朝練のあとに

旅館に戻ってゆっくり朝飯を食べて出発、レンタカーを白老へ走らせました。往年の室蘭本線シゴナナを知る皆さんには、「ン、牧場の馬を入れて撮るところ…」とか、長い直線区間とか、それぞれにあの頃を思い出されることでしょう。

今回の撮影の中心となった東室蘭~苫小牧の区間は、電化区間であることが嫌われてか、最近はあまりガイドなどでは紹介されていません。そこで、唯一無比の強力な味方となったのが、かねてから掲示板にもお邪魔させていただいてる、恵庭のぺんぎんさんのサイト、北海道DD51写真館です。

撮影された駅間と季節、光線をメモして、道路地図と、あとはヤマカンが頼り(笑)、、、まあ、長年の経験で、作例とピッタリの場所ばかりでなくても、まずまずのポイント行脚となりましたが、このサイトなくしては、こんなに北海道に繰り返して行くこともなかったかもしれません。ほんとうに、感謝です。

いつのまにか、朝のギラギラ光線はなくなってしまいましたが、寝台続行のトリを務める2本目の「北斗星」を、白老近くの陸橋の上から迎え撃ちました。一休みする間もなく、次はタキ貨物の撮影で、行ったり来たり。それに、白老の醤油、室蘭の白味噌。地元の町のラーメンも、うまかったなあ。。。

寝台列車続行の朝

あと1ヶ月で「富士・ぶさ」だけになってしまう、東京口のブルトレですが、つい少し前まで、通勤電車の合い間を縫って、適度な間隔で朝の東海道を上ってくる姿は、ブルートレインの時代を象徴する風景だったと思います。

時移り、いま、朝日に輝く寝台列車の続行が見られるのは、北海道ですね。残念ながら、客車の色はブルーばかりではありませんが、曜日によっては1時間弱の間に3本が、運が良ければギラギラと朝日を反射した美しい光に包まれて、走ってくる……一度、これを撮りたいとかねてから思ってました。

トワイライトも、カシオペアも、正直言ってあまり好きではありませんでした。でも、これを見たら、これを撮ったら、もうたまりません(笑)それと、青いDDなんてどうもなあ…なんてことも、もう言えません!

胆振の海辺の小さな温泉につかって、朝ご飯の前に、カシ、トワイ、北斗星。それはそれは、贅沢な朝練でした。

シナオクよ、おまえもか

EF65特集のRM最新号をつらつらと読んでいて、いやあ、驚きました。シナオク回送の廃止。考えてみたら、当然といえば当然ですが、「出雲」廃止より、ショックが大きかったなあ。。。

その品川~尾久の客車小回送列車の廃止、RMに「3月改正で消滅」と書かれていた以外の情報を持ちえていませんが、う~ん、そりゃあそうだよなあ、「出雲」がなくなったら、もうあんまり必要ないよなあ。

行きが「シナオク」、帰りが「オクシナ」、また列車番号をもじって「イチゴー台」とも呼ばれるこの列車、たしか80年代前半に東京~上野連絡線の廃止により設定されてから、昼下がりの都心の名物列車となっていました。

いまでもロクイチが検査時にこのスジを使ったりしていますが、パックとこの列車にも、いろんな思い出があります。最近はPFが単機でトコトコ走ってることが多いようですが、写真のように、イベント用の旧客を牽くこともありました。

東京~上野連絡線の復活時には、泉岳寺に新駅ができ、広大な品川の車輌基地は、すっかりその様相を変えるそうです。それを待たずに、都心の普段着の風景が、消えていこうとしています。

春の予感

しかし、まったくJALはどうなってるんだ、大丈夫なのか?……なんて思いながら、先週末は函館からJL便で帰ってきました。

行きは、NH共同運航のエア・ドゥでした。国内鉄の場合、早く現地に着きたい、また遅くまで現地にいたい、といった事情があったり、目的地にはJLかNHのどちらかしか飛んでなかったりで、どちらか一方に絞ることがむずかしく、両方のマイルをためることになってしまいます。。。

ま、マイラー談義はともかく(笑)、函館はまだ寒かったけれど、どこからか春の足音が近づいていました。日差しが出ると、冬仕様の服装では汗ばむぐらいで、かといって、線路端の積雪はまだかなりあるところが、いかにも2月下旬、という印象でした。

粉雪舞う空から一瞬、柔らかい日が差すと、ED79の「日本海」が、まだまだ冬だぞ~! と、雪を蹴散らしながら、カーブを回ってきました。フレームの中でナナメってるヘッドマークも、すっかりご愛嬌に見えてきました。

「出雲」と違って、訪れる鉄はまだポツリポツリですが、クリスマスツリーもまばらになった北の道に、あとひと月の力走が続いています。

名残りの客車金星

その「金星」、唯一の名古屋発九州夜行というカテゴライズは、後のJR時代も引き継がれ、定期の「金星」が廃止されたあとも、14系ハザによる多客臨としての運転がしばらく続きました。

いまや2輌が残るのみとなり、去就が注目されるJR東海のEF65一般型が、その客車金星牽引の任にあたっていました。JRへの移行時、たまたま稲沢に所属していたから、というだけの理由で客車を牽くようになった65一般は、ユーロ色と従来塗色があり、ユーロ色は「カートレイン名古屋」に入っていることが多く、かたや「金星」は一般色が多かったようです。

JR黎明期のこの時代は、14系の多客期臨時特急という、国鉄時代の名残りがまだ残っていました。昭和最後の年末に「金星」を撮った姫路駅、山陽本線の主要駅らしい往時の雰囲気が残る、バルブの名所(笑)でもありましたが、3月末には高架駅となり、幾多のバルブシーンも、思い出の彼方に消え去ってしまいます。

なんとかJRのあちこちにも残っていた国鉄の匂いが、いまほんとうに過去へ旅立とうとしていますね。。。

金星?……明星でした

その583系の寝台特急華やかなりし頃、京都駅の2番から、1番の後追いを撮ったのがあるよなあ、たしかキハ82の「かもめ」と同じネガ……。

ありましたが、「金星」ではなく、「明星」でした。他にも何度もこのアングルの583系は撮った記憶があるのですが、全部「金星」だと思い込んでいました。九州から来て、このまま名古屋まで行く、唯一の夜行特急の。。。

検索すると、たしかに昭和47年3月改正から、京都発着の「明星」ができていましたので、この2本は似たような時間だったのかもしれません。いずれにせよ、長編成の583系が東海道~山陽を縦横無尽に駆けていた時代でした。

ちなみに、この正月に「ムーンライト高知」を撮ったのと、ほぼ同じアングルです。2番はあまり変わっていませんが、写真のバックになる1番&駅ビルは、すっかり変わってしまいましたね。

583スキー臨

今年も583系のスキー臨は、大船発の「ゲレンデ蔵王」として毎週末に設定されています。DJ誌を見ながら、一度バルブしに行きたいなあ、と思ってるんですが、今日もビール飲んで帰ってきて、あ、何だ、行こうと思えば行けたじゃないか、自分!(笑)

その「ゲレンデ蔵王」に入っている仙台車は「光のページェント」などさまざまに活躍が続いていますが、ディズニーランド臨に運用される秋田車の不調が伝えられており、ちょっと心配です。

昔、京都駅で、朝のラッシュが一段落した頃、583系の「金星」が、あたりを睥睨するように、ゆっくりやってきたのが思い出されます。この時代になっても、夜行列車に運用される583系には、鉄道夜行がまだ主要な交通手段だった時代の残り香が感じられますね。

が、夜行列車は走行写真が撮りにくいのが常で(笑)、この99年の「シュプール蔵王」、昼行の送り込み回送、なおかつ遅延したがゆえ、こうして珍しい順光写真となりました。

サロン踊り子、2つのマーク

サロンエクスプレス東京、人呼んでシナサロ、そうそう、東サロともよく呼ばれていましたね。東の東サロ、西の大サロ。80年代半ばは、欧風客車が世間の注目を浴びて、最も輝いていた時代だったのでしょう。

で、それを牽くロクイチのヘッドマークといえば、この「サロンエクスプレス踊り子」マークも、忘れられません。それまでは、14系の「踊り子」と同じマークだったのが、85年の夏臨で、半ば予告登板的に、このマークが登場。仕事をさぼって撮りに行った現場で、同じくスーツ姿でやってきたのが、長野のKさんでした(笑)先日、ある酒席でこの当時の思い出話になりましたが、いやあ、懐かしかったなあ……。

この写真は、その夏の「サロン踊り子」の運用を終えて、国府津での撮影会に展示されたときの姿です。これも、もっともっと撮れるかと思ってるうちに、数年のうちに、列車の設定自体がなくなってしまいました。

そういえば、もうひとつ、「サロン踊り子」には、橙色基調のマークがあったんですが、こちらは2日か3日しか使われませんでした。湘南のミカン畑や海にフィットする、この橙色マークの走行を撮れなかったのは、いまも悔しく思い出されます。。。

これっきり、といえば…

今まさに出雲だの、113系だの、あと1ヶ月で盛り上がってるように、ダイヤ改正を期した車輌の代替わりは、最後の記録のための猶予期間がありますが、昨日ご紹介した「踊り子」のような臨時運用には、いつが最後になるか、はっきりしないところがありますね。

「土曜踊り子」がロクイチ牽引でもっともっと走るものだと思い込んでたのと同じように、このヘッドマークを付けたロクイチは、このあと何度も走ると思って、85年11月、山貨でこうして安易に撮りました。

当時、ロクイチが充当されることが多かったシナサロの団臨に専用のヘッドマークができて、今度の、小海線に行く団臨の、品川~大宮操でお披露目される……そう聞いて撮りに行ったのですが、このマーク、どういうわけか、その後、営業列車に二度と付くことはありませんでした。

だから、このマークを付けて走ったロクイチはこれっきり、それも短区間の片道に終わってしまったのです。「サロンそよかぜ」と同じ水色基調のデザイン、当時はちょっと字が細いかな? と思いましたが、朝の斜光を浴びたロクイチによく似合っていますね。

1987年のバレンタイン

国鉄民営化を春に控えたその年の2月14日は、土曜日でした。その頃の土曜日といえば、よほどのことがない限り「土曜踊り子」を見に行くのが日課で、この日も、蒲田のホームでこの写真を撮っています。

ここのところの週末と同じような冬晴れなのに、なぜ遠くへ行かず、蒲田ですませているのか……二日酔いだったのか、はたまたこの後、何か予定があったのか(笑)、今思い出そうとしても、全然思い出せません。

いつもの土曜日のように、ロクイチが14系を牽いて颯爽と通過しました。また来週は、どこで撮ろうかなあ、なんてノーテンキに考えていたのでしょうが、この「土曜踊り子」、そして14系の「踊り子」をロクイチが牽くのは、この日が最後となってしまいました。20世紀の終わりに運転されたイベント列車を除いては。。。

思えば、「ロクイチ踊り子」は、国鉄時代の最後に咲いた、一輪の華だったのでしょう。そして、この頃になると、こうして普段着の表情をしていただけに、今もまだ、113系の間を縫って、東海道を走ってくるような気がします。

大阪環状線

しかし、北山修が還暦で、来年は杉田二郎が還暦だそうで……まあ、自分のトシに十いくつ足せば、あたりまえのことなんですが(笑) 城東貨物線での撮影が終わって「きたやまおさむ・1日だけの還暦コンサート」に向かう道すがら、まだ少し時間があったので、大阪環状線でふらり、駅撮りしてきました。

山手線の約半分のスケールといった印象の大阪環状線、他の路線が並行してる区間もあまりなく、ビルや町工場がけっこう複線の線路敷に迫っていて、一様に、コンパクトな感じです。

ここの103系も、最近では201系への代替わりが進んでいるそうです。所違えど、オレンジの103系と201系が次々とやってくる姿は、まるでひと昔前の高円寺か阿佐ヶ谷にいるようで、けっこうなごみました。

ビル影がそろそろ長くなってきた頃、2編成しかないという、ブルーの201系もやってきました。え~と、京浜東北には201系、入ったんだっけ??……還暦には少し間がありますが、こちらの記憶もあやふやで(笑)

いくつかの駅のホーム先端をハシゴしながら撮影したあと、いよいよ、コンサート会場へ。昔も今も、大阪でコンサートといえば、フェスティバルホールです。北山修の当意即妙のMCは相変わらず、それに加えて、今回は杉田二郎の声の奥太さが復活していて、うれしかったなあ。。。





ずっと行きたかった場所

大阪でしかやらない、とあるコンサートのチケットが手に入り、今日はバタバタと日帰りで行ってきました。開演は17時、せっかく行くのだから、と大阪の友人に無理を言って、その前にやはり撮影したいな、と……(笑)

城東貨物線に、赤川鉄橋と呼ばれるトラス橋があります。トラス橋はサイドから撮りにくいことから、鉄の世界ではあまり好まれませんが、ここは、何と線路に並行して、トラスの中に、人と自転車が渡れる木橋があるんです。

30数年前、D51やD52が走ってたときから、ここは撮影名所として有名でした。中学2年のある日曜日、同級生のN君と行くはずだったのが、風邪をひいて行けませんでした。あとで、N君の撮った写真を見て「こんな橋が、ほんまにあるんやなあ」と羨ましく思ったものです。

結局、蒸機時代に行くことはかなわず、DDもけっこう撮るようになったここ数年、その当時からこの橋はほとんど変わっていないと聞き、何度もチャンスを狙っていたのですが、貨物ウヤの時期だったり、ほかのネタに走ってしまったり(笑)で、今日ようやく、願いがかないました。

この貨物線も、複線化や旅客線化が計画され、周囲ではそのための整備も始まったと聞きます。大都会の一角に、ふと時代から取り残されたような光景……今日まで残ってること自体が、奇跡のように思えます。

冬晴れの青い空

ここのところ週末になると、気持のいい冬晴れが続いています。2月も半ばに近くなると、キリッとした陽ざしが広範囲に射すようになり、雲も少ない青空が、広がるようになりました。

先週、新鶴見でそんな青空の下で撮影したのが心に残り、今日もまた、所用の合い間に、わずかの時間ですが、行ってきました。クルマをとめたら、あの広い操車場跡地を、脚立持って、テクテクと。

先週に引き続き、EF65535がタキを牽いてやってきました。その少し前には、EF641000の原色も。青空に、青い機関車、白いHゴム(笑)、こんな当たり前の色合わせも、いまでは貴重です。

「出雲」もそうですが、3月の改正では「湘南電車」の東海道東京口からの撤退で、こうした当たり前のカラーリングに、いよいよ終焉が迫っていることが、はっきりするのでしょうね。

2月の磐西

2月に磐西でD51が走るようになったのは、たしか90年からだったと記憶しています。その初年度は行きませんでしたが、あとで写真を見て大後悔! その頃はゴハチばっかりで、復活したデコイチも高崎周辺でしか撮ったことがありませんでしたが、翌年、20年ぶりの雪の蒸機を求めて、磐西へ向かいました。

いま思えば、ここでもう少し復活蒸機撮影に気持が向かえば、北海道のC623はまだ間に合ったんですね。がしかし、向かいませんでした、20世紀が終わる頃まで。もちろん、後悔はしてませんが(笑)

けっこう感動はしたんですが、ほとんど初めての雪道運転に手いっぱいだったのかもしれません。私は自分のクルマを持ったのが、同年代でもちょっと遅く、このとき初めてスタッドレスをはいての雪国行きでした。

この写真、当時工事中だった、磐越道の斜面からの撮影です。「今年かぎりのアングル」と、友人に連れてってもらいました。そういえばこの列車、「ばんえつ」編成を使ってもいいのに、編成の12系はずっと同じですね。明日からの本列車運転、撮影の皆さん、お気をつけて!

雪のみなかみ物語

今年の冬、上越線は豪雪との戦いが続いています。昨年末の「ホワイトクリスマス」も一部運転日がウヤとなり、いまや注目の183系のスキー臨も、なかなか所定で運転される日ばかりではないようです。

先日、汐留の雪のロクイチをご紹介しましたが、雪のロクイチといえば、近年では2001年1月の「みなかみ物語」が白眉といえるでしょう。C58363と重連で吹雪の水上に到着したロクイチが、線路面を埋めた雪をかき分けながら機回しする姿は、ほんと、身震いがしました。

この年の年末年始は、中国・集通鉄路の熱水も、いまだに語り継がれる寒波に見舞われ、元日はホテルにカンヅメとなり、撮影どころではありませんでした。で、その数日後の水上駅で、中国でお会いした何人かの方にまたまたお会いしたときの、驚きというか、なんというか……(笑)

今週末の磐西、私は残念ながらウヤとなりそうです。。。

ほんの少しでも、歴史に。

富士フォトギャラリー五反田で開かれてる、大穂孝悦さんの写真展は、さすが中国鉄の大先輩だけあって、彼の地の情景だけでなく、何気ない空気も、鉄の目線で切り取った、素晴らしい作品が並んでいました。閉幕があと2日に迫ってますが、皆さんも、ぜひ。

今夜は、大穂さんを囲んで、同年代の中国鉄がこじんまりと集まり、四川料理に舌鼓を打つ、楽しい宴会でした。前進や勝利型の思い出から、現役時代のシゴナナ、はたまた70年代ヒットソングに至るまで、話は尽きませんでした。さんざん飲んだあげくの、ラーメン餃子はちょっとよけいでしたが(笑)

蒸機現役時代を微妙な後悔とともに通過した僕らの年代、「現役蒸機」への思いを、中国でぶつけてるようなところがあります。がしかし、それと同時に、平和第一の戦後教育を、ごく自然に受けてもきています。

この写真の樺南森林鉄道、日本人が入植した影響で、家の玄関が鳥居のカタチになったりしています。ノーテンキに写真を撮りながらも、こうした歴史的事実を目の当たりにすると、気休めでもいいから、ほんの少しでも、僕らが中国へ行って写真を撮ることが、これからの歴史に資することができれば、と思います。

いやあ~、あのときの爆煙は素晴らしかったねえ、なんて言いながら、2軒目への道すがら、今夜はちょっとそんなことも語り合いました。こんな仲間たちと、一緒に撮ってきてよかったなあ。。。しみじみ、そう思います。




日が長くなりました

今朝の雪、うっすらと積もったぐらいですぐ解けてしまい、昼間は16度まで上がるなんて嘘も嘘……まあ、撮影のときに予報が外れるよりはいいですが(笑)

そうして雪景色を期待しつつも、この時期は、そろそろ春の足音が遠くに聞こえ始める頃です。昨日、どこかの掲示板に「磐西のSL運転が終わると、寒さもゆるむ」とのフレーズがありましたが、鉄の歳時記では、まさにそうですね。

おとといの日曜、澄みきった青空に誘われて、新鶴見へちょっと久しぶりに出かけました。午後ゆっくり出て行って、ちょうどEF65535の小運用があったので、その往復を撮る間、小倉陸橋周辺で次々にやってくる貨物や単機に、のんびりカメラを向けていました。

535が川崎貨物から帰ってくるのは、16時少し前。ちょっと露出が苦しいかなと思いきや、すっかりもう日が長くなっていて、キリッと輝くサイドビューを捉えることができました。

都内の雪

今夜は夜半から明け方に雪の予報で、都心でも積雪がありそうとか。さすがに、たまには飲まずに(笑)早めに帰宅しました。

先月、北海道に行ってる週末に、首都圏では雪景色となったようですが、都内の積雪は毎年、数えるほどしかありません。週末に積雪が重なったりすると、すわ!雪の○○! と足をとられながらの出動となるわけでして。。。

