SL会津只見号

只見ではC11+旧客の試運転も無事終わったようです。いろんなところで写真を拝見すると、やはり夏、スカの連続って感じです。それならば乗り鉄を、と今日帰りにみどりの窓口に寄ってみると、意外とあるものです、禁煙窓側(あ、全部禁煙か…)、510円也。

春の113系や交通博物館のときもそうでしたが、非関東人の鉄にとって、只見線は車窓風光明媚、ローカル色満点とはわかっても、蒸機現役時代への思い入れはありません。でも、運転初年の秋に行ったとき、川沿いの景色、取り入れの斜光線に、大きな感動を覚えたものです。

そういえば、旧客に乗るのもいつ以来でしょうか。只見では国鉄色キハとの並びもあるそうです。土日きっぷも買ったことだし、明日はちょっと信州に寄り道して、、、と、またまた忙しい週末になりそうです(笑)

EF66原色機

先週のブログでご紹介したEF65原色機ブームの時代、重連や三重連のコンビを組む貨物のEF66の場合も、原色率の低下が著しくなっていて、また原色でも頭に大きな「弁当箱」を載せていたりして、ベストな組み合わせはほとんどなかったものです。

当時、その弁当箱、もといクーラーが点検修理のため外されることがあり、黒磯から幡生に至る広域運用のうち、関東へやってくるのが土日になったりすると、嬉々として撮影に行ったものでした。私の場合、どうも昔から「カニパン」が好きになれず、JR西のブルトレ機より、この「期間限定・原型ガマ」に惹かれていました。

それが今や、クーラー付きでさえ1輌しか残っていないと聞きます。近い将来、JR西から貨物への売却はまたあるかもしれませんが、長いコンテナの先頭に立つデカパンの原色EF66は、もはや過去帳入りしてしまったのです。

EF65ほど目いっぱい追いかけたわけではありませんが、いま思うと、世紀をまたいだあの時代は、国鉄電機最後の華があちこちで咲いていたんですね。。。

五能線へ

Travelstory96さんから、「五能線」という曲も最近出ていたことをコメントいただき、やまてつさんのサイトで、この土日、日立市に保存されていた78653号機の「壮行会」が報じられていたことを思い出しました。

解体の危機に瀕した同機を、五能線の沿線へ移転し、やがては動態保存さえも見据えようとするさまざまな方々のご努力の結晶、その第一歩として、いよいよ移送準備が始まろうとしているのです。アスベスト問題に始まった保存蒸機受難の時代に、数少ない明るいニュースです。

五能線には蒸機現役時代に訪問したことはありませんが、風光明媚なローカル線で、梅小路で今も煙を上げる8630号機も活躍していました。厳しい気候条件、地方をめぐる現実など課題は多いでしょうが、一度は解体が決定した1輌の蒸機が、夢を持って生き続ける、それだけでも素晴らしいことだと思います。

7月中旬に78653号機が到着する深浦町のウェスパ椿山は、偶然ですが、「五能線」のミニコンサートが開かれたところでした。壮行会に行けなかったのは残念でしたが、いつかぜひ行きたいものです。磐西といい、五能線といい、旅情ゆたかなローカル線には、鉄なるものを引き寄せる磁石みたいなものがあるようですね。

狩人は鉄?

狩人といえば、8時ちょうどの~♪「あずさ2号」から始まって、目黒と恵比寿のあいだにある~♪「アメリカ橋」と、なんだか鉄になじみの深い70年代歌謡曲トリビアにどっぷりはまってしまう、重要アーティストですね(笑)

今日の昼休み、先週末の磐西に何かかこつけるネタはないか、と検索かけていると、いや~驚きました。2006年6月発売、狩人の新曲「磐越西線」……! 出たばっかりなので音をPCで聞くことはできませんでしたが、バンエツサイセン、もうこの言葉の響きからして、鉄ですなあ。。。

何やら、事務所の社長が福島県出身で、地域の活性化をねらって出した新曲だそうで、磐西の各駅でのミニコンサートも計画されてるとか。われらが関西フォークの雄、杉田二郎がC62ニセコのイメージソング出したと聞いたときも驚きましたが、雀百まで鉄曲忘れず?!、、、いい話じゃありませんか!

思わずネットで注文しそうになって、今日のところは思いとどまりました。偶然聞く機会があったりするといいのですが……いやいや、広田か磐梯町あたりの駅舎でミニコンサートがあったら、行きたいぐらいですね!?

ジョイフルロコ

ジョイフルトレインという言葉自体が聞かれなくなった昨今ですが、そのカラフルな列車に合わせて塗装された機関車のほうは、客車がなくなっても、そのままの塗装で残ってる例が多いですね。そして、客車のないJR貨物にも、ユニークな塗装のカマが存在します。

JR東の「レインボーガマ」EF8195、EF651118はその代表で、いまもファンの人気を集めていますが、JR貨物の「レインボーもどき」(笑)ED751028も、仲間のED75が数を減らす中、今日も長いコンテナの先頭に立っています。昨日、磐西への行きがけに、実はこのカマ、初めて撮りました。

ロクイチまでも「ネタガマ」に含めるのは何だか抵抗がありますが(笑)、赤い機関車のサイドにロゴが入った華やかさは、最初は何だこのハデハデしさは~と思いましたが、なかなかどうして、明るさと躍動感があって、いいものです。

南東北のおおらかな晴れ光線、唸りをあげる赤い重連のモーター音、帰りに食べる白河ラーメン……ときどき75フリークの友人たちとご一緒すると、彼らが熱中するのも、わかるような気がします。

初夏の回送

只見での運転に備えてC11325+旧客が日中に回送されると聞いて、ちょっとしばらくぶりに磐西電化区間へ行ってきました。梅雨の合い間に、爽やかな夏空が広がり、磐梯山も猪苗代湖もくっきり綺麗に夏の準備を整えていました。

旧客から赤帯がなくなったせいもあり、遠くから見れば、蒸機現役時代の客車列車に、郡山工場で検査を終えたC11が付いて走る風景、といってもおかしくない雰囲気です。電機が違うとか、何だこの濃い目の赤は…なんてのは言いっこなしです(笑)

途中の猪苗代では停車中に一般のギャラリーが注目するのに気づいた駅員が「ただいま停車中の列車は、7月に只見線で運転される蒸気機関車の回送列車です」なんて放送をするシーンもあり、何だか心和んだ一日でした。

来週と再来週の週末、初夏の風に吹かれて旧客の旅、いいだろうなあ。。。

名物重連の時代

その、世紀をまたいだ数年間のEF65原色ブームの時代には、他にも関東のあちこちで名物重連が走っていて、人気のカマがいつ、どれの先頭になるか、さまざまに楽しめたものです。

ご紹介した武蔵野線の三重連や、高島線の重連のほかに、高崎線には次無動ながら原色同士の期待のあった5760レ(これは今も次無動の付く列車ですね)、東北線には一時期でしたが、写真のようなEF66との重連が、光線状態のいい時間を走っていました。総武線にはDDとの重連、高島線には、平日の早朝に重連が2本続行で来るなんてのもありました。

で、約束も連絡もせずとも、いつもの面々がもぞもぞと集まってくるんですね。ゴハチ時代からの知人友人もいれば、この時代からの新しい仲間もいました。休日に一日がかりで行くのとちがって、出勤前や仕事中って顔も、この頃がいちばん多かったような(笑)

今も探せば名物重連はいくつかあるのでしょうが、東海道の荷物ゴハチ重連あたりから始まった、ファンの心ときめかす「名物重連の時代」は、この頃が最後の華だったように思います。





ザンパ恋しや

EF65原色機の一大ブームが始まったのは、98年のRM誌「今なお現役」で煽っていただいたのが端緒だったと思います。で、みんな自分で運用の流れ方を記入する表を作ったり、「箱ダイヤ」をコピーしあったりして、目当てのカマの運用を追うようになりました。

高崎に4輌ずつ残ったPとF、これが人気の中心でしたが、あるとき、一般型の原色も、(茶ガマの56号機は別として)4輌しか残っていないことに気づき、愕然としました。その前は、現場で会った鉄な方が「次のタキはザンパですよ、ザンパ」と言われても、ふ~んって感じでしたが、ザンパこと38号機、噛めば噛むほど味のあるカマだったんですね。

一度廃車になりながら、JR化後の貨物需要増加で復活し、仲間がどんどん更新されていく中で、かなりの部分に原型をとどめ、東海道をあたりまえのように走っていた「ただのEF65」の面影が色濃く残っていました。

となると、件の三重連3072レや、高島線の重連の先頭に立つのを狙いに行くのに、そう時間はかかりませんでした。一時期、高島線で往復とも同じカマが重連になる運用があり、ザンパと今も健在のPFセンザンパがコンビを組んだことがあり、「いや~、こんなものが貴重な時代が来てしまった…」といいながら、喜んで撮ったのが、つい昨日のようです。

高島線のこのあたりにもしばらく行ってませんが、何だかのんびりした線路端の雰囲気が味わえるこの場所で撮ったこの写真が、僕のザンパのラストカットとなりました。



府中本町ひと昔

あるところで、この撮影地、この列車の写真を拝見し、ああ、この狭い空き地にも全然行ってないなあ、P、F、PF、一般と先頭のカマのバリエーションを集めたものだなあ、と懐かしく思い出しながら、6年前のポジを引っ張り出してきました。

新座タから新鶴見まで、こんな回送三重連になった3072レ、65原色機の人気が急激に高まった時代、注目のカマが先頭につくと、唯一の順光ポイントであるここに、夜明け前からもぞもぞと(笑)鉄が集まっていました。

そういえば、まだこの頃はネットの掲示板などものどかなもので、ガセ当たり前の昨今と違って、見たまま情報をみんな熱心に書き込んだり、メールでやり取りしたりしていました。えっ、明日はゴロー? ゴニマル? と聞いて、二日酔い押してこれ1本撮りに行ったなあ。。。

この頃のポジには原色機しか写っていません。更新機にはほとんどシャッターを切りませんでした。わずか6年で、武蔵野線を行くカマの顔ぶれも、すっかり代替わりしましたね。

続・メガバンクの看板

最近は昔どんな写真撮ったかも忘れてしまうのですから、金融業界の方には申し訳ありませんが、銀行の元の名前とか、もうさっぱりわからなくなってきました。え~と、協和埼玉?とか、太陽神戸三井?とか、もうそれが今どんな名前なのかあやふやで。。。

先日、半年ぶりぐらいに、このポイントに行って、ロクイチ待ってるときは、ブログに銀行の看板の話書いたことなんかさっぱり忘れていましたが、さすがにパソコンに取り込んで思い出しました。おっ、まだ王子支店、統合されてないじゃないか……(笑)

三菱東京三菱になって、いまは三菱東京UFJですね。どうでもいいことですが、長いこと鉄やってると、無意識にこういうのをたくさん記録してますなあ。

で、そういう意味で最も面白いのは、やはり路面電車の写真でしょう。大昔の京都はいっぱい撮ってますが、最近の写真はどこもほとんど撮ってません。う~ん、まだまだ、いろんな撮り方ができそうです。これだから、写真って深くてやめられません。


東海道新幹線今昔

122や北びわこに通ったおかげで、ここのところ、久しぶりに東海道新幹線に短期間に続けて乗ることになりました。前にも触れましたが、「乗り鉄」として、いちばん好きな路線です(笑)

最近は品川から乗ることが多いのですが、先週は会社から直行したため、東京駅から豊橋停車の「ひかり」に乗りました。今回は海側のA席だったので「ロクイチよく見えないよ~」なんて思ってたら、最後は浜松町までのカートレインに使っていた海側の線路がまだ残ってるのを発見して、ビール片手に、ほくそ笑んでしまいました。

「のぞみ」主体のダイヤになって、「ひかり」の表情がまったく変わりました。その前の豊橋からの帰りは修学旅行の女子高生と混乗だったし(笑)、名古屋から西は各駅停車とか、停車駅がパターンダイヤで上手に考えられてるので、逆にけっこう混んでるんですね。

「こだま」も、東京発はいまは名古屋行きが中心で、エクスプレス予約普及の影響か、指定はこれまたなかなか混んでいます。先日読んだ、鉄の生態を描写した新書に「ひかり」や「こだま」でのんびり旅を……との一節がありましたが、ちょっとおいおい、って感じです。。。

その新幹線、100系も今は昔、現在「ひかり」「こだま」の主力となった300系どころか、500系にさえ引退が……と言われているそうです。100系引退のときはこうしてコンパクトデジカメでスナップしたぐらいでしたが、300系は少し真面目に撮ろうか、なんて思ったりしてしまいます。

茶色の「特別な機関車」

一昨日のEF58122回送の写真には、うれしいコメントをたくさんいただきました。忙しい平日の昼間、夜勤明けや勤務中に携帯にメール送っていただいた方も何人もいらっしゃって、いい鉄友をたくさん持ったなあ、そして、やっぱり皆さん122や写真を撮ることにそれぞれのお気持があるのだなあ、と涙が出そうになりました。

先日、大宮公開のパックのときにご紹介したRF誌の「君に会えてよかった」で、筆者のHさんは、大宮に取り込まれたパックがブルーに戻されたのを、「15年間も茶色の『特別な機関車』として頑張ってきた89号機への労りとも思える出来事で」と記されています。

122も、92年3月からの14年間、宇都宮時代の最後までの同僚パックと離れ離れになりましたが、茶色の「特別な機関車」として、頑張ってきたのですね。JR東海に残るもう1輌の157が浜松生え抜きであることを考えると、もしもう動くことが叶わないのであれば、大宮でパックと再会させてあげられないでしょうか……。

今日の写真は、その14年前、茶色になって浜松を出場する122の、どこか誇らしげな姿です。もちろん、122は新製配置が沼津で、そのあと東機が長いので、東海道の真ん中の浜松も、ふさわしい場所です。

いずれにせよ、JR東海の関係者の皆さま、エクスプレス予約たくさんして、僕の大好きな東海道新幹線これからもいっぱい乗りますので、どうか122の行く末にご配慮いただきますよう、切にお願いいたします。

そして、いつもの昼下がり

ちょっと時間が相前後しますが、先週の金曜、飯田線に122の工臨を撮りに行き、その翌日はロクイチと一緒に、いまや盲腸線(?!)となった信越線高崎口に入りました。夕方の品川到着まで撮ったらさすがに疲労困憊、帰ってビール1杯飲んだだけで、ゴハチ三昧の余韻で、ふわふわ宙に浮いてるみたいになっちゃいました(笑)

そのままの状態で雨の日曜をやり過ごしましたが、それでもやはり、勤め人には月曜がやってきます。毎週恒例の月曜朝会議、ああ、世間はきちんと動いているなあ、といつもながらに実感します。こんなにいろいろ撮らせていただいてるのですから、はい、仕事もしましょう。

12時5分、会議が終わると、地下鉄の駅に全力ダッシュ、すでに先ほど携帯には若い友人から品川でロクイチ確認、とのメールが入っています。カバンにデジカメ忍ばせ、昼休み拡大外回りで恵比寿へ。いつもの歩道橋には、同じような方法でいらっしゃったであろう、見知った顔が並んでいました。

ランチタイムが終わりかけた、いつもどおりのビジネス街に梅雨の合い間の陽が射し、いつもどおりに次々交錯する山手や埼京線の電車の合い間を縫うように、ロクイチがやってきました。シャッターを押し、通過を見届けると、僕らも何事もなかったように、いつもどおりの表情に帰っていくのが、週末のあれこれとあまりにも対照的でした。

いつもの朝

今朝の浜松駅、8時46分。通勤ラッシュが一段落したホームには、ほっとしたような時間が流れていました。

東海管内の東海道線の主要駅には、こうした麺類や、はたまたビールにホットドックなんていう飲食スタンドがけっこう残っていますが、サラリーマンのあわただしい朝食時も過ぎて、店のお姐さんも少々手持ち無沙汰のようです。

豊橋方から単機で入ってきた茶色い機関車が、ほんの数分、ホームの真ん中あたりに停まって、やがて、静かに踵を返していきました。ほんとうは、ホームの先端まで行って、後ろ姿を見送ろうと思っていたのですが、その余裕はありませんでした。

今日もまた、ちゃんとさよならは言えませんでしたが、その、あまりに何気ない風景は、結果的に茶色のパックを見送ったことになった、いつかの品川と似ていました。

嗚呼、122よ!

約束の場所

いつも同じだけど、今日も最後はやっぱりあそこにするか……大海で停車している122を追い抜いたあたりで、何と、日が射し始めました。新城のバイパスに入った頃には、いつのまにか雲の切れ間も大きく広がっています。気まぐれな鉄の神様が、最後だから、ちょっと微笑んでやってもいいかな?と思い始めてくれているようです。

戦国の城跡の横を通り過ぎて、細い小川の橋のところにクルマを止めました。やがて、長い追っかけを走破した何台かのクルマが三々五々到着し、あちこちで「まさか晴れるとはなあ…」と、いくつもの声が弾んでいます。

ほんとうに、これが最後なのでしょうか。瞬間最高値からは少し落ちた露出になりましたが、昼前までの雨を思えば、信じられない僥倖です。でも、最後だからの僥倖と思いたいような、思いたくないような。。。

とてもきれいな雨上がり~~♪ アマチマリ・ヒット曲トリビアはともかく(笑)、EF58122忘れじの名シーンが、雨上がりの6月の午後、約束の場所ではっきりと僕らの記憶に刻まれました。

雨がやんだら

雨がやんだら♪ お別れなのね♪……これは70年、大阪万博の年の朝丘雪路のヒット曲です。筒見京平フリークにも評価の高い名曲で……と、またまた歌謡曲トリビアになってしまいそうですが(笑)、雨のやんだ山あいの道を、そういえばしばらく非鉄なドライブなんてしてないなあ、とか関係ないことを考えながら、飯田線南部へ向かいました。

大宮330さんからコメントいただきましたように、さすがに旧国時代からの有名アングルも、撮影不可能になったところがあるようです。5月のGWにトロッコ撮りに行ったときも、三河槇原の南部、いや飯田線を代表するアングルが、木々の成長により、まったく撮れなくなっていて、追っかけていって、呆然としました。

上市場の有名アングルは健在だったので、そこで一発撮って、次は三河槇原のトンネル越しのアングルを狙いました。交換列車を待って発車した122が、ジョイント音も軽やかに、ゆっくりとポイントを渡って、短いトンネルにさしかかります。

ファインダー越しに見たその歩みは、今までの長い時間をじっくりと踏み固めていくようで、こちらはどうしていいのか、わからなくなりました。でも、曇り空の下、次の場所、今日の最後はここ、と決めた場所に、すぐ向かわなければ……と、クルマをスタートさせました。

有名アングル巡礼

まずは七久保を出てすぐのところでEF58122の工臨を待ち構えて、そのあとは、有名アングルを押さえながら、豊橋へ向かって南下することにしました。

七久保周辺のポイントについては、ゲタ電時代をご存知の大宮330さんから早速コメントをいただきましたが、天竜峡のこのアングル、実は一度も行ったことがありませんでした。市田で撮ってからナビで目星を付けて走ったのですが、さすが最近のナビは優秀で、何とか到達することができました。

やっぱり、飯田線というと、山バックの北部アングルと、渓谷と鉄橋の南部アングルです。天竜峡で停車中の122を追い抜く頃から、やっと雨がやんできました。まだ157は撮れるかもしれませんが、122の最後の最後に、こういう有名アングルをゲットでき、いい思い出になりました。

「鉄橋を渡ると涙が始まる」……これは、石橋正次のヒット曲でしたね。天竜峡からは飯田線と道路がしばらく離れて走ります。まだ涙の余裕もなく、カーブの続く153号線のワインディングロードに、レンタカーの走りを委ねました。

七久保駅の時間

飯田線のチキ工臨は、七久保までの設定がけっこうあり、ゴハチは渓谷を縫うようにして北上し、南アルプスの山麓に至ります。初めて157の工臨を撮りに行ったのは、たしか5月の連休明けでしたが、まだ雪をかぶった山々が綺麗にみえて、感動したものです。

今日は雨模様で、残念ながら山の稜線さえもみえません。122が茶色になってすぐの頃、今回と似たようなスジの工臨を撮りに行きましたが、そのときも曇り空だったなあ。

その頃はこの駅も、もう少し活気があったように思います。ED62の貨物がまだ走っていて、ゴハチの工臨と並んだりしました。駅の前後に好撮影地が点在し、前後と停車、その全部を撮ろうと、いつもあたふたと行ったりきたりしたものです。

ここにも、いい駅舎が残っています。ゆったりと時間を楽しみたいところですが、単機到着、入換、そして発車までの時間は30分余り。。。やはり、あたふたとした撮影になりましたが(笑)、この駅の空気、いつ来ても、何気に忘れられないんです。名残り惜しさで、改札越しのカットを何枚も撮ってるうちに、「さあ、そろそろ行かないと…」と、同行の友人から声がかかりました。

ロクイチと信越線へ

昨日、七久保で一緒だった熱心王・ハチマル29さんのクルマは、私が豊橋までの122追っかけ経由で一時帰宅(笑)してる間に、篠ノ井線の旧客回送撮影経由で高崎入り。いやあ、皆さん昨日から今日の移動にはけっこう苦労なさったようですね。

で、今日は横川までの12系団臨を牽くロクイチを追って、久しぶりの信越線です。うって変わった晴れ予報に心躍りながら高崎に到着、ハチマル29さんのクルマに便乗させていただき、EF62時代さんざん通った安中あたりに向かいました。

しかし、すっきり「ロクイチ日和」といかないところがこの世界の常、往路の列車がやってくる頃には薄曇り、そして返しの午後にはドン曇りとなりました。でもまあ、いいでしょう。当初の予報は雨ですし、それにこんなに何度もロクイチを撮らせていただけるのですから。

信越線内は回送も含め4列車とも、DD51とのPPとなりました。朝は、DD先頭も撮ろうと思ってたんですが、光線がどうだ、ポイントがどうだと、なんだかんだ言ってるうちに、今日も全部ロクイチ側を撮ってしまいました。

それぞれに深いゴハチフリークにお会いできるのが、ロクイチ日和のひとつの楽しみです。帰りの磯部ではsenrobataさんに遭遇、自嘲気味に全部ロクイチ側撮ったことを話すと「まあ、仕方ありませんね」とサラリと肯定されました。最後の品川到着では、駅撮りにしては玄人アングル(笑)に構えるkobanekoさんにも久しぶりにお会いし、ロクイチ談義をしながら、いい感じで締めくくりました。ロクイチと、今日会った皆さんに感謝!

122と過ごした日々

もう一度、EF58122の工臨があると聞いて、飯田線に行ってきました。予報は雨、なおかつ明日10日にも重要な撮影予定を控えており(笑)、移動はいったいどうするんだ。。。迷うところはあったんですが、鉄の世界の古くからの諺にあるように(!?)、「行かぬは一生の後悔」……はい、今回も、これに従うことにいたしました。

122の送り込み単回を追うようにして、前夜に飯田入り、予報どおりの雨に、七久保への単機は、交換停車の山吹でねらうことにしました。すっかりさびれていますが、木造の小さな駅舎が残っていて、いい雰囲気です。駅へのアプローチがけっこうな勾配になっていて、まずは進入を押さえることにしました。

やがて、山あいにゴハチ独特の汽笛が響き、モーターを軽く唸らせながら、122の茶色と輝くヘッドライトがファインダーの中で大きくなっていきます。うん、今日はもう露出はないんだし(笑)、深く考えずに122を瞼に焼き付けよう。そう思うと、気のせいか、雨の向こうに、ブルーと警戒色が重なってみえたりもしました。

今日は久しぶりに、七久保から豊橋まで、122とともに南下しました。いくつもの思い出に残るシーンに出会うことができ、さあ順を追って明日からこのブログでご紹介を……と思うのですが、明日は明日で、行かねばなりません。そう、ロクイチです。いやはや、嬉しい悲鳴の、ゴハチの週末となりましたね。

ナローの記憶

さあて、目もとウルウル70年代への旅は、ひとまず今日あたりで終わりにしましょう。何か、現役蒸機でも、市電でもない写真を1枚、とあれこれ考えた挙句、今夜はこんな写真を引っ張り出してきました。とりあえず、京都市内からは抜け出しました(笑)

先日、ひくまさんは加悦SL広場へいらっしゃったようですが、加悦鉄道、京都から近いのに、結局行かずじまいでした。また、先日、senrobataさんがUPされてた別府鉄道も、山陽本線の列車の中から見るだけで、撮影することはありませんでした。ほかにも、北丹鉄道、江若鉄道など、今から思うと、なぜ少しでも撮ってないのか……というローカル私鉄がたくさんあります。

そんな中で、友人たちに連れられて、一度だけ、尾小屋鉄道に行ってるのが、ほとんど唯一の救いです。ナローといえば、最近の中国では何か所も行ってますが、当時の国内では、まともに撮ってるのはここぐらいです。ホント、当時でも何やらタイムカプセルに乗って別世界に来たような感じがしたものです。

そういえば、宵々山コンサート、再開されて今年もあるようです。出演者に諸口あきら、なんて往年の名DJの名前があると、う~ん、行こうかなあ、と思ったりもしますが、せっかくの記憶、そのままにしておくほうがいいような気も。。。皆さんは、さて、いかがですか。

ホームにて

今週後半はいろいろネタがあって、そろそろ気持を切り替えなければ、と思うのですが、70年代の京都からなかなか抜け出せません。いや、あの当時の若さが戻るんだったら、この際このままでもいいんですが、そういうわけにもいきません(笑)

最近思うんですが、体力はしかたないとして、記憶力の減退、これはショックだったなあ。あの当時、自分が撮った写真のことは、たとえネガカバーや手帳に記録がなくても、列車番号から何から、ずっと覚えてるものだと信じて疑いませんでした。

それが最近は、昔のネガ見てると、列車番号どころか、撮った記憶もない写真が続々と……ネガカバーには、メインの撮影データが書いてあるだけで、その「ついで」のが書いてありません。昨日の市電の写真の入ったネガ、「1972年1月~市電千本線~」としか書いてませんが、中には、あ、ゴハチが写ってる!! おいおい、原型小窓…トップナンバーだ、、、全然覚えてませんでした。嗚呼。。。

少し時代が後になりますが、中島みゆきの「ホームにて」も名曲でしたね。振り向けば、空色の汽車の今ドアが閉まるところですから、ブルトレブームがもう始まっていたのかもしれません。長距離列車の発着する駅のホームには、こんな施設が必ずありましたね。最近は、こういうストラクチャーも、すっかり見かけなくなりました。

