国鉄新橋駅

休鉄と復鉄、、、このブログでは、オヤジ鉄のしみじみとした春の宵が続いてます。皆さん、コメントありがとうございます。休鉄と復鉄が入り乱れるのは、昭和が平成に、国鉄がJRになる頃が多いですね。僕らがガキの頃、「明治は遠くなりにけり」と聞いて何の実感もありませんでしたが、最近はすっかり「昭和は遠くなりにけり」、ですなあ。

今日、たまたまカメラを持っていたので、帰りに新橋でこんな看板をスナップしてきました。国鉄がJRになって来年で20年、さすがに最近はこんな看板もほとんど見かけなくなりました。先日、通りがかりに見つけていたのですが、今日は「もうないかも…」とドキドキしながら(笑)、地下の飲み屋街へ向かいました。

この前も友人と話していたんですが、もう最近はじっくり飲むなら、新橋か神田ですね。長年、オヤジたちの文句と泥酔に鍛えられてきた赤い灯、青い灯は、不恰好で無骨ですが、年期が違います。今夜も、この古いビルの地下に、オヤジたちの酔っ払った声が、あちらこちらで、こだましていました。

C11のいる広場の整備も終わり、最近は時間を決めて汽笛も鳴るそうです。いい調子で表へ出てきて、そこで汽笛が聞こえたりすると、いい気分だろうなあ。今日は、蒸し暑かった一日にふさわしく、松田聖子の「夏の扉」が、どこかの有線から聞こえてきました♪

中央総武緩行線

ついついゴハチネタが続きました。このままでは、ゴハチブログになってしまいます(笑)……勢いですから、それでもいいんですが、どうせ6月にはまたゴハチネタにならざるをえない時期もありますし、このあたりで、気分転換しましょう。

昨日は、久しぶりに非鉄な休日でした。夕方から水道橋に所用があり、代々木で中央総武緩行に乗り換えました。学生時代に吉祥寺や阿佐ヶ谷に住んでた時代から、同じ所用で水道橋に行くときは、この黄色い電車です。いまは、ステンレスの一部が黄色いだけですが、、、

今日は神宮じゃないから、と千駄ヶ谷、信濃町をやり過ごし、飯田橋で右手に貨物駅が見える頃から、う~っ、と気持が盛り上がってきて、水道橋のいちばん後ろで降りる頃にはすっかり気持が切り替わって……この感じ、鉄と同じで、何年経っても変わりません。

その飯田町の貨物駅も、今はありません。この写真、85年の復鉄当初に撮った、イベント列車の入換をするDEです。ぽつんとDEがいて、ワムがたくさん連なってたりするのが、飯田橋のホームからよく見えて、なんだか都心のエアポケットのようなところでしたね。

昨日の水道橋では、同じ所用で来られたというnagashima3さんに遭遇、結果はちょっと残念でしたが、終了後は楽しい飲み会となりました。しかし、私も長年水道橋には通ってますが、nagashima3さんのように、屋台の常連になるほどではなく……屋台を吹き抜ける風に揺れながら、鉄や来し方行く末をめぐる、よもやま話が続きました。このトシになって、いよいよ、奥が深いですなあ。。。

夢想・ゴハチミュージアム

昨日の大宮、パック[東]+ナハネフ22がこうして展示されましたが、鉄道博物館のサイトの予想図を見ても、ブルーのパックがこの編成で鎮座しています。

これホント、塗色はむずかしいところですね。パックは東機で青大将のままブルトレ牽いていて、ブルトレ塗装になったことはありません。青ガマとしては「新星」や「おが」があるでしょうが、東海道ブルトレって感じじゃないですし。。。

EF5893も、その編成の横に並んでいました。こちらは青大将色に、最終配置の[新]が入っていて、まあこれはこれでご愛嬌ですね。が、どこかの掲示板でも見ましたが、いま大宮にいて、鉄道博物館の展示予定に入っていない、この93号機やEF80、ED16などはどうなるのでしょう。ちょっと心配です。

