手原駅30年

そのD51499の草津線客レを撮った手原駅、実は去年の正月、30年ぶりに降り立っています。

草津線といえば、30年前は京都から少し離れて、なにやら「田舎の入り口」を過ぎたって感じでしたが、とっくに電化されて、いまは113系の通勤電車が行きかいます。草津の駅で新快速を降り、「柘植行きが電車? う~ん、なんかヘンだなあ」と思いながら、今日はこのあたりの保存機巡り、次の目的地、手原へ。

駅のホームに下りた瞬間、ン、これはどこかで見た風景……と思ってデジカメで撮ったのがこの写真です。カーブの感じは変わっていませんし、向こうに見える立体交差も同じです。

でも、これ1枚撮ったのもすっかり忘れていて、さっき友人から「手原駅、懐かしいですね。たしかここにも保存機が…」とのメールをもらって初めて、思い出しました。いやはや、記憶力減退、ひどいなあ。。。(笑)

駅前の神社の一角には、D51403号機が、正月の日章旗でオシャレして、なかなか綺麗な状態で保存されていました。このデコイチも、亀山、奈良に所属し地元を走った機関車で、正月の陽光に照らされる姿は、それは幸せそうにみえました。

初めて撮ったD51は?

昨夜久しぶりに現役時代のD51499号機のことをあれこれ思い出していて、ふと気が付きました。私が初めて撮ったD51は、なんと、この499号機だったのです。現役末期においても最大輌数を誇ったデコイチの中でよりにもよって、なかなかヲタな出会いですね~(笑)

ハーフサイズのそのまた以前、カメラはコダックインスタマチック、正方形のネガは残ってはいるのですが、スキャンできませんでした。1968年9月、いわゆる「ヨンサントオ」の直前、どういうわけかDF50との重単で京都駅の山陰ホームに入ってきたところを撮っています。

その写真の499号機のデフには、後に外された動輪のマーク、後藤工場出場模範車の証しが付いています。子供心に、なんだか珍しいのが来たなあ、と思ったのを覚えていますが、当時は「普通のデコイチのほうが見たかったなあ」とも思ったような気もします。

皆さんの、初めて撮ったデコイチは何号機ですか? 関東ならば高島線、八高線が多いでしょうか。またそれぞれの地元の「普通のデコイチ」かもしれませんし、後日何らかのイベントで名を馳せたデコイチかもしれませんね。
世代が違えば、88年のヨンキュッパって方もいらっしゃるでしょう。それはそれでまた、素晴らしい思い出だと思います。

残念ながら、その最初の1枚はお見せできませんでしたが、今夜は、火車哥哥さんからコメントいただいた草津線の旅客を牽く499号機の写真で、当時を偲ぶことにしたいと思います。

D51499と津とビール

JR東の動態保存機として活躍するD51498の1番違い、D51499号機は、ユニークなスタイルの後藤工場デフ装備機として、蒸機現役末期の関西では、なかなかの人気を集めていました。

去年の春頃だったでしょうか、三重県津市の公園に保存されたものの荒廃の度を深めていた同機が、久しぶりに化粧直しされたというニュースを聞いて、ああ、見に行きたいなあ、と思ったものの、残念ながら機会に恵まれないままになっています。

津には叔父叔母の家があり、子供の頃、よく遊びに行きました。当然、ハーフサイズカメラで、シゴナナやデコイチを撮影するのが、目的です。京都から、草津線、加太越えを経由して、煙のメッカみたいな亀山の機関区に驚きながら、津に着きます。阿漕、一身田と、雰囲気のある小さな駅が並び、伊勢市までのシゴナナの1往復の旅客もまだ残っていました。

福知山から奈良へ転じて、津にも姿を見せていた同機が、最後に走っていた沿線に保存されたと聞いてホッとしたのを覚えています。が、蒸機が消え、大人になって、叔父叔母の家を訪れる機会もなかなか少なくなってしまいました。

