1971年4月、園部

710418sonobeC575.jpg
ガキ鉄時代からの友人、枯れ鉄さんがおっしゃるように、44年前の4月は、まさに、園部=C57でした。梅小路のシゴナナ、最後の週末が最終日(4/25)となり、この写真を撮った日曜日(4/18)は、その1週間前になります。ただ、今回、金曜日のラストランを迎える381系を思うと、この日の園部駅は、2015年10月の最期の週末と、同じ表情をしていたように思います。

カーブした園部駅の留置線に佇む、美しきC575号機は、休日の多客対応でDC列車をPCに差し替えた9833レ~9834レ運用の、折り返し前の小休止中です。この日のガキ鉄は、朝、馬堀で上りのシゴナナを続行で撮って、下り9833レ撮影後、園部にやってくるパターンでした。京都のガキ鉄の自慢のタネであった、5号機の前面形式入りプレートが、3か月後の豊岡転属時に失われることになろうとは、この段階では知る由もありませんでした。

何の疑問もなく、こうしてホームから線路に下りて、皆でこういう写真が撮れた時代でした。映画「すばらしい蒸気機関車」では、たしか、園部で梅小路から福知山の乗務員に交代するシーンが出てきました。わずかな駅売りの弁当もあったのかなあ。ひくまさん、ありがとう。おかげさまで、40数年前を振り返りながら、数奇な物語に終止符を打つ381系に、最後の最後に、お別れをすることができました。

テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

「梅小路」の名が消える

710425ume1004.jpg
まだまだ先と思っていた、梅小路蒸気機関車館の閉館が、あと2週間に迫りました。京都鉄道博物館の一部となるための発展的解消ですが、京都のガキ鉄時代から、40年以上にわたって慣れ親しんだ「梅小路」の名が消えることには、万感、胸に迫るものがあります。今日は古いモノクロネガから、私にとっての梅小路といえばこの日、昭和46年4月25日の写真をスキャンしました。

♪背のびしてみる梅小路 今日も汽笛が遠ざかる♪……中学生のとき、ガキ鉄が他愛もなく歌っていた「港町ブルース」の替え歌です。ハーフサイズカメラで撮り鉄(という言葉はありませんでしたが…(笑))を始めた頃、山陰線には梅小路のシゴナナの定期旅客が5運用残っていて、ぼくらの鉄活は、6両のシゴナナを中心に回っていました。

それが、その年の正月に3運用に減り、春4月、最終運用の出区前に、ヘッドマークを付けたスターC575号機を中心に、昼間の臨時運用で不在の1両を除く5両と、入換のC11がズラリ並んで、今で言う「頭出し」でファンに披露されました。梅小路の現役蒸機最後の日、ここから、梅小路は動態保存基地としての第2の人生を歩み始めたのです。それから、40数年。あと2週間のうちに、もう一度だけ、行けるかなあ。行きたいような、このままにしておきたいような。。。複雑な気分で、故郷の街に思いを馳せています。

テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

昭和33年の御召機 「鉄道(27071)」

松任工場(現在は金沢総合車両センター)の資料館で、もう涙ものの古い写真が展示されていました。我らが世代の関西ガキ鉄・垂涎のカマ、C575号機の御召装備です。そうそう、梅小路へ来る前は金沢所属で、あのツララ切りもたしか金沢時代に装備されたのでしたね。

当然、ここ松任が担当工場だったのでしょう。写真の説明文には昭和43年福井国体とありましたが、資料をひも解くと、実際には昭和33年のようです。写真をあらためて凝視すると、この段階で、すでにキャブのナンバープレートは形式なしに交換されていて、区名札・仕業札入れの位置も、梅小路時代と変わらないことがわかります。

実はこの数日前、京都で計画した関西オフ会は、残念ながら皆さんのご都合がつかず、枯れ鉄さんとしばし一献、に縮小(笑)となりました。somtamさん、C5741郷愁紀行さん、ひくまさん、そのほか、関西でこのブログをご覧いただいている皆さん、今回は残念でしたが、また次回、こういうネタで一献傾けるのを楽しみにしています。

「1」が並んだナンバー 「鉄道(27071)」

C61ナンバープレート奥の細道、早速ですが、18号機のプレートで「1」が続くシチュエーションをご覧いただきたいと思います。フォントは20号機と同じ、やや縦長で、形式と機番の間にスペースがないタイプです。

記憶をたどってみると、C57やD51の場合は、この「形式・機番連続タイプ」でも、ここまで縦長のフォントになっていないように思います。なぜ、C61に特有(?)のフォントなのかは、製造工場や東北時代の受持ち工場を当たってみないと、確たる理由には到達しないような気がします。

そういえば、ごくたまに、変なところでスペースが空いているカマもいましたね。C56107号機でしたか、RJ誌の広田さんの写真で表紙になった出雲坂根のカマは、107の1と0の間が空いていたような記憶があります。ほかにも、時々こういうケースはあって、昔の交通博物館や大阪の科学館の壁に並ぶなかにも、いくつかあったような、、、

閑話休題。1972年夏、佐土原駅で貨物の入換えに励むC6118号機。暑かった記憶はありますが、おそらく今日の東京ほどではなかったのでしょうね。コーラやファンタをがぶ飲みしていた高校生の夏は、まだ今ほど異常な夏ではなかったのだろうなあ。。。

水鏡1972 「鉄道(27071)」

その39年前の現役宮崎のC6120号機ですが、あらためて古いネガを調べてみると、↑の写真の南延岡のほか、宮崎でも停車を撮影していました。ホームからそのまま機関区に屯しているカマたちを望む、懐かしのアングルのなかにも、20号機の姿がありました。

そして、もう1枚。下り列車が高鍋を出て、しばらく行ったところの短い鉄橋を行くC61牽引の旅客列車のネガをルーペで覗いてみると、キャブのナンバーは20号機と読み取れました。はい、残念ながら走行写真はこれ1枚っきりでした。

見事な水鏡になっていますが、そうだったことすら、まったく覚えていない(笑)スキャンしてはじめて、気がついた次第(爆)……そういえば、近年は鉄道写真の重要な1ジャンルとなった水鏡ですが、画面の端の枝とちがって、意識して撮った記憶がありません。高校生にはかなり高度なアングルだったのでしょう。この1枚しか、現役蒸機の水鏡は撮っていないような気がします。
プロフィール

品川530

Author:品川530
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR