秋は石北

やっと秋らしい天気になりました。残念ながら月曜のロクイチは行けませんでしたが、今週末は秋の石北へ行ってきます。まだ紅葉には少し早いようですが、山あいに響くデーデーの咆哮、想像しただけで、もうたまりません。

雪と闘う冬はもちろん迫力満点ですが、私の場合、石北はむしろ秋のほうが好きで、ここ数年よく通っています。常紋の前後だけでなく、白滝も、留辺蘂も、美しい紅葉がDD51の力闘を優しく包みます。で、丸瀬布の雨宮21号も、これまた美しい箱庭の主役となります。

国道沿いの保存機も、まだビニールシートで冬仕度する前で、秋の色の中に静かにたたずんでいます。温泉でひと休みも、秋がいちばんいいなあ。今回は生田原のノースキングが満室で、遠軽泊となりましたが、温泉付きビジネス、いやはや、しょぼそうで楽しみ(笑)

ADO/NH便の就航で女満別着が早くなり、2日間、みっちり楽しめそうです。あとは、好天を祈るのみ! ではでは皆さま、いい週末を。

大糸線1975

1975年、かぐや姫の解散と現役蒸機の引退はほとんどリンクしていて、私もこれからは違う青春を、と(笑)夢さん先輩と入れ違いに古美術のサークルに入って、東京での大学生活がスタートしました。

蒸機撮影をともにしたペンタックスSPのおかげで、すぐに、サークルの記念写真係になりました。だから、合宿とかになると、必ずカメラ持参なわけです。で、目的地の駅では、ついつい1枚、2枚、停まってる列車を撮ったりするわけです。

このときは、たしか新宿から夜行の急行アルプスで、穂高から安曇野へ行きました。碌山美術館の開館前に、安曇追分の駅で時間つぶしをしたのでしょう。側線に留置された電車の横に入ってきたゲタ電を、1枚だけ、撮っています。このコマの前後は、ふざけあってる30年前の大学生の写真が何枚も(笑)

実は、今でもときどき、これぐらいの弱い鉄(?!)に戻って、美術館回ったり、音楽や芝居見たりで休日を過ごしたいなあ、と思うことがあります。実際にはなかなかそうはならないでしょうが、ふとそう思うとき、大学1年生の青い気持が少しだけ甦るのも、悪くありませんなあ。

今日までそして明日から

鉄のイベントと同じように、祭りのあとの月曜日です。すっかり「鉄と唄のブログ」と化した昨今(笑)、皆さまからいただいたたくさんのコメントを読みながら、つま恋の空気、熱気、ざわめき、寂しさを何度も何度も思い出しています。

大宮330さんへのコメントで触れましたが、素敵な唄、えらそうな唄、作ったり歌ったりしてた拓郎もかぐや姫も、当時、まだ20代です。それに憧れた我々10代が、とうの昔に20代を通り過ぎて、40代、50代となった今、還暦を迎えようとする彼らの唄を喜んだり泣いたりしながら聞いている。

「すべての曲がなつかしい、なぜなら新しい曲はないんです」と南こうせつがステージで言い切ってしまう、かぐや姫のある種のすがすがしさ。「しょうがないな、好きな曲、やってあげるからさ」と少し丸みを帯びた拓郎の不良っぽい照れ笑い。

31年前、今日まで生きてきました、なんて感覚はあまりありませんでしたが、今はそれなりだけど、ありますね。団長さんのコメントにあるようにまだ明日も「そこそこ」あると思いましょう。74年の天王寺駅の雑踏の写真に託して、今日までそして明日から! です。



つま恋1975-2006

昨日は久しぶりの非鉄なロングドライブ、カナキク行こうと菊川インターで降りそうになるのを直進、31年ぶりの「拓郎&かぐや姫inつま恋」に行ってきました。

31年前の1975年といえば、大学に入った年で、入学手続きだか何かの帰りに、神田共立講堂へかぐや姫の解散ライブに行きました。初めてダフ屋からチケット買ったのがこのとき、いやあ怖かったなあ。怖いといえば、この頃の拓郎は、フォーライフ作った時期で、「元気です」の中の名曲の数々が街にいつも流れていたけれど、何だか問題児って感じで怖かったなあ(爆)