今日、その津の叔父叔母と、久しぶりに食事してきました。横浜で、ビアハウスを開店した従兄弟のお祝いです。こんな鉄だけの、それも以前からの知り合いしか見てないようなブログで何ですが(笑)、横浜方面の飲んべえな皆様、機会ありましたら、「横濱Cheers」、どうぞご贔屓にお願いします。

ここだけ晴れました

山口宇部に降りたときには、けっこう日が差していましたが、小郡を過ぎる頃からだんだん空は曇り基本に……やはり、なかなか思うようにはいきません。晴れ予報は何だったんだ、予報は!(笑)

で、行きの9521レは結局、「曇りアングル」を稼ぐ結果となりました。まあ、煙もグレー~白の霜降りだし、よしとするか、とは思うのですが、う~ん、何とかならないものかなあ。。。との希望が捨て切れません。

例によって、津和野で入換と転車台を撮って、昼食をとるために、道の駅「なごみの里」へ。レストランの人に「あれ、たしか何日か前もいらっしゃいましたよね」と言われる始末で(笑)、津和野の昼食事情について、語り合ってしまいました。

その津和野だけが、時々日が差しています。最近恒例の、上りの入換前の待機シーン、何とか晴れました! 順光で停まりを撮れる貴重な時間、それもわずか数分のことですが、今日はその間ずっと、柔らかい光の素晴らしかったこと!

返しの9522レも、津和野では残念ながら1分差(!)で日が当たらず、あとは追っかけながら帰路についたって感じでしたが、ワンカットだけでも、目標を達成したんですから、よしとしましょう。

そうそう、今日の津和野、さすがに秋最後の飛び石連休だけあって、けっこう観光客で賑わっていて、なんだか安心しました。

やまぐち号1979

75年から、10年間の休鉄に入った私ですが、実は79年、運転開始当初のやまぐちに一度だけ行っています。社会人になって初めての夏休みを、ピークを外して9月にとって、2日間撮影していますが、もうどこに泊ったのかも忘れてしまいました(笑)

なんかすごい集煙装置が付くらしいけど、とにかくシゴナナが走る! もうわざわざ写真を撮りに行くのはやめようと思っていたのに、いてもたってもいられず…の山口行きだったように記憶しています。

津和野でレンタサイクルを借りて、返しの列車を撮りに行きました。まだ「DISCOVER JAPAN」の残り香の濃い時代、駅前にはレンタサイクル屋が並び、津和野の街は、いまよりずっとずっと観光客で賑わっていました。

そのあと、10数年、津和野に行くことはありませんでした。ゴハチで復鉄してしばらくたった頃、大晦日の深夜にシゴナナが走ると聞いて、また吸い寄せられるように、やまぐちへ向かいました。

いま、津和野駅前にレンタサイクル屋はなく、まだ観光バスが出入りしているとはいえ、街はちょっと寂れた雰囲気を醸すようになってしまいました。駅前の廃業した土産物屋の「SLみやげ」の看板も、すっかり色あせています。

そんな中、シゴナナは26年目にして初めて、通年の集煙装置なし運転を続けました。秋晴れの津和野は、「DISCOVER JAPAN」の時代から、日本の観光がある種の変貌を遂げたことを、ちょっと切なく感じさせてくれます。それに吸い寄せられて、明日また行ってきます。


晩秋のスポットライト

やまぐち2日目の昨日は、澄みきった青空に、ところどころ雲が浮かぶ絶好の撮影日和。はい、おかげさまで、晴れカットを次々とゲットさせていただきました!

今回は新山口駅前のビジネスホテルに宿をとりましたが、ここでは朝食無料サービス戦争が勃発し(笑)、そのおかげで、1泊朝食5000円でおつりが来る金額で、かなり充実した腹ごしらえができました。

行きの9521レは追っかけグルマの流れに乗って、長門峡や徳佐といった有名ポイントで秋晴れの写真を押さえ、返しの9522レは、せっかく晴れているのだからと、なかなか晴れない白井の築堤を狙うことに。。。

津和野発1510、たしかにこの季節、影が厳しいだろうなあと思っていたのですが、1時間前にして、すでにカーブ全体には日が当たっていません。築堤の前半分と、柿の木がイエローのフィルターのかかったスポットライト状態になっています。

背景の山はけっこう見事に紅葉してるんですが、すでに大部分が影の中……私にしては少し珍しく、編成全体を入れるのを捨て、スポットライト部分を柿の木も入れ込んで狙うことにしました。

結果はごらんの通りです。いい感じの斜光線ですが、斜めになりすぎて、デフの影がこんな形で出るとは思いませんでした。う~ん、もう少しサイドに寄ったほうがよかったかなあ……こうして来年の課題が残ってしまいました。

シゴナナよ、今年はご苦労様でした。来年も、元気に走ってくれよ!!





入換の白煙

晩秋のやまぐちから、先ほど帰ってきました。本当は宴会を兼ねた友人たちとのツアーで来週行くはずだったんですが、仕事が入ってしまい断念、それも悔しいぞ(笑)と、この土日の2日間、行ってきました。

土曜は晴れ時々曇りの予報が、曇り時々日差しって感じで、列車が来るときは全部曇りました。その代わり、東京より肌寒いくらいの気温のおかげで、煙の白いこと! 爆煙の出る区間では、ちょうどいい感じのグレーっぽい白で、やまぐちの黒い爆煙を見慣れてる身には、ここはどこ~、という嬉しいシチュエーションでした。

もっと感動したのが、入換のときにポッポッと上がる優雅な白煙でした。爆煙になればなるほど、クルクルパーのおかげで煙突上部のシルエットが曖昧になってしまうのに対し、シゴナナの細い煙突には、ほのかな白煙がいちばん似合います。

曇ったおかげで、津和野では、こんなワンシーンを捉えることができました。徳佐から、駆けつけた甲斐がありました。うん、やっぱり、シゴナナはいいなあ。

霧島越え

今夜は(今夜も?!)、またまた鉄な友人たちとの宴会でした。中国に一緒に行くメンバーに、そのまた友人が加わり、当初は3ヶ月に1回ぐらいだったのが、いまは月に2回は開催され、中国料理を肴に、鉄なよもやま話はいつも尽きることがありません。

主要メンバーの年齢は、私が真ん中ぐらいで、上へ3つ、下へも3つという構成で、いつも話題は、今度中国のどこへ行くか? から(もともとはこれが本来のテーマだったんですが)70年代前半の蒸機現役時代へタイムスリップすることが多く、あれはあそこで撮った、あれは撮りたかったけどいけなかった……と、みんな結局は自分の話ばかりしています(笑)

今日、話題に出たのが、日豊本線の「霧島越え」でした。え~と、小学校のところ……そう、松永小学校! 実は肥薩線の駅から歩くと近かったとか、知らない鉄とワリカンでタクシー乗ったとか、自転車拝借して行ったとか…(爆笑)いけませんねえ(笑)

この深山幽谷の築堤を登ってくるシゴナナの貨物は1日1本、それでも、みんなこの1枚が撮りたくて、九州旅行の1日をここに賭けたようです。この写真の1ヶ月前に走ったC61+C55+C57のイベント三重連をここで撮った友人もいました。

昔の同級生どうしならともかく、大人になってからの友人どうしで、ガキの頃の話をこんなに生き生きと、詳細にわたって語り合う、こんなけったいな趣味はほかにないかもしれませんね。



 

総武快速・東京方面

あと1ヶ月もしないうちに、いよいよ房総特急から183系が姿を消していきます。先日、Pトップの貨物を撮りに行った総武線の駅では、183系目的の鉄な方も多く、有名先端は日を追って大賑わいのようです。

その総武線、首都圏で最もホーロー看板の残ってるエリアかもしれません。都内では錦糸町や両国にも、まだ国鉄の香りのする、こんな看板が現役で働いています。(首都圏や関東・甲信越のホーロー看板、しもやまさんのサイトに詳しいです)

先日、錦糸町駅でちょっと時間があり、たまたま(Pトップ撮影で)カメラを持っていたため、たまにはホーローを、と撮ってみたのがこんな写真です。

快速線で不思議に思ったのは、下りホームの「津田沼・千葉方面」に対して、上りホームには「東京方面」としかありません。「東京・横浜方面」あるいは「東京・横浜・逗子方面」となるのが普通では……?

少し考えて、ふと思い当たりました。東京地下駅開業当初は、横須賀線との直通運転ではなかったんですね。スカ色の電車が、東海道線と同じ線路を走ってたこと、30年前の関東転入人の私でも、かろうじて実際のシーンを知っています。

この看板、183系と同じ年月、ここで働いてきたんですね。電車と違って、駅のホーローは、文字通り人知れず消えていきます。ひょっとしたら、明日はもうないかもしれません。せめて、間近に迫った183系の引退を、柱の角から見届けてほしいですね。

メガバンクの看板

街中で写真を撮ってると、必ず画面に入る建物や看板ってのがあります。すぐ思い出すところでは、懐かしの大井町のショクツウ、下りは東洋紙業、上りはイトーヨーカドー。大森の大きなマンション、蒲田の駅撮りなら飲み屋街の小さな看板……。

先日、20年前の写真をあれこれセレクトしていて、街中で撮った写真の端っこに写ってる看板のいろいろ、なかなか面白かったです。「ナショナルビデオ」…ああ、そうか、この頃はまだパナソニックといわなかったんだとか、ン、テレクラ(笑)、今でもあるのか?!とか。。。

どこの駅にも見られるメガバンクの看板、もうそれだけで時代がわかりますね。この写真の90年は三菱、一昨日の写真は東京三菱、もうすぐすると、東京三菱UFJですね。いや、王子支店、統合されてなくなっちゃうかもしれませんが(笑)

看板と行きかう車両を除いて、街中のアングルは、駅の先端を含めて、意外とあまり変わっていません。この場所も、たまに行くときはいつも「撮れなくなってるのでは…」とどこかで心配しながら向かいますが、いまのところ大丈夫です。

ここでは、よく15台を撮りました。コースは違いますが、つい先日もあったブルトレ客車の方転回送も印象的です。このアングルから、茶色いパックと103系だけが、思い出の向こうに行ってしまいました。

街の木漏れ日に

さすがにやり過ぎ(笑)の昨今、今日はのんびり過ごそうかと家で昼ご飯を食べていると、ロクイチがシナオク回送に入った! との一報が……仕方ありません、行きましょう。家から近い山貨はもう間に合わない、う~ん、何とか尾久に入る手前なら間に合いそう、と王子へ向かいました。

王子駅のあたりは、田端や尾久から近いこともありますが、鉄には楽しいところです。ガタゴトと都電も走ってるし、裏の飛鳥山に登れば、D51や都電の保存車もいます。昔は、紙の博物館の小さな保存蒸機の姿も京浜東北から見えたっけ……。

駅と飛鳥山の間に、細長い飲み屋街があって、その付近がいささかアクロバットな(笑)撮影地です。通過は14時15分過ぎ、この季節の街中は、もうビルの影が目いっぱい厳しい時間です。

ここも、もうギリギリ日が当たってるという感じですが、飛鳥山からの木漏れ日なので、ビルの影とちがって、光と影の境界線が柔らかい印象なのが、ほかの街中ポイントとちょっと違うところです。

本数の増えた湘南新宿ラインの電車の通過を縫って、光の当たる線路面の露出を何度か確認すると、15台独特の、ロクイチ+カニ1輌の編成が、鈍い光に照らされて、やってきました。

先週の東北線はもちろん最高でしたが、今日のこんな感じ、ロクイチが「街中の機関車」として、さりげなく走ってる様子で、これもいいですね。こうしてまたロクイチのいろんな表情が撮れる、それだけで、すごく嬉しいです。



嗚呼、斜光線は微笑まない

今日は午後遅くに天気回復との予報でしたが、10時前にはもう明るい日差しが射してきました。よし、午後のネタは何かないか? とDJ誌を探すと、ありました。臨時あやめ82号、大戸1531、下総神崎1535……これだ!

先日Pトップの貨物を撮った、田圃の単線区間のすっきりした踏切で、12月改正まで余命いくばくもない千マリ183系が、斜光線に照らされるシーン! このスジは11月は今日だけの運転のようです。湾岸の渋滞も何のその、踊るようにクルマを大栄ICへと走らせました。

14時過ぎ、送り込み回送がまだまだギラリとはいきませんが、写真のような光線の中を通過、後追いで押さえて、来る本番への気分を盛り上げます。が、その頃から、ところどころ、空には厚い雲が……。

刻一刻心配しても仕方ないことは、こんな長く写真撮ってりゃわかります。15分前、スカ色の普電が、雲の合間の太陽に照らされて登場、あとは神のみぞ知る~~!?

送り込みは普通に撮り、本番は普通のアングル以外に、ちょっとした新機軸も考えてました。もちろん、斜光線が前提のアングルです。ところが、背中に見える下総神崎の場内信号が青になっても、厚い雲が居座ったまま。。。

「あ~あ、いつものことだけどよ~」と、周りからも落胆の声が聞こえるドン曇りの中、183系が何の表情もなく通り過ぎていきました。新機軸? もちろんあきらめて、普通のアングルのみシャッターを押しましたが、この虚脱感、何度味わっても、立ち直るのに数分を要します(笑)

通過1分後、太陽が顔を出しました。これも、いつものことですね。ま、送り込みの後追いが晴れただけでも、よしとしましょう。秋の素晴らしき斜光線、そういつもは微笑んではくれません。

土曜の夜のプレゼント

カムバック1985ネタが続きますが、東京1400発の「土曜踊り子」、運転開始当初は上りは回送でした。それが、ある時期から、季節によっては復路も客扱いで運転されるようになり、ロクイチは両エンドのヘッドマークを付けて、運用に入りました。

そうなると、バルブしたくなるのが人情というもの(笑)すわ、熱海、大船、横浜、3つの停車駅へ……たしか熱海が2分で、大船と横浜は30秒、それでもこれはいいバルブになるぞ、とけっこう通ってしまいました。

熱海はまだ時間が少し早く、季節によっては夜の色がまだ出ない時間です。ちゃんと夜の写真が撮れて、最も明るいのが横浜。グイっとタテに上下するアングルも魅力的で、混雑するホームで三脚を立てる気恥づかしささえ我慢すれば(笑)、ほんの短い時間の「土曜の夜のプレゼント」を味わうことができました。

何枚かシャッターを切って、対向ホームにたしか「富士」が入ってくると、わずかなバルブタイムも終了です。ロクイチのキャブに敬礼を投げかけると、敬礼とともに、ポッと短い汽笛が返ってきました。

土曜の露払い、1985

話を20年前、183系踊り子の引退の頃の東海道に戻すと、山から降りてきたEF62が、ゴハチに代わって荷物列車を牽いていました。

件の「土曜踊り子」を待ち構えていると、20分ほど前だったでしょうか、旅客線経由の荷33レがやってきます。品川を午後出る荷レといえば、さらにその前の時代には、ゴハチ重連で有名だった荷35レがあり、大窓機が前に付いたときの興奮など、猛者の話に悔しい思いをしたものです。

当時からEF62を熱心に撮ってる友人がいて、「撮っといたほうがいいよ~」とさんざん言われましたが、いま残ってるのは、ゴハチのリハーサルカットがほとんどで……まあ、毎度のことで、仕方ありませんね(笑)

そして民営化を前に、荷物列車自体がなくなるという大転換に、東海道のEF62も運命をともにしてしまいます。そりゃあ、信州の景色のいいところのほうが、EF62にはお似合いでしたが、限界ギリギリの運用をこなしながら東海道をぶっ飛ばすEF62も、いま思うとすごくカッコよかったですよね。

そして、その友人の「撮っといたほうがいいよ~」の舞台は信越線へと移ります。私も一緒にロクニ三昧の日々に入りますが、それはまた別の機会に……。

お~い、Kさん、元気かよ~? たまにはまた、バルブ明かそうぜ!

Pトップ鹿島へ

貨物に貸し出され、一度、隅田川日帰り往復の運用に入った後、なりを潜めていたEF65501号機が、今日は長駆、鹿島貨物の運用に入りました。

友人から連絡があったのが前夜9時、天気も良さそう、すでに突発的な休みを決意した別の友人もいるようですし、今回を逃すと次はいつ……えいやっ、と私も、今日は透明人間になっちゃいました(笑)

総武線の電車区間をかっとばし、佐倉の3線区間をゆっくりと通過し、やがて田園地帯の単線をのんびり走るこの運用、すっかり高機65の名物スジとなりました。ああ、ついにPトップが「いかにも、高機」という運用に入ってしまった……。

が、考えてみると、「生まれながらのP」の牽く貨物を撮るのは、かなり久しぶりです。ま、国鉄末期には両毛線にも運用がありましたし、すっきりした編成写真が撮れると思えば、ああだこうだと「本来Pは…」なんて考えるのが、少しバカバカしくなってきました。

土曜のロクイチよりは少し早い午後の通過で、斜光線一色には染まりませんでしたが、すっきりした秋の日を浴びて、短い汽笛を鳴らしたPトップが、軽やかに20人ほどのギャラリーの前を通過していきました。

こんな土曜の午後プレも

「土曜の午後のプレゼント」……80年代半ば、土曜東京発1400、ロクイチがよく充当されることで有名だった伊東行きの客車「踊り子」を称した、蓋し抜群のニックネームでした。

もちろんPFとの共通運用、どちらに転ぶかは週末になってからのお楽しみ。何かあの頃は、これを楽しみに、週の後半の仕事をこなしたものです。

ああ、今週はロクイチ撮れるかなあ。。。と考えるだけで、ワクワクしました。で、土曜はゆっくり起き出して、品川へ確認に向かいます。天気のいい日は、よし! と東海道線で少し遠くへ向かったり、あ~あ、PFかよ~、近場でいいや…とどこかの駅の先端にタムロったり……。

PFでも、こりゃあちょっとしたプレゼントだなあ、、、と、この日は清水谷戸トンネルまで行きました。臨時の「銀河」を牽いて上ってきた宮原PFの間合い運用になることが稀にあり、幸運にも、1001が来たのです。(ヘッドマークなしですが、何と何と、青いイゴマルが牽いたこともありました)

この85年2月の頃は、183系から185系への移り変わりの時期で、客車も「サロン踊り子」、「お座敷踊り子」と、いま思うと、「踊り子」が湘南特急の主役として、最も華やいでた時代だったのかもしれません。


183系踊り子

昨日の感動覚めやらぬ今朝、あれは夢だったのか、、、という曇り空の下、例の183系「踊り子」を1枚だけ撮ってきました。

1枚だけ、というのは実は文字通りの話で(笑)、斜光線のロクイチでまだ放心状態が続いており、デジカメの電池交換をせずに家を出てしまったため、連射ができずにバッテリー切れ……いやはや、お恥ずかしい話となりました。

曇ってる、ということで思い出したこの大船の先の踏切、実はここで20年前も183系踊り子を撮っています。同じ日に、貨物線経由で「さよなら183系ミステリー」というのも走っていました。

もしかしたら撮れなくなってるかも……と心配しながら行きましたが、変わらない状態で安心、今日も10名ほどの鉄な皆さんが集まっていました。

長い編成が似合うアングルです。8輌編成はまずまずの長さ。大船を発車して次第にスピードを上げた183系が、いかにも「本線!」という感じで、堂々と孤を描くさまは、20年前の忘れ物を取り返しに来たようでもあり、なかなか格好よかったです。

帰りには、東京駅で開かれてる「東日本縦断駅弁大会」へ。秋深し、もうひとつの私の「やや、鉄な楽しみ」、駅弁大会の季節が今年もやってきました!

