山東省から

先ほど帰ってきました。風前の灯火で、もって春節までといわれる前進のハイデフ、何とか間に合いました。いやあ、それにしても、カッコよかったなあ!

ハイデフだけではありません。ノーマルデフの、ごく普通の前進も4輌も(今や「も」ですね)動いていて、機関車駐泊所のある大東庄という小さな町は、さながら前進最後のささやかな砦のようでした。

撮影初日、朝陽を浴びて、ハイデフ7126が美しい白煙とともに近づいてくるさまに、のっけから感動で言葉がありませんでした。それから、別の専用線とあわせてハイデフを追った3日間、素晴らしいシーンをいくつも味わうことができ、今年の鉄を満足のうちに締めくくりました。

デジカメのデータを取り込んでいるうちに、もうまもなく年が変わる時間となりました。皆さま、今年はこのブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。どうぞ、よいお年をお迎えください。

ハイデフ求めて山東省へ

ふぅ~。ばたばたと年末仕事を閉店して、明日からは恒例の年末中国ツアーに行ってきます。只見線撮りに出かけた会津若松の居酒屋で、SさんAさんと意気投合して始まったこのツアー、もう何年目になるのでしょう。

今回は北京から夜行列車で山東省充州へ。わずかに残る、前進のハイデフ装着機を求めて、初めてのエリアに足を踏み入れます。「耳デフ」とも呼ばれる、いわば中国の門デフ、最後の姿をどうしても撮りたかったのです。

途中から平頂山、英豪といった河南省の名所に向かう仲間たちと別れ、充州でハイデフをじっくり撮ってくる予定です。そして、生きている前進を撮るのも、今度がほんとうに最後になるかもしれません。

成田発10時35分、いつものNH905です。帰りは大晦日のNH906、これもいつもと同じです。ただ、今回は修行の成果で、自分のカードでラウンジデビュー、明日は早めに成田に行くつもりです(笑)

PFセンザンパ

クリトレ代わりに貨物ってのもかなり変な代案ですが、晴天に誘われて、ちょっと川崎方面を散歩してきました。もうちょっと早起きしたら千葉方面へP535というプランもありましたが、昼過ぎにのんびり出発して、PFセンザンパの石炭貨物5764レ、扇町到着を目指しました。

少し前なら旅客にも貨物にもゴロゴロしていた初期型PF、今やたったの3輌です。その中でもセンザンパは、最も折り目正しい形態を残していて、最近では何やらスターの風格が備わってきたように思います。

朝、高崎を出発して、連解結を繰り返しながら、首都圏を縦断してきた高崎ガマが、ゆっくりと構内に入ってきて、順光の光を浴びて、所定の位置にピッタリと停車。そしてわずかな小休止のあと入換、そして単機で折り返していくのを、踏切からのんびり撮影しながら眺めるのは、ささやかな至福の時間って感じです。

そういえば、なかなか「雨は夜更け過ぎに~♪」なんてことはありませんが、クリスマスの天気っていつも下り坂なのはどうしてなんでしょうね(笑)やがて単機が出て行く頃には、今日も、クリスマスイブの太陽が雲に覆われ始めていました。




齢二つを数えて

いや~、今週はあれこれ気忙しかったなあ。。。バブルの頃ほどではありませんが、街には酔客がけっこういて、タクシーの乗車拒否なんていうのも、久しぶりにやられました。おい、○京無線!あんな露骨な車線変更よくやるよ、ホント(笑)

残念ながら今年は走らない磐西のクリトレ、2年前のこのシーンは、忘れられないものとなりました。昼間の雨混じりの小雪が喜多方でラーメン食ってるうちにやみ、予想だにしなかった、素晴らしい夕陽が会津盆地を照らしました。

今年の秋のDD53のときは、かなりの数の鉄で賑わったこの場所も、このときは仲間2人と、3人っきりでした。嫌なことばかりが続いて迎えた年末、世の中には、まだ感動に値するものがあるのだなあ、と涙が出そうになったのを、つい昨日のように思い出します。

このブログのこの1か月だってそうですが(笑)、それから齢二つを数える間、予想外のことがいくつも起きて、この年末を迎えました。まもなく、日付はイブに変わります。何だかもどかしいことが多いけれど、あなたにも、私にも、メリー・クリスマス!



夕陽のレッド・クリスマス

昨日の写真、98年のイブイブ(これまた古い…笑)ですが、おちゃまるさんのブログを拝見すると、同じ場所にいらっしゃったようです。高機の65とかが一大ブームになる少し前だから、たしか、このときはまだ面識はなかったのかな?!

おちゃまるさんところでは、朝の回送が紹介されていましたが、この日の「くぎ」、EF651118側は、夕暮れも素晴らしいものがありました。夕陽に鈍く照らされた赤いカマ、何だかすご~くクリスマスってイメージです。

このカマも、EF6019同様に、入場のたびに塗色がどうなるか、話題になります。本来の相手、レインボーはとっくの昔に引退してしまいましたが、サイドの「EF65」のレタリングとあわせて、今ではすっかり馴染み深い塗色となりました。さて、今回はどうなのでしょうね。

日暮れ前に、安中の中線で停車がありました。サンタの赤に、冬の夕日の黄色が反射したこの雰囲気、たしかに、あの頃、世紀末のクリスマスの匂いですね。

「くぎ」のクリスマス

先週末の忘年会で、「くぎ」と「やぎ」、いったい誰が言い始めたのかしらないけど、気がついたらみんなそう言ってたよなあ。。。と、ほとんどどうでもいいような話(笑)に、花が咲きました。

そう、もう今や懐かしい部類に入ってしまった高崎の「くつろぎ」と「やすらぎ」。続行運転や、似たような経路も多く、「タカ座A」「タカ座B」(やぎがAでしたね)とも呼ばれ、なんだか仲のいい兄弟みたいでした。

それが、お座敷電車に置き換えられることになり、98年の暮れには、「くぎ」のさよならを兼ねた横川往復のクリスマストレインが運転されました。横川往復のイベント列車というのが定着したのもこのあたりだったと思います。この頃はまだ安中に中線があったりして、撮影回数も稼げたよなあ。。。

「ラブホテル下」と呼ばれる、今も何かのときには賑わうポイントで待ち構えました。ロクイチ牽引のクリスマストレインなのに、冬枯れの上州には、どこか寂しげな雰囲気が漂っていたのを、思い出します。

何だか静かな師走です

今日は、赤羽の窓から駅が見える居酒屋で、国内鉄ネタ方面(笑)の撮影仲間たちとの忘年会でした。私はお先に失礼しましたが、カラオケに突入した猛者たちはまだ飲んでいるのでは(爆)

去年もほぼ同じメンバーでの忘年会がありましたが、翌日のロクイチ・クリスマストレインに気もそぞろ、酒が思いのほか進みませんでした。それが今年は、ロクイチも、磐西も、上越も、クリスマストレインはな~んにもなし。。。何だか静かな12月になりました。

おいおい、今年は12月らしい写真は撮らずに終わってしまうのか……師走の街はここのところちゃんと急ぎ足になってるし、夜には酔っ払いのダミ声や嬌声が、いかにもクリスマス前って感じで響いてるだけに、不思議な気分です。

北海道は、雪のたよりでしょうね。石北も、室蘭も、いいだろうなあ。でもさすがに年内は無理なので、今夜は先日の中国の写真で、冬の旅の気分といきましょう。

冷水峠の記憶

福岡から帰るNH便が昼前だったため、D6046との再会もそこそこに、新飯塚から博多行きの快速でターンしました。駅や車内の掲示によると、何と、この区間を走る電車特急まで今はあるそうで、筑豊変貌せり、の感を強くします。

初冬の陽気でうとうとしていると、電車は桂川の駅に入っていくところでした。真ん中のホームに単行のDCが停車中……なんだか、いつか、どこかで見たような風景です。ホームの時刻表に2時間おきの時刻がポツポツと表示されているのを見て、「ああ、冷水峠へ行くのだなあ」と気づきました。

発車するとすぐに、非電化の単線が、左手の山のほうへ伸びていきます。山の稜線、線路の軌跡、不思議に覚えています。あの頃たどった道は、朝、夜行列車で原田に着いて、逆側からの峠越えでしたが。。。

昨日、遠賀川で再会したD6061が、あの朝、力いっぱい、峠を登ってきました。その後、「天草」が下ってくる頃には、うだるような暑さが襲ってきたのを、真新しい電車に揺られながら、ぼんやりと思い出していました。

冬枯れの丘の上で

電車が桂川から筑豊本線に入ると、30数年前の忘却の彼方から、時おりわずかな記憶が顔を出します。飯塚の駅って、自分は撮ったことないけど、そうそう、雑誌の写真で見ると、たしかにカーブしてたよなあ。。。

昨日、遠賀川で見てきたD6061と、これから見に行くD6046は、最後は若松に残った最後のD60コンビで、すでに運用を終えて、若松のクラで2輌並んでひなたぼっこしていた、そんなことも思い出しました。

新飯塚から向かったD6046の住み家の公園は、町のはずれの小高い丘の上でした。駐車場から緩やかな坂を上ると、冬枯れの広場の向こうに、大正生まれの無骨な機関車がたたずんでいます。

実は、この機関車、前面に子供たちのための奇妙なお面を付けていたのですが、その写真をお見せするのはやめておきましょう。東京に帰って、いろいろ調べてみると、一時的なもののようで、ちょっと安心しました。だったら、それもいいと思うのです。それで、この丘の上の機関車が生き残れるのならば。

AOR流れる頃へ

ピアノ、口笛、ビリー・ジョエルとくれば「ニューヨーク52番街」、AORの時代まっさかりですね。非鉄で社会人になった頃、いつも聞いていました。インベーダーゲームの喫茶店にも、倉本聰の初期のドラマの中でもよく流れていたなあ。

福岡ヤフードーム、ここに初めて来るのがコンサートのためとは自分でも想定外でしたが、あんなちっぽけなサラリーマン社会でも、想定外のことは起きるもので、今日付けで、新入社員当時の部署に戻ることになりました。出戻り、輪廻、、、そんな年齢です(笑)

ビリー・ジョエル、というかAOR全体がそうでしたが、当時はどこか不良っぽい、時代に作られたスマートさ、だったような気がします。それが、今やもう、そんな能書きはストーンと抜け落ちてしまって、もうほんとラクにパフォーマンスしている感じでした。まあ、そう見せるのがプロ、なのかもしれませんが。

翌朝、中洲のホテルで起きてからも、ピアノと口笛が耳から離れませんでした。そうか、AORの時代へ出戻りかあ……篠栗線、もとい福北ゆたか線に乗って訪ねるのは、標準デフに化粧煙突のD6046号機。72年の直方ではこうして「団結号」してましたが、はたして。。。

筑豊の昨日へ

福岡では、中途半端に時間があり、いつか見たいと思っていたD60の保存機を2輌、見てきました。私が筑豊へ行った72年、すでにC55の姿なく、D50も梅小路入りを目前にした140号だけで、30年以上経った今、筑豊といえばD60、という感じがします。

室木線の路盤跡なども残る遠賀川で下車、車で15分ぐらい行った芦屋町の公園には、門デフの61号機が保存されていました。ナンバープレートは複製で、取付位置も現役当時より下がっていますが、まあこの程度なら、最近の保存機の中では、ましなほうかも。。。

遠賀川へ戻って、駅前の食堂で遅い昼ご飯にしました。聞くところによると、このあたりは「細麺ちゃんぽん」が名物だとか。早速注文しましたが、うん、濃い目のスープとのからみぐあいがなかなかでした。JR九州のカレンダーがかかってるところを見ると、たぶん昔からの駅前食堂なのでしょうね。はい、34年ぶりのストレンジャーです(笑)

そうそう、ストレンジャー、マイライフ、オネスティ……福岡ドームで堪能した、私が非鉄だった時代の名曲の数々については、また次回。

P.S.
荒れたわけでもなんでもなく、私の単なるわがままで、突然ですが、書き込みのできない設定にさせていただきました。「メッセージを送る」から、メールは引き続き送信可能ですので、何かご連絡の際は、そちらでお願いいたします。


EF6019の旅路

この週末は福岡に行ってきました。メインの目的は鉄ではなく、ビリー・ジョエルのコンサート!
 もちろん東京ドームでもあったのですが、チケット買わずにうだうだしてるうちに終わってしまい、相次ぐ知人友人の「よかった、よかった」の声についつい。。。(笑)

羽田に行く前に、「EL&SL奥利根号」を上野に見に行くと、やすらぎ色もすっかり褪せてしまったEF6019が、ガラガラの12系を牽いて発車していくところでした。「やすらぎ」が引退して、もう何年になるのでしょう。「レインボー」もそうですが、過ぎ去ったジョイトレ華やかな時代を、カマの塗色から偲ぶという、奇妙な感じが続いています。

ありきたりに貨物牽いてたカマが、ある日突然パックの代わりに「やすらぎ」と同じ色で現れたときは驚きでした。やすらぎ引退後、何度か塗色変更の噂があったものの、結局メロンパン(爆)のままで、こんなわびしい姿になってしまいました。

EL区間にしては珍しく(もしかして初めて?)ヘッドマークが付いたのは、せめてもの同機への思いやりだったのでしょうか。地味なこのカマの旅路に思いを馳せながら、静かに発車していく12系を見送り、踵を返して羽田へと向かいました。

福知山のC57

梅小路のC57のDL化が71年春で、その後も、蒸気機関車館開館の72年秋に至るまで、福知山には操配用のC57が残っていました。その中で私が好きだったのはC5741号機、やや上に付けられた前面プレートが、何だか愛嬌のある印象でした。

この写真は71年5月16日の「京都汽車ポッポの旅」ですが、昨日の列車と違って、編成がちゃんと揃っていますね(笑)スキャンしながら思い出したんですが、これはわざと赤帯を入れていたような。。。枯れ鉄さん、覚えていませんか(爆)

41号機はその昔、「出雲」や「白兎」を牽くために、小型の重油タンクを付けられた、山陰のエリートの生き残りでした。この後、浜田、さらに宮崎へ転じ、昨日の写真とよく似た編成の「日南3号」も牽いて、74年春の宮崎電化まで活躍した、息の長いカマでした。

春の陽光に照らされながら鉄橋を渡るイベント列車からは、車内の楽しそうなざわめきも聞こえてきそうですね。本田路津子の「秋でもないのに」あたりを、口ずさみたくなります♪

丹後SLの旅

枯れ鉄さんところで話題の「丹後SLの旅」、70年代初頭、この名前で何度か、今で言うイベント列車が運転されたように記憶しています。そういえば「京都汽車ポッポの旅」というのも、よくありました。

そんな山陰線のイベント列車の多くは、当時すでに定期運用を失い臨時用となっていた福知山のC57の牽引でした。で、当時の新鋭12系は多客臨に振り向けられていたのでしょうか、たいがいは予備車や、夜行の間合い運用で組成された編成でした。

この写真、71年10月31日の撮影と、ネガカバーに高校生が記しています(笑)う~ん、よくは覚えていませんが、「音戸」か何かの間合い運用と、当時聞いたような、聞かなかったような(爆)

このC5787は、苗穂そして旭川に転じ、最末期の宗谷本線でC55の敵役を演じましたね。その後、どういうわけか沖縄に保存されましたが、近年解体されました。そして、丹後山田に加悦の蒸機を見に行くこのコース、梅小路開館当初はC55やC57での運転がプランニングされていましたが、ついぞ運転されることはありませんでした。

夜明け前、現役蒸機が集う

中国東北部の初冬から、どういうわけか70年代S&G、さらに大阪弁天町にワープしてしまいましたが、再びワープして11月の鉄法に戻りましょう。いやはや、自分でも、どこで何やってるのか、わからなくなってきました(笑)

鉄法の蒸機の並びといえば、夜の調兵山が有名ですが、ここ三家子でも、朝夕に、各支線に向かう上遊の客車列車が3本、行き交う風景が見られます。今回は雪の降り積む夜明け前、デジタルで感度を上げてやっと撮ったのがこの1枚です。

思い出すに、日本の現役蒸機の時代、朝の呉線広駅の大型蒸機並びなどは、実際に見ることは叶いませんでしたが、大いなる憧れをもって雑誌の写真を眺めたものです。3本並びぐらいなら、他にもあちこちであったのでしょうが、よく思い出せません。。。

朝この写真を撮って、夕方には成田に帰れるところに、今も毎日こんな情景が繰り広げられているんです。○○に間に合わなかった…というのは鉄の常套句ですが、今まだ、これに間に合っている幸運を噛みしめたい。そう、思います。