大宮には、EF5860号機のナンバーなども保存されています。本当にブルトレ塗装で20系を牽いた122をめぐる昨今の話。そして、昨日も単機撮るだけで大はしゃぎしてますが、ロクイチだって、長い目で見ると、どうなんでしょう……将来、鉄道博物館の別館でゴハチミュージアムができて、アクセス列車はいつまでもロクイチ……春の夜の夢は尽きることがありませんね。

ゴハチざんまい

やっぱり雨か…ま、仕方ないなと自分に言い聞かせながら、予定よりもゆっくり、10時過ぎに家を出ました。先週同様のハンドル訓練のロクイチ単機があると聞き、じゃあそれを撮ってから大宮へ。。。返す返すも天気が残念ですが、ロクイチとパックを同じ日に撮れるなんて、いったいいつ以来のことでしょう! 今日はゴハチざんまい、いや、素晴らしい。

雨が少し小止みになったところで、若干スジが繰り上がったシナオクで、ロクイチがやってきました。そのあとを追うように、恵比寿から湘南新宿ラインで大宮へ。ラッキーなことに、大宮の構内へ入り、パックの前でカメラを構える頃には、再び雨が小降りになりました。

ナハネフ22と連結された状態は、鉄道博物館のリハーサル? 所属札は、去年までの「宇」に代わって「東」が入っています。そりゃあ、それが本来のものでしょうが、う~ん、あの筆文字の「宇」のほうが、パックには似合ってるような気がするなあ、、、

「あさかぜ」の古いヘッドマークを付けたパック、パンタは上がっていませんでしたが、じっくり堪能させていただきました。博物館が開館すると、外ではもうこうして見られないかもしれません。そのときの塗装は……いらぬ心配もしたくなります。一度は計画されたという青大将? ブルトレ塗装なら、122もいますよね。

検査中のデコイチや貨物ガマをいろいろ撮ったら、足早に、オクシナのロクイチを撮りに、東大宮へ向かいました。そこには、ゴハチざんまいの一日の締めくくりにふさわしい、古くからのゴハチフリークさんたちが何人もいて、なんだかとても幸せな気分になりました。

君住む街

このタイトル、「男どうし」や「積木」と並ぶ杉田二郎ソロ初期の名曲です……と、のっけから今夜は関西フォーク一人トリビアに入ってしまいましたが(笑)、明日の大宮工場(いや、今は車両センターでしたね)公開を前に、このフレーズを、ついつい思い出しました。

関西フォークはさておき、パックが大宮に取り込まれた翌年春のRF誌で「君に会えてよかった~茶色のEF5889号機 最後の15年」と題した特集記事が2回にわたって掲載されました。これは私にとっても一生の宝物となりましたが、筆者のHさんが、エピローグで綴られたパックへの思い、これは名文でした。

たしかその頃には交博の大宮への移転計画がもう決まっていて、パックの撮影で思い出深い大宮に、パックはいまもいて、これからも大宮へパックに会いに行くだろう、と、パックと過ごした時代を共有する鉄の心の琴線に触れる、いい文章だったなあ。。。

それをなぞるように、私も毎年、この大宮の公開には通っています。明日も、何よりも、パックに会いにいきます。うれしいことに、1週間のうちに、ロクイチ、122、パックと、久しぶりのゴハチざんまいになりますね。

飯田線初入線の頃

その89年11月の122ヌマ座、単機訓練を経て、初の客車牽引での豊川以北初入線でした。飯田線旧国ブームは休鉄の真っ只中で、私も122と一緒に、ずいぶん遅れて、この日、飯田線へ初入線でした。

雨の中、撮影地を探しながら、このときは電車での北上でした。雨、徒歩となると駅近のポイントを探さざるをえず、ようやく見つけた上市場で、えいやっと下車してカメラを構えました。ずいぶん遠くまできてしまったなあ……と、深い杉林を眺めながら列車を待っていたのを覚えています。

この頃、すでに157も復活していましたが、東海道や御殿場線での工臨仕業が多く、122のほうが主に客車運用に入っていたように思います。ヌマ座はよく牽いていましたが、飯田線は線路容量の関係か、6両のフルで入ったのは最初だけで、すぐに減車での入線になりました。

その後、東上や三河槙原、さらに北部の七久保や田切といった旧国時代からの撮影地も知り、ずいぶんいいものをたくさん撮らせていただきましたが、この、あたりを睥睨するようにゆっくりやってきた、堂々とした感じを再び味わうことはありませんでした。

雨のゴハチ

水窪から豊橋へ向かうEF58122のチキ工臨、中部天竜からは、雨になりました。露出は酷いほどに落ちるいっぽうで、こちらもデジ中心に切り替えざるをえませんでした。

ゴハチ、それも122と雨といえば、東北線時代では、パックの次位ですが「いもほり号」が懐かしく思い出されます。光線関係ないから、と構えた矢板の築堤で、トライXで無理やり撮るのがやっとでした。そうそう、客車を牽いての飯田線初入線のヌマ座も、雨でしたね。。。たしか、その日も平日でした。撮影地を知らず、何とか見つけた上市場のカーブで、一人で三脚を立てたなあ、、、

昨日の午後も、雨脚は早まるいっぽうでしたが、どうせ豊橋経由で帰るのだからと、数少ないツワモノたちの追っかけグルマの流れに乗りました。三河槙原では古くからの有名ポイントへ着いた瞬間、木が成長していて、昔のアングルは不可能で、飯田線ブランクを思い知らされました。

結局、最後はトロッコと同じ場所で見送ったのですが、その写真をご紹介するのはやめておきましょう。そう、またまた、さよならは言えなかったのですから。。。

まだなお現役

日曜の振替えで休みをとって、飯田線へ半ば無理やり行ってきました。予報は曇りのち雨、いつもなら、ま、今度でいいか、というところですが、もう自分が見ることはないかと思っていたEF58122の工臨仕業があると聞いて、取り憑かれたように、朝イチの「こだま」に乗ってしまいました。

RM誌によると、トロッコもこのまえのGWが最後だそうです。となると、もはや東海のゴハチの仕事は工臨しかありません。飯田線入線当初、「え~、ゴハチが飯田線で工臨、そんなあんまりな」という声が多い中、「これはこれで、けっこういいじゃない」と、何度か通いました。パックもそうでしたが、いかにも「現役」という感じがして、工臨仕業、いつのまにか東海のゴハチには違和感なく似合ってきました。

チキ編成を組成中の水窪では、まだ雨が落ちてはきていませんでした。走行写真を撮るために先を急ぐ皆さんを横目に、発車まで待ちました。ユーロもヌマ座もよかったけど、トロッコとチキ、深い山の風景にふさわしい列車を牽いて、122は、今日もまだなお現役の顔をしていました。

ロクイチを支える人々

さすがの極楽鉄とんぼも、今日は休日出勤、それも暑い中、ジャケット着たままで外での仕事でした。14時過ぎに何とか終了、、、よし、ロクイチの単機に間に合う!(笑)カバンの中に忍ばせていたデジカメをさすりながら、京浜東北で浦和方面へ向かいました。

2日続きのロクイチ晴れ、単機とはいえ、素晴らしい。今日は田町の乗務員の方々のハンドル訓練とか。いつも思うのですが、こうしてロクイチを現役機として維持し、次の運行に万全を期す現場のご努力は、おそらく我々の想像を大きく越えたものだと思います。

こちらは今日も暑い、暑い、とうだっていましたが、考えてみたら、ロクイチはもちろん、PFだって、夏の運転室は大変ですね。まだ貨物のカマのほうが、最近はクーラーが付いていますが、旅客ガマはそんなこともなく、こうしてカマ自体が少なくなると、大幅な更新工事ということにもならないのでしょう。

設定時間が少し変わったようですが、オクシナ回送スジは、結局、改正後も残されています。やがて、東大宮操で折り返したロクイチが、北浦和手前のカーブを、鈍い夕陽に照らされて回ってきました。眼前通過、キャブのキリッとした雰囲気が、軽快なリズムとともに、こちらにも伝わってきました。

ロクイチ晴れ

田端で交検を終えたロクイチがPFの次単で品川へ回送されると聞き、うちの近所で1枚、撮ってきました。

今日は昼前から昨夜の雨が嘘のような快晴となり、気温もうなぎのぼりで、わずかな時間待ってる間も汗ばむ陽気となりました。昔から、雲を連れてくる(?!)機関車ですが、そういえば最近はけっこう晴れますね。鉄の神様も、さすがにゴハチの運用がここまで少なくなると、意地悪をしなくなったみたいです。

後追い撮影、苦手です(笑)慎重に構えていても、ついついタイミングを外すことが多く、今日のように列車密度の多いところだとなおさらです。が、撮影後、お目当ての列車が順光の中を遠ざかっていくシーンを目で追うのは、これはこれで独特のいい気分ですね。片パン? テールライト? いいんです。ロクイチですから。

クルマを置きに一度帰って、大穂孝悦さんの写真展に出かけようとすると、ロクイチ晴れから一転、大粒の雨が降り出しました。会場で長い雨宿りをさせていただいてるうちに、中国鉄の知人友人が揃い、つい先ほどまで宴会に……クルマ置きに帰ってホントよかったなあ。。。

遠ざかる日々

さすがに現役蒸機撮ってた頃を、つい昨日とは思いませんが、84年の復鉄の頃は、どうもまだ最近の話って感じでした。一大ゴハチブームが鉄の世界を席巻し、遅れて参加した私なんぞも、三脚片手に西東、今日はパックかロクイチか。。。nagashima3さんのコメントにもありましたが、復鉄当初の情熱、ホント充実してました。

そのゴハチブームはそのままJRに引き継がれ、長らく5輌の体制が続きました。思えば、エバーグリーン賞を受賞した頃、東海のブルー2台揃いなんていうのは、現役ゴハチを髣髴させる、いいシーンでしたね。

GWにさよならを言えずに帰ってきた122号機ですが、今日の帰りに東京駅で見てきた早売りのRM誌には、すでに「ありがとう、122号機」……見開きの大きな記事がありました。どこかで、単なる噂であってほしい、と思っていましたが、、、

いつしかこうして、復鉄の日々が、徐々に遠ざかっていくのを実感することが、最近は多くなりました。

復鉄の頃

品川530@ほろ酔い帰宅です。早速、同年代の皆さまから、しみじみとしたコメントをいただきました。こういうとき、ブログやってよかったなあ、と思います。ありがとうございます。

何度か直接お話しはしてるんですが、私が復鉄してすぐの、この写真の撮影会に、senrobataさんもいらしたそうです。関西でも、ゴハチを集めた撮影会がこの頃たくさん開かれていて、そこにはひくまさんの姿があったようです。で、nagashima3さんは、その頃すでに、ハルピンの陸橋で前進を撮ってらっしゃったのでは。。。

それぞれの休鉄、それぞれの復鉄ですね。さんま、サザンの桑田、江川、野田秀樹……この何だか中途半端な世代にあって、鉄はみんな何とか楽しく生きてきてますなあ(笑)

叶うことならば、神様もう一度だけ、このカマのこの姿、後ろの1号編成付きでお願いできませんかねえ、、、

とまどいトワイライト

前回のブログでタイトルをご紹介したこの懐メロ、かなりマイナーです(笑)。79年、これまた倉本聰ドラマの中ではマイナーな「たとえば、愛」のテーマ曲です。が、さっき検索かけてみると、同好の士は少なからずいるようで、「知ってる人少ないだろうな」「でも、これは名曲」「豊島たづみ? いま何してるんだ?」などのコメントに愛着溢れるものばかりでした。

ちょうど今頃の季節、ドラマが放映されていて、この曲が流れていたと記憶しています。社会人になりたての春、私にとっては10年に及ぶ「休鉄」のちょうど真ん中あたり。現役蒸機の時代からはちょっと時間が経ち、この年の秋に「やまぐち」の運転開始はありますが、飯田線やDF50に興味を持つこともなく、酒と仕事におぼれていきました。。。

