箱庭の運材列車

我々を乗せたレールバスと、チャーター列車が最奥の貯木場の駅を連なって出発する頃には、朝陽の上の空がにわかにかき曇り、時おり粉雪も舞い落ちてきました。

まずは、この奥の支線のハイライト、小さな鉄橋のところでフォトランを要請すると、ちょっと待て、と。すわ、カマの調子が思わしくないのか、と心配したら、この鉄橋の下の川から、バケツリレーでの給水作業が始まりました。それに携わる人の数や10人以上……いやはや面白いやら、申し訳ないやら(笑)

30分ほどで給水が終わり、この箱庭のような風景の中に、林鉄の運材列車がものの見事に甦りました。この鉄橋がまた、いいですよね。何の関係もありませんが、「戦場に架ける橋」みたいだなあ、と思ったり、「Like a bridge over troubled water♪」と口ずさんだりして。。。

ほんとうに素晴らしい風景なのに、一抹の寂しさがともなうのは、フォトランゆえ、鉄橋を渡ったら列車はスピードを緩め、停まってしまうからだと気づくのに、そう時間はかかりませんでした。

林鉄の朝

今回のツアーは、中国東北部にごくわずかに残った現役の林鉄で、クラの中に残っている蒸機牽引の運材列車を仕立ててフォトランするというものでした。ここ綏稜(スイリン)森林鉄道では、今も片道110kmに及ぶ路線が残り、実際にDL牽引の運材列車が走っているというのです。

先月行った樺南も名前こそ林鉄ですが、木材の切り出し作業はとうの昔に廃止され、貨物は炭鉱の石炭を運んでいて、林鉄本来の運材列車は見ることができません。私は数年前に葦河で見たのが、最初で最後でした。

いかにも林鉄らしい運材列車を見るには、もはやフォトランしかないのです。朝、麓の駅をレールバスで出発した我々の後を、DLに牽引されたC2+空車の編成が続きます。何か所かでDLを外してフォトランとなりましたが、これは翌日のリハーサルみたいなもので、いわば1日かけて回送、というわけです。

貯木場の連続する奥地の招待所で、次の朝を迎えました。いかにも林鉄の集積地らしい町並みのはずれに、朝陽に浮かび上がるC2の姿がありました。

雪の瀋陽から

先ほど帰ってきました。ハルピンから車で3時間のスイリンの森林鉄道でC2の運材列車をフォトラン、そして帰りがけに鉄法に寄るという3泊4日の密度濃いツアーは、中国鉄の世界では名にしおうO連隊長のもと、まさに修行というべき(笑)ステージの高いものでした。

昨日の午後から小雪がちらつき始め、朝、夜行列車を降りたときの霙がやがて雪に変わりました。夜行を降りたら雪の駅、なんて久しぶりです。どういうわけか、枯れ鉄さんたちと一緒に行った72年春の美唄あたりを思い出しました。

雪の降る街って、静かですね。真新しい雪が降り積もるホームに、箒を持った駅員が現れ、やがて列車を待つ人々の、雪を踏む足音が、その静かな世界に吸い込まれるように響きます。

ボーッと汽笛が聞こえたと思ったら、降りしきる雪の向こうから、黒一色の蒸気機関車の姿があっという間に大きくなり、ホームを煙と蒸気で包み込みました。今年も、中国東北部に、寒く、長い冬の訪れです。

京都発長崎行き

枯れ鉄さんのところで、京都の子供が憧れたDC特急の話が出ていました。そうそう、たしかに「かもめ」に乗れば九州に行ける、私もそう思いました。「白鳥」に乗って北海道、は本当に行きました。一度だけ。でもうれしかったなあ。

その京都発長崎行きの「かもめ」、たしか75年の春に京都駅からは姿を消しました。その直前、大学の合格発表だか入学手続きのために新幹線に乗る前に、京都駅のホームからダイブ(C大宮さん…爆)して撮ったのがこの写真です。

テールライトが点灯してることでわかるように、最後尾です。そこに狙いをつけて、車掌さんに「1枚だけ、真正面、撮らせてください」とお願いし、「ほんまに1枚だけやぞ。ほら、はよう撮れ」……古き時代ならではの一齣でした。

キハ82の「かもめ」、「まつかぜ」と「白鳥」が毎日飛び立ち、そこに「あさしお」やキハ181の「しなの」が加わりました。我々「後期SLブーム世代」(?!)はまた、気動車特急華やかなりし最後の時代を経験した世代でもあるのですね。

P.S.
明日からの飛び石連休の真ん中を休んで、ハルピン郊外のスイリンへ森林鉄道の蒸機を撮りに行ってきます。国内でも「D51ばんえつ」もあれば、ロクイチも走りますね。皆さま、晩秋の、いい連休、いい鉄を!

はつかり型

大宮330さんのところで、キハ81の古い写真が出ていました。ブルドック(笑)、懐かしいですね。「はつかり型」と言われ始めたところで初期故障が続出し、「いなほ」や「ひたち」を経て、最後はひねもすのたり、紀伊半島を「くろしお」で一周していました。

走行写真、この1枚だけ撮っています。ネガカバーの記録を見ると、有田鉄道へ行く道すがらのようです。たしかもう一度、名古屋駅で発車前を撮ったことがあり、出て行くのを後追いで撮ろうとすると、排気が凄くて霧みたいな写真になったんだよなあ。

こうして見ると、ユーモラスな感じが、先日来話題のDD53とどこか共通する部分がありますね。デザインとしては151系こだま型の気動車ヴァージョンなのに、どうしてブルドックになっちゃったんでしょう(?!)……デザインに遊び心があった時代、との大宮さんのご指摘、たしかに頷けます。

大阪の交通科学館に行けば、今も会えますね。そうそう、DD54にも、DF50にも。昨日の大阪出張、あたふたと仕事して時間がありませんでしたが、次の機会には久しぶりに弁天町に降りてみたいと思います。



本門前の小屋

一昨日の「SL&DLやまぐち号」、津和野で転車台と入換撮って、おなじみ「なごみの里」で昼飯食べて外に出ると、雨が降ってきて、露出は悲惨な数字になってきました。

ここは接近戦が無難と、やまぐち撮影の「原点」といわれる本門前踏切に向かいます。これだけ気温が下がって湿気があれば、いい白煙が期待できそう。この編成、オーソドックスに抑えようというわけです。結果はご覧の通り、はい、「これはこれで」(笑)ですね。

ちょうどここで待機しているときに、nagashima3さんからメールをいただき、新宿のコニカミノルタプラザで開催中の写真展のお薦めをいただきました。蒸機現役時代のカットと、同じ場所の今の写真が並ぶという、ユニークな写真展のようです。

昨日、早速行ってきました。中に、津和野のこのあたりを対面の神社の山から撮ったカットがあり、D51の貨物が走る昭和48年の写真に、この踏切が写っていました。目を凝らすと道はまだ未舗装で、いつもギリギリでカットする線路際の小屋(今日はわざとカットしませんでした)が、しっかり写っていたのが、もう最高でした。

残念ながら、本日15時までです。昼休みに行けるなんて方は、ぜひ。

SL&DLやまぐち号

昨日、今年最後のやまぐちに行ってきました。時期的には紅葉なんかいいだろうなあ、と降り立った山口宇部はドン曇り、この秋、磐西でならした(笑)酒仙Tさんとのコンビでまず確認に向かった小郡、もとい新山口は、東京より寒いくらいの感じでした。

やがてシゴナナの煙が上がり、ボーッと汽笛一声、おっとその後に、ポッと短く甲高い汽笛が……影武者DD51844の登場です。シゴナナの調子が良くないのでしょうか。心配ではありますが、この「SL&DLやまぐち号」、私、撮ってそうで、撮ってない。初めてなんです。そう思うと、不思議なテンションが、それなりに上がります(笑)

よく考えたら、シゴナナ+DD51なんて、蒸機現役時代も見たことありません。DL化前の練習運転なら前後が逆だし、あ、そうそう、C57135の最終列車の送り込み回送がDD51の前位で、たしかRJ誌の増刊か何かの表紙で見た覚えがありました。

でまあ、いつもの場所で待ち構えると、たしかにシゴナナのドラフトはあっさりしてるんですが、その後にドロドロドロとDDのつぶやきみたいなのが続くのも、悪くはありません。「真横撮りましょう、真横!」Tさんの提案に、私も間髪入れず頷いたのでした。



1号御料車

まもなく発売されるRF誌の1月号は、「1号御料車とクロ157」と題された特集記事が、巻頭を飾っています。日頃、1号編成、1号編成と呼び習わしていますが、「御料車」とくると、言葉の響きも荘厳になって、凛としますね。

おそらく、もう本線に出ることはないのでは、、、という噂かまびすしいとき、時宜を得た特集です。それにしても私の場合、実はロクイチの日章旗クロスを撮ったことがないという、オヤジ鉄、それもゴハチ鉄を自認する身にはあるまじき事実があります(笑)

何とかもう一度くらい走ってくれないかなあ、と思っていましたが、最近では永遠の夢のまんま、それもまたいいかなあ、と思うようになりました。外国旗とのクロスは3度も見れましたし、この写真のような回送時の息をのむような雰囲気も何度も味わうことができましたから。。。

そんな自分史(←大げさ!)を象徴するように、今回、国旗なしの練習運転の写真を1枚、使っていただきました。手前味噌で恐縮ですが、これで少なくとも国会図書館や鉄道博物館の資料室には、自分のロクイチ1号編成の写真が残ります(笑)そう思っただけで、日本人に生まれてよかったなあ、と思いました。

絵本のような

その博多南駅ですが、4輌編成の100系が出て行くと、ホームからは、まるで乗りものの絵本か図鑑のような、こんな光景が眺められるんですね。ツッコミとしては、絵本の写真なら順光でしょう(笑)それなのに逆光なのが、残念ですが。。。

新幹線の車両基地の一般公開に行くなんていまだに考えたこともないので、こんな並びを撮るなんて、もちろん初めてのことです。こう見ると、格好良いですね。童心に帰った気分です。どうせならこの並び、原色の0系と、せめて100系で見たかったなあ。

300系も、「のぞみ」ができたときのCMのイメージがまだ残っていますが、最早「こだま」運用が中心ですね。0系に揺られて大人になった世代には、「東海道新幹線」というイメージがするのは、300系が最後のような気がします。

で、振り返れば、南武線みたいな進学塾や整形外科の看板が並んでいます。今度機会があったら、曇りの日に、ホームも並びも、もう一度撮ってみたいと思います。





博多南線

下関からDD51にバトンタッチされた「旅の贈りもの」号を、山陰線の2か所で撮って、これ以上追いかけても雨で露出がなくなるだけ、と今回の撮影は終了。翌日の非鉄な所用のため、福岡に入りました。

夜明け前から動いた一日、さすがに夜は居酒屋の生ビール2杯でバタンキュー(←古い?!)、そのおかげで翌朝は早起きしてしまい、時間があるから何か撮るか、となりました。博多駅で駅撮りでもするか……で、思いついたのが、一度乗りたいと思っていた、博多南線。

新幹線の車両基地への回送線を通勤需要に応じて旅客線化した所要わずか10分の盲腸線です。料金は乗車券190円、特急券100円、合計290円也。塗色は変わり、4輌編成となった100系の2×2シートに身をゆだね、マンションの立ち並ぶ福岡市内を、ゆっくりめに進む雰囲気は、なかなか異次元のものがあって、ワクワクします。

で、またこの博多南駅がいい。片側1線で、このホームの看板、どうでしょう! そのへんの私鉄の、そのへんの駅ですね。列車がいないときは、基地に居並ぶ500系や700系が、ホームから間近に眺められるというのが、ほんのひとときの異次元空間を見事に演出していました。

雨は駅先

まだ明けやらぬ広島駅でイゴマルの発車を見送ったあと、新幹線で追いかけたのですが、新山口から在来線に乗り換えても、露出はまったく上がりません。本由良、厚東あたりの目星を付けていた場所も、走行写真を撮るには、大きなリスクが伴いそうです。

よし、こんな日は、駅撮りでいこう。そうなったら、対向ホームで、引きのできるだけとれるところ……考えてるうちに、昔、「ふるさと号」を大畠で撮った後、追いかけて進入を撮った新下関を思い出しました。「ふるさと号」、いやはやこれも懐かしいですね。イゴマル先頭に、やまぐち号に使っていた太い帯の12系にマイテ付き。。。

それよりむしろ、今回の編成は、「珍ドコ列車」に近いのかもしれません。これ、ゴハチが牽いたり、PFや66が牽いたり、何度かあって、セノハチ越えの写真がよく鉄雑誌のニュース欄に出ていました。撮りに行くことはありませんでしたが、今から考えると、一度ぐらい撮っておきたかったなあ。

工事の関係とかで、イゴマルは構内手前で減速し、静々とやってきました。悪条件でとりあえずベストを尽くした満足感、、、しかし、翌日の単回の途中で故障し、宮原へ帰れなかったなんてことを聞くと、イゴマル、心配でなりません。

旅の贈りもの

現在公開中の映画「旅の贈りもの」のロケ列車のダイヤをたどりながら、山陽から山陰へ、西日本を一周する団臨が運転され、EF58150が山陽区間を牽引するというので、はい、行ってきました。久しぶりのイゴマル。