秋、15時の斜光線

秋の陽はつるべ落とし、といいますが、夕方、走行写真が撮れなくなる寸前の斜光線の柔らかな美しさには、何ものにもかえがたいものがあります。

線路や道床、バックの木々や山々も、秋のイエローのフィルターがかかって、ファインダーに接近してきたお目当ての列車を美しく包み込んでくれます。ああ、写真撮っててよかったなあ、と思える一瞬です。

今日のその時間、私はたくさんの鉄たちと、ロクイチを待っていました。そう、何年かぶりの友人、ブログをやってる仲間、もう20年いつも見る名知らぬ彼……列車通過の少し前までは、久しぶりの挨拶や近況談義にあちこちで花が咲いていました。人が集まってるわりには、和やかな雰囲気です。

それが、彼方に「1灯」が見えた瞬間、あたりはいきなり静まりかえり、あわててファインダーに目を戻すと、ロクイチの颯爽とした走りが、あっという間に駆け抜けていきました。

ファインダーから目を離したそのとき、サイドの飾り帯とナンバーが斜光線にギラリ! 数秒の間を置いて、方々から「いやあ、よかったなあ」「激V!」との声が一斉に上がりました。

出場後、不調が伝えられていたロクイチですが、秋、15時の斜光線に照らされたその姿は、やはり何ものにも代えがたい輝きを放っていました。2005年秋・版、土曜の午後のプレゼントに感謝!

昨日、新鶴見で

「踊り子」を寝過ごしてしまった昨日の朝、EF65535が2092レに入ってるとの一報あり、じゃあそれ1本撮ろうかと、ぶらり新鶴見へクルマを転がしました。

第2京浜で多摩川を渡る頃から、ドン曇りの空に時々薄日が差し始め、「晴れてもいい場所」をあれこれ考え、結局、尻手短絡線に入ったところの踏切で、たまには真正面を狙うことにしました。

クルマを停めていると、後ろによくみるクルマが近づき……このあたりで本当によくお会いするFさんが「やあ」と出てきました。踏切であれこれ話しながらセッティングしていると、今度は通過したクルマが行き過ぎて路肩に停まり、歩いてきたのは、先日、中国鉄の宴会でお会いしたTさん!

Tさんは買い物の途中に、踏切で私の姿を見つけ声をかけてくれたのですが、なんと、FさんとTさんは、同じ大学鉄研のOBどうし。「いやいや、こんなところで」と久しぶりの再会のようです。

で、私もお二人と同じ大学の出身です。大学に入ったのが現役蒸機引退の75年、これからは違う趣味を、と「鉄研にだけは入るのをやめよう」と決意し(笑)、結果的にその後10年になった「休鉄」に入りました。

ところが、25年経って、なんだかこの光景、まるで私も鉄研に入ってたみたいな雰囲気です。それに、最近は、ほうぼうの鉄関係の宴会で、「あ~、あの人はケイオー、彼はメイジ…」と、話についていけてしまっている自分、、、

Fさんが、私の勤める会社ときわめてつながりの深い会社にお勤めであることも、つい何ヶ月か前、勤務時間中の銀座4丁目某所(笑)でバッタリ、名刺交換して初めて知りました。鉄研入ってても、入ってなくても、結局おんなじですね(笑)

その、私が鉄研に背を向けた70年代後半、ブルトレブームの頂点に、このカマはいました。今日、後ろに連なるのはコキだけれど、昨年の入場時の粋な計らいにより、このままブルトレ牽いてもいいイメージが甦っています。