同年代の鉄友と話していると、みんなどこかで休鉄の時代を経験していますね。高校生の夏に私が飯山線でシゴロク撮ってたのと同じ日に北海道でキューロク撮ってたひくまさんはもっと長かったみたいだし、私が小学生の頃に大阪の交通科学館行って感動してたような気持ちを神田の交通博物館で経験していたsenrobataさんはもう少し後の時期のようです。

あのまま鉄やめてたら、今頃どうしていたんだろうなあ。。。ちょっと想像がつかないほど、深みにはまってしまいましたが。

トワイライト、迫り来る

ブルトレ街道の室蘭本線ですが、前回の2月とちがって、今の季節は夕方の上り寝台特急も撮影可能時間帯に入ります。ことに、1本目の「トワイライトエクスプレス」は札幌を14時過ぎに出て、噴火湾沿いの非電化区間を、文字通りトワイライトを浴びながら大阪へ向かう。。。う~ん、これだけでも、長距離優等列車らしくて、いいですね。

薄曇りの夕陽が残念でしたが、次回のロケハンのつもりで、ポイントを探しました。ざっと見た感じ、非電化複線でも、やはり電柱が並行してる区間が多いのですが、そこをひとつ、電柱をキレイに処理できる場所はないものか……もうほとんど長万部に近づいたところで、やっと見つかりました。

北斗星が北の正調ブルトレ、カシオペアが未来形とすると、トワイライトはその中間のイメージで、個性的な塗色や客車の窓の高さの不揃い具合が、JR初期のジョイトレチックで、今となってみては、これはこれで捨てがたい味があります。

街角トワイライトはラッツ&スターで、とまどいトワイライトはえ~と、誰だったけ……豊島たづみ! 国鉄時代歌謡曲トリビアを一人でやってるうちに、夕陽と追いかけっこをするように、DDのトワイライトが迫って来ました。




DDからDFへ

GW明けとともに、風爽やかな北海道の季節。こちらも、道南強化月間に入りました。とはいっても、今月後半は休日出勤やら何やらで遠出は不可能で、これ一度でおしまいかもしれませんが(笑)

今回は、いよいよ東室蘭から長万部へ向かって、非電化区間へ分け入りました。30数年前に通過したことはありますが、この区間はDL化が早かったこともあり、撮影はしていません。非電化複線を往来する長編成の寝台特急……残念ながらバリ晴れとはいきませんでしたが、海沿いの風景は独特のストーンとぬけるようなところがあり、楽しんできました。

3月の改正を経て、DFの進出は著しいものがありました。DDと思って待っていると彼方からはレッドクマーが……その逆もあったんですが、そういうときは往々にして背中からやってくるもの。。。もちろん旅客の重連は健在ですが、DDの衰退を目の当たりにした、というのが実感でした。

最近よくある、こんな重連も今回初めて撮りました。晴れてるのに、何やら列車後方がかすんでいるのは、昨夜一晩降った雨のせいの、畑からの放射冷却(?!)が原因です。今回はこの写真が一番の晴れカット、、、う~ん、来月リベンジしたいなあ。。。

交博あと3日

Tシャツ眩しい、35年前の、夏のお嬢さん♪……タイトルとなんの関係もないような写真ですが、閉館まであと3日となった交通博物館の壁面に並ぶナンバープレートの1枚が、この写真のC56125のものです(笑)

TADAさんのサイトの中の「八高ヤード」にその一覧がありますが、これ、どうなってしまうのでしょうね。大宮に持っていってもらえるのでしょうか、、、ちょっと心配です。

リストを見ると、比較的早く廃車されたカマで、東や北のものが多いですね。ただ、形式コレクションを増やすためか、微妙に他地区のカマがまじってる感じです。私が現役時代を撮ってるものでは、梅小路から奈良、紀伊田辺と移動した88638、名古屋のC5732などもありました。推測するに、大宮工場でのコレクションが基本になってるような、、、としたら、一種の里帰りですね(?!)