東は「旅のプレゼント」でロクイチ、西は「旅の贈りもの」でイゴマル、似たようなネーミングですが(笑)、我々にとってはいずれも素晴らしいプレゼントですね。早朝5時過ぎの広島駅、待ち構えるファンの前に、1灯のライトが近づいてきたときの何気ない一瞬の静寂は、わざわざ行ってよかったと思わせるに十分でした。

JR初期の頃は「ムーンライト」などの夜行運用にもたびたび充当されていたイゴマルですが、夜を徹して走るのは、かなり久しぶりだと思います。イゴマルのバルブなんて、いつからやってないか思い出せないくらいです。

茶色のゴハチに、雨に光る線路……はい、バルブはこうしていい雰囲気だったのですが、このあと、明るくなってからの走行狙いは、雨と上がらない露出のため、苦渋を極めることとなりました。。。

DLの代替わり

DD53がらみの検索で見つけた「国鉄形車両 事故の謎とゆくえ」と題した本を読んでいるところです。DL関連でいうと、DD54不運の一生はもちろんのこと、名古屋駅でのDD51「紀伊」衝突事件、はたまた76年追分機関区火災など、興味をひく項目がいくつもあります。

播但線で最後に営業列車を引いたDD54は、バトンを引き継いだ国鉄DLの完成形・DD51と違って「故障を繰り返した開発の失敗例」として、組合が解体を阻止しようとしたといいます。今でいう、事故車両の保存と同じ意味合いですね。結果的に交通科学館に保存されることになりましたが、そんな経過があるとは、つゆ知りませんでした。

追分の火災では、D51や9600だけではなく、新製配置されたばかりのDD51が何輌か犠牲になってるんですね。そして救出された2輌のDD51のうちの1輌は、青い更新色に姿を変えながらも、現在も活躍中というのが、カマの運命の数奇を感じさせます。

このような国鉄特急色もどき(?!)、逆に日本のDLにはないですね。中国でもすでに、DLの代替わりが始まっています。私はまさか行かないとは思いますが(笑)、中国の線路端でも、DLにカメラを向ける鉄が増えるのも、そう遠くないことかもしれません。

赤い箱型

今回のDD53から連想する赤い箱型DLといえば、何と言っても、京都のガキどもの、我らがDD54ですが、写真はすべてサイトにアップしてしまい、当時は内心カッコええなあと思いつつ、みんなの前では忌み嫌わなければならなかった手前(笑)、カラーは1枚も残っていません。

で、中国の写真から赤いのを探してみたんですが、これが意外となかなかない。。。東風型と呼ばれる箱型DLは、グリーンがメインカラーで、クリームとマルーンの国鉄特急色(?!)みたいなのもあるんですが、、、やっと、ハルピンの陸橋の上から撮った写真が見つかりました。

こうして見ると、DD54、DF50に囲まれて育ったせいか、箱型はこの色がいちばん落ち着いてみえます。この赤い東風、DD54のシャープな印象と、DD53のユーモラスな印象の、ちょうど真ん中ぐらいの感じでしょうか。

このときは武蔵野市のS君、もといnagashima3さんたちと、双鴨山へのツアーでした。かつてはひっきりなしに大型蒸機が行き交い、この2001年でさえ、次々とやってくるDLで楽しめたこの場所も、今は電化や駅の改築で、様変わりしたと聞きます。


祭りは終わったけれど

磐西のDD53、さまざまな思い出を残して、3日間の本運転が終わりましたね。繰り返しになりますが、景色、天気、季節、そのすべてに恵まれ、長い間脇役に徹してきたカマに、美しいスポットライトが当たり、素晴らしいイベントとなりました。

沿線の人出は、それはもう、凄いものがありましたが、知人友人はもちろんのこと、私の存じ上げない方々もみんな、嬉しそうな顔をしていたのが、今回、思い出に残りました。おいおい、ホントに走ってくるぜ。。。その新鮮な驚きは何ものにもかえがたいものがあったのでしょう。

naokoさんの故郷、五泉の早出川鉄橋は、昨日も物凄い数の鉄でぎっしりでした。列車が通過し、急ぎ足でクルマへ向かうとき、警備のJR社員の方に「お疲れさまです。ありがとうございました」と声をかけました。すると、「お疲れさまでした。また是非いらしてください」と、嬉しい言葉が、笑顔とともに返ってきました。

