嗚呼、Pトップ貨物

貨物へ貸し出しされてから、渋川や安中といった短い区間貨物に充当されていたPトップが、昨日は隅田川までやってきました。

田端操手前の、例の遮断機のない踏切には15名以上の鉄が集結、やがてコキを連ねたPトップが、ここを通る他の貨物ガマとまったく変わらない表情で京成のガードの下に差しかかり、ゆっくりと眼前を通過。。。

う~ん、たしかに、適度な色褪せが、535号機などより貨物機らしい、という声ももっともですね。この一団の中では、またまたおそらく私が最年長(笑)、ほかの皆さんにとっては、これも「Vネタ」のひとつに過ぎないんだろうなあ……

JR初期の頃、Pトップの工臨の運用を調べて、けっこう撮りに行きました。でもやっぱり、それとも違う感じです。今度は晴れた日に、撮りたいような、撮りたくないような……やっぱり、複雑です(笑)

EF64+12系

昨夜も結局飲んでしまい(笑)岡谷出撃は見送り、久しぶりにのんびりした週末となりました。

国鉄末期のポジのセレクトをしてると、思わぬところから件の青いEF64+12系が発見されました。それも、お召機77号機! 数少ないお召直後の客車運用で、ご覧の通りの美しさ! ただ、このヘッドマークは……?!(BF5→BG5とスバル車を乗り継いでる私は、ま、いいかって感じですが。。。笑)

Pトップと違って、12系とはピッタリ高さが合ってませんが、白いラインが入ってるのは、このカマならではですね。一瞬引いてしまうこのヘッドマークも、カマ番も隠してしまう凄いのも多かったこの時代にしては、色や貫通扉とのバランスもそれなりのデザインです(笑)

前後のコマを見ると、ロクイチ撮影の合間に、品川に偶然停車してるのを見かけて撮ったようです。この直後、77号機は八王子から稲沢へ転属、貨物会社のカマになります。「ちくま」を牽くことはありましたが、やがて、ただの白い更新機になってしまいます。民営化をめぐるカマの運命の転変の中でも、最もドラスティックな一例でしょう。

その栄光の名残りが秋の陽に照らされて、この一瞬だけの、やわらかな輝きを放っています。

こんなところにゴハチ

中央東線のD51、いやEF64+12系(笑)、撮るところが全然なく、しかも長野の64が不調につき、貨物から白い64を借り入れてる? という話もあり、今日はとりあえず様子見にしました。天気も良くないようですし。。。

茅野、上諏訪、下諏訪……鉄では行ったことのない駅ばかりです。試運転の様子を伝えるサイトを拝見すると、たしかに、いかにも鉄好みのポイントは少なそうで、むしろ、古い跨線橋が目に付いたりします。

唯一、20年前に行ったことがあるのが岡谷です。この頃は、数少なくなったゴハチが、各地のイベントに引っ張りダコで、「え、こんなところにゴハチが……」というのがいくつかありましたが、この岡谷の撮影会はその中でも記憶に残るマニアックなネタですね。

イゴナナはこの前月からすでに車籍はありませんが、この後も浜松に留置が続き、3年後の復活を待つことになります。後方のPFも初期車のようですが、おいおい自分、なぜちゃんと撮ってないんだ!(笑)

そういえば、今週末

予定のない週末が近づいてきて、近場出撃の候補を考えながら、DJ誌をあれこれ眺めるのは、けっこう楽しいものです。今週末は中央東線でD51498が走りますが、客車は件の高タカ12系、例によっての短区間、DJ誌によると、EF64とのPPです。

考えてみると、EF64一般+12系というのも、なかなか撮る機会がありませんね。ちょっと思い出そうとしたのですが、やっと思い出してポジ見たら14系……EF641001は何度か撮ってるんですが、う~ん、本当に撮ってないのかもしれません。

JR化後にも、中央東線で多客臨「アルプス」が何度かありましたが、14系のハザ+ハネ。「EL&SL奥利根号」も、1001や37はありましたが、青い一般の牽引は記憶にありません。もっと昔には、いろんなところで何度もあったのでしょうが、近年でいうと、意外とレアな組み合わせですね。

写真の「ちくま」、EF64に続くのは14系ハネですが、後ろのほうに12系がつながっています。JR化後も、貨物の64が牽く、という珍しい運用形態の夜行急行でした。

中央東線の原型の64もめっきり少なくなったと聞きます。あと二晩、週末まで、思案のしどころです(笑)

12系よ!

Pトップは今日も「安中貨物」の運用に入ったようです。タキ2輌……う~ん、やはり、撮りたいような、撮りたくないような(笑)

しもやまさんからコメントいただいた、Pトップ&12系といえば、これからも実現しそうな、「EL&SL奥利根号」のEL区間が思い出されますが、行きは逆光、帰りはバルブ、なかなか撮りにくいスジです。

昼間のいい時間に走ったのは、お正月の成田臨が印象に残っています。ELが入るようになった頃の成田臨はロクイチやパックが主役でしたが、客車列車末期は、高崎から来る501が皆さんのお目当てになっていました。

冬の澄んだ冷気に、千葉特有の強風……昨年「浪漫」を牽いたPトップが久しぶりに成田線に入りましたが、やはり、ラインの揃ったこの編成、もう一度、このあたりで撮りたいなあ、と思います。

Pトップよ!

JR東・高崎車両センターに所属するEF65501号機が、JR貨物に貸し出され、今日、「安中貨物」と呼ばれる高崎操~安中の短い区間貨物の運用に入ったそうです。

東海道ブルトレ時代への羨望をこめて「Pトップ」とファンの間で呼ばれるようになったのは、国鉄がJRになってしばらくした頃だったでしょうか。Hゴムやテールライトの改造からすると、形態的には535号機のほうが往時の姿に近いのでしょうが、旅客会社に所属する唯一の65Pとして、時おり客車を牽く姿は、たえず注目を集めてきました。

それが、客車衰退の時代、同機の活躍する機会は、ここのところ、めっきり減っていました。「くつろぎ」も「やすらぎ」も消えたいま、12系だけが可能性高しですが、成田臨や奥利根号牽引の機会もなく、高崎周辺の工臨だけなら、EF641001も、EF6019もいます。いったい前に動いたのはいつだっけ? というご無沙汰振り……。

走った、と聞いて、うれしいけれど、複雑です。工臨は仕方ないとして、Pトップにだけは、貨物を牽いてほしくなかった。。。

JR貨物乗務員へのATS-P訓練用の貸し出しと聞きます。コキやタキを牽く姿、撮りたいような、撮りたくないような、、、ブルトレ少年の少し上の世代としては、やっぱり複雑です。。。

丸瀬布落葉

その夜は、ノースキングのレストランでビール飲んで、ゆったり温泉入ってすっかり上機嫌で床につきましたが、翌朝目を覚ますと、外は雨……。

朝の8071レを瀬戸瀬で待ち構えるものの、露出はまったく上がらず、それに前も後ろも更新機。次の9073レの片側がようやく原色だったものの、これでは撮影意欲も減退の一途です。バーゲンフェア期間中の土曜日とあって、それでも146kmポストのSカーブにはクルマが5台、なんとか原色前のPPをカメラに収めましたが、ただのドン曇り写真で、、、

そこで思い出したのが、丸瀬布いこいの森の雨宮21号。たしか毎年10月末までの運転……駅の電話帳で事務所を調べて電話すると、今日も運転! これはきっと、いい白煙が出てるのでは、と方向転換です。

これが正解でした。保存鉄道とはいえ、落葉の森を抜けてくるナローの森林列車、元木曽森林の客車もちょうど渋めのカラーに塗り替えられたところで、すばらしいシーンが展開されていました。

今年は雨の落葉でしたが、来年は、晴天で紅葉ヴァージョンも、ぜひ撮りたいものです。

留辺蘂色づいて

北海道・石北から先ほど帰ってきました。残念ながら晴れたのは、ほとんど昨日のこのカットだけ(笑)、今日に至っては、曇り予報がさらに悪化し、ずっと雨……。デジカメがなければ、もう写真撮らずに温泉ばっかし、というところでした。

年に何回か通ってる石北、今回は4月以来半年ぶりですが、女満別から北見市内を抜け、やがて留辺蘂にさしかかると、なんだかホッとします。

留辺蘂の国道クロスから見える「紅葉山」は、いい感じに色づいていました。静々と進んできたのは、最近では珍しくなった原色コンビ、半逆光に、赤や黄色のグラデーションが映えて、満足!

国道クロスのたもとの食堂で、ちょっと濃いめの味噌ラーメンを食べて店を出ると、常紋の山のほうには、厚い雲がかかり始めています。ちょっと撮影よりも、ノースキングのお湯が恋しくなってきました。

紅葉、1週間遅れ?

明日から1泊で、石北本線へ行ってきます。いつものJL女満別便、泊りは石北鉄のメッカ(?!)、生田原のノースキングです。

昨年、体育の日の3連休に行って、ちょっと紅葉の盛りには早い感じでした。今年はその10日後、ちょうどいい時期? と思いきや、どうも山の紅葉はピークを過ぎたようで、、、

蒸機現役時代の常紋には、一度しか行ったことがありませんが、今も変わらぬ峠の道に挑む赤いDDの雄姿は、「山越え写真」の王道、というイメージです。去年の重連が、今年はプッシュプルになり、また違うアングルを工夫して撮るのも楽しそうです。

落葉も、いいですよね。平野部はまだ盛りを迎えたところかもしれません。中国の「黄」から転じて、ニッポンの「紅」を撮ってきたいと思います。

「鉄道遺産を旅する」

昨日の夕方、予定された仕事が急にキャンセルになり、ポッカリ空いた時間に、斉木実さん、米屋浩二さんの写真展「鉄道遺産を旅する」を観てきました。

雑誌連載時にも時折拝見してましたが、腕木信号やターンテーブル、木造駅舎や硬券切符という、昔はあたりまえで、いまはすっかり消え行く運命にある鉄をめぐる小道具を、味わい深いモノクロ写真で捉えた、いい写真展でした。

肥薩線や富山地鉄の古い駅舎の写真も圧巻でしたが、ホームの洗面所や、ボックスシートの栓抜きなんていう、いささかマニアックなカメラアイに惹かれました。

米原駅の洗面所の写真、唸りました。帰って、会場で購入した両氏の近著「ニッポン鉄道遺産を旅する」を読むと、駅の洗面所には、蒸機列車時代の煤を洗うだけでなく、長距離夜行到着時の朝の洗面と、ふたつの目的があったことがわかります。

往時、座席車の列車内には洗面所がなかった……そうそう、たしかに現在の中国の夜行列車も、ちゃんとした洗面所があるのは寝台車だけです。そういえば、ホームに洗面所はまだ見かけたことがないような。。。

7月に宴会旅行で修善寺に行ったとき、伊豆箱根鉄道の駅のホームに、洗面所が何ヶ所か残ってるのを、スナップしました。この写真の大仁駅、蒸機列車の時代はわずかしかなく、ハイキング帰りの行楽客が、帰京の前に使ったのでしょうか? 両氏の写真展に影響されて、モノクロ変換してみました。

惜別のとき

赤峰から北京へ帰る夜行列車に乗るために、いよいよ集通を離れる時間が近づいてきました。

少しでも滞在時間を延ばそうと、今回は赤峰発が最も遅い時間の列車です。それでも、17時過ぎの日没までいられるかどうか……。

チャガハタを出てすぐのこのあたり、実は前の日にも夕刻に来ていて、夕日がサイドに綺麗に当たる場所です。あたり一面、というわけにはいきませんが、ススキという秋そのものの小道具も揃っています。前日、重連貨物が来たのは日没の直後、ああ、列車の通過が10分早ければ、と悔しい思いをしました。