かぐや姫は、すっかり日本の民謡歌手(!?)として、いい位置を占めたようです。拓郎は、ちょっと丸くなったのか、やっぱりそうじゃないのか、よくわからないところが、やはり彼らしい。ステージからかなり離れたバックスタンドでしたが、同じようなこと思ってそうなオヤジ率高かったなあ(笑)

ペニーレインなんてオシャレなところにはまだ行けなかったので、あの頃の曲というと、都電の専用軌道のイメージがします。画面左に写ってるカップルも、う~ん、泣けてくるなあ。

梅小路で産湯を使った・後記

このブログを始めてすぐの頃、前原誠司さんが鉄、しかも京都出身であるという話を書いたことがあります。少し世代が違いますが、おそらく、蒸機現役末期の梅小路あたりですれ違っているのではないか、と、代表就任時に、ささやかなエールを送りました。

昨日発売の「国鉄時代」では、そのときのブログのタイトルをそのままに、中学、高校時代の梅小路の思い出を綴らせていただきました。並み居る諸先輩の北海道特集記事のあとに、ちょこんと載ってますが(笑)、このように少年時代を書かせていただいたのは初めてで、なかなか感無量です。

覚えていませんでしたが、T高のIさんがアップされた写真を見ると、一緒に行ったこともあったようです。どのとき、誰と一緒だったかはほとんど忘れてしまいましたが、この写真の春の日や、晩秋に17輌もの蒸機が勢ぞろいした光景は、35年経った今も、瞼に焼き付いて離れません。

前原さんにお目にかかったことはありませんが、先日も広田さんの写真展にお見えになったとか、相変わらずの鉄ですね。あの時代に通った梅小路に、いまも煙が上がっている、これは京都の元少年だけの宝物だと思います。今あらためて、エールを送りたいと思います。




青春色の街を

「北山杉」の入ったオムニバスCDが今日、届きました。ビール飲みながら、5回聞きました。青春色の京都の街を~♪……大学から東京に来てしまった私は、あのまま京都にいたら、もっともっと青春色してたんだろうなあ。。。と、夢みたいな気分になります。

昨日は「浪漫奥利根」の運用を終えたロクイチが、品川へ帰りました。祭りのあとの寂しさは~~♪…この曲は今週末、浜松のほうで十分楽しませていただくとして(笑)、イベント列車の運用後の品川帰投には、いつも独特の寂しさが漂っています。

台風の影響の雨も上がって、時おり薄日も射す中を、通いなれたオクシナ回送のルートを、ロクイチはすべるように走っていきます。最初は南浦和の外環クロスで。都会の機関車のいつもの表情にすっかり戻った感じに、こちらも、肩の力を抜いて、手持ちでシャッターを押しました。

都内に戻って、恵比寿のホームで一人カメラを構えました。渋谷方面からカーブを描いてくるロクイチに、山手の電車が重なります。京都は青春色のオブラートに包まれてしまいましたが、恵比寿は、私には、現在進行形の街です。

薄明かりを急ぐ

昨日の「EF58浪漫奥利根」、上り列車はさらにドン曇りとなり、いやはや、件の「浪漫」の色がほとんどダークにくすんでしまう条件となってしまいました。

少しでも開けたところで露出をかせいで、と後閑~沼田のほぼ中間の田んぼのポイントへ。ここで上りを撮るのは「EF上越号」以来20年ぶりでした。県道から踏切に入る細い道の入り口が相変わらずわかりにくく、綺麗に実り始めた稲穂も、この天気では輝いてはくれません。

今回は8月同様に渋川で停車があり、もう一度撮れればもうけもの、と関越使ってとりあえず、追いかけてみました。目指すは、20年前も、長野のKさんと、毎日の追っかけを仕上げた八木原の先です。着くと、かなり状況が変わっていて、以前より高崎寄りにシフトしないとアングルが得られませんでしたが。

曇り空の夕暮れ、やがて薄明かりをつんざくように、ロクイチの煌々と輝くLP403が迫ってきました。今日も来てよかったなあ。20年の時の経過をものともしないその姿、すさんだ心が洗われます。やっぱり、ロクイチは最高ですね!