EF55は見に行きましたが、DD51も、万世橋遺構見学も、結局行かずじまいでした。この最後の週末、実際のお別れは皆さんにおまかせして、ナンバープレートたちの今後に、ちょっと思いを馳せることにしようと思います。

桜の咲くところ

保存蒸機ネタが続きますが、三沢では、D51113も見てきました。こちらは最終配置が青森で、電化前の東北本線を走ったカマ、説明板にも「りんごや米の輸送に活躍…」とあり、ゆかりの土地に保存された自然なパターンですね。

おそらく「SLブーム」の前半期はこのパターンが多かったのでしょう。さよなら列車を牽いたカマがしばらく機関区に保管されて、化粧直しされて地元の公園へ……雑誌のニュース欄でよくみかけました。それが後半は、自治体の要望に応じて北海道や九州から調達することになり、地元を走ったのと同じ形式のカマが来るならまだしも、縁もゆかりもないパターンも多く出現した、と、、、

中には新製配置から現在に至るまで同じ土地にいる、幸運なカマもいます。縁のない場所で保存されたカマだって、その多くは、すでに保存期間が現役期間を越え、状態の良し悪しはありますが、その場所になじんでいます。

小金井から始まった今年の桜鉄でしたが、また今頃になって気づきました(笑)。蒸機が保存されてる公園は、桜が多いですね。その土地の代表的な公園だから、なのでしょう。来年は、もう少しリサーチして、桜と保存蒸機巡りもいいなあ。桜の咲くところにいる蒸機が、また元気に来年の桜を迎えられますように。。。

ある再会

七戸駅跡でのレールバスのイベントが昼休みに入り、レンタカーを野辺地へ走らせました。途中のドライブイン(あ、この言葉も死語寸前ですね)ででっかいニシンの焼魚定食を食って、野辺地駅の案内所で公園の場所を確認しました。

野辺地……東北にほとんど縁のない京都の高校生には、北海道のどんな地名より、最果て感がしたものです。苫小牧から最後に石巻にやってきたC11210は、あまりゆかりのないこの地で保存されました。

いや、最後の活躍地からまだ近いほうだったのかもしれません。蒸機現役最末期は、全国の自治体から保存の申し出が多かったのでしょうか。先日ご紹介した小金井のC57186のように、北海道や九州で火を落としたあと、縁もゆかりもないところに保存されたカマがたくさんありました。

そのC11210、かなりくたびれた姿で、遅咲きの桜を見つめていました。周囲にはテープが張られ、「アスベストを使用していて危険」との警告板が……。件のアスベスト騒ぎで、再整備か、放置や解体か、静態保存蒸機の運命に、いま思わぬ転機が訪れているようです。

特徴ある、サイドのプレート下の製造銘板が、奇跡的に(?)残されていました。34年前の写真でそれを確認したとき、胸に迫ってくるものがありました。

これまた、今頃になって…

さあ社会復帰と、ちょっと意気込んで乗ったいつもの東横線ですが、駅で買った週刊誌の酒井順子さんの連載エッセイ、今回はふるさと銀河線の乗り鉄の話でした。彼女自身が「なくなるから、乗りに来た」、それがわかっていながら、「なくなるから、初めて乗りに来た」観光客に違和感を感じる……う~ん、微妙にわかるような(笑)

で、読んでてまた今頃になって気づいたんですが、最近は「なくなるから撮りに行く」、そのときも車両や列車そのもの、あるいはそれが走ってる路線には、ちゃんと何がしかの思い出があるんですね。そりゃあ、これだけ鉄やってますから、「なくなるから、(それを撮るのが初めてだとしても)思い出かみしめながら撮りに行く」に、ちゃんとなってるんですね。。。

翻って、我らが少年時代、蒸機を撮りに行ったのは、みんな「なくなるから、初めて撮りに行く」だった、、、はい、時代変われど、いま出雲や113系、65原色を初めて撮ってる少年と変わりませんね。現役蒸機撮影自体が神聖視されるところがありますが、な~んだ、おんなじじゃないか、、、今頃気づきました。。。

いま、遠出のときには、やまてつさんのサイトで目的地近くに保存蒸機がいないか、検索させていただいてから出かけることが多くなりました。一昨日の南部縦貫近くの野辺地には、高1のときに日高本線で撮ったC11210がヒットしました。思い出かみしめながら撮りに行った結果は、次回のブログにて。

GW鉄の終わりはレールバス

米原の名物駅弁「湖北のおはなし」でビール飲みながら一度家に帰って、友人の言葉を借りると東奔西走のあとの南船北馬(笑)、翌朝のJL便で、南部縦貫のレールバスのイベントへ向かいました。

城東貨物の赤川鉄橋もそうでしたが、ここも30年行きたかった場所でした。RJ誌の「列車追跡シリーズ」で「十和田」か何かが野辺地を通過する際の1枚の写真を見て、あの当時ですら「ようこんなもんが走っとるんやなあ」と思いました。

平成になって、廃止の声を聞き、ほんとに行こうとしましたが、何かほかのネタに集中してたのか、路線があるうちには結局行かずじまい。今回も天気が下り坂に向かってると聞き、迷ったのですが、北びわこ現地でのありがたい友人たちの薦めであえなく陥落。。。

さすがに好天とはいきませんでしたが、三沢市内に入ったらもう桜、桜です。イベント会場の七戸の駅のはずれでも、こうしてまだまだ桜をめでることができました。日本の美しい自然に感謝ですね。レールバスの乗り心地もガガガブルッ~て感じで面白かったですよ~

明日から社会復帰できるか心配ですが、このGW、こんなにいいのをたくさん撮らせていただいたのですから、さ、ここはひとつ、仕事もしましょう(笑)

この世のものとは

豊橋でレンタカーを返して、翌日の「北びわこ」のために、夕方のひかりで缶ビール片手に岐阜羽島へ移動しました。米原や彦根でホテルがとれなかったための苦肉の策ですが、こんな機会でもなければ、岐阜羽島なんて降りないし、泊らないよなあ。。。はい、予想通り何もないところで、もうホテルの中に居酒屋があったのでそこでもう少し飲んで、すぐ寝てしまいました。

このGWの「北びわこ」、山口入りが遅れたおかげで、期せずしてシゴナナのならし運転(?)となり、こちらも我慢しきれずの出動です。大阪の友人に数日前、お誘いの電話をすると、「あ~、今日あたり絶対かかってくると思うてたわ」、、、すっかり見透かされています(笑)

湖北の道を熟知する彼のクルマに便乗し、今回は追っかけはせず、本列車、回送それぞれをじっくり場所を決めての撮影です。琵琶湖、レンゲ、菜の花、風薫る5月……この日のすべてがC571の元気な復帰を祝っているようです。

午後の菜の花畑、これはもう、忘れられないシーンとなりました。ギャラリーは100人以上いたでしょうか。12系が3輌の短編成だとか、煙突の金帯いらないよとか、重油燃きの煙だとか、そんな細かいことはすべて忘れてしまう、素晴らしい一瞬でした。

ひくまさん、ありがとう。シゴナナよ、次はやまぐちで、また会いましょう。

さよならを言えずに

連休後半戦、新幹線に乗って、飯田線と北びわこに行ってきました。ちょっと久しぶりの新幹線の旅、連日撮影成果も上々で、車内で飲むビールのうまかったこと!(……こればっかりですね、自分)

実は、東海道新幹線、好きです。写真を撮ることはほとんどありませんが、乗り鉄するのに一番好きな路線は? と聞かれると、おそらく東海道新幹線って答えてしまうだろうなあ。。。0系どころか100系もいまやなく、300系すら古い感じがするのには驚きましたが、新幹線はやはり東海道、です。ま、生まれ故郷と往復する路線に愛着があるということですから、当然といえば当然ですが(笑)

昨日は豊橋でレンタカーを借りて、数年ぶりの飯田線へ。ゴハチ入線当初よく行った撮影地を巡りながら、EF58122と過ごした一日でした。折り返しの中部天竜では、留置線に佇む122をじっくり眺めることができ、雲の多い天気でしたが、最後の野田城では、こうして夕方の綺麗な光線に恵まれました。