ここで、お別れです。同行の皆さんも、それぞれのイメージで、思い思いの場所に待機しています。16時30分過ぎ、場内信号が降りました。

短い汽笛が遠くで聞こえたあとの数分間は、何やら時間が止まってしまったような感覚でした。いま一度、露出をチェックし、ファインダーに入ってきた、夕日の前進を乱写しました。

ふと我に帰ってファインダーから目を離すと、まだまだ残照に照らされた前進が、駅の向こうのカーブに姿を消していくところでした。

惜別、集通! この場所を、忘れない。

今日でお別れ

話は中国に戻って、撮影も3日目、集通の前進に別れを告げる日がやってきました。時折雲が出るものの、今日も晴れ基本で行けそうです。

今回中国へ出かけた三連休、当初の話では、すでに無煙化された集通でもメインの勾配区間、経棚峠にイタリア人の映画ロケ列車が走るということでした。それが中止となり、期せずして東線の撮影ポイントを“秋色巡礼”することに。これはこれで、しみじみとした、いい時間を過ごせました。

今日でお別れ、昼近くになり、あと何本撮れるか、となると、あのポイントで撮りたい、というよりは、あの場所で見送りたい、という気持ちになってきます。同行の皆さんも同じ気持ちのようで、昨日までより、撮影場所が微妙に分かれています。

古魯満汗から東へ少し行ったところの、何の変哲もない踏切。ここで夏に朝の客レを撮りましたが、山をバックにいかにも集通東線といった感じの、穏やかさと、何気ない力強さが感じられる場所です。

峠に挑む冬の迫力はありませんが、最後の日まで走り続ける前進たちの、さりげない表情を味わいながら、シャッターを押しました。





97年、安中鉄橋

今朝も北浦和で「懐かしの白山」を、小雨の中、撮ってきました。高崎以遠まで出かけた友人から、時折日が差しているとの一報に、ああ、やはり信越線内まで行けばよかったかな、と少し後悔です。

90年代半ば、峠のロクサンより、通し運転のロクニを求めて、安中、横川あたりには、ほんとうによく通いました。群馬八幡~安中の有名な「安中鉄橋」、「森&ラブホバックポイント」、安中~磯部のド田んぼや、お墓俯瞰、信越化学工場脇の「簡易便所ポイント」など、どこも今日はさぞ賑わったことでしょうね。

あらためて当時のポジを眺めていると、高崎を朝遅めに出る、EF62の団臨の前に、露払いに「白山」がやってきたのを思い出しました。もちろん当時はみんな文句たらたらだったこの塗色、今となっては懐かしいなあ(笑)

安中鉄橋に国鉄色ボンネット、もう少し、想像の世界の中にとっておくことにしましょう。。。

懐かしの白山

中国ネタをしばしお休みして、本日の近場撮影を。

上野~横川で運転されたリバイバル白山、ほんとはEF62時代に通った安中あたりへ久しぶりに…とも思ったのですが、天気もあまり良くないので、デジカメ片手に、近場で朝の散歩って感じです。

75年に大学入学で東京に来て、たしか入学手続の日に、蒸機時代の愛機、ペンタックスSPで、上野駅発車前の「白山」を「面撮り」しています。当時はシンプルな字だけのマークです。絵入りマークとなると、撮ってるのは後年の白い編成ばかりで、国鉄色はほとんどないような記憶が……。

今日の列車、上野に毎日やってくる「能登」の間合い運用ですが、塗り替えのセンスがよろしくない(笑)JR西には珍しい、正当なリバイバル・カラーです。これ見ると、どうして583系やキハ181系は…と、グチのひとつもでてしまいます。

往時、昼行の長距離特急として名を馳せた「白山」も、今日は峠の手前までの日帰り列車です。食堂車のハンバーグは夢のまた夢としても、久しぶりに峠の釜めしでも食べたくなりました。

査布嗄暮色

その後も秋の色をファインダーに収めようと、黄葉の木々を探しては、チャガハタ、林東、衛門廟と徐々に東へ移動しました。

草原の丘の上に日本人鉄のチャーター車が5台ズラリ並ぶのには、少し興ざめしましたが、その中にはけっこう知り合いも多いので、あまり皮肉も言えません(笑)

つるべ落としにはまだ少し早いけれど、午後3時を過ぎると、写欲を盛り上げる、いい斜光線に。蒸機牽引区間の東端、査布嗄に着き、駅の発車を狙おうと待機しましたが、予定された4時発の貨物はキャンセル。。。残念!

気を取り直して向かった夕暮れの折返段、200元はちょっと高いけれど(笑)、美しい秋の落日を記憶にしまうことができました。

古魯満汗秋色

大板から二つ目の駅、古魯満汗のあたりは、集通東線の中でも、思い出深いところです。

最初に訪れた去年のGWには青空に聳える腕木信号機に震え、羊飼いの一隊が往来する夏の草原、早朝を駆けるQJ6911最末期の客レ、日の暮れた夕刻の客レの長時間停車、みんな忘れることのできない光景ばかりです。

駅のはずれの、線路に平行した並木は、すっかり色づいていました。残念ながら少し前に建った電柱や電線がうるさいけれど、ここは秋の写真を、とポプラの陰にポジションをとりました。

おなじみの中国式カップラーメン「康師傳」を食べていると、遠くで汽笛とタイフォンが聞こえ、きちんとセッティングする間もなく、前進の牽く貨物が黄葉の中を滑るような足取りでやってきました。

大板の朝

最後の集通から、昨夜帰ってきました。メンバーにも、天気にも恵まれ、いままでの集通の思い出をひとつひとつ噛みしめるような、印象深い旅になりました。1年越しの秋の風景を楽しんだ3日間、順を追って振り返りたいと思います。

いつものコースで、未明の赤峰から車で3時間で朝の大板に到着、思ったより冷え込んでいて、思わずセーターを着込みました。あれほど前進の煙が無数にあがっていた机務段にも、前進の姿はポツリポツリで、抜けるような青空とは裏腹に、あたりはすっかり静まり返っていました。

定期の客レが発車したあとの駅には、DL牽引の長い貨物が、これも静かに入線してきて、やがて何もなかったかのように、経棚峠をめざして行きます。
ときおり秋空に上がる白煙は、入換に精を出すデフなしの前進のもの。。。それをバックに、線路工事も始まりました。

そんな、30年前にどこかで見たような風景が、2005年の中国で繰り返されているのをスナップしたあと、わずかに残った前進重連を迎え撃つため、駅のはずれへ向かいました。

最後的集通

明日から、今度こそ(笑)最後の集通鉄路へ行ってきます。去年は直前まで航空券をキャンセル待ちするも果たせなかった、最初で最後の、黄葉の秋です。

ちょうど日本の三連休に、イタリアの映画ロケでチャーター列車が経棚峠を走る? 先月の中国鉄はすっかりこの話題で盛り上がりましたが、やはりそんなおいしい話はなく(笑)、直前でキャンセルされたとか……。我々のツアーも、前進の残る東線に行き先を変更しての出発です。

ちょうど1年前、中国行きを断念した三連休に代わりに常紋に行って、その休み明けに、仕事上の大きな事件が起きました。それはずっと尾を引き続けて、偶然、この三連休を前に、やっと収束へ向かいました。

なんか、1年越しの秋の集通って感じです。ここにたどり着くまで、ついつい鉄友の皆さんにも、グチってしまったことも、何度もありました。列車を待つ線路端で「な~んだ、そんなことか」と言ってくれた同年代の鉄友もいれば、「あ~、もう徹底的にサボって鉄してください」と笑いとばしてくれた
年下の鉄友もいました。

明日からの最後的集通、私が初めて中国へ行ったときのガイド氏と、いつもとは違うグループに参加しての旅です。また何か新しいものを持って帰ってきたいと思います。

厚狭のDD

その厚狭のDD51ですが、いまも美祢線を中心に貨物列車を牽いて活躍しています。やまぐち号のついでに立ち寄って撮影するには、絶好のネタで、今回は山口宇部でレンタカーを借りたら、まずは美祢線の重安へ向かいました。

ホッパーに実際に石灰石を積み込むシーン、圧巻でした。そびえる岩山や、工場のストラクチャーと相まって、平成の世とは思えない、鉄道が貨物輸送の主役だった時代を彷彿させてくれる、いいシーンです。

それに、ここのDD、いつもキレイなんです。件のJR西の844号機が可哀想なぐらい、いつもキチンと磨かれていて、順光にピカッと映えます。また、ホッパーにフライアッシュと、貨車がいいじゃないですか!

やっと、シゴナナが快方に向かった、とのニュースが入りました。DLやまぐち号、もう少し撮りたかったけど(笑)、次の山口行きも、DDの撮影は美祢線で。やはり、このほうが、しっくり来ますね。

続・DLやまぐち号

下りのやまぐち号、9521レが実際に、ヘッドマークなしのDD51の牽引でファインダーに入ってきたとき、突然、不思議なデジャ・ヴ感に襲われました。

現役蒸機末期は、DLとSLの練習運転の重連はよくありましたが、いま思い出してみても、共通運用というのは、あまりなかったような気がします。前にDLがついててガッカリ、はよくありましたが、運用自体ははっきり分離されていて、どちらがくるかのお楽しみ…というのは、あまりなかったような。。。(後年、ゴハチかPFか、ではよくありましたが)

最近津和野で行きつけ(笑)の道の駅で昼食中に、ふと思い出しました。あの時代、DLとSLの共通運用だったのは、多客臨、団臨などの臨時運用が多かったのです。京都では「はしだてビーチ」なんかがそうでした。同じ客車編成をSL牽引と、DL牽引と、わずかの期間に両方目にしてしまう……う~ん、不思議な既知感、これだったのか!

やまぐち号自体が、現役の定期列車で、ずっとシゴナナが牽いてたのが、10月1日(偶然!)からDL化された……なんだか、そんな、30年前に戻ったような不思議な気分です。すでに四半世紀を紡いだ、やまぐち号の歴史のなせる技かもしれません。

分割民営化のときに、数ある厚狭のDD51のなかから、なぜこの844号機がJR西への継承機に選ばれたか、その理由はわかりませんが、山口線ならではの風景に溶け込んで走るこの機関車の表情は、控えめながら、ちょっと誇らしげでもありました。

DLやまぐち号

C571の台枠亀裂はけっこう深刻なようで、早速、さまざまなBBSでは、今後の代機についての噂があれこれ出ているようです。う~ん、心配です。強運の機関車だから大丈夫、とのんびり構えてばかりいられないような……。

この土日は、写真のように、「DLやまぐち号」になってしまいました。来週はC56を持ってくるようですが、C56にはその後、四国などの予定が入っており、その後には、またまた「DLやまぐち号」が走ってしまう!?

が、DD51やまぐち号、こちらはこちらで、なかなかです。DD51の牽く客車列車そのものがいまや貴重で魅力的ですが、茶色の客車に黄色いヘッドマーク、どちらもDDにけっこう似合っていて、う~ん、いけないこととわかっていても(笑)、写欲がそそられます。

それに、さすが山口鉄道部、土曜はヘッドマークなし、日曜はマーク付き。DLやまぐち号においてさえ、ファンの気持ちを捉えてくれました。

このDD51844、唯一の下関所属のDDで、やまぐち号のSL補機や工臨、団臨など山口エリアの貴重なバイプレイヤーです。シゴナナが回復するまで、彼の健闘を祈りたいと思います。



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