名残りの幽谷

曇り空の下、行ってきました、ロクイチ浪漫奥利根。もうほとんど日差しは期待できないだろうという前提で、本来逆光になる岩本進入を選択、山の迫る上越らしい雰囲気を狙うことにしました。

上越線のこのあたり、そういえば「今は山中、今は谷、今は鉄橋わたるぞと~~♪」というフレーズが口をついて出るイメージですね。「浪漫」のサイドに描かれた大正美人風(?)のイラストも、バックの深山幽谷にどことなく似合います。

この浪漫、碓氷峠廃止の少し前の登場だったと記憶しています。先代の「白樺」が印象強かっただけに、登場当初はなんとなく中途半端なイメージでしたが、こうしてみると、窓のあたりに種車の14系の残り香をほのかに伝えていて、いいですね。

しかし、客車のさよならにロクイチが立ち会うのは、もういくつめなのでしょう。でも、いつもどおりに颯爽と。ジョイフルトレインの栄枯盛衰を牽引し続けた疲れも見せずに、我らがロクイチが駆け抜けていきます。

浪漫奥利根、サイド晴れ

今日は8月に続いてのロクイチの水上遠征でしたが、休日出勤のため、上越までは行けず、近場で1ショットだけとなりました。

ドン曇り、へたしたら雨の予報に反して、浦和はうれしいことに「サイド晴れ」、何とか京浜東北や上り中電にもカブられず、ロクイチはキラキラ、キラキラと朝陽を浴びて駆け抜けていきました。

今週は、客車が8月の12系でなく、これまた去就が注目される「浪漫」での運転です。この客車の色も、順光以外ではなかなか綺麗に写真にならない色ですが、今日はまずまずの色具合で、ロクイチとのバランスも悪くありませんね。

仕事中、いろんな方から次々と携帯に上越現地中継メールをいただき、いや、悔しい思いをいたしました。それと、長野のKさん、伝説のレガシィで久々の登場だったとか。。。Kさんにも会いたかったけど、あの懐かしのクルマ、見たかったなあ(笑)……悔しいので、明日は行きますよ~!

30年前の9月

ちょうど30年前、1976年の9月4日には、こんな列車も走りました。T高のIさんが少年時代から親しまれたこの場所で、たしかこれも撮ったなあ、と古いネガを探してきたんですが、この写真、プリントするのも、スキャンするのも初めてです。

30年経つと、もはや歴史的事項として、ウィキぺディアにまで載ってるんですね。私はもうほとんど休鉄に入っていた時代ですが、ちょうど夏休みで京都の実家に帰っていて、まあ京都駅の発車ぐらい撮るか、と出かけた記憶があります。そのあとどうしたかはまったく覚えていませんが、たぶん実家帰ってゴロゴロしてたのかなあ。だから、悲劇の上り列車は撮っていません。

この列車、集煙装置かぶって山口線に行く前の、C571の梅小路での唯一の本線仕業ですね。梅小路開館当初は、実際に運転された姫路往復や関西線とともに、C57が山陰線を通って天橋立へ行くイベント列車のプランがありましたが、このコースは一度も実現しませんでした。

現役蒸機の火が消えて半年、SLブームのけたたましいざわめきの残るなか、それでも新津御召当時の美しさを纏いながら発車していくC571のこの日の姿、そろそろ重い封印を解いて、眺めてみようと思ったのです。

秋でもないのに♪

というか、もう秋ですね~(笑)でも、秋になるとこの曲、口ずさんでしまいます。ほんとはもう少し晴れてくれるといいんですが、今日みたいに、上着が今月初めてしっくり着られた日なんかは、本田路津子の澄んだ声が似合いますね。

今週末は「EF58浪漫奥利根」もあるので、30年前の京都から大急ぎで戻ろうとしたんですが、20年前の上越で、ちょっと途中下車してしまいました。大宮330さんところのブログでも、この列車にはもう秋の匂いがした、と触れられていたように、国境のトンネルを越えると、もうこうして逆光に美しくススキがたなびいていました。

上越のゴハチといえば、昨日のおちゃまるさんところは、甘酸っぱい、いい話でした。それほどではありませんが、この20年前のイベント列車、急いで新幹線でとって返して、渋谷のパルコに、三脚持ったまんま走っていったこともあったなあ。。。

そういえば、その頃は「ダイヤル回して、手をとめた~~♪」でしたね。次が「ポケベルが鳴らなくて~♪」の時代、いまはメール着信、マナーモードのブルブルッじゃあ、ちょっと秋のメランコリーには似合わないなあ(笑)

信号待ち

いやはや、このブログ始まって以来のコメント数になりました。やはり、フォークルは偉大ですね。あ、もちろん、かぐや姫も、本田路津子も加藤登紀子も!