手製のさよならヘッドマークを抱えた地元ファンの姿もありました。撮影後、振り返って夕陽に輝くサイドビューを目に焼き付けようとしました。この機関車には、ブルーの宇都宮時代から、数え切れない思い出があります。とても、とても、さよならは言えませんでした。

後ろ姿ばかりでは…

このトシになると、人づきあいでも仕事でも、「なんだ、そういうことだったのか。何でこんな単純なことに今まで気づかなかったんだ……」ということがあります。おいおい今頃わかったのかよ~と思いつつ、よく考えたら若いときにわかれというのも無理だよな~、なんてことが(笑)

中国へ行くと、当方のような「シチサンマン」も、人物を入れ込んだ情景写真を撮りたくなります。さすがに20回も訪中してると、人物込みもかなりのカットがたまっていますが、ついこの間、先達の写真を見ていて、ハタと気づきました。「あ、そうか、みんな顔ちゃんと見えてるじゃない、、、素人写真は後ろ姿ばっかりだから説得力ないんだ…」

ホント、恥ずかしい話ですが、ニコパチ的な例外を除いて、ほとんどが後ろ姿か、せいぜい横顔です。これじゃあ、全部エンディングテーマ(爆)、、、その反省の上に立ち(今頃、今頃ですねえ)、今回は身振り手振りで人民に声をかけたりしました。この写真は、子供の立ち位置を調整していますが、実際意識しても、むずかしいですね。。。

夜のレストランで、小姐にデジカメを向けるのも練習、練習(笑)……まだまだ遠慮がちな私より先に、白酒で出来上がった同行の酒仙Tさんが、チャイナドレスの小姐に果敢に向かっていきました!



英豪、緑萌え~

同じ35度でも、ここ中国河南の暑さは日本と違って空気が乾燥しているので、思ったほど蒸し暑さを感じません。たしかに暑いけど、緑は綺麗だし、いろいろ花は咲いているし、そこそこ風もあって心地よく撮影……と思ったのはお昼前まででしたが(笑)

今回は、3か所とも二度目の撮影で、ついつい前回と同じ写真になってしまうのが心配でしたが、英豪では、こうして緑と花に救われました。この写真の木は、杏の一種でしょうか。逆光にC2のシルエットが浮かぶこの姿、前回果たせなかったカットで、ヨシ!の一枚になりました。

実はこの河南省のナロー、もうひとつの榮陽建材廠もそうですが、芭石や樺南のような辺境感はほとんどなく、片側2車線の幹線道路をほんの少し外れたところにある、その急転直下のロケーションの変化がたまりません。

先ほど、あらためて自分のサイト、そして昨年同行した友人たちのサイトで去年の写真を見たんですが、去年の英豪は少しモヤっていて、今年ほど緑萌え~ではなかったような……いや、二度目にして、C2そのもののフォトジェニックな呪縛から、ほんの少し、離れられたのかもしれません。

日中35度の河南から

上海経由で帰ってきました。いやはや、皆さんより一足先に真夏を経験し……と思いきや、帰りのNH便の機内ニュースでは東京が28度。。。絶句。。。もはや異常気象窮まれり、ですね。

28日の鄭州はまだちょっと暑いかな、という程度でしたが、29日の平頂山が28度、そして30日の英豪が35度と、よくぞこの炎天下で、相変わらずいつ来るかわからない列車を待ったものです。さすがに、まだ体が夏仕様に慣れておらず、バテたなあ、、、

でも、その暑さを補って余りある撮影成果でした。緑、花、風、人、炭鉱、アーチ橋、C2! こう暑いと煙はほとんど出ませんが、栄陽建材廠でも英豪でも、ナローの素晴らしさを堪能しました。また、中国で唯一、前進、建設、上遊の3形式が残る平頂山でも、今回は初めて机務段で撮影することができ、毎日の夕食のビールがうまかったこと!

で、明日の東京は16度の予報とか。北へ行けばまだ桜もあるし、菜の花パニックと化してるらしいシゴナナの北びわこも気になります。明日はさすがに少し仕事でもして(笑)、連休後半の予定を練ることにしましょう。
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