昔、阿佐ヶ谷に住んでいた頃、中央線に乗る頃は雪でも、新宿で山手線に乗り換え、目黒あたりでもう雪はなく、ロクイチ目当ての品川に着いたら、ただのドン曇り、なんてことがよくありました。

この写真のときは、珍しくも、今は新都心となった汐留貨物駅まで、ごらんのような雪景色で、ロクイチの牽く団臨の発車も、たしか2時間ぐらい遅れました。ポイントを守る保線の職員氏の緊張した表情が、今も印象に残っています。

1973年の鉄道写真

先週「シュプール号」ネタにつなげてご紹介した朝日土曜版の連載記事、今週は1973年のヒット曲、「円山・花町・母の町」でした。三善英史がもう50を過ぎてる? そりゃまあそうだ(笑)しかし、この年から紅白が、奇しくもこの曲の舞台である渋谷に会場を移したとは、知りませんでした。

金曜夜、会社の先輩の送別会が、これまた偶然ですが渋谷であり、芸能雑誌の編集者だった彼を囲んで、「レコ大」「アマチマリ」「ジュリー」と懐かしい言葉が飛び交い、あの時代の芸能界の話に華が咲いていました。

1973年、こちらはまだ、高校3年でした。大学受験を控え、蒸機撮影は自粛モード(笑)に入り、この年は近所の梅小路などを除いて、ほとんど鉄がらみの写真を撮っていません。でも、アマチマリのコンサートは、大阪梅田コマの2階席から無理やり撮ってます(爆笑)

苦労が売り物になる最後の時代、世の中がひたすら明るいものを求める時代がすぐそこに迫っていた、と新聞記事は綴っていました。何か73年の写真はないか、とネガを探すと、こんな写真がありました。

この年唯一の遠出、越美北線へハチロクを撮りに行った帰り、福井駅でフィルム消化のために撮ったであろう、1枚です。客車の夜行急行がよく似合う、こんな地方都市の駅も、急速に模様替えが進んでいますね。

今年のやまぐち

JR西から、今年度の「SLやまぐち号」の運転計画が発表されました。3月の運転開始当初はC56ですが、4月のゴールデンウィーク前からC571!! ほっとひと安心しました。

正月に梅小路でC571の検査風景を見てきましたが、昨年の数度にわたるリタイア、全検の結果しだいでは、動態保存機の差し替えも検討される?? という噂……昨年11月最後の運転のときには、どこかで一応の覚悟をして撮影に臨みましたが、杞憂に終わったようです。

急行日本海事故、阪神大震災被災と、幾多の困難を乗り越え、一度も車籍を抹消されることなく、走り続けるC571。あとは、これからの検査で、トラブルのないことを天に祈りたい気持ちです。

今年のやまぐち、またどんなドラマが待っているのか、ちょっと気が早いけど楽しみになってきた、春まだ遠い2月の夜です。

雪の横川

昨日おちゃまるさんからもコメントいただきましたが、EF62の「シュプール号」といえば、何といっても豪雪の信越国境が思い出されます。そこへ向かう途中の碓氷峠、それも横川あたりに雪が積もるのは、けっこう珍しいことでした。

当初は「シュプールレインボー信越」と、14系の「シュプール信越&戸狩野沢」の2本が走っていて、後者はまっすぐ妙高高原へ向かう編成と、飯山線に入る編成との併結でした。それが、末期になると、14系は「シュプール戸狩野沢」のみになり、5輌という短編成になりました。

そのおかげで、こうして横川でホームからはみ出さず、EF63付きの到着をキレイにバルブできたんですが(笑)、なんだ、こんな短い編成なら、C12が牽いていた「戸狩スキー」と、客車が変わっただけじゃないか。。。なんて、見たこともない昔の信州に思いを馳せたものです。

何だか、シュプール号の本数が減ってきたのかな? と思いつつも、14系がなくなるなんてまだ夢にも思っていない、横軽廃止1年前の冬でした。
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