輪廻転生、因果応報……こんな言葉の意味が、少しはわかるトシになってしまったなあ。。。





二つの時代に挟まれて

今日、伊豆急下田まで、久しぶりに183系の「踊り子」が運転されました。あまり聞いたことない千葉発、地下から出た後の運転経路がよくわからないのと、昨夜もけっこうほろ酔いで(またかよ~)、起きたら列車はすでに横浜を出た時間で……撮りには行けませんでした。

183系の「踊り子」といえば、伝説のリゾート特急157系と、斜めストライプの185系、このふたつのエポックメイキングな役者に挟まれて、目立たない存在だったと思います。何だ、あずさも、房総も、伊豆も同じかよ~、という印象しか残っていません。

85年春に、南チタから183系は姿を消しています。ちょうど復鉄当時で、何枚か撮っていますが、あまりいいのがありませんでしたが、先ほど、しもやまさんの線路端のブログで、東京駅の停まりという、良き記録を発見しました。

ならば、とこちらはこれでいきます(笑)真ん中になんだか違う車両を挟んだこの大事な仕事も、この写真の2月の運転が最後となったようです。

余剰車は千マリへ転属……だったような、いやそうじゃなかったような。。。もしかしたら、今日の編成の中には、人知れず、感慨深い思いで走ってた電車がいたかもしれませんね。

貨物ガマの牽く客レ

おちゃまるさんからコメントいただいた貨物ガマの牽くイベント客レ、たしかにJR初期にはいろいろありましたね。旅客会社どうしでも、ロクイチ使用不能で、東海から122号機を借り入れて、パックとのPPなんてのもありました。

貨物ガマのイベント列車では、この写真の「レイルウェイライター30周年号」、ほかにたしか高崎線で試験塗装機+旧客というのもあったように記憶してますが、さすがにそのときは「ゲ、ゲテモノ…」と思って行きませんでした。

いまの貨物ガマでは、6557+ゆとり、12系なんかよさそうですね。もちろん、535だったら、もうなんでもOKだし、1038あたりの12系もいいなあ。。。64新更新色……うぅ、やはりこれは怖いもの見たさかも!? 先週、中央東線のD51+12系の編成回送は、長野の64の故障により、貨物の更新64が牽引したようですが、やはり、どうもヘンな感じでしたよね。

写真の93年4月に時間を戻すと(そういえばこれも品川です)、種村直樹さんのイベント列車、EF659とEF651065、貨物機どうしのPPで、これまた今はなきレインボーが首都圏を一周しました。

記者から転じた社会派&乗り鉄(この言葉はまだなかったかな?)のオーソリティーのお祝い列車にしては、えらくヲタな(この言葉はまだなかったですね!)カマの組み合わせだなあ、と思ったのを覚えています。



続・ある日偶然、品川で

そのPトップ貨物、89年8月に、偶然品川で撮っています。たしか、数日続けての貨物運用に入った、と記憶していますが、当時はゴハチばっかしで、貨物の運用など全然リサーチしておらず、夏休み期間中、毎日のようにロクイチとPFのPPで走った「横浜博サロン号」の撮影の合間に、撮ったようです。

JRマークが入っていることから、国鉄時代ではないことがわかります。所属札は「高運」のままでした。今回のような訓練ではなく、貨物機の急な故障が原因だったような……。逆に、Pトップが故障して、「やすらぎ」の運用に貨物のF526が入ったこともありました。

たしか、昼間にのんびり停車してる65の重連貨物もあり、この頃の品川は、まだ「偶然ネタ」の宝庫でした。ゴハチ重単を眺めながら品川丼、というある年代の鉄には懐旧の頃の、少し後の時代です。

この数年でオシャレな「駅ナカ」となった品川にあって、臨時ホームだけは、相変わらずの静けさで、あの時代の匂いがまだ色濃く残っていますね。



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