘッドマークを付けた201系がデビューしたてでした。上半分のブラックフェイス、見るからに近未来の電車という印象がして新鮮でした。

大宮さんみたいに海には行きませんでしたが、だいたいは大学の手前の喫茶店でひっかかり、夜になると吐くまで飲んで(笑)、中野で各駅停車になった深夜の電車に乗り換えました。夏、101系が来たりしたら、暑くてもう大変でした。

柏餅さん、新しい電車もうたくさん走っていますから、じきに通勤でお乗りになるのでしょうね。私もまた、今のうちに、201系いろいろ撮ってみようと思います。nagashima3さん、オヤジ二人じゃビューティフル・吉祥寺になりませんが(爆)、また撮影帰りの一杯、付き合ってくださいね。

杉並逍遙2

大学も3年になると、午後、ヘタしたら夕方から「う~ん、アパートにいてもしょうがないし、大学でも行くか」と、緩行ホームにふらふらと上がっていったものでした。

晴れた日には、ビルの隙間から富士山が見えることもありました。高田馬場も早稲田も、降りるのがたしか一番後ろの改札だったのか、いつも三鷹寄りで、電車を待っていたように記憶しています。そう、残念なことに、カメラを持っていたことはありません。

高円寺では、「ワールドギョウザ」という、今で言う棒餃子の店へよく行きました。でっかい器の卵スープが付いていて、うまかったなあ。大学を出た後、まだ杉並に住んでるうちに、いつのまにかなくなってしまいましたが。。。

商店街の「高円寺レコード」で、ちあきなおみと平山三紀の復刻CDを買って、再び上がった緩行ホームには、あの頃と同じ風が吹いていました。

杉並逍遙

スランプが続いています(笑)。。。でも、さすがに何とかしなければ、と最後の「浪漫」を撮りに、恵比寿へ行きました。冬の美しい順光の中をやってきたのは良かったのですが、編成の後ろが山手にカブられてしまい。。。(泣)

ま、せっかくカメラ持って出てきたのだからと、新宿で中央緩行に乗り換え、撤退の始まった201系でも撮ろうと、高円寺へ向かいました。阿佐ヶ谷、吉祥寺と10代最後から20代を過ごした、我が青春の町々を巡って、少しはスランプ脱出の手がかりを。。。

緩行ホームの先端には、好天に誘われて少年達がぽつぽつと集まっていました。彼らの肩ごしに201系が続いたかと思えば、ピタッと変わって、ステンレスの真新しい電車が続きます。おそらく、これからあれよあれよのうちに、全部替わってしまうのでしょうね。

ふと振り返ると、週末通過でがらんとした快速ホームに、1枚だけ、こんな看板が残っていました。青春の残り香をはらはらと吹き飛ばすように、橙色の電車が通り過ぎていきます。

最後の集煙

集煙の麗機なんて言って遊んでるうちに、ふと思ったのが、最後の集煙付きシゴナナってどのカマだったのかなあ? ということでした。

偶然でしょうが、亀山の最後の2輌(110、198)も、浜田の最後の2輌(5、156)も、すべて煙突は原型です。紀伊田辺も、横浜から帰った7号機が、集煙を外したままで、「サヨナラSL南紀号」の先頭に立ちました。

文献を辿り、記憶をまさぐり、やっと出た結論は、浜田の101号機でした。74年3月、すでに火を落として、煉瓦造りのクラから顔を出しているのを、幸運にも撮影していました。

これまた、だから何なんだ、という発見ですが(笑)、集煙を付けたまま本州を出て活躍したのは、豊岡から若松に行った52号機ただ1輌ですね。そして、それ以外に、集煙付きのカマが九州へ行くことはありませんでした。

かたや、北海道では3輌のカマ(6、87、147)が集煙を外した短い煙突で活躍しました。ほんと、だから何なんだ(爆)ですが、う~ん、シゴナナ考古学、やり始めると止まりませんなあ。。。
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