今回の、あの状況下において、です。自分だったら、言えるでしょうか。感動しました。仕事をする人間のはしくれとして、大きな勉強をさせてもらいました。

また磐西が好きになりました。来年の春、シゴナナが元気に復帰したら、気のおけない仲間達と行くのが、今から楽しみです。

とばり下りる頃

閑鉄から1日でバリ鉄に戻ってしまい(笑)、今回なじみの7:00東京発、とき303号で、「DD53ばんえつ物語」の本運転を撮りに行ってきました。

DD53が「ばん物」客車を牽く姿にも、先日の練習運転ですっかり目が慣れ、今日はちょっと肩の力を抜いて、赤いフロントマスクが近づいてくるさまを、愛でることができました。そうそう、今日も天気に恵まれ、わずか数日の間に、紅葉が進んだり、ススキの量が増えたり、とニッポンの自然のありがたさも堪能しました。

本運転に付いたヘッドマークも、DD53のイラストが描かれたデザインで、悪くなかったです。DD51に付いたものともども、今回のイベントへのJR東・新潟支社の意気込みや愛情が感じられて、うれしかったなあ。

つるべ落としの秋の夕、新津へ帰る下り列車は山都の先で日没を迎えます。山の端にわずかな黄色が残る時間、とばり下りるSカーブを、DD53が帰り道を急ぎます。


忙中、閑鉄

平日休んで磐西行って、ばたばたと仕事こなしてライブ行って……さすがに今日は遠出せず、まあそれでも(笑)ちらっとのんびり、ゆっくり鉄してきました。

ありがたいことに(?!)、皆さん私は今日もてっきり磐西と思われてるようで、「こちら五泉、今どちらですか?」とか、「あれ~、磐西じゃないんですか」なんて電話やメールを携帯にいくつもいただきました(笑)

ま、今日も一応ロクイチとPトップ撮ってるんですから、ネタ鉄は変わりませんが、今日のメインはちょっと違います。かねてから一度は見に行きたいと思っていた、行田のC5726。そのカマの亀山での現役時代、すなわち私の京都のガキ時代の旧友、枯れ鉄さんと話がまとまり、行きがけのネタガマ撮影にお付き合いいただきながらのショートトリップとなりました。

秋空の下、まずまずの状態だったのに安心しながら、休日のがら~んとした地方都市にたたずむ、このカマの現役時代に思いを馳せました。祖父に連れられての参宮線、集煙装置を外したあとの短い煙突は、昭和45年そのままに、寂しさを訴えかけているようでした。



鉄もアコギも、ギラリです

この夏のインドネシアのツアーリーダー、C57135さんによると、人間が一生のうちに見られる「ギラリ」の数は限られていて、仕事で電車で移動中、そのへんのビルが夕陽にギラリ輝いてるのを見たりすると、「あ~あ、損したなあ」という気持になるそうです。

今夜、六本木のスイートベイジル139へ、杉田二郎バースデーライブを見に行ってきました。「フォークル→シューベルツ→ジローズヲタ」としては、もう最高でした。二郎さんのソロで聞く「さすらいびとの子守唄」は初めてで、またまたじ~んとしてしまいました。

で、小さなライブスペースですから、スポットライトがフォークギター、いやアコギに当たるんですね。ニス塗りの影響でしょうか、アコースティックギターが動くたびに、カラフルなスポットライトの反射が、ギラリと光ります(笑)

昨日の磐西では、これは「ギラリ1回分」消費しても納得のシーンがありました。今夜の名曲「積木」での「アコギギラリ」は、1回にカウントしてよいものかどうか、迷っています。。。


Hello,DD53!

DD53試運転、行ってまいりました。最初のポイントで見たときから「お~、こんなものがホントに客車牽いて走ったのかよ~」という、驚きを超越した世にも不思議な気分になり、追っかけてるうちに目が慣れてくると、いやあ、なかなか素晴らしい!

ガキの頃に京都で慣れ親しんだDD54よりは、丸みを帯びたデザインのせいか、ちょっとユーモラスな感じです。う~ん、むしろ、中国で遭遇する、前進の敵(笑)、東風にどこか雰囲気が似ているような。。。

大多数の鉄が追っかけするので、一極集中はそれほど極端でもなく、天気も予報よりはずっと良く、晴れカットもいくつかいただいてまいりました。とはいえ、何だか独特の緊張感の中で、はい、御召同様、あわてて失敗カットもありまして(爆)

一日の撮影を終える頃、次は、本番の天気がさっそく気になり始めました。夕暮れがあっという間に近づき、この季節の光線に、DD53の赤が見事にマッチングしていました。

プロフィール

Author:品川530
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR