心配です

酔ってます(またかよ~)。C571の不具合はけっこう重症なようで、JR西のリリースでも、今週末はDD、来週の3連休はC56+DDと発表されました。で、その後のことは未定、と……。

BBSをいろいろ見ると、台枠に亀裂? とか、長期離脱? とか、おどろおどろしいフレーズが散見され、背筋が寒くなります。今年はしっかり走って、そのあと徹底的に…という噂でしたが、それも叶わなかったのでしょうか。。。

急行日本海牽引中の事故、鷹取入場中の阪神大震災……この機関車には強運が付いています。あるBBSで奇跡よ三たび! という切なるフレーズがありましたが、まったく同感です。

シゴナナの姿を見ることはできませんが、明日、ちょっと山口へ行ってきます。小郡のクラに向かって、無事を祈ってきます。

腕木信号機

蒸機現役時代の情景を演出する小道具といえば、腕木信号機も欠かせませんね。やはり、こちらも古いクラと同じように、風前の灯、この写真の八戸線陸中八木に残っていたJR東最後のものも、数ヶ月前、姿を消しました。

中国に行くと、1990年代に開通した集通鉄路が、どういうわけか腕木信号機のオンパレードで、前進との組み合わせも簡単に撮れてしまいます。最初は「お~っ」と思いますが、だんだん目が慣れてくると、30年前と同じように、それほどは写し込まなくなるから不思議です。

JRからはほとんど消えた腕木信号、いくつかの臨港鉄道や専用線では、現役として使われているようです。先日の磐西で、久しぶりに会った友人に、腕木を上手く撮った写真を見せてもらって、あらためて刺激を受けました。

C571の走る山口線にも、昨年、飾りですが腕木信号機が立てられました。やまぐち号上りの津和野出発時には、ちゃんと斜めに下りた形になっているようです。そのC571、調子が悪く、今週末はDDが代走とか……今月は山口に行っておらず、ちょっと心配です。

扇形庫

ターンテーブルでぐるっと回ったC57180が、扇形庫の2番に入って、復路へ向けての整備が始まりました。クラのほかの番線には気動車が数両、外にはラッセルの姿もみえます。クラ全体がいかにも「現役」!……これはもう、ここ会津若松でしか見られない風景ではないでしょうか。

梅小路の扇形庫にはもちろん凄い存在感があるし、近年は動態機の検査も行われるようになったこともあり、正面左側のいくつかの番線には、蒸機現役時代を思い起こさせる雰囲気もあります。

でも、クラに気動車が入ってたり、ラッセルやマニがクラの外にぽつんといるところが、これこそ蒸機現役末期を思い出させる、作り物じゃない自然体の風景。。。シゴナナもヘッドマークこそあれ、復活からしばらく時間が経ち、すっかりこのクラの匂いに溶け込んでいますね。

扇形庫はいま、あと、日本のどこに残っているのでしょう。豊後森は廃墟の本に出てくるレベルだし、2年前に一部残っていた苗穂はどうでしょうか。津山に残ってる?と聞いたこともあるような。。。

国鉄がJRになって15年が過ぎ、むかしのクラはみんな、思い出の彼方へ消え去ってしまいました。蒸機現役時代には行ったことのなかった会津若松だけが、蒸機が出入りする、今なお現役です。

続・会津の曇り空の下

会津若松の転車台を見に行ってるうちに小雨が降り出しました。復路は1500発、本来十分露出のある時間ですが、見る見るうちに、あたりは暗くなっていきます。できるだけ早い時間に走行を、と行きにサイドを撮った広田手前の踏切にポジションをとりました。

いわゆる「ド田んぼ」、平凡ですが素直な築堤、シチサン写真を押さえるのには絶好の場所です。ズラリ並んだのは、ざっと50人ぐらい…? 鉄の数も、見る見るうちに増えてきました。

10分前に、露払い(?!)の583系「白虎」が通過。高揚する緊張感と落ちる露出のアンバランスが何ともいえない複雑な感じです。ドン曇りにシゴナナ、といえば、現役時代に三度行った、山陰の米子や浜田はいつもそうだったなあ。。。

やがて、小気味良いブラスト音とともに、緩い勾配を、やや急ぎ足って感じのシゴナナが近づいてきました。オッ、煙もいい立ち上り方! やがて無数のシャッター音が……と思いきや、いつものことながら、緊張してるときは、なぜか自分のカメラのぶんしか聞こえません。バシャバシャ、よしっ!

各地のご当地ラーメンも、南東北の楽しみのひとつですが、今回は撮影に忙しく、食べる時間がありませんでした。帰りの東北道のSAで、やっと佐野ラーメンで一日を仕上げました(笑)

P.S
磐西から帰ってきた翌日、自宅のパソコンがダウン、修理入院となってしまいました。しばらく、画像ソフトもスキャナも使えないため、ブログ更新もちょっと滞るかもしれません。。。

コンパクトデジカメを使い始めた頃、一度データが全部とんでしまったことがあります。そのときの痛い経験から、最近はデジカメの撮影データはバックアップをとっており……ああ、よかった……。

せっかく続けてきたブログ、しばらくは鉄写真なしの日もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

会津の曇り空の下

C57旧客、行ってきました。天気はドン曇りを通り越して、復路の列車を撮る頃には雨までパラついてきましたが、やはり行ってよかった、と納得の一日でした。

安子ヶ島の有名ポイントから撮影を始めた我々は、まあどうせ鉄渋滞、追いついたら臨機応変に撮ろうと、追っかけグルマの流れに乗りました。往路の列車はけっこう停車があり、無理せずとも何回かの撮影が可能です。

今日いちばんの人出だった「玉屋ポイント」を過ぎ、峠を越えると上戸の手前でシゴナナと並走しました。車内では、T氏が「へえ、そうですねえ」と、くだらないダジャレをかましています。

暗い曇り空の下、ほのかな白煙とともに、シゴナナの牽く旧客編成が、滑るように走っていきます。ニッポンの農村に、シゴナナ旧客、ああ、私の鉄の原風景! これを見ただけでも、来た甲斐があった!

往路の後半の撮影は、そのときのイメージを残したいと、サイド気味の構図を何度か選んでみました。架線はありますが、これならDE10も隠せるし、国鉄時代にちょっと戻ったような雰囲気も。。。

でも、DE10の側もなかなか渋くてよかったですよ(笑)復路はもう露出が厳しかったため、途中から停車狙いにしてDE10側も撮りましたが、ああ、往きに、走行のアト追いもやればよかったなあ…とちょっと後悔です。。。

明日、C57旧客へ

今日の夜から、明日、C57180の牽く旧客の走る磐越西線へ行ってきます。天気がいまひとつの予報ですが、磐西自体、4月以来久しぶりで、楽しみです。

C57の牽く旧客を撮るのは、現役蒸機の74年以来、30年ぶりです。最終年の室蘭本線は、休鉄に入って、行ってません。その後、山口線で何度かありましたが、当時はゴハチばっかり撮ってた頃で、これも行ってません。今から考えると、行っとけばよかった……こればっかし(笑)

今回の列車が走るのは電化区間ですが、磐西の非電化区間の現役シゴナナも、関西のコドモには縁遠い存在でした。景色のきれいなところだけど、なんや、もうシゴナナなくなったんか……C57180がさよなら列車の装飾そのままに、自力で小学校へ入ったことを伝える小さな雑誌記事だけは、どういうわけか、よく覚えています。

新津や新潟に多く配置されていた180番代のシゴナナは、九州へ何輌かが転属しました。日豊本線でよくみかけた187号機、吉松でC55との共通運用に入っていた182号機などが思い出されます。186号機のように、さらに北海道へ行ったカマもいました。この写真の187号機、ナンバープレートの位置が上付きで、180号機に表情が似ていますね。

電化区間、ヘッドマーク、DL補機……贅沢を言えばキリがありませんが、もはや旧客の6輌編成が組めるのはJR東だけです。30年ぶりの佳きカップリングを楽しんできたいと思います。




試単、結果オーライ

昨日大宮を出場したロクイチの本線試運転があると聞いて、連日の大宮方面へ。今日は仕事の都合で、折返しの上りまでは撮れません。。。

最初は、田端に近いところでサッと1枚…と思ったのですが、ついついカット数を稼ぎたくなり、折り返し駅と目される某駅へ向かいました。ここなら、進入と停車を撮って、なんとか午後の会議に間に合う、、、

直前になり、ホーム先端に集まった鉄から、「あれ、ポイント変わらない…」の声が聞こえるやいなや、ポーっとロクイチの汽笛が聞こえ、ダダダダッと、鈍い光を放ちながら眼前を通過…咄嗟にアングルをタテ位置にして撮るのがやっとでした。

なかば茫然と見送り、上りの電車で泣く泣く帰路につきましたが、あらためてデジカメのモニターを見ると、あ、これはこれでまあまあです。きわめて自己満足な結果オーライですが、またまたロクイチ撮影のいい思い出ができました(笑)

乗務員氏の顔もしっかり写っていていい感じですが、添乗の職員氏がこちらに向かってデジカメを構えています。まあ、こちらの顔はカメラに隠れてるんですが(笑)、ちょっと恥ずかしいなあ。。。

ロクイチ出場

酔ってます。鉄仲間と、気分のいい酒でした。今夜のブログは呂律が回らないかもしれません。でも、いいですよね、今日ぐらいは。長い入場を終えた我らがロクイチが、無事帰ってきたんですから!

午前中の仕事が順調に終わって、なんとか駆けつけた大宮は、すでに鉄の人だかりでした。一日曇りとの予報でしたが、埼京線の途中で雨が降り出し、せっかくのロクイチ出場も、泣き出しそうな空の下……。

でも、この機関車、もちろん晴れた日もいいんですが、曇れば曇るほど、独特の、鈍い光を放つんですよね。おいおい露出あるのか~、とやきもきしながら待ってるときほど、眼前を通過するこの色の渋さに思わず感動したことが、いったいどれぐらいあったでしょうか。そして、雨の日のバルブにも、たくさんの思い出があります。

今日の大宮には、雨が降っても槍が降っても、ロクイチが走る日には必ず駆けつけていた、猛者の皆さんの顔がけっこう揃いました。自分もそうなんですが(笑)、すっかり代替わりしたネタ鉄の中で異彩を放っていて、なんだかすごく安心しました。

明日も曇り空の予報です。今日は会えなかった懐かしい顔に、また会えるかもしれません。

ブルトレ朝練

この3連休、遠出はしなかったのですが、初日に、出張で大阪から上京した友人を案内してPFブルトレを撮りに行ってから、好天にも誘われて、結局3日とも「朝練」してしまいました。

今朝は、川崎近くの踏切へ。昨日、友人から教えてもらった初めての場所ですが、「銀河」、続いて「出雲」にもまだ日が当たり、すがすがしい気持で、充実した朝の時間を過ごせました。

考えてみると、20年前の復鉄後、東海道といえばゴハチ団臨・多客臨中心の撮影だった私にとって、早朝の上り、というのはウィークポイントです。有名なところは別にして、横浜や川崎の市街地の細かい撮影地は全然といっていいほどわかりません。今春の「あさかぜ」廃止のときも、場所もわかんないし、ロクロクだからまあいいや、という感じでした。

それが、ここのところの「PF熱」、それに日の長い季節、熱心に朝練を続ける複数の友人の影響もあって、今頃になって、「あそこはもうビルの影が…」「○○駅の駅撮りがいいらしい」と、週末になると早起きする始末です。相も変わらぬ、鉄のあさはかさ、ですが(笑)

来年3月のダイヤ改正?を考えると、東京着6時57分の「出雲」の朝練には、もう残された時間は少ないかもしれません。大阪の友人も、残された時間のもっと少ない「彗あか」「なは」の朝練に熱心なようです。



あずさ71号

この連休から、幕張の国鉄色の183系を使用する臨時「あずさ」は、朝6時30分新宿発、71号として走るようになりました。この時間だと、早めに撮っておかないと、秋が深まるにつれ光線が厳しくなるなあと、今朝、早起きして行ってきました。はい、しつこくも、青春の地(笑)、阿佐ヶ谷です。

休日ダイヤで、阿佐ヶ谷は快速通過。6時過ぎだとまだ快速が走ってない時間で、緩行線をオレンジの201系がけっこうな頻度で走ってきます。案の定、6時10分過ぎの新宿への回送は、またまた201系にカブられてしまいました。

雲ひとつない快晴、そのままの位置から、順光となる後追いを狙うことにしました。阿佐ヶ谷駅の荻窪方はあまり高い建物がなく、太陽さえ上がれば、綺麗に光が当たるはず……そうそう、快速ホームからは、晴れた日には富士山だって見えたよなあ。。。

そんなことを思ってるうちに、快速線にも電車が走り出し、緩行線には今日初のイエローのラインの201系が千葉方面をめざしていき、やがて逆光の中に、来た!

とかくタイミングの遅れる後追い、今日は何とか「あずさ」の絵入りマークをいい光線で撮ることができ、ふうっと一息つきました。特急シンボルマークがない? まあ、贅沢は言いますまい。。。

駅を出て、クルマを停めた中杉通りに戻ると、並木道にも秋の日が差し始めていました。これからの季節、晴れれば朝夕の斜光線が美しい撮影日和になりますね!

梅小路で産湯を使い

何か月か前、鉄仲間の宴会で、「民主党の若手で、前原誠司っているじゃない。あいつ、鉄なんだよね。それもかなり本格的な…」という話題が出たことがあります。「ああ、彼、京都だよね。ウチの実家の隣の選挙区…」

さすがにアクセスが集中しており、先ほどやっとつながった彼のHPのプロフィール欄、「趣味」のところには、堂々「SLの写真撮影」とありました。

私より少し下の世代、なるほど、昭和50年に中学入学か……さすがに現役蒸機はほとんど知らないだろうな。でも何しろ京都です。この写真の昭和46年、翌年の梅小路開館だって、小学生、いたかもしれません。梅小路で少年時代、鉄としての修業を積んだ可能性は十分すぎるほどありますね。

ウチの選挙区でも、今回、民主党の若手が苦杯をなめました。本格的な鉄のポリティカル・リーダーは、おそらく初めてでしょう。彼のこれからを、注視したいと思います。

その晴れた日の

サロンそよかぜ、87年9月15日の撮影です。この年は、撮影記録がしっかり残ってる年で(笑)、運用と共に鉄専用の手帳に書かれたデータによると、秋に4日設定された運転日のうち、2日にロクイチが充当されています。ちなみに、GWはすべてPF、これはまったく撮ってません(なんという、あさはかさ!…笑)

両日とも晴れ、晴れると光線状態に悩む高崎線内ですが、夏の強い日差しは去ったこの季節、いまでも何か走ると多くの鉄が集まる有名撮影地を行くロクイチに、少し柔らかい、初秋の光が当たっています。

国鉄末期に「復鉄」した私にとって、ロクイチとシナサロ(東サロと呼ぶ人も多かったなあ)の組み合わせは、何かあの時代の、ひとつのシンボルのように思えます。そりゃあ本来は1号編成を牽いて走る機関車、それがイベント専用機に落ちぶれて…と仰る向きも多かったですが、カラーのマッチングも、ファインダーに近づいてきたときの、何ともいえない華やかな印象も絶好で、私はけっこう喜んで撮ってました。

シナサロは編成が1輌減りましたが、「ゆとり」となっても欧風当時の外装そのままに、まだ走っています。ロクイチとの組み合わせも、この秋また期待できそうですね。



サロンそよかぜ

今年は暑い夏がまだ居座ってますが、予報によると今週末の3連休は、やっと秋らしい天気になるとか……。

国鉄末期からJR初期、この連休が近づくと気になるのが「サロンエクスプレスそよかぜ」、この列車の逗子~高崎にロクイチが運用されるかどうか、でした。秋の連休とGWに運転されたこの列車、誕生当初はPFばかりでなかなかロクイチが充当されず、爽やかな水色のヘッドマークをつけたロクイチをいつも期待していたものです。

それで、待望のロクイチが入ったと思えば、天気は曇りや雨ばかり……、やっと秋の青空に迎えられるまで、たしか数年かかったと思います。晴天のオカポンで、ロクイチそよかぜを迎えたときは、うれしかったなあ。

とはいえ、本来なら逆光の、ここのような場所で捉えたのも、いまとなっては、いい思い出です。いまは撮れなくなりましたが、通称「浦マン」、この有名撮影地(笑)も懐かしいですね。

そろそろ、大宮に入ったまんまだったロクイチに、また会える日が近づいているようです。

ブログやってみようかと。

前からやりたいと思っていたブログを、とりあえずやってみることにしました。鉄な写真を適当に貼り付けて、遊べればいいかと思っています。ネガをまさぐって探した、昔のガキの撮った写真、今日撮ってきた、いまの写真。自己満足でいいかって感じです。また、時にはグルメスナップなども入れてみようか、と思います。

とりあえず、20年前のゴハチの写真を一枚。下り銀河51号、この頃、14系がなくなるとは夢にも思いませんでした。このホーム、いまもブルトレをバルブする人たちで賑わってるようですね。

もうひとつの、最後の夏

今回、帰り道に北京で大灰廠に寄ってきました。2008年のオリンピックに向けて至るところで現代への平準化が進む北京にあって、このナローの専用線が今日まで生き続けたことは、集通の前進以上に、現代の奇跡だったように思えます。もしかして東京以上? という北京市内の渋滞を抜けて、ほんの少し行ったところに、こんな蒸機が息づいているのですから。。。

すでに正規の操業を終えた専用線のわずかな区間を、チャーター運転していただきました。集通は我々ももしかして年内にもう一度、、、があるかもしれませんが(笑)、こちらは、ほんとうに最後の夏になるでしょう。別れを惜しむかのように、職員の皆さんが、あれも撮れ、これもこう撮れ、と次々に声をかけてくれたのが、ちょっと切なかったです。

近くて遠かったカマ

東海道や京浜東北の電車から見る機会も多く、自宅から環七走れば休日なら20分……近すぎて、逆になかなか撮る機会のなかった大森のC5766を、初めて撮ってきました。

このカマ、72年夏に日豊本線で撮っています。九州にしては標準デフのおとなしいスタイルで、九州の前は関西という経歴、あのカマが東京で保存されたのか、、、と何かもどかしい印象を抱いたのを覚えています。が、その土地にゆかりのないカマの静態保存、けっこう多いですね。

考えてみると、現役時代の35年間と、もうほとんど変わらない時間を、このカマは、ここで過ごしています。あたりまえのように横を走っていた京浜東北の103系も今は昔、余命わずかな湘南色の電車が今日も通り過ぎていきます。

33年前の夏、C5766

昨日撮ってきた大森のC5766、現役時代の写真を引っ張り出してスキャンしました。72年8月の日豊本線で貨物を牽く姿、田野~門石(信)で撮影しています。この日も暑い日でした。京都の高校生には宮崎の門デフのシゴナナ、これはもう、あこがれでした。シロクニ以上だったかもしれません。門デフいっぱい撮るぞ!と意気込んで宮崎入り……それが「なんだあ、門デフじゃないのかあ、、、それなら(梅小路から転属した)89や127が来てほしかったなあ」と思いました。

写真を見ると、2桁のナンバーにしては、やや下付きのナンバープレートや架線注意札の位置が今も変わっていないのがわかりますが、煙室扉のハンドルがないのが残念なところです。ちょっといま調べたのですが、九州(最終配置)のシゴナナで、九州を離れて保存されたのは、この66号機だけでした。

あと、そういえば、蒸機最後のお召を牽いた美しい門デフ、117号機の動輪が、偶然ながら、私の自宅から歩いて15分のところにあります。これも撮ったことはないので、あとで行ってみようかなあ。。。

近くて遠き、、、その2

というわけで、早速、C57117の動輪を撮ってきました。

このシゴナナ、私が最後に撮ったのは74年3月、宮崎電化直前の日豊本線の撮影旅行を終え、京都へ帰る急行「高千穂」の車内から、交換する貨物を牽く姿の、とっさの「面撮り」でした。その九州旅行では、お召機の美しさを残す117号機撮影はC55とともに、大きな目的だったんですが、なかなかタイミングが悪く、重連の次機だったり、停止位置が良くなかったりで、あまりいい写真が残っていません。

てっきり保存されるものだと思っていた同機が解体されたニュースには驚きました。南九州ではほかにC5557も、そうでした。大分保存のC55に至っては、ナンバーと実車が違うのでは? という説もあるぐらいです。九州のライトパシの保存にまつわる謎? は尽きることがないようです。

「ナイアガラ」のカレーも久しぶりに食べてきました。C57117号機のプレートは、店内中央のカウンターの上に、他のナンバーどもとは違うんだぞ、という表情で飾られていました。そう、お召からの赤ナンバーで。

C57117,1974年3月、宮崎。

C57117号機栄光のお召は、受験生の身、まさしく指をくわえて、雑誌の写真を見ていました。そして翌74年、大学受験が終わるか否や、九州撮影旅行へ出かけました。宮崎電化1ヶ月前のことです。梅小路OBの89号や39号、さらに山陰から転じた41号、113号など懐かしいカマに出会えましたが、九州本来の門デフはなかなかうまく出会えず……。天気も良くありませんでした。この写真は、大阪からのファンにお誘いいただき、宮崎機関区撮影に出かけた日の撮影です。いまにも降り出しそうな空の下、やっと出会えた117号先頭の重連が発車していきます。

機関区で撮影中、本降りとなり、しっかりとネガには雨の「線」が残っています。先日、いろんなサイトのリンクを辿ってサーフィンしていると、おそらく同じ日の撮影と思われる、雨の機関区の写真がUPされていました。その方もシゴナナが非常にお好きなようで、とても嬉しかったです。

今夜の東京は、何日かぶりに、雷雨の音が聞こえない、静かな夜です。

新宿から西荻へ

今日、西荻窪で仕事であり、新宿から中央緩行線の電車に久しぶりに乗りました。ちょうど昼下がりで、三鷹行きの車内は閑散としており、中野電車区のクラはまだ古いのが残ってるんだなあ、とか、トリアノンという喫茶店はまだあるのか、とか、ぼうーっと移り行く車窓を眺めていました。

75年、私が東京で初めて住んだのが吉祥寺で、つぎが阿佐ヶ谷。学生時代と社会人になりたての時代を、中央沿線で過しました。最初の数ヶ月は181系の「あずさ」に目を奪われました。ちょうど休鉄に入ったときで、それでも一度は撮ろうかと何度か思ってるうちに、見かけなくなりました。

「省エネ201系」のデビュー当時で、快速線にも、まだまだ非冷房の101系が走っていました。非冷房が来たときの落胆、ぬる~い扇風機の風、思い出すなあ。中央線から101系が姿を消すとき、ちょうど撮影を再開していた私は、中野でこの1枚を撮りました。そして、101系よ、悪態ついてごめんな、と謝りました(笑)

中央線のこの区間は、いつまでたっても、ほろ苦く、どこか甘酸っぱい気持にさせてくれます。

さらば、QJ6911号機

集通鉄路に残る前進の中でも、ひときわ美しかった装飾ガマ、6911号機が廃車になった、とのニュースが入ってきたのは、中国から帰ってきて数日後のことでした。今回の訪中時も、定期の客車列車の運用に毎日充当されており、毎朝、同機を追っかけるのが朝の日課となっていただけに、直ちには信じられない知らせでした。

それが、遅れて訪中の畏友・田島さんから、小さな赤旗をかざして、ささやかなお別れ運転をしたことが、もはや晴天白日の事実として伝えられました。廃車は残念ですが、鉄道現場の職員の方々の気持のこもった、お別れのセレモニー、同機は幸せな引退を飾ったのだと、ちょっと嬉しくなりました。

昨年春、我々が初めて集通東線の撮影に出かけたとき、夕陽に照らされて西行きの客レを牽く同機の姿に、大きな感動を覚えました。それ以来、東線で同機の客レを撮ることは、大いなる目的となっていました。その同機の活躍の、ほとんど最後まで立ち会えたこと、幸運でした。と同時に、集通の前進に、今度こそ本当に、最後が迫ってることを実感しました。2005.8.8 QJ6911

風前のPFブルトレ

10月のダイヤ改正で噂されていた関西ブルトレの統廃合が発表されました。どうやら、関西からPF牽引のブルトレは姿を消すようです。東京からの「出雲」はとりあえず残存のようですが、これも来春まで? との噂があり、一昔前は当たり前のように走っていたPFブルトレに、刻一刻、最後が近づいてるようです。

EF58ブームの84年頃、東海道ブルトレはすべてPFの牽引で、華やかに揃い始めたジョイフルトレイン牽引と相まって、いま考えるとPFの全盛時代だったと思います。ゴハチを期待して待ってると「なんだ、PFかよ~」で、シャッターを押さないこともよくありました。もちろん全機が白Hゴム、貨物を牽くPFにも、まだ更新機は出現していませんでした。

いま、前面白Hでブルトレを牽くPFは西に少しいるだけでしょうか。EF66のブルトレはその後、一時代を画したとは思いますが、EF66やEF81は、実はいまだに私には「ブルトレ牽引機」というイメージがしません。65Pを引き継いだPFの「特急色」、ちょっと濃い目の土崎カラーになったカマも多いですが、残された日々に拍手を送りたいと思います。

品川鉄道探検隊

4~5年前からでしょうか、夏休みが終わる少し前に、品川で鉄道探検隊なるイベントが毎年行われています。今年は参加しませんでしたが、昨日と今日の開催だったようです。

参加者は品川駅の10番から、初期は167系、いまは183系に乗って、途中洗浄線などもゆっくり通過しながら、JR東の人気車両の揃う展示線へ向かいます。親子連れ対象のイベントだけに、撮影を目的とする向きには不満が残る並べ方だったりしますが、けっこうのんびりした雰囲気のイベントで、ちょっと待てばロクイチの正面や、イベントロコの並びが意外にラクに撮れたりしました。

で、楽しいのが、ヘッドマークの展示です。東京機関区、また田町電車区の長い歴史に裏打ちされたマークの数々が登場、機関車や電車に付いてるのもいいんですが、こんなふうに、裏側なんか見せられると、ゾクゾクしました。客車「踊り子」のマークの裏側です。そうそう、東京機関区から東京運転区、そして87年当時は品川運転所だったんですね。

そして、今年は全検中で欠席でしたが、このイベント、ロクイチに接近できる貴重な機会です。また来年、開催を楽しみに待ちたいと思います。

神田、秋葉原界隈

夜の交通博物館に行った日は、ちょうど、つくばエクスプレスの開業日でした。新たにターミナルとなった秋葉原には、ビルの建設ラッシュで、これからはIT産業の中心地になるとやらで、あたりはすっかり変貌しつつあります。何年かすれば、街のイメージがガラリと変わってるかもしれません。

そんなこの界隈で、しばらく変わりそうにないのは、ガード下の雰囲気です。アキハバラデパートの乱雑でいい感じ、神田駅から続く古い飲み屋街、そうそう、交通博物館だって、映画のBGMに電車の音が聞こえます。何しろ、旧万世橋駅の遺構がいまも残ってるのですから。

そういえば、交通博物館の跡地はどうなるのでしょうか。JRのオフィスビルがドーンと建つなんてのは寂しいなあ(笑)ほんとは帰りにガード下で一杯飲りたかったんですが、仕事が残っており、それはまたのお楽しみにしました。ライトアップされたカットモデルの横を、中央快速の201系が通り過ぎます。201系も誕生からいつのまにか30年近く、来年にはいよいよ後継車が投入の計画といいます。

津軽へ

津軽鉄道75周年のイベントに行ってきました。台風一過、津軽はもう秋の空で、時おり爽やかな風が吹き渡り、小さなDLの牽く客車列車や、キハ22の単行運転などの撮影は、ほんとに快適な時間でした。五所川原の機関区に展示された、初秋のラッセルも、いい感じです。

そういえば、青森って、まだ新幹線が到達してないせいか、中途半端に遠い場所ですね。今回も、朝のイベント列車を撮るには、弘前へ前日入りを余儀なくされました。ただ、そのおかげで、居酒屋で海の幸を味わえました(笑)帆立、秋刀魚、おいしかったなあ。次回は鍋であったまる季節にぜひ行きたいものです。

トワイライト、来る

JR西のトワイライト編成がEF64に牽かれて、珍しくも山貨まで姿を現わしました。で、今日は恵比寿で昼に仕事があったため、ちょっとカバンにデジカメを忍ばせて…(笑)平日にもかかわらず、この場所だけでも20人以上の人出でした。でもまあ、私が最年長かな(爆笑)

いわゆるネタものの撮影は、見事なほどにある一定の周期で、撮り鉄の代替わりが行われます。今日なんかも、見たことない大学生以下の若者がほとんどで、そこに仕事を抜けてきた若干の若手社会人が加わるって感じです。たいていの若人は、いつのまにか、ネタ鉄を卒業していきますが、そんな中にあって、熱心に撮影を続けるごく少数の大人たちには、少しの自嘲をこめながら、拍手を送らざるをえません(笑)

今日も、恵比寿のホームで、15年来の顔見知りの方にお会いしました。いまだにおたがいの連絡先も知りませんが、いったい何度顔をあわせたことでしょうか。。。会えば、こんにちは、お疲れ様です、撮影が終われば、お疲れ様でした、じゃあまた。。。この繰り返しで15年以上ですが、鉄もネット中心の社会になった今も、これこそ線路際の付き合いの基本のような気がします。

遮断機のない踏切

青プレ1056号機を捉えたのは、田端操と三河島を結ぶ、貨物線の短絡線、正しくは「常磐貨物線」が、田端操を出て、京成とクロスするあたりです。画面後ろに京成がオーバークロスしており、運がよければ、国鉄色の貨物機とスカイライナーを同じ画面に入れることも可能です。

この区間、小さな踏切がいくつもあって、お目当ての貨物を待ってる間、歩きや自転車のジモティの人たちがひっきりなしに往来します。中でも、田端操から数えて2つ目の踏切は遮断機もないという、いまどきの都内では珍しい存在です。

なんか、エアポケットのように、ちょっと時代から取り残されたような、いい感じです。列車本数もそれなりにあり、警報機が鳴るたびに、急ぎ足で踏切を通る人たちを眺めてるだけでも、飽きません。

最近、ここをオーバークロスする、新交通舎人線の工事がだいぶ進み、この青プレの写真を撮った位置から田端方向に振り返ると、巨大な橋桁が姿を現わしました。いずれ、この貨物線の上を、「ゆりかもめ」みたいなのが走り、まわりの雰囲気も一変するのでしょうか。。。

まだ入ったことはありませんが、この踏切の前に、居酒屋があります。写真にも小さく提灯が写ってるのがご覧になれるでしょうか。一度、暮れなずむ時間に貨物列車の音を肴に飲みたいなあ。。。

PF青プレ

今日は久しぶりの土曜出勤。。。まあ仕事自体は短時間で終わって、その後、文京方面に所用があり、ついでにデジカメ片手に西日暮里まで足を伸ばしてきました。

やがてやってきたのは、PF1056号機、JR貨物に3輌(?)いる青プレートのPFです。5月の大宮車両所の公開の際、青プレPFが更新工事を受けているところがちょうど展示されており、そうか、青プレも更新されるのか、これで残りは何輌? と思ったものです。

PF全盛期の匂う白Hゴム、青地に白抜き文字は、前面警戒色部分をビシっと引き締め、凛々しい表情を醸しだしています。赤プレのPFは数も多いせいか、あまり印象に残らないことが多いんですが、片や青プレは希少価値もあって、たまに見ると「オッ」という感じです。

この青プレPF、かなわぬ夢ですが、ブルトレ牽引も似合いそうですね。

ああ、PF全盛期

KRで撮ったポジを探して、あれこれ眺めていると、その当時、ポジに写ってるのはほとんどゴハチなんですが、「なんだ、PFかよ~」で1枚撮ったコマに、何度も惹きつけられてしまいました。

80年代半ば、ブルトレは東海道も東北ももちろんみんなPF牽引です。ただ、東北のほうはヘッドマークが付いたのが遅かったため、ちょっと印象が薄いかもしれません。そして、ブルトレ以上に、今になって考えると、14系ハザや、東サロこと欧風客車を引く、まさしくゴハチとの共通運用、「なんだ、PFかよ~」のほうが、私の脳裏には強く残っています。

東京1400発、土曜午後の14系「踊り子」は、まさにその代表列車のひとつと言えましょう。大井町の「ショクツウ」も懐かしいです。いまでも、京浜東北に乗ると、なんとなく目が行ってしまうもんなあ。。。

当時のRF誌で「EF65PF特集」の号があって、ブルトレ運用の合い間に、14系やサロンの団臨仕業をこなす、東京機関区PFの長期密着ルポが出てました。そして、その記事の前書きだか後書きには、「将来、このルポの書かれた時代がEF65PFの全盛期だったのだと評価されるであろう・・云々」という一文がありました。その「将来」が、まさしく20年後の現在なんですね。

僕のコダクローム

この土日、近場に撮影にでかけたほかは、昔のポジから、いくつかの写真を選んでスキャンしてました。そんな中で、あるコマをスキャンしようとすると、プレビューの段階から画像がぼやけて表示され、上手く取り込めず、はたと困ってしまいました。あらためてポジの表面を見てもカビがはえてるわけでもなく、スリーブの6枚を下の段のものに変えても同じ結果が。。。

はたと気がつきました。このポジ、KRでした。お~、これが何かの原因かも?! 考えてみたら、私はKRを常用したことがなく、ほとんどがエクタクローム~プロビアです。スキャナを使うようになって数年、KRのコマを取り込んだことも偶然ありませんでした。

今日、スキャナのメーカーのサービスセンターに電話して、ようやくわかりましたが、やはり原因はKR、ゴミ傷除去機能をオンにすると、KRの場合、赤外線が透過しないそうです。オフにすると、やっと、取り込めました。

何枚か、KRから取り込んでみたんですが、いやあ、青というか、紺の締まりが素晴らしい! この青空、とてもプロビア、ましてやデジカメでは出ません。ブルーのゴハチも凛々しくみえるし、ロクイチやEF55の茶だって、ビシッと引き締まった印象です。

ポール・サイモン唄う「僕のコダクローム」というほどの愛着はありませんでしたが、これは明らかに、ひとつの時代の色ですね。今度、KRで撮った写真を、あらためてセレクトしてみようかなあ。
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