博物館、東と西

その交通科学博物館、第2展示場と名付けられた狭い場所に、DD5433、DF5018、DD13638の3輌が、何だか押し込められたような感じで展示されていました。とくに、DD5433号機はこの写真を広角で撮るのがやっと、という場所で、現役時代からの薄幸が、保存機になっても続いているような。。。

この3輌、大宮の鉄道博物館にはとても保存されないような機番ですね。調べてみると、DD13は1号機が大宮のリストにありましたが、DLはそれだけです。DD51だって入ってないんですね。四国のDF501も、たしか地元の別の場所で保存される予定とか。これでは、ここのほうが、後年DD51入れれば、DLの博物館になりますね(笑)

館内の展示も、ゆっくり見てきました。0系の最初の編成から4輌ピックアップしたものや、EF52が屋内保存されてるのも唸りました。で、それより唸ったのが、ヘッドマークの展示です。1985年宮原機関区賀正マーク、同時代の作品で実際にはほとんど付いてない、漢字表記の「北国」マーク……うぅ、懐かしき関西ローカル(爆)

もうひとつ、交通博物館と同じように蒸機のナンバープレートが壁一面に並んだスペースがあるのも知りませんでした。廃車が早そうなカマが多く、C57でいえば8とか55とか関東のナンバーもたくさんありました。交博と同時期にプロジェクトされ、東西で適当に割り振られたのかなあ、なんてぼんやり考えるのも、いい気分でした。

交通科学館

また大阪に行ってました。で、今日の午後、久しぶりに行ってきました。交通科学館。今は交通科学博物館ですが、やはり「交通科学館」のほうが、しっくりきます。見てきましたよ、ブルドッグ、そして、いとしのDD54、DF50も。

初めて行ったのは小学校何年生だったでしょうか。父親と一緒だったことは覚えています。あ、でも、ナカノ君のお父さんにも連れて行ってもらったような気がするなあ。D512はまだいなくて、今は梅小路にいるC5345が、C6226と威風堂々と並んでいた時代です。

食堂車のレストランがいつの間にか20系に代替わりし、京都駅1番ホームの上屋の一部を使って、C62、D51、キハ81が、ちょっと古い駅っぽい、いい雰囲気で並んでいました。キハ81のヘッドマークも、変に「はつかり」に戻したりせず、「くろしお」のままだったのが、嬉しいところでした。

次代の鉄を担う(?!)関西のガキどもが、たくさん走り回っていました。こいつらの目に、キハ81やDD54が映ること自体、何と素晴らしいことでしょうか。オジサンも、遠い目をするために、またときどきは弁天町に降りたいなあ、と思いました。

P.S
非鉄な話ですが、大阪からの帰路、NH148便・KIX-HND搭乗で、今年後半こそこそやっておりましたANAのPLT修行(謎?!)を成就いたしました(爆)





明日に架ける橋

というわけで、皆さんのご反応にお応えして、たまに鉄から音に傾斜してしまう、当ブログ初の洋楽編でいきます。ま、いいでしょう。ビリー・ジョエルも来日してますし(笑)……関係ないけど、行けばよかったなあ、東京ドーム。

「明日に架ける橋」。ガキの頃は、苦難を乗り越える、人生の応援歌みたいなもんだなあ、と単純に思っていました。ところが、違うんですね。つい先日、この歌の時代やルーツを探るテレビ番組が放映されたようですが、ベトナム戦争、公民権運動などのアメリカの傷ついた社会のうねりから、矛盾を孕みつつ、立ち上がろうとする、きわめて時代性の高い歌詞だったんですね。

戦争はいかんなあ。当時も今もそう思いますが、ゴスペルにも通じるアート・ガーファンクルの高音、ただ綺麗な声だなあ、と思って聴いてました。「9.11」のあと、この曲が再び脚光を浴びたといいます。明日に橋は架からないまま30年が過ぎ、その間、「卒業」のダスティン・ホフマンみたいなこともありませんでしたが、まあそれは自分のせいですなあ(笑)

スイリンには、ひくまさんホームグラウンドの城東貨物線にはとても及びませんが、こんな人道橋付き(笑)の鉄橋もありました。わずかなチャーター運転に余生を過ごすC2には、この橋だって、明日に向かって走っています。
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