で、舞台はまたまた30年前の京都です。河原町の市電の写真がないか、探してみたのですが、残念ながら今出川や丸太町のあたりがほとんどありませんでした。う~ん、河原町線廃止のときは、もう東京にいたからなあ、、、考えると、このあたりから東に百万遍、また西に烏丸今出川にかけては、京都で学生時代を過ごした方々にとって、庭のようなところなんでしょうね。

河原町丸太町のキカメヤ楽器店は、もうないそうです。河原町夷川のワタナベ楽器というのは今もあるようですが、武蔵野さんやT高のIさんがおっしゃってるのは、どちらでしょうか。。。どっちでもいいじゃないか♪と来るとジローズの曲ですが(笑)

この写真の次のコマに、もっと市電が大きく写ってるのがあったんですが、当時の京都の街の匂いや空気が伝わってきそうな、こちらにしました。市電も敷石も時間も、信号待ちで止まっているのなら、次の信号までの短い時間でいいから、戻ってみたいですね。

あ・の・す・ば

らしい愛をも・う・い・ち・ど~~♪ と今日はのっけから70年代フォークでいきます(笑)昨日、入間の稲荷山公園で開かれたハイドパーク・ミュージック・フェスティバルに行って、はい、聞いてきました。「イムジン河」、「悲しくてやりきれない」、あと「花のかおりに」や「コブのない駱駝」も!

北山修、加藤和彦に坂崎幸之助が加わった21世紀版フォークル、いやはや野外コンサートで公園の芝生に寝っ転がって聞くと、まるでここは京都府立植物園か、鴨川の河原って感じです。中1のときの後ろの席のナオコさんへの切ない思いや、フォークソング同好会と鉄道研究会を掛け持ちした高校のときのどやどやした雰囲気が甦ります。

21世紀版フォークル、4年前の復活のときは、おいおい端田宣彦の立場がないだろう、とか、坂崎、おまえハシャぎすぎじゃないか、とか思いましたが、こうしてまた実現すると、いいものです。この秋は、「DD53ばん物」も葦河の新線も大事ですが、「拓郎&かぐや姫・つま恋」、「杉田二郎還暦コンサート」と、貴重なライブが続きます。

「さすらいびとの子守唄」のジャケット写真は、佐倉のC58の廃車体だったなあ、とか、小椋佳の「大いなる旅路」は布原の三重連かあ、とか、この時代の唄は、みんな現役蒸機と結びついています。「あ・の・す・ば」はやはり夕陽のイメージでしょう。ほんとは昔の写真から選びたいのですが、さすがにいいのがなく、先月のインドネシアから、時間を越えて、現役蒸機を借りてきました(笑)

見知らぬ彼へ

C579囚さんが、C57135さんの掲示板などに書き込んでいただいたおかげで、新宿御苑前のギャラリーで濱田州太さんの写真展が開催されているのを知り、昨日の午後、行ってきました。

大灰廠、集通、樺南で昨年の1月に撮った写真が並んでいましたが、ご本人は、これらのポジの上がりを見ることなく、35歳で早逝されたというから、胸痛みます。いろいろ考えたのですが、現場で写真を見ながらも、そして今も、言葉が浮かびません。

火車哥哥さんと職場のお仲間だったというのも、驚きました。でも、そのおかげで、C579囚さんや火車哥哥さんの書き込みから、多くの中国鉄の皆さんが写真展を知り、昨日はたまたまその筋の宴会があったこともあって、夕方かなりの方が駆けつけたようでした。

見知らぬ濱田さん、集通最後の冬をご一緒した、たくさんの人が、あなたの写真を見ています。短い冬の夕日に照らされた、私の写真も見てください。でも、我々鉄のことなんか、いいんですよね。この写真展を開かれた、優しいお父上のことを、どうぞ見守っていてください。

35年前のPFブルトレ

おっ、タバピーの彗星か、そうそう、JRになってしばらくの間も関西ブルトレの一部を田端(品川駐在)のPFが牽いていて、田端本所の初期型が品川の運用に入ることは少なかったなあ……といきたいところですが、それにしては何だか古すぎ、、、これ、35年前の写真です。

1972年、関西ブルトレの牽引機がEF58になる前は、EF65Pに混じって、当時の新鋭、EF65PFも一部のブルトレを牽いていました。これがたしか「彗星」の1往復のみ?とかいう少ない運用で、来ればけっこうカメラを向けたものです。

たしか、PFの所属は下関で、馴らし運用方々、臨時を中心に使われていたように思います。当時の電機にはほとんどなかった貫通扉が不思議と新鮮で、決して嫌いじゃなかったような気がします。

この1024号機、おそらく近年、田端で廃車になってるのではないでしょうか。タバピーの1両として、旅の終わりに、もしかしたら、もう一度「彗星」を牽く機会があったのかもしれませんね。

ついで写真の愉悦

ついでに撮った写真。。。これだけ長く鉄やってると、各年代ごとにたくさんあります。今となっては貴重な写真ばかりですが、気合い入れて撮ってないので、タイミング外してたり、ナナメっていたり、ピンボケだったり……。

T高のIさんとの京都鉄少年懐古録が続きますが(笑)、70年代初めの東海道をいつも往来していて、「ついで」でもなかなか撮らなかったのに、EH10があります。今見るとカッコいいですね。前から見たら武骨で、サイドビューは意外とスマートで、そして「縁の下の力持ち~~」って感じの哀愁を漂わせていて。

EH10も、一眼レフで撮ってるのは、京都駅近くの堀川通り付近のこの1枚しかありません。そういえば、T高のIさんが鉄の産湯を使われたこの場所、数年前に久しぶりに歩きましたが、柵の高さまでそう変わっていなくて、驚きました。はい、昨日のブログの「日本海」も、同じような場所です。

でも、わかっていても、今も「ついでに」撮るのは、あの頃とあまり変わらないスタンスなんですね。全部きちんと撮るよりは、ついでに撮った写真を後で見てニヤニヤしたり、悔しがったりする……何だかこれも、鉄の愉悦みたいです。





たった1枚の

その、昭和47年のEF58ブルトレ、まともに撮ってるのは、実はこれ1枚しかありません。T高のIさんがおっしゃるように、この頃は、東海道のEF58やEH10は永遠に走ってるものと思ってました。同じように、シゴナナから替わった、山陰線のDF50やDD54も。。。

その少し前、ハーフサイズカメラで京都駅のホームからホームへ歓声上げて走ってた頃、「日本海」はEF65Pの牽引でした。そして、これが京都で明るい時間に見る唯一のEF65Pで、EF58に替わったとき、「なんや、古いほうに替わるんか、おかしいなあ」と思いました。

ああ、米原のワイパーカバー付き原型小窓、、、ほかに宮原、広島、下関、今になってゴハチの歴史をたどると、この山陽ブルトレ時代は、ゴハチ後半生の華だったのでしょう。中でも、ヘッドマーク掲げて走ったのは、わずかな期間でした。

何ごとも永遠に続くと、疑いもしなかった10代の半ば。この写真だって、「SL白鷺号」を待つ間の予行演習カットです。そう、C622の姫路往復……残念なことに、上り電車にカブられてしまいましたが(笑)


孤高の青

飯田駅の朝、工臨仕業に向かうEF58157のまわりには、長年見知った飽きない面々が三々五々集まってきました。少し柔らかくなった朝陽に照らされたイゴナナのブルー。ああ、いいなあ。。。期せずして、誰もの口からそんな言葉が洩れています。

T高のIさんにコメントいただいたように、京都での少年時代、荷物列車を牽いた青いEF58は、ごくごくなんでもない日常のひとコマでした。冬になると、SGの煙をたなびかせて京都駅を通過していく姿は、あまりにも何気なくて、ろくに写真を撮っていないのが、今でも悔やまれます。

一昨日のブログの写真と同じ1972年だったでしょうか、山陽筋のブルトレがいきなりゴハチ牽引に戻ったことがありました。大好きな「あかつき」や「日本海」のヘッドマークも颯爽と本線を疾駆する姿、撮ろう、撮ろうと思いつつ、これまた数枚しか撮れませんでした。

舞台はローカル線に変わりましたが、決して東海道を離れることなく、もう何年、イゴナナは最後の青いゴハチとして、孤高を守っているのでしょうか。ロクイチ撮るときの緊張感もいいですが、イゴナナ撮るときの、この安らいだ感じ、これもたまりませんね。




日曜日の夕方

「ヤングおー!おー!」……いやしかし、今考えると、凄いタイトルですね。日曜日の夕方、あ~あ、明日はまた学校かあ、と思いながら見ていたものです。「9月の風に」のアーティスト名がどうしても出てきませんが、アリスの前のロック・キャンディーズとか、全盛期のシモンズなんかも「今月の歌」で出ていたなあ。。。

そういえば昨日、ゴハチ三昧飽きない面々から、天竜峡のポイントで三脚立てつつ、ちょっと意外でうれしいコメントを頂戴しました。「ブログ、フォークソングの話がまたいいですねえ」……聞くところによると、昨日の彼らの追っかけのBGMは財津和夫メドレーだったそうで(笑)

ブログを始めて1年が経過し、さまざまな方々にお越しいただくようになりました。まあ、主力はもともとの鉄な知人友人で、リアルな顔見知りばかりですが、検索やランダムアクセスで、非鉄な方、ちょっと鉄な方も時折いらっしゃいます。足跡を見ると、仕事上けっこう近しい会社のドメイン名があったりして、あの会社にも鉄がいるのか、なんて想像したりも楽しいです。

今日の写真は、フォークソングで来ていただいてる武蔵野7359さんのご実家の近くの、「ヤングおー!おー!」時代のカットにしました。72年5月、播但線溝口~福崎の真ん中あたり、この貯水池(?)の水面に写るアングルが、当時有名でした。シモンズが歌ったのは「ふるさとを見せてあげたい」だったと思うのですが、「つぼみ」だったかも知れません。。。



9月の風に

セプテンバー、そして9月は♪……これはもう、9月になると口をついて出る、竹内まりやの名曲ですが、9月の風に、あなたは消えた♪~~「ヤングおー!おー!」の今月の歌でやってたこれ、う~ん、男性デュオだったような気がしますが、思い出せない(笑)。。。

9月に入って、もう光線や風が、微妙に秋してきましたね。今日、EF58157の工臨を撮りに行った飯田線も、まだ気温は30度を超えたりしてましたが、ブルーのゴハチを包む空気は、すっかりやわらかなものになっていました。

例によって、飯田線の北部から南部への長い追っかけになりました。はい、今日も飽きない面々の、嬉しそうな顔が揃い、好天に恵まれた天竜川もイゴナナも、みんなキラキラしてました。

チキを増結した三河川合でイゴナナは小休止、平岡からの山道運転に疲れたこちらも、ふぅ~っと一息つきながら撮ったこのカットが、何だか9月初めの気分です。


DD51+SL客車

秋のばんえつ物語号は、話題沸騰のDD53に加え、DD51の牽引で運転される日もあり、こちらも楽しみです。磐西といえば、いまも貨物が走るDD51のホームグラウンド、秋の風景にしっくり溶け込んだ走りが期待できますね。

客車とのマッチングはどうでしょうか。この写真のように、昨年秋、2日間だけ「やまぐち」がDD51で運転されたことがありますが、このときはまずまずでした。SL列車のための改造客車はどちらかというと渋めの色とのマッチングが考えられていますが、「ばんえつ」客車の場合、渋めの中では派手めで、編成真ん中のサロンカーが全体の印象を派手方向へ引っ張ってしまっています。

この「DLやまぐち号」のときは、C571の重大な故障という理由だったので、これはこれでなかなかだなあと思いつつも、心中複雑なものがありました。今回のC57180は本来の検査入場ですから、「DLばんえつ物語号」も、素直に楽しめます。

DD51は高崎の御召関連機が充当されるようですから、シルバーの挿し色が、派手目の客車に調和して、いいかもしれません。DD53、DD51、どんな雰囲気になるか、撮影地の風景もあてはめて、今からいろいろ想像するのも楽しいですね。

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