おくれてきた少女

昨日のブログ以来、すっかり、関西フォーク流れる70年代の京都へ迷い込んでしまいました。ネットで検索かけると、いやあ、出てくるもんやなあ、そのへんのこと、えらい詳しうやったはるサイトやブログ。。。と、言葉まで京都弁になってしまうやん(笑)

春先に函館から帰ってきて、ブログも「なごり雪」と題して、あの当時の歌には「汽車」がよく出てきたという話題にしたことがありましたが、北山修・杉田二郎のゴールデンコンビの作で、シモンズが歌った「おくれてきた少女」、これも名曲でした。「ベスト・オブ・"汽車”の出てくる歌」を選ぶとしたら、私はこれに投票します。

荷物をまとめて約束の汽車に乗ろうと駅に来たけれど、汽車はもう出たわ……という切ない恋の唄なんですが、当時の高校生にはそこまでディープな実体験があるはずもなく、せいぜい、こうして通学時間の市電の写真撮って、口ずさむ程度でしたが。

ピンクピクルスの茶木みやこさんは今でもかなり精力的に歌ってらっしゃるようですが、シモンズの北川ユミさんは、最近はどうなんでしょう? 検索かけても、なかなかヒットしませんでした。もし、どなたかご存知でしたら、ぜひお教えください。



たぶん、ランダムか検索でいらっしゃったのでしょうか、武蔵野7359さんから、関西フォークトリビア系の、うれしいコメントをいただきました。昨日の高石ともやさんの番組、見たかったなあ。「宵々山コンサート」、もうコトバ聞いただけでダメになりそうです(笑)

ナターシャセブンの名曲で、「宵々山~」でもよくラストにやってた「街」、今でも時々口をついて出てしまいます。当時の京都の雰囲気が、短い言葉を続けた独特のテンポに凝縮されていて、う~ん、酒飲みながら聞いたら、泣いちゃいそうです。もちろん、歌の中では、路面電車が走っています。たしか、茶木みやこの「泪橋」もそうだったような気がしますが、市電は、当時の京都の唄には欠かせないですね~~

京都市電の全廃は、78年の9月。またまた、どこまで続くか休鉄話(笑)になりますが、廃止直前には、帰省ついでに二度ほど、ペンタックスSPで撮り歩きました。今やネガカラーの同時プリントはすっかり退色していましたが、ネガはそれほどではありませんでした。このグリーン、京都の町にほんと、よく似合っていました。

国鉄末期の中央線

飯田町でDE111が入換をしていた85年4月の14系は、こんなイベント列車となって、甲府へ向かいました。復鉄当初で、雑誌の情報以外は右も左もわからず、週末になると、今週はこれ、来週はあれ、と今でいう「ネタ」を撮りに行きました。。。(あ、やっぱり、あんまし変わりませんね、やってること……)

EF15のお別れイベント、たしか重連も、三重連も走りました。この単機牽引の列車、その後になって走ったので、地味な感じがしました。しかし、当時の中央線のイベント列車は派手なマーク付けてましたね。休鉄中で写真は撮ってませんが、ED16の「日テレ・おもしろまじめ号」など、テレビや雑誌で見て、いや~なんじゃこれって思いましたねえ。

休鉄中住んでた吉祥寺や阿佐ヶ谷で、お昼前だったか、午後だったか、電車を待っていると必ず通る下りのEF15の貨物がありました。いつのまにか見かけなくなり、夜のスジにでもなったのかな、と思っていたんですが、後から考えると、新宿経由の貨物が廃止されたためで、時期的には、EF15が急激に姿を消していった時期とも重なっていました。

あの貨物、阿佐ヶ谷のホームの先端で一度は撮りたかったなあ、と思いながら、春雨の山あいで、このイベント列車を